魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。   作:アホ面オムライス

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改稿に改稿を重ね、2話分を1話分にしたら長くなっちゃった……




第5話

 深夜の東京都心。

 

 鉛色の重く冷たい雨が、巨大なコンクリートの建造物を容赦なく黒く濡らしていた。

 

 都内の一等地に広大な敷地を構える『国立高度医療研究センター付属大学病院』。

 

 日本の最先端医療が惜しみなく集約されたその巨大な権威の象徴は、深夜の暗闘と土砂降りの雨の中で、まるで周囲の生命力を無言で吸い上げる巨大な墓標のようにそびえ立っていた。

 

 その第四病棟。

 

 厳重なセキュリティで守られた特別隔離フロアの、静まり返った冷たいリノリウムの廊下を、二つの影が音もなく進んでいた。

 

 一人は、清掃業者の地味な作業服に身を包み、深くキャップを被った葛城凛。

 

 もう一人は、同じくサイズの合わないダボダボの作業服姿で、目立つ長い金髪を不格好に後ろで束ねた星野キララだ。

 

 作業服は、凛がワンボックスカーの荷台に常備していたものだ。

 

 廃工場群での資材運搬や、建設現場への潜入に使う汎用の偽装装備。

 

 男女兼用のLサイズが二着。キララの長身にはやや短いが、深夜の病院の薄暗い廊下では十分に機能する。

 

 煌びやかな魔法少女のパステルカラーのドレスも、星屑を散りばめたようなステッキもない。

 

 つい数時間前まで怪物を狩るエリートとしてシステムに寵愛されていたキララにとって、魔法を一切使わず、夜勤の職員の目を盗んで監視カメラの死角を這い進むような泥臭い潜入工作は、ひどく屈辱的で居心地の悪いものだった。

 

「……葛城さん、本当にこれでいいの?」

 

 キララは、清掃用ワゴンの陰で息を殺しながら、前を歩く凛の背中に向けて不満げに囁いた。

 

「少しだけ魔法を使って認識阻害や透明化をかければ、こんなコソコソしなくても、堂々と正面から入れるじゃない……」

 

「静かにしていなさいな」

 

 凛は歩みを止めることなく、背後のエリートに向けて冷酷に言葉を返した。

 

「この病院の地下自体が、システムの中枢サーバーに直結しているのですわ。ここでの魔力の発動は、監視センサーに向かって『不法侵入したバグがここにいます』と大声で叫びながら歩くのと同じですの」

 

 凛は廊下の角で足を止め、天井の監視カメラの首振りパターンを確認した。

 

 四秒間隔の左右スイープ。死角が生じるのは、カメラが最も右に振れた瞬間の約一・二秒。

 

 凛は事前にこの病院のセキュリティシステムのメーカーと機種を特定済みだった。

 

 結衣の見舞いに通い始めた半年前から、廊下に設置されたカメラのハウジング形状と型番を目視で記録し、メーカーの公開仕様書からスイープパターンと死角の角度を割り出していた。

 

 魔法少女になる前から、凛は妹のいるこの病院に対して、本能的な警戒を解いたことがなかったのだ。

 

 二人は監視カメラの死角を縫うように進み、第四病棟の最奥にある重厚な隔離扉の前に到達した。

 

 扉の横には、厳重なロック機構と、黒い強化ガラスで覆われた生体スキャナーが設置されている。

 

「一階にいた夜勤医師のIDカードを物理的に盗んだところで、特級の『生体バッテリー』が保管されているこの特別区画の扉が開くわけがありませんわ」

 

 凛はスキャナーを顎でしゃくると、背後のキララを振り返った。

 

「出番ですわよ、エリート様」

 

 キララの顔に緊張が走る。

 

「このスキャナーは、接触した対象の魔力波長をパッシブに読み取る生体認証器ですの。あなたが魔力を能動的に『発動(アクティブ)』すれば、システム全体に探知されて警報が鳴りますわ。ですが、Sランクの魔法少女がスキャナーに手を触れるだけなら、体内に残存する微弱な魔力波長がパッシブに読み取られるだけですの。システムはそれを、正規のアクセス権限者が認証を通過したと誤認しますわ」

 

「……要するに、魔法を使わなくても、ただ触るだけで私のSランクの波長が鍵になるってこと?」

 

「ええ。高ランクの魔法少女は、システムの運用上、患者の管理区画への自由なアクセスを許可されていますの。怪物の素材である患者を『視察』する権限という名目でしょうけれど」

 

 凛に促され、キララが恐る恐るスキャナーの表面に手を触れた。

 

 ピッ、という極めて短い電子音と共に、ロック表示が赤から青色に変わった。

 

 油圧の音を立てて、分厚い扉が静かに開く。

 

 魔法という超常のシステムも、セキュリティの認証レイヤーさえ物理的に騙してしまえば、いとも容易く突破できる。

 

 その先にあるのは、ただ一つの無菌個室。

 

 ルームプレートには、一切の装飾を排した無機質なフォントで『04-A』と刻印されている。

 

「……結衣」

 

 隙間から病室へと滑り込んだ凛の足が、一瞬だけ止まった。

 

 それは、廃工場で怪物の内臓をえぐり出す時にも、ドローンの装甲を剥ぎ取る時にも、決して見せなかった躊躇いだった。

 

 無菌室の中央に置かれたベッド。

 

 そこに、酸素マスクをつけられ、無数のチューブと生体情報モニターに繋がれた一人の少女が、まるで死んだように静かに眠っていた。

 

 葛城結衣。

 

 凛の双子の妹であり、原因不明の『魔力飽和病』によって生死の境を彷徨っている、凛にとってこの世界で唯一の肉親。

 

 凛は病室の入口に立ったまま、三秒だけ動かなかった。

 

 グローブを外した右手が、無意識にベッドの方へ伸びかけ、途中で止まる。

 

 白く細い指先が、空中で僅かに震えた。

 

 次の瞬間、凛はその手を強引に引き戻し、グローブをはめ直した。

 

 感情を殺す。

 

 今この瞬間に必要なのは、妹の頬に触れることではなく、妹を縛り付けている鎖の構造を正確に把握することだ。

 

 凛は防護ゴーグルを引き下ろし、分析者の視線で病室を見渡した。

 

 結衣の華奢な身体の周囲には、システムから無償で提供されたという、巨大で白く輝く『超常の生命維持装置』が鎮座していた。

 

 魔法のルーン文字のような意匠が精緻に施されたその白亜の筐体は、暗い病室の中で淡く神聖なオーラを放ち、いかにも純真な少女の命を奇跡の力で繋ぎ止めている、慈悲深い機械のように見える。

 

「結衣ちゃん……可哀想に。顔色が真っ白じゃない……」

 

 背後から覗き込んだキララが、痛ましそうに呟く。

 

「でも、この不思議な機械のおかげで、なんとか命を保っているのね……」

 

「命を保っている?」

 

 凛の声は、手術室のメスのように冷たく、正確だった。

 

「この装置のスペックを、星野さんはご存知?」

 

「スペックって……知らないけど、生命維持装置でしょ?」

 

「生命維持装置と名乗る機械が、患者の身体に何をしているのか。それを確認もせずに信じるのは、『効能不明の薬を医者が出したから』という理由だけで飲み続けるのと同じですわ」

 

 凛は作業服のポケットから、工業用の電動ドライバーを取り出した。

 

「葛城さん!? ちょっと、何をする気!?」

 

 キララが血相を変えて止めようとする。

 

 凛は応えなかった。

 

 キュイィィィィンッ!!

 

 静寂に包まれた深夜の病室に、場違いで暴力的なモーター音が鳴り響く。

 

 凛は、白亜の装甲の表面を指先で探り、ルーン文字の装飾の裏に隠された六角穴付き止めネジを三本見つけ出した。

 

 装飾的な意匠で巧妙にカモフラージュされているが、ネジの規格はM4のキャップスクリュー。ごく一般的な工業規格だ。

 

 電動ドライバーの六角ビットが、正確にネジ頭に噛み合う。

 

 一本、二本、三本。

 

 最後のネジが外れた瞬間、白亜の外装パネルが自重でずれ、凛はそれを両手で掴んで静かに引き剥がした。

 

 ガシャン、と外装が床に落ちる。

 

「あ……」

 

 むき出しになったその機械の『内部構造』を見て、キララは言葉を失い、絶句した。

 

 そこには、患者の命を救うための薬液を送り出すポンプも、酸素を循環させるコンプレッサーも、人工透析のためのフィルターも、何一つ存在していなかった。

 

 あるのは、おぞましいほどに高密度で密集した純銅の電磁コイル。

 

 そして、結衣の細い腕や首筋、胸元の静脈から直接繋がれた、極太の『光ファイバーケーブル』の束だけだった。

 

 ケーブルの透明な被膜の中を、紫色の不気味な光が、結衣の身体から『強制的に吸い出されるように』脈動して流れていく。

 

 ズクン、ズクンと、まるで機械そのものが結衣の命を啜る巨大な蛭のように。

 

「……見ての通りですわ」

 

 凛は一切の感情を排した声で言い放った。

 

「これは生命維持装置などではありません。結衣の肉体を意図的に魔力飽和状態に維持し、そこから無限に発生する莫大な魔力エネルギーを吸い上げ、地下のサーバーへと送り出すための『搾取コンバーター』ですのよ」

 

「そんな……じゃあ、結衣ちゃんのこの病気は……」

 

「ええ。システムが意図的に感染させたものですわ。妹だけではありません。世界中で原因不明とされている魔力飽和病の患者たちは皆、この機械に繋がれた人間バッテリーですの」

 

 凛の言葉は、魔法少女というシステムの根幹を成す残酷な真実を、決定的に暴き出していく。

 

「世界中の魔法少女たちが、命懸けで怪物を倒して集めた『ポイント』。そのポイントは、この寄生虫のような機械を稼働させ、さらに効率よく人間から魔力を搾り取るためのシステム運用費として使われていた、というわけですの」

 

 怒りすら超越した、底知れぬ憎悪。

 

 凛はコンバーターの内部構造を隅々まで観察した。

 

 電磁コイルの巻き数、光ファイバーの本数と径、結衣の身体に接続されているインターフェースの規格。

 

 そして基板の構成。

 

 基板の中央に、搾取プロセスを制御するメインプロセッサが実装されている。

 

 その左端に通信用のサブモジュール。右端にパルス発生器の駆動回路。

 

 三つのチップが、一枚の基板の上で物理的に離れた位置に配置されていた。

 

 コンバーターの出力メーターを確認する。

 

 紫色の光の脈動は、結衣の心拍に同期している。

 

 一拍ごとに、結衣の体内から溢れ出す暴走魔力が、コンバーターを通じて外部へ排出されていた。

 

 搾取と排出が、同時に行われている。

 

 この機械は結衣の魔力を吸い上げる搾取装置であると同時に、結衣の体内で暴走している魔力の排出口としても機能している。

 

 全てを壊せば、排出口が塞がる。

 

 結衣の体内の魔力は行き場を失い、暴走が加速する。

 

 だが、搾取プロセスを制御しているメインプロセッサだけを破壊すれば、搾取の制御は止まる。

 

 通信サブモジュールとパルス発生器が生きていれば、排出の物理的な経路は維持される。

 

 後で必要になるかもしれない。

 

 凛はコンバーターの出力メーターの数値を携帯端末のカメラで撮影し、基板のレイアウトも記録した。

 

「葛城さん……壊さないの?」

 

 キララが困惑した声で尋ねた。

 

「今すぐその忌々しい機械を叩き壊して、結衣ちゃんを解放してあげないの?」

 

「全部は壊しませんわ。ですが、搾取の頭脳だけは、今ここで潰す」

 

 凛は電動ドライバーを握り直した。

 

 ドライバーの先端を、基板中央のメインプロセッサに向ける。

 

 チップの位置は目視で確認済みだ。

 

 左端の通信サブモジュールまでの距離は約四センチ。右端のパルス発生器までは約五センチ。

 

 ドライバーの先端が貫通する範囲は、直径約八ミリ。

 

 メインプロセッサの中心を正確に貫けば、左右のチップには物理的に届かない。

 

 四センチのマージン。

 

 Fランクの精度なら、余裕だ。

 

 凛は息を止め、ドライバーの先端をメインプロセッサの中心に合わせた。

 

 バチィッ!!

 

 電動ドライバーの先端が基板を貫通し、メインプロセッサを物理的に粉砕した。

 

 火花が散り、チップの破片が飛ぶ。

 

 搾取プロセスの制御信号が途絶え、紫色の脈動のパターンが変わった。

 

 メインプロセッサが死んだことで、搾取の最適化制御が停止している。

 

 だが、排出の物理経路は生きている。

 

 結衣の体内から溢れる暴走魔力は、制御を失ったコンバーターの回路を通じて、以前より緩やかに、だが確実に排出され続けていた。

 

 ベッドに横たわる結衣の眉間に刻まれていた苦痛の皺が、僅かに緩んだ。

 

 搾取の最適化がなくなった分だけ、身体への負荷が軽減されたのだ。

 

「完全には壊していませんわ。搾取の頭脳だけを潰した。排出の経路と、通信用の回路は生かしてあります」

 

「なんで全部壊さないのよ」

 

「全部壊せば、排出口が塞がりますわ。結衣の体内の魔力は行き場を失い、暴走が加速する。出力メーターの数値から逆算すると、排出が完全に停止してから結衣の体内魔力が致死的レベルに達するまで、およそ四十八時間」

 

「四十八時間……」

 

「ええ。今のままなら、排出は緩やかに続いていますから、その猶予はもっと長い。ですが、根本的な解決にはなりませんわ。この光ケーブルの先にあるメインサーバーを物理的に破壊し、システム全体を停止させることが最優先ですの」

 

 凛は結衣のベッドの脇に片膝をつき、コンバーターから床下へ伸びる光ケーブルの束を掴んだ。

 

 ケーブルは床の隙間から、病棟のさらに奥へと向かっている。

 

「メインサーバーの座標はドローンの帰還データで特定済み。この病院の地下ですわ。このケーブルが物理的にどこへ伸びているかを追えば、地下への侵入ルートも自ずと判明しますの」

 

 凛は立ち上がり、結衣のベッドに背を向けた。

 

 二歩、歩いて、足が止まった。

 

 振り返らないまま、凛は右手のグローブを外し、眠り続ける妹の手に、一瞬だけ指先を触れさせた。

 

 冷たい。

 

 結衣の指は、凛の記憶にある温度よりも、ずっと冷たかった。

 

 凛は何も言わずに手を引き、グローブをはめ直して歩き出した。

 

 病室を出て、光ケーブルが伸びる方向へ。

 

 関係者以外立入禁止の厳重な電子ハッチを越えた先に、地下深くへと続く業務用エレベーターシャフトが口を開けていた。

 

 凛はシャフトの扉をハッキングデバイスで強引にこじ開けると、暗闇の中を覗き込んだ。

 

 光ケーブルの束が、シャフトの壁面に沿って垂直に降下し、闇の底へと消えている。

 

「妹の心臓に管理タグを刻み込み、巨大なバッテリーとして食い物にしていた連中が、この光ケーブルの真下にいるんですのよ」

 

 凛は、ワンボックスカーからあらかじめ持ち出していた重装備の一つ、腰のタクティカルハーネスから頑丈な高張力ワイヤーを引き出した。

 

 そして、エレベーターシャフトを支える強固な鉄骨の梁にアンカーをしっかりと打ち込み、固定する。

 

「星野さん、わたくしにしっかり掴まりなさい」

 

 凛はハーネスのカラビナをワイヤーに接続すると、腰にマウントしていた『小型電動ウインチ』の降下スイッチを押し込んだ。

 

 ウィィィィン、という静かで力強いモーターの駆動音と共に、二人の身体は安定した速度で、果てしない闇の底へと降下していく。

 

 純粋なモーターの馬力とワイヤーの張力による、極めて物理的で確実な潜入ルート。

 

 数十メートルの機械的な降下を経て、二人が辿り着いたのは、大学病院の最下層に位置する巨大な『地下ボイラー室兼・特別電源設備エリア』だった。

 

 広大なコンクリートの地下空間には、凄まじい低周波の稼働音が響き渡り、空気がオゾンの匂いで満ちている。

 

 だが、サーバーはそこではない。

 

 フロアのさらに奥――本来の建築図面には存在しない、巧妙に偽装された分厚い防爆扉の向こう側に、無数の光ケーブルが束となって引き込まれていた。

 

 ここが、魔法少女システムを物理的に管理している中枢の入り口。

 

 凛は地下空間に降り立った瞬間、周囲の設備を冷徹な視線で瞬時にスキャンした。

 

 壁面に鎮座する金属製の巨大なロッカー群。

 

 外部の変電所から送られてくる超高電圧を受け取り、六万六千ボルトへと変圧して病院全体に電力を供給する、商用の『特高受変電設備(キュービクル)』だ。

 

 分厚い鉄の扉の奥からは、獲物を待つような重低音が響いている。

 

 凛はそのキュービクルの位置、扉のヒンジの向き、通気用スリットの幅と角度を、数秒で記憶に焼き付けた。

 

 何に使うかは、まだ分からない。

 

 だが、凛にとって環境の把握は呼吸と同じだ。

 

 手持ちの武器が限られている以上、周囲に存在する全ての物理的要素が潜在的な兵器であり、潜在的な盾でもある。

 

 使えるものは全て使う。

 

 それが、魔力Fランクの人間が生き延びるための唯一の原則だった。

 

 防爆扉へと続く道の中央に、それは立っていた。

 

 歪魔ではない。

 

 身長二メートルを超える、一切の装飾を排した人型の無機質な兵器。

 

 チタン合金のような鈍い光沢を放つ装甲に身を包み、足が床から数センチ完全に浮遊している。

 

 頭部には感情を示すパーツはなく、ただ赤いスキャンレンズだけが不気味に明滅していた。

 

『防衛機構(エンフォーサー)、起動。システムへの不正干渉者(バグ)ヲ、物理的ニ排除シマス』

 

 凛は即座にキララの腕を掴み、キュービクルの陰へと引きずり込んだ。

 

 無言のまま、周囲を見渡す。

 

 壁に立てかけられた工事用の鋼鉄製パイプ。重量約五キロ。

 

 凛はそれを手に取ると、キュービクルの陰から身を乗り出し、執行者の頭部目掛けて全力で投擲した。

 

 ヒュンッ!

 

 空気を切り裂き、鋭く重い鋼鉄の塊が一直線に飛来する。

 

 直撃すれば、チタンの装甲であろうと大きく陥没するほどの物理的な破壊力。

 

 しかし。

 

 ブォンッ……!

 

 鋼鉄のパイプは、執行者の顔面から三十センチ手前の空間で、まるで目に見えない巨大なゴムの壁にぶつかったかのように急激に減速した。

 

 弾き返されたのではない。

 

 ズブブブッ、と空中で急激なブレーキがかかり、完全に静止させられたのだ。

 

「なっ……!?」

 

 キララが驚愕の声を上げる。

 

 空中で静止した鋼鉄のパイプは、次の瞬間、急速に赤熱し始め、ドロドロに溶けてボトリと床に落ちた。

 

『運動エネルギーノ減衰、オヨビ熱変換ヲ確認。バグノ物理攻撃ハ、当機ニハ無効化サレマス』

 

 凛はキュービクルの陰に身を引き、思考を走らせた。

 

 金属が空中で減速し、静止し、発熱した。

 

 弾かれたのではなく、運動エネルギーそのものが奪われている。

 

 渦電流ブレーキ。

 

 強力な磁場の中を導体(金属)が移動すると、レンツの法則に従ってその動きを妨げる方向に渦電流が発生し、運動エネルギーが強制的に熱に変換される。

 

 リニアモーターカーの制動機構と同じ原理だ。

 

 加えて、パイプが空中で完全に静止した。

 

 反磁性浮上。極めて強い磁場の中では、常磁性体や反磁性体が磁力線に反発して空中に固定される。

 

 あの執行者は、自身の周囲に異常なほど強力な磁場フィールドを常時展開している。

 

「……燃え尽きなさい!」

 

 キララが叫び、ステッキの残存魔力を振り絞って火炎弾を放った。

 

 数千度の熱量を持つプラズマ化した炎の塊が、執行者へと殺到する。

 

 ズオォォォンッ!

 

 だが炎の塊は、執行者の手前で左右に大きく曲げられ、壁に激突して霧散した。

 

 凛の脳が、瞬時に因果を繋ぐ。

 

 数千度の炎はプラズマ化している。

 

 プラズマとは、気体の分子から電子が剥ぎ取られた状態――つまり、電荷を持った粒子の集合体だ。

 

 電荷を持った粒子は、強力な磁場の中ではローレンツ力によって軌道を曲げられる。

 

 核融合炉の磁気閉じ込めと同じ原理。

 

 物理的な打撃は渦電流ブレーキで無効化され、魔法の炎はプラズマであるがゆえにローレンツ力で逸らされる。

 

 物理と魔法の両方を、電磁気学の法則で完璧に封殺する絶対防御。

 

『分析完了。対象ノ攻撃手段ハ全テ無効。コレヨリ、バグノ排除行動ニ移行シマス』

 

 執行者が静かに右腕を上げた。

 

 その瞬間、凛の全身を見えない巨大な力が締め上げた。

 

「ガハッ……!?」

 

 凛の身体が、床からフワリと浮き上がる。

 

 タクティカルベルトの金属製バックル、ブーツの鉄芯、防護ゴーグルの金具。

 

 身につけているあらゆる金属部品が、執行者の放つ超強力な指向性磁場によって強引に引き寄せられ、凛の身体ごと空中に持ち上げられていく。

 

 強烈な磁力に引っ張られ、凛の身体は宙を舞った。

 

 背中が、金属製の巨大なロッカー――特高受変電設備(キュービクル)の分厚い鉄扉に、強力な磁石のように叩きつけられる。

 

 ガンッ!!

 

 凛はそのままキュービクルの扉に張り付けにされた。

 

 ギリギリギリッ!

 

 首元に提げていた通信用のチョーカーの金属部分が、強烈な磁力で喉に深く食い込む。

 

 気管が圧迫され、凛の顔から急速に血の気が引いていく。

 

『排除完了マデ、アト三十秒。バグノ生命活動停止ヲ確認後、通常モードヘ移行シマス』

 

 首を絞められ、宙吊りにされた凛。

 

 肺から空気が奪われ、視界がチカチカと明滅し始める。

 

 だが。

 

 凛の防護ゴーグルの奥の瞳は、一切の絶望を映してはいなかった。

 

 投擲の瞬間から、凛の脳内では並列して別の演算が走り続けていた。

 

 鋼鉄パイプを投げたのは、攻撃のためではない。

 

 敵の防御メカニズムを物理的に確認するための、観測実験だった。

 

 パイプが減速し、静止し、発熱した。

 

 炎が曲げられた。

 

 そして今、自分の身体が磁力で引き寄せられている。

 

 全ての現象が一つの結論を指し示している。

 

 常温であれほどの磁場を維持し続けるためには、通常の永久磁石では不可能だ。

 

 電磁石であれば莫大な電流を流し続ける必要があり、装甲の発熱で自壊する。

 

 電気抵抗がゼロの状態で莫大な電流を永遠に循環させ、発熱なしに超強力な磁場を維持できる物質は、この世界にただ一つしか存在しない。

 

 超伝導体。

 

 超伝導体の弱点は明白だ。

 

 極低温を維持できなくなれば超伝導状態が崩壊する。

 

 クエンチ。

 

 ゼロだった電気抵抗が一瞬で跳ね上がり、循環していた莫大な電流エネルギーが全て熱に変換され、内部から暴走的に自壊する。

 

 必要なのは、あの装甲の内部温度を臨界点以上に引き上げる、圧倒的な熱量。

 

 凛の背中に密着しているキュービクルの鉄扉。

 

 その向こう側には、六万六千ボルトの電流が流れている。

 

 だが、キュービクルの電流をそのまま執行者に流し込むことはできない。

 

 空気は絶縁体だ。

 

 凛と執行者の間の数メートルの空気を、電気が流れる導電路に変えなければならない。

 

 空気の絶縁を破壊し、導電路を作る方法。

 

 レーザー。

 

 極限まで収束された光線が空気を焼き、分子から電子を剥ぎ取ってイオン化すれば、そこに電気の通り道――プラズマトンネルが形成される。

 

 キララのレーザーは、磁場に曲げられる炎(プラズマ)とは違う。

 

 光子には電荷がない。

 

 磁場はレーザーの直進を一切妨げることができない。

 

 しかし、レーザーで作ったプラズマトンネルは、それ自体が電荷を持った粒子の道だ。

 

 執行者の磁場がそのプラズマを吹き散らすまでの時間は、コンマ数秒。

 

 だが、六万六千ボルトのアーク放電の伝播速度は光速の数十パーセントに達する。

 

 コンマ数秒あれば、十分に届く。

 

 問題が一つ残る。

 

 キュービクルには保護継電器が組み込まれている。

 

 漏電や短絡を検知した瞬間、〇・一秒で回路を強制遮断する安全装置だ。

 

 アーク放電が発生しても、保護継電器が即座にブレーカーを落とせば、超伝導体をクエンチさせるほどの持続的な電流は流れない。

 

 保護継電器を無効化する必要がある。

 

 凛の背中は、キュービクルの扉に密着している。

 

 通気用スリットの位置と幅は、先ほど記憶に焼き付けた。

 

 スリットの向こう、数センチの位置に、保護継電器の基板がある。

 

 凛のFランクの魔力。

 

 百円ライターの火花。

 

 出力はゴミだが、照射点の精度は異常に高い。

 

 微小な電流で動く電子基板の接点を、ミリ単位でピンポイントに焼き切ることができる唯一の能力。

 

 演算は完了した。

 

 あとは、実行するだけだ。

 

 凛は、首に食い込むチョーカーの僅かな隙間に顎を押し込み、限界の肺活量でキララに向けて叫んだ。

 

「……光……光を……! 『電荷』を、持たない……純粋な、レーザーを……!」

 

「光……?」

 

 キララは一瞬だけ戸惑い、そして理解した。

 

 Sランク魔法少女である彼女の属性は『星』。

 

 極限まで収束させた光線を放つことは、彼女にとって造作もない。

 

「でも、光を撃ってどうするの!? 熱も力もない光じゃ、あのチタンの装甲は……」

 

「貫く、必要は……ないッ……!」

 

 凛は血走った眼で、キララを真っ直ぐに見据えた。

 

「わたくしの、背後の……キュービクルのスリットから……奴に向けて……直線を、引きなさいッ……!」

 

 キララの顔が凍りついた。

 

 レーザーで空気を焼く。

 

 空気がイオン化して、電気の通り道ができる。

 

 凛の背後にあるのは、六万六千ボルトの電源設備。

 

「待って! 電気の道を作ったとして……あなたの背中にある、この病院の主電源を使う気!?」

 

 キララの声が裏返る。

 

「そんなことをして、病院の電源がショートしたら! 上の階で寝ている、結衣ちゃんの生命維持装置まで止まっちゃうじゃない!!」

 

 だが、凛の脳内では既にフェイルセーフの計算が完了していた。

 

 この病院の非常用電源系への自動切替開閉器(ATS)は、商用キュービクルとは物理的に完全に独立した別区画にある。

 

 商用電源が喪失してからATSが非常用電源に切り替えるまでの時間は、この規模の病院の標準仕様で最大八秒。

 

 結衣に接続されているコンバーターの内部には、瞬停対策用のコンデンサバンクが確認できた。

 

 あの容量なら、十秒程度の電源喪失には耐える。

 

 八秒の停電。十秒の猶予。二秒のマージン。

 

 結衣は死なない。

 

「……撃ち、なさい……ッ!」

 

 その血を吐くような、しかし微塵の迷いもない声。

 

 キララは、窒息しかけてなお全てを計算し尽くしている凛の狂気の眼を見て、背筋が凍った。

 

 恐怖と、悪魔的なまでの信頼が、同時に胸を貫く。

 

「……ッ! わかったわよ、この狂人(サイコパス)!!」

 

 キララは覚悟を決め、星型のステッキを構えた。

 

 Sランクの魔力が最後の一滴まで絞り出され、ステッキの先端に極限まで圧縮されていく。

 

 キュイィィィィンッ!!

 

 炎ではない。一切の熱を持たない、極限まで収束された純白の超高周波光。

 

「貫けッ! 『スターライト・レーザー』ッ!!」

 

 放たれたのは、直径わずか数ミリの極細の光線だった。

 

 光子には電荷が存在しない。

 

 凛の計算通り、執行者の展開する超強力な磁場フィールドは、その光線を一切弾くことも曲げることもできず、完全に素通りを許した。

 

 ジジジジジッ!!

 

 光線が執行者の巨体の脇をすり抜け、凛の背後にあるキュービクルの通気スリットへと一直線に突き刺さる。

 

 直線上の空気が超高温で焼かれ、空気分子から電子が弾き飛ばされてプラズマ化し、電気抵抗が極端に低い『イオンのトンネル』が、空中に一直線に形成された。

 

 道は、できた。

 

 凛は、キュービクルのスリットから内部に手を滑り込ませた。

 

 震える白く細い指先が、むき出しの保護継電器の基板表面を探り当てる。

 

「Fランクの、ゴミのような魔力……。その真骨頂を、お見せしますわ……!」

 

 バチッ!

 

 凛の指先から放たれた微小な魔力の火花が、保護継電器の接点部分をピンポイントで焼き切り、高熱で物理的に溶着させた。

 

 安全装置の無効化。

 

 どれほどの異常電流が流れようとも、ブレーカーが落ちない回路が完成した。

 

 保護回路が死んだ瞬間。

 

 キュービクル内部のむき出しの銅帯から、キララのレーザーが作り出したプラズマのトンネルを通って、六万六千ボルトのアーク放電が空間を貫いた。

 

 ドゴォォォォォォォンッ!!!

 

 レーザー誘雷。

 

 プラズマトンネルが磁場で吹き散らされるコンマ数秒の間に、六万六千ボルトの電流がアーク放電として空中のイオン化された道を自ら伝わり、磁場シールドを完全に無視して執行者のチタン装甲へと直撃した。

 

『ガ……ガガガッ!? 異常電圧……内部温度、急上昇――ッ!!』

 

 超伝導体の臨界温度を超えた。

 

 クエンチが始まる。

 

 ゼロだった電気抵抗が一瞬で跳ね上がり、循環していた莫大な電磁エネルギーが全て熱に変換される。

 

 内部の超伝導コイルが白熱化し、チタン装甲の継ぎ目から溶融した金属が噴き出す。

 

 バヂバヂバヂッ!!

 

 執行者の巨体が、内側から爆発的に崩壊した。

 

 チタン合金の装甲が溶断し、破裂し、灼熱の破片となって地下空間に飛び散る。

 

 頭部のスキャンレンズが割れ、赤い光が消える。

 

 浮遊を維持していた磁場が消失し、二メートルの鉄の巨体が、ただの壊れた金属の塊として床に崩れ落ちた。

 

 同時に、凛を縛り付けていた磁力も消滅した。

 

 ドサッ、と凛の身体がコンクリートの床に落下する。

 

 着地の衝撃を和らげると同時、凛は全力で横方向へ転がった。

 

 コンマ数秒後。

 

 保護回路を失い、莫大な短絡電流に耐えきれなくなった背後のキュービクルが、悲鳴を上げた。

 

 バチバチバチッ!! ズドォォォンッ!!

 

 数万度のアークプラズマが吹き上がり、巨大なロッカーが爆発的なアークブラストを撒き散らして完全に沈黙した。

 

 凛があのまま扉の前にコンマ数秒でも張り付いていれば、一瞬で炭化していた。

 

 システムがダウンする重低音が、地下の闇に響き渡る。

 

「ゲホッ、ゴホッ……! はぁ、はぁ……」

 

 激しくむせ返り、焼け焦げた髪の匂いを嗅ぎながら、凛は真っ赤に腫れ上がった首元を押さえ、ゆっくりと立ち上がった。

 

 周囲の照明は全て落ち、非常用の赤いパトランプだけが、薄暗い地下空間を不気味に照らし出していた。

 

 別区画のATSが正常に作動し、非常用電源への切り替えが完了している。

 

 上の階の結衣の命は、途切れることなく繋がれた。

 

「葛城さんッ! 大丈夫!?」

 

 ステッキを杖代わりにしながら、キララが駆け寄ってくる。

 

「ええ。首の皮一枚、といったところですわね」

 

 凛は作業服の埃を払い、執行者が崩壊して残った、赤熱する金属の残骸へと歩み寄った。

 

 チタンの装甲は継ぎ目から裂け、内部の超伝導コイルは溶断して黒焦げになっている。

 

 凛はタクティカルポーチから耐熱スプレーの小缶を取り出し、残骸の表面温度が高い箇所に吹き付けた。

 

 白い泡状の冷却剤が広がり、ジューッという蒸発音と共に表面温度が急速に下がっていく。

 

 十分な冷却を確認した後、凛はボクシンググローブをはめた両手で残骸を掘り返し始めた。

 

「……ありましたわ」

 

 凛の手に握られていたのは、分厚い漆黒の金属製ケースだった。

 

 タングステン鋼の外殻と、宇宙船の耐熱タイルにも使われるエアロゲル断熱材で厳重に保護されたブラックボックス。

 

 外部サーバーと常時接続していた防衛機構の中枢演算ユニットだ。

 

 クエンチの熱暴走では、この耐熱ケースの内部まで焼き切ることはできなかった。

 

「……ビンゴ、ですわね」

 

 凛はケースを拾い上げ、タクティカルポーチから取り出した携帯端末へと接続用のケーブルを物理的に繋いだ。

 

 端末の画面に、幾重ものロックが解除されていくログが流れる。

 

 セラフのドローンと同じアーキテクチャだ。

 

 同一のシステムが製造した機器である以上、保守用ポートの規格も共通している。

 

 先ほどドローンの解析で特定した保守コマンド体系が、そのまま通用した。

 

 表示されたのは、単純なIPアドレスではない。

 

 この病院の地下のネットワークから、さらに太く伸びる物理的な通信ケーブルの配線図。

 

 そして、あの通信ドローンのアンテナが最後に向いていた指向性ベクトル。

 

「……葛城さん、それ、何なの?」

 

 キララが端末の画面を覗き込む。

 

 凛の指先がキーボードを叩く。

 

 指向性ベクトルの延長線と、通信ケーブルの物理的な敷設マップ。

 

 二つのデータが交差した一点。

 

 それは、東京湾の沖合に存在する、地図上には記載されていない座標だった。

 

「この病院の地下は、あくまで中継基地に過ぎませんでしたわ」

 

 凛は端末を閉じ、冷たい瞳で東の方角を見据えた。

 

「世界中の魔力を集積し、怪物を生み出している真のメインサーバー群は、東京湾の沖合に存在する海上プラットフォームにありますの」

 

「海上……?」

 

「四方を海に囲まれた、完全な絶対防衛空間。真実は見せましたわ」

 

 凛は振り返らずに告げた。

 

「星野さん、あなたはもうここで降りなさい。ここから先は、システム全体を敵に回す完全な反逆行為ですわ。死にたくなければ、帰りなさいな」

 

 それは、凛なりの不器用な気遣いだった。

 

 だが、背後のキララは動かなかった。

 

「……ふざけないで」

 

 キララは、石灰と泥に汚れ、所々が破れたパステルイエローのドレスを強く握りしめた。

 

「私のSランクの誇りを、こんな機械のシステムに弄ばれてたなんて、絶対に許せない」

 

 キララの拳が、白くなるほど強く握りしめられた。

 

「それに……私がこれまで倒してきた怪物の中に、何人の人間の心臓が入っていたのか。それを知らないまま、逃げ帰れるわけないでしょ」

 

 キララの瞳に、かつての慢心したエリートの面影はなかった。

 

 あるのは、世界の真実を知り、それを破壊しようとする反逆者の意志だけだ。

 

「それに……私のSランクの魔法が、ただの『物理的な光』を出すための着火装置にされたままじゃ、終われないわよ」

 

 その言葉に、凛は僅かに目を見開き、そして、ふっと口角を吊り上げた。

 

「……馬鹿な人。後悔しても知りませんわよ」

 

 凛は、黒焦げになった地下ボイラー室を背に、歩み出した。

 

「さあ、神殺しの準備を始めますわ。……徹底的に、物理でね」

 

 魔法を否定する最弱の少女と、魔法の誇りを踏みにじられた最強の少女。

 

 二人の反逆者は、システムの中枢たる海上要塞を物理的に沈めるべく、暗黒の夜の海へと向けて、その冷酷な歩みを進め始めた。




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