魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。   作:アホ面オムライス

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第2話

 深夜の新宿区。

 

 再開発計画が頓挫し、無惨に剥き出しの鉄骨とコンクリートの残骸だけを晒している、解体工事中断中の巨大複合商業ビル。

 

 かつては若者たちで賑わい、華やかなアパレルショップや飲食店がひしめき合っていたであろうその四階フロアは、本来ならば、ネオンの光すら届かない冷たい暗闇と静寂に包まれているはずだった。

 

 だが今、その広大な空間は、太陽の表面をそのまま強引に切り取って叩きつけたかのような暴力的な閃光と、鼓膜を物理的に焼き切るような凄まじい爆音に支配されていた。

 

「――これで終わりよッ! 灰すら残さず消し飛びなさいッ! 『スターライト・プロミネンス』ッ!!」

 

 悲痛な、しかし絶対の勝利への確信に満ちた叫び声が、炎の轟音を切り裂いて響き渡る。

 

 パステルイエローを基調とし、無数の星屑の意匠を散りばめた豪奢なドレスを纏う少女。Sランク魔法少女、星野キララ。

 

 全契約者の中でも一握りのトップクラスの魔力出力を誇る彼女は、身の丈ほどもある星型のステッキを構え、目前の敵に向けて一切の出し惜しみなく最大火力を叩きつけていた。

 

 彼女の視線の先には、全長四メートルを超える、不定形で極めてグロテスクな怪物がいた。

 

 明確な頭部も、手足も、感情を示す眼球すら存在しない。ただ、コールタールのように黒く、極めて粘性の高い流体が、巨大なアメーバのようにドクドクと不気味な脈動を繰り返しながら蠢いている。

 

 システム上において【流体変異型】と呼称される、極めてイレギュラーな歪魔だ。

 

 キララの杖から放たれた極大火炎魔法は、推定温度三千度を優に超えている。

 

 空中の酸素が一瞬で燃焼し尽くされ、プラズマ化した炎の巨大な渦が、黒いスライムの巨体を一切の逃げ場なく完全に包み込んでいた。

 

 フロアの床を構成する分厚いコンクリートが、尋常ではない高熱によって瞬時に赤熱し、ひび割れる。

 

 鉄骨は飴細工のようにドロドロと曲がり始めていた。

 

 魔法少女の戦闘教義において、これは間違いなく『絶対の正解』だった。

 

 硬質な物理的装甲を持たない流体型の敵であれば、圧倒的な魔力による熱エネルギーで、対象の細胞構造そのものを分子レベルで炭化させ、文字通り蒸発させてしまえばいい。

 

 単純にして明快。魔力こそが正義。

 

 この一撃で消滅しなかった敵は、星野キララの華々しいキャリアにおいて、今までただの一体も存在しなかった。

 

 だからこそ、キララは自身の勝利を微塵も疑わず、肩で荒い息を吐きながら、熱を帯びたステッキをゆっくりと下ろした。

 

 あとは、システムから討伐完了のアナウンスが流れるのを待つだけ。

 

 そう、確信していた。

 

 しかし。

 

 業火の渦が晴れていく中、網膜に映り込んだ光景に、キララの表情は凍りついた。

 

「……嘘、でしょ……?」

 

 黒いスライムは、傷一つ負っていなかった。

 

 蒸発するどころか、表面が炭化した痕跡すら一切ない。

 

 それどころか、どす黒い巨体は一回りも二回りも膨張し、今や全長六メートルを超えるほどの巨大な質量の塊へと変貌を遂げていたのだ。

 

 異常事態は、敵の健在だけではなかった。

 

 つい数秒前まで三千度のプラズマ火炎に熱されていたはずの空気が、突如として急激に冷え込み始めたのだ。

 

 ピキピキ、と異様な音が空間を満たす。

 

 赤熱していたはずの床は一瞬で熱を奪われ、ひしゃげた鉄骨の表面には、びっしりと白い霜が降り始めた。

 

 強烈な、そして異常なまでの吸熱反応。

 

 空間にノイズが走り、管理妖精セラフの端末ドローンが出現した。

 

『警告シマス。放タレタ熱エネルギーハ、対象ノ体積膨張プロセスニ一〇〇%、完全ニ吸収サレマシタ』

 

「吸収、された……!? 三千度の炎よ!?」

 

 キララは完全なパニックに陥り、ステッキを杖代わりに絶叫した。

 

『対象ハ、環境適応型ノ【吸熱変異体】デス。外部カラ与エラレタ熱量ヲ、自ラノ成長リソーストシテ変換スル性質ヲ持ッテイマス。サラナル魔力ノ増幅、オヨビ限界ヲ超エタ再照射ヲ推奨シマス』

 

「冗談じゃないわよ! 今のシステムのアドバイス通りにやった結果が、これじゃない!!」

 

 キララは悲鳴のような声で吠えた。

 

 魔力は既に枯渇寸前。Sランクという桁外れのリソースの九割以上を、先ほどの一撃に注ぎ込んでしまったのだ。

 

 システムは常に『より強い魔法を撃て』としか言わない。

 

 それが正義だったからだ。

 

 だが、現実は違った。

 

 怪物は熱エネルギーを『餌』にして生きる存在だ。

 

 火力が上がれば上がるほど、相手はそれを喜んで食らい、より巨大に成長していく。

 

 魔法システムの根幹が、敵の熱力学的な生存戦略の前に完全なる敗北を喫した瞬間だった。

 

「いや……こないで……っ!」

 

 熱を喰らって巨大化した黒いスライムから、二本の丸太のように太い触手が、鎌首をもたげるように生み出される。

 

 キララは震える両手でステッキを構え直したが、先端から弱々しい静電気のような火花が散っただけで、魔法は発動しなかった。

 

 シュガァァァァッ!!

 

 空気を凍らせるような不気味な摩擦音と共に、数トンの質量を持った触手が、キララの頭蓋を粉砕すべく振り下ろされた。

 

 もはや、回避する体力もない。

 

 キララがギュッと強く目を閉じ、死の衝撃に備えた、その瞬間。

 

 ドゴォォォォンッ!!

 

 彼女の背後。

 

 非常階段へと通じる分厚い鉄製の防火扉が、内側から爆け飛んだ。

 

 猛烈な土煙とコンクリートの破片が舞い散る中、極めて規則的で、重々しいモーターの駆動音が響いてくる。

 

 キュラキュラキュラキュラキュラ。

 

 それは異常なまでに場違いな音だった。

 

 瓦礫を無慈悲に踏み砕く、小型の電動クローラーの走行音。

 

「……あら。随分と冷え込んでいますわね」

 

 土煙を裂いて現れたのは、パステルピンクのフリルドレスを纏った、一人の少女だった。

 

 葛城凛。

 

 全魔法少女の中で、最も才能がないとされる最底辺のFランク。

 

 だが、彼女の姿は魔法少女という概念から最も遠く離れていた。

 

 手には魔法のステッキを持たず、代わりに、百キロ以上の重量物を運搬するための電動クローラーの操縦桿を握り、瓦礫の山を乗り越えてくる。

 

 荷台の上には、厚手の防湿クラフト紙で厳重に包装された、一つ二十キロ入りの重い紙袋が山のように積まれていた。

 

 袋の表面には、極太のゴシック体で『無声破砕剤』という工業的な印字が刻まれている。

 

 顔には透明な工業用防護ゴーグル。両手には赤い革製のボクシンググローブ。

 

 クローラーを停止させた直後、凛は流れるような動作で腰から空気圧式のアンカーガンを抜き放ち、背後のコンクリート柱に向けて引き金を引いた。

 

 ガシュンッ!

 

 鋼鉄の杭が、柱の深くにガッチリと食い込む。凛は手首の動きだけで、アンカーから伸びるワイヤーを、自らのハーネスのフックにカチリと接続した。

 

「あ、あなた……葛城さん!? 逃げて! そいつに魔法は通じないわ!」

 

 腰を抜かしたキララが叫ぶが、凛は歩みを止めなかった。

 

 ゴーグル越しの冷徹な目が、黒いスライムの表面を走査する。

 

 壁の霜。急激な気温低下。フロア全体を覆う不自然な冷気。

 

 そして、ワンボックスカーの車載モニターで確認済みのセラフの歪曲データ。

 

 凛はこのビルに到着する前、車内で既にこの怪物の属性を分析していた。

 

 セラフのスキャンデータが示す流体の比重一・〇三、屈折率一・三四は、水を主溶媒とする生体液の典型値。

 

 そして、キララの火炎が吸収された直後に周囲の気温が急激に低下した事実。

 

 熱力学の第一法則。エネルギーは生成も消滅もしない。

 

 スライムが三千度の熱量を「吸収」したなら、そのエネルギーは必ずどこかに行く。

 

 体積の膨張に転化された分と、周囲の環境から奪われた分。

 

 つまり、この怪物は外部から与えられた熱を自らの成長に利用するだけでなく、周囲からも能動的に熱を吸い上げている。

 

 完全な吸熱反応体。

 

 だが、凛の関心はそこにはなかった。

 

「逃げなさいってば! そいつは物理的な攻撃も……」

 

「物理攻撃も効かない。確認しておく」

 

 凛はクローラーに引っ掛けてあった鉄のバールを無造作に手に取った。

 

 そして、純粋な人間の筋力だけで、スライムの中心目掛けて投擲した。

 

 ヒュンッ。

 

 バールは黒い流体の表面に触れた瞬間、鈍い音と共にズブズブと沈み込み、数秒で完全に静止した。

 

 運動エネルギーが、流体の粘性抵抗によって完全に吸収されている。

 

 完全非弾性衝突。

 

 凛は手元の端末で結果を記録した。

 

 投擲速度、着弾後の沈降速度、静止までの時間。

 

 三つの数値から、流体の粘度がおおよそ推定できる。

 

 この粘度と比重のデータは、次の戦術の精度に直結する。

 

「魔法も物理も効かないのよ! 早く逃げて!」

 

 泣き叫ぶキララを一瞥し、凛は冷たく笑った。

 

「システムに与えられた『火力』と『物理』。その二つのアプローチしか頭にないから、そうやって簡単に絶望するんですのよ、エリート様」

 

 凛はスライムに向かって、ゆっくりと歩み寄る。

 

 黒いスライムが、クローラーの荷台から何かを取り出そうとしている凛に向かって、三本の巨大な触手を同時に振り上げた。

 

 凛は、クローラーに積まれた二十キロの無声破砕剤の紙袋の一つを掴み出した。

 

 主成分、酸化カルシウム。

 

 生石灰。

 

 水と接触すると、激しい発熱反応と共に急激な体積膨張を起こす。

 

 車内で確認した流体の比重と屈折率は、水を主溶媒とする組成を示していた。

 

 生石灰の水和反応が成立する条件は、満たされている。

 

 だが、生石灰を外から投げつけても意味がない。

 

 この怪物は外部からの熱を吸収する。

 

 水和反応の発熱がスライムの表面で起きれば、熱は即座に吸収されて成長の餌になるだけだ。

 

 鍵は、「どこで」反応を起こすかだ。

 

 外ではなく、内。

 

 スライムの体液の最も深い位置で、生石灰と水の反応を起こさせる。

 

 内部で発生した発熱と体積膨張は、外部からの熱とは物理的に異なる経路でスライムの組織に作用する。

 

 外部からの熱吸収は、表面の分子構造がエネルギーを受け取り、内部へ伝達する能動的なプロセスだ。

 

 だが、内部の最深部で突然発生した反応は、表面を経由しない。

 

 吸収メカニズムを迂回して、細胞構造に直接ダメージを与える。

 

 さらに、水和反応で生成される水酸化カルシウムは強アルカリ性だ。

 

 スライムの流体を構成するタンパク質を化学的に分解し、流体としての構造そのものを内側から破壊する。

 

 熱。膨張圧。化学的腐食。

 

 三つの攻撃が、内部から同時に発生する。

 

 外部からの熱を吸収する能力は、内部発生の多面的な攻撃に対しては無力だ。

 

 頭上では、スライムの数トンの触手が彼女の頭蓋を粉砕すべく、猛烈な速度で迫り来る。

 

 だが、凛は口角を深く吊り上げていた。

 

「さあ、化学(ケミストリー)の絶対法則で、内側から弾け飛びなさいな」

 

 凛は、重い袋を抱えたまま、触手が振り下ろされる直下へと迷いなく踏み込んだ。

 

 右手のボクシンググローブを歯で噛んで外し、むき出しになった白く細い指先に、Fランクの微小な火花をチリチリと灯す。

 

 紙袋のクラフト紙を焼き切るための、百円ライターの火花。

 

 出力はゴミだが、照射点の精度だけは異常に高い。

 

 袋の表面の、紙が最も薄い一点を狙って。

 

 二十キロの袋をその右腕と胴体で強引に抱え込み、左手の指先は既に、腰のタクティカルハーネスに装着された小型ウインチの緊急起動ボタンへと添えられていた。

 

 システムから最弱の烙印を押された、魔法を否定する少女。

 

 彼女は、数トンの死の質量が頭上に迫りくる中、静かに笑い声を上げた。

 

 世界を支配する物理と化学の法則が、超常のシステムに牙を剥く瞬間が、目前に迫っていた。




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