魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。 作:アホ面オムライス
二十一日目の未明。
凛は病室の椅子で仮眠を取っていた端末のアラートで叩き起こされた。
セラフ網からの異常通知。
通信モジュールの処理負荷が、瞬間的に九十三パーセントに到達していた。
凛は跳ね起き、データを確認した。
理沙の魔力出力に、突発的なスパイクが発生している。
これまでの緩やかな周期変動とは質が違う。
出力が通常値の三倍にまで跳ね上がり、約四十秒間持続した後、急速に収束している。
分散同期プロトコルは機能していた。
四千八百機のセラフが、スパイクに追随して放散量を増加させ、カプセルの内圧上昇を防いでいる。
だが、中継器である通信モジュールの処理負荷は、スパイクのピーク時に設計限界の九十三パーセントにまで達した。
あと七パーセント。
それを超えれば、モジュールが過負荷でダウンする。
凛は過去二十四時間のデータを遡った。
スパイクが発生したのは、この一回だけだ。
だが、定常波の周期変動パターンを重ね合わせると、スパイクが発生したタイミングは、周期変動の「谷」――脳が最も浅い睡眠状態に入る瞬間と正確に一致していた。
理沙の意識が浮上しかけた瞬間に、魔力が暴発的に放出された。
結衣の覚醒時にも似た現象が起きていたかもしれない。
だが、結衣の場合はコンバーターが排出口として機能しており、スパイクがあっても装置が吸収していた。
理沙の場合、排出を担っているのは海底の通信モジュール一機だ。
処理能力が根本的に違う。
凛はスパイクの波形を詳細に解析した。
立ち上がりの傾斜。ピーク値。減衰パターン。
周期変動が加速しているということは、理沙の意識が浮上する頻度が増しているということだ。
今後、スパイクの発生頻度も増加すると予測される。
そして、覚醒の瞬間――意識が完全に浮上する瞬間には、スパイクの規模がさらに大きくなる可能性が高い。
通信モジュールの設計限界を超えるスパイクが来れば、モジュールがダウンする。
放散が止まり、カプセルの内圧が急上昇し、暴走が始まる。
母が目を覚ますことが、そのまま破局のトリガーになりかねない。
凛は端末を握りしめた。
理沙の覚醒を望んでいる。
だが、覚醒の瞬間が最も危険だ。
解決策は二つある。
第一に、通信モジュールの処理能力を引き上げる。
だが、モジュールのハードウェアは海底八十メートルのカプセルに設置済みだ。物理的な改修はできない。ソフトウェアの最適化で絞り出せるマージンは、せいぜい数パーセント。焼け石に水だ。
第二に、スパイクのピーク値そのものを抑制する。
理沙の魔力出力が跳ね上がる瞬間に、外部から何らかの干渉を加えて出力を押し下げることができれば、モジュールの処理限界内に収められる。
干渉。
凛の思考が、一つの物理原理に辿り着いた。
波の干渉。
同じ周波数の波が逆位相でぶつかれば、互いに打ち消し合う。
相殺干渉。
理沙の魔力出力に対して、同じ周波数で逆位相の魔力をぶつければ、出力を減衰させることができる。
だが、理沙の魔力と同じ周波数の魔力を出せる人間が、この世界にいるのか。
凛は研究ノートの記述を思い出した。
「002の残存魔力は、運動神経と感覚神経のシナプス接合部に集中的に分布している」
凛の体内には、母の実験で注入された微量の魔力が残存している。
理沙から注入された魔力。
つまり、起源が同じだ。
同じ起源の魔力は、同じ基底周波数を持つ。
凛のFランクの魔力と、理沙の魔力は、周波数が一致している。
出力は桁違いだ。
理沙の魔力出力に対して、凛のFランクの出力で逆位相をぶつけても、完全に相殺することは不可能だ。
だが、完全な相殺は必要ない。
スパイクのピーク値を、通信モジュールの処理限界以下にまで押し下げればいい。
現状のスパイクはピーク時に通常値の三倍、モジュール負荷九十三パーセント。
処理限界は百パーセント。
七パーセントのマージンしかない。
だが、逆位相の干渉でスパイクのピークを二十パーセント減衰させることができれば、モジュール負荷は七十四パーセント程度にまで下がる。
二十六パーセントのマージン。
それだけあれば、覚醒時のスパイクにも耐えられる可能性が高い。
凛は自分の魔力出力を計算した。
Fランク。百円ライターの火花。
理沙の通常出力の約〇・〇一パーセント。
スパイク時の出力の約〇・〇〇三パーセント。
この微弱な出力で、スパイクを二十パーセント減衰させることは可能なのか。
直感的には不可能に思える。
だが、干渉は出力の大きさだけで決まるのではない。
位相の精度で決まる。
完全に逆位相の波は、出力がどれほど小さくても、対象の波形を確実に減衰させる。
減衰量は干渉波の振幅に比例するが、減衰の効率は位相の一致度に依存する。
位相が完全に一致していれば、振幅が微小でも、エネルギーの相殺効率は百パーセントに近づく。
凛のFランク魔力の特性。
出力はゴミ。だが、精度は生理的限界を超えている。
位相の制御精度が極限まで高ければ、微弱な出力でも効率的に干渉を起こせる。
母の実験が凛に与えた副産物が、母の暴走を抑えるための唯一の鍵になる。
因果が、また円を描いている。
だが、問題がある。
逆位相の干渉を起こすためには、理沙の魔力と物理的に接触する必要がある。
遠隔では位相の同期が取れない。
凛がカプセルに直接手を触れ、理沙の魔力の波形をリアルタイムで感知しながら、逆位相で自分の魔力を放出し続けなければならない。
つまり、凛は再び海底に潜らなければならない。
しかも今回は、カプセルに触れたまま、理沙が覚醒するまで留まる必要がある。
覚醒がいつ起きるか分からない。
数時間後かもしれない。数日後かもしれない。
潜水船の酸素は八時間が限界だ。
一回の潜航で覚醒のタイミングに立ち会える保証はない。
凛は端末を閉じ、窓の外を見た。
夜明けの空が、東の端から白み始めている。
結衣がベッドの上で寝返りを打った。
「おねえちゃん……? まだ暗いのに、起きてるの……」
「少し考え事をしていた。寝てていい」
「また海に行くの」
結衣は半分眠りながら、核心を突いた。
「……ええ。行かなきゃいけない」
「今度は何をしに」
「お母さんが目を覚ます時に、そばにいなきゃいけないことが分かった」
結衣は毛布の中で、凛の手を探した。
凛はベッドの縁に手を伸ばし、結衣の指に触れた。
「帰ってくるから」
「知ってる。おねえちゃんは約束守るもん」
結衣はそのまままた眠りに落ちた。
凛は結衣の手をそっと離し、端末を開いた。
沙耶に連絡を入れる。
――『三度目の潜航が必要になった。今回は長時間の海底滞在になる可能性がある。酸素の増量と、カプセルへの物理的接触を維持できる装備が要る。相談したい』
返信は六分後に来た。
――『了解。横須賀に来い。装備の選定を一緒にやる』
凛は病室を出た。
廊下はまだ薄暗い。
早朝の病院は静かだ。
階段を降りながら、凛は自分の右手を見た。
あの夜、保護継電器の接点をミリ単位で焼き切った指先。
ボクシンググローブの鉛を、歪魔の呼吸孔にねじ込んだ指先。
母の実験が刻んだ、異常な精度を持つ指先。
今度はこの指で、母の暴走を鎮める。
壊すためではなく、鎮めるために。
凛は病院の正面玄関を出て、横須賀行きの始発電車に向かって歩き出した。
読んでくださってありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
励みになりますので、よろしければ感想・高評価・お気に入りなど、よろしくお願いします。