魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。   作:アホ面オムライス

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第25話

 二十一日目の未明。

 

 凛は病室の椅子で仮眠を取っていた端末のアラートで叩き起こされた。

 

 セラフ網からの異常通知。

 

 通信モジュールの処理負荷が、瞬間的に九十三パーセントに到達していた。

 

 凛は跳ね起き、データを確認した。

 

 理沙の魔力出力に、突発的なスパイクが発生している。

 

 これまでの緩やかな周期変動とは質が違う。

 

 出力が通常値の三倍にまで跳ね上がり、約四十秒間持続した後、急速に収束している。

 

 分散同期プロトコルは機能していた。

 

 四千八百機のセラフが、スパイクに追随して放散量を増加させ、カプセルの内圧上昇を防いでいる。

 

 だが、中継器である通信モジュールの処理負荷は、スパイクのピーク時に設計限界の九十三パーセントにまで達した。

 

 あと七パーセント。

 

 それを超えれば、モジュールが過負荷でダウンする。

 

 凛は過去二十四時間のデータを遡った。

 

 スパイクが発生したのは、この一回だけだ。

 

 だが、定常波の周期変動パターンを重ね合わせると、スパイクが発生したタイミングは、周期変動の「谷」――脳が最も浅い睡眠状態に入る瞬間と正確に一致していた。

 

 理沙の意識が浮上しかけた瞬間に、魔力が暴発的に放出された。

 

 結衣の覚醒時にも似た現象が起きていたかもしれない。

 

 だが、結衣の場合はコンバーターが排出口として機能しており、スパイクがあっても装置が吸収していた。

 

 理沙の場合、排出を担っているのは海底の通信モジュール一機だ。

 

 処理能力が根本的に違う。

 

 凛はスパイクの波形を詳細に解析した。

 

 立ち上がりの傾斜。ピーク値。減衰パターン。

 

 周期変動が加速しているということは、理沙の意識が浮上する頻度が増しているということだ。

 

 今後、スパイクの発生頻度も増加すると予測される。

 

 そして、覚醒の瞬間――意識が完全に浮上する瞬間には、スパイクの規模がさらに大きくなる可能性が高い。

 

 通信モジュールの設計限界を超えるスパイクが来れば、モジュールがダウンする。

 

 放散が止まり、カプセルの内圧が急上昇し、暴走が始まる。

 

 母が目を覚ますことが、そのまま破局のトリガーになりかねない。

 

 凛は端末を握りしめた。

 

 理沙の覚醒を望んでいる。

 

 だが、覚醒の瞬間が最も危険だ。

 

 解決策は二つある。

 

 第一に、通信モジュールの処理能力を引き上げる。

 

 だが、モジュールのハードウェアは海底八十メートルのカプセルに設置済みだ。物理的な改修はできない。ソフトウェアの最適化で絞り出せるマージンは、せいぜい数パーセント。焼け石に水だ。

 

 第二に、スパイクのピーク値そのものを抑制する。

 

 理沙の魔力出力が跳ね上がる瞬間に、外部から何らかの干渉を加えて出力を押し下げることができれば、モジュールの処理限界内に収められる。

 

 干渉。

 

 凛の思考が、一つの物理原理に辿り着いた。

 

 波の干渉。

 

 同じ周波数の波が逆位相でぶつかれば、互いに打ち消し合う。

 

 相殺干渉。

 

 理沙の魔力出力に対して、同じ周波数で逆位相の魔力をぶつければ、出力を減衰させることができる。

 

 だが、理沙の魔力と同じ周波数の魔力を出せる人間が、この世界にいるのか。

 

 凛は研究ノートの記述を思い出した。

 

 「002の残存魔力は、運動神経と感覚神経のシナプス接合部に集中的に分布している」

 

 凛の体内には、母の実験で注入された微量の魔力が残存している。

 

 理沙から注入された魔力。

 

 つまり、起源が同じだ。

 

 同じ起源の魔力は、同じ基底周波数を持つ。

 

 凛のFランクの魔力と、理沙の魔力は、周波数が一致している。

 

 出力は桁違いだ。

 

 理沙の魔力出力に対して、凛のFランクの出力で逆位相をぶつけても、完全に相殺することは不可能だ。

 

 だが、完全な相殺は必要ない。

 

 スパイクのピーク値を、通信モジュールの処理限界以下にまで押し下げればいい。

 

 現状のスパイクはピーク時に通常値の三倍、モジュール負荷九十三パーセント。

 

 処理限界は百パーセント。

 

 七パーセントのマージンしかない。

 

 だが、逆位相の干渉でスパイクのピークを二十パーセント減衰させることができれば、モジュール負荷は七十四パーセント程度にまで下がる。

 

 二十六パーセントのマージン。

 

 それだけあれば、覚醒時のスパイクにも耐えられる可能性が高い。

 

 凛は自分の魔力出力を計算した。

 

 Fランク。百円ライターの火花。

 

 理沙の通常出力の約〇・〇一パーセント。

 

 スパイク時の出力の約〇・〇〇三パーセント。

 

 この微弱な出力で、スパイクを二十パーセント減衰させることは可能なのか。

 

 直感的には不可能に思える。

 

 だが、干渉は出力の大きさだけで決まるのではない。

 

 位相の精度で決まる。

 

 完全に逆位相の波は、出力がどれほど小さくても、対象の波形を確実に減衰させる。

 

 減衰量は干渉波の振幅に比例するが、減衰の効率は位相の一致度に依存する。

 

 位相が完全に一致していれば、振幅が微小でも、エネルギーの相殺効率は百パーセントに近づく。

 

 凛のFランク魔力の特性。

 

 出力はゴミ。だが、精度は生理的限界を超えている。

 

 位相の制御精度が極限まで高ければ、微弱な出力でも効率的に干渉を起こせる。

 

 母の実験が凛に与えた副産物が、母の暴走を抑えるための唯一の鍵になる。

 

 因果が、また円を描いている。

 

 だが、問題がある。

 

 逆位相の干渉を起こすためには、理沙の魔力と物理的に接触する必要がある。

 

 遠隔では位相の同期が取れない。

 

 凛がカプセルに直接手を触れ、理沙の魔力の波形をリアルタイムで感知しながら、逆位相で自分の魔力を放出し続けなければならない。

 

 つまり、凛は再び海底に潜らなければならない。

 

 しかも今回は、カプセルに触れたまま、理沙が覚醒するまで留まる必要がある。

 

 覚醒がいつ起きるか分からない。

 

 数時間後かもしれない。数日後かもしれない。

 

 潜水船の酸素は八時間が限界だ。

 

 一回の潜航で覚醒のタイミングに立ち会える保証はない。

 

 凛は端末を閉じ、窓の外を見た。

 

 夜明けの空が、東の端から白み始めている。

 

 結衣がベッドの上で寝返りを打った。

 

「おねえちゃん……? まだ暗いのに、起きてるの……」

 

「少し考え事をしていた。寝てていい」

 

「また海に行くの」

 

 結衣は半分眠りながら、核心を突いた。

 

「……ええ。行かなきゃいけない」

 

「今度は何をしに」

 

「お母さんが目を覚ます時に、そばにいなきゃいけないことが分かった」

 

 結衣は毛布の中で、凛の手を探した。

 

 凛はベッドの縁に手を伸ばし、結衣の指に触れた。

 

「帰ってくるから」

 

「知ってる。おねえちゃんは約束守るもん」

 

 結衣はそのまままた眠りに落ちた。

 

 凛は結衣の手をそっと離し、端末を開いた。

 

 沙耶に連絡を入れる。

 

 ――『三度目の潜航が必要になった。今回は長時間の海底滞在になる可能性がある。酸素の増量と、カプセルへの物理的接触を維持できる装備が要る。相談したい』

 

 返信は六分後に来た。

 

 ――『了解。横須賀に来い。装備の選定を一緒にやる』

 

 凛は病室を出た。

 

 廊下はまだ薄暗い。

 

 早朝の病院は静かだ。

 

 階段を降りながら、凛は自分の右手を見た。

 

 あの夜、保護継電器の接点をミリ単位で焼き切った指先。

 

 ボクシンググローブの鉛を、歪魔の呼吸孔にねじ込んだ指先。

 

 母の実験が刻んだ、異常な精度を持つ指先。

 

 今度はこの指で、母の暴走を鎮める。

 

 壊すためではなく、鎮めるために。

 

 凛は病院の正面玄関を出て、横須賀行きの始発電車に向かって歩き出した。




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