魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。   作:アホ面オムライス

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第7話

 漆黒の海中。水深十五メートルの暗黒。

 

 水圧で不気味に軋む潜水艇のコックピットに、けたたましいレッドアラートが鳴り響いていた。

 

 ソナーのモニターには、背後から猛烈なスピードで接近してくる三つの巨大な赤い光点が映し出されている。

 

 海上要塞のプラットフォームから海中へと身を躍らせた、三体の『水陸両用型・防衛機構(エンフォーサー)』だ。

 

 甲殻類を思わせる流線型の耐圧チタン装甲に身を包み、海水を高圧で吸い込んで後方へ噴射するウォータージェット推進で、魚雷のように水を切り裂いて迫ってくる。

 

「葛城さん! 追いつかれるわ! 距離、もう五十メートルもない!」

 

 助手席のキララが悲鳴を上げた。

 

 ゴゴゴゴゴゴォォォォ……ッ!

 

 三体の怪物が両腕に装備された巨大なノズルに、周囲の海水を急激に吸い込んでいる音が、外部スピーカーから響く。

 

「……来ますわ。何かにしがみついていなさいな」

 

 凛は操縦桿を限界まで右へ押し込んだ。

 

 ズドォォォォォォンッ!!

 

 潜水艇の左舷すぐ横の海中を、目に見えない巨大な刃が通り過ぎた。

 

「きゃああああッ!?」

 

 強烈な水流に巻き込まれ、鉄の棺桶が横転する。

 

 キララが計器の角に肩を打ち付けた。

 

「なんなのよ今の!?」

 

「数百メガパスカルにまで加圧された超高圧のウォーターカッター。海水を極限まで圧縮し、音速の数倍で射出する流体の刃ですわ。直撃すれば船体ごとバターのように両断されますの」

 

 外部モニターに映し出された海底の巨大な岩礁が、綺麗に両断されて崩れ落ちていく。

 

 それが三体。しかも水中戦に特化した専用兵器だ。

 

 ゴゴゴゴォォォ……!

 

 再び吸水音が響く。

 

 三体が横一列に並び、逃げ道を完全に塞ぐようにウォーターカッターの照準を合わせてきている。

 

「私がやる! レーザーで装甲ごとぶち抜いてやるわ!」

 

 キララがステッキの先端に魔力を圧縮し始めた。

 

「ステッキを下ろしなさいッ!」

 

 凛の怒号が船内に響いた。

 

「ここは海の中ですのよ。水は光を極めて強く吸収しますわ。レーザーを直接撃ったところで、数メートルで九十九パーセントが熱に変わり、敵に届く頃にはぬるま湯ですの」

 

「じゃあ、どうしろっていうのよ!」

 

「逃げ続ける気はありませんわ」

 

 凛の瞳が、狂気的なまでに冷たく光った。

 

 彼女は操縦桿を押し込み、潜水艇の機首を、海底からそびえ立つ要塞のメイン支柱へと向けて急降下させた。

 

     *

 

 ズゴォォォォォォンッ!!

 

 三体の二射目が潜水艇の真上を掠め、頭上の岩盤を粉砕する。

 

 凛はその死の刃を紙一重で回避しながら、要塞の巨大なメイン支柱の真下へと滑り込ませた。

 

 直径十メートル以上はある、要塞島全体を支える極太のチタン合金の柱。

 

 凛はその巨大な柱の背後――敵から見て完全に柱の陰になる位置へと潜水艇をねじ込み、岩盤と柱の間に機体を固定した。

 

 三体の執行者も獲物を追って支柱の周辺へと集まってくる。

 

 だが、直径十メートルの柱を回り込むには、三体が散開して包囲機動を取る必要がある。

 

 凛はソナーのモニターで三体の動きを監視した。

 

 一体が柱の左側へ、一体が右側へ、残る一体が正面から。

 

 三方向からの同時挟撃。

 

 教科書通りの包囲殲滅機動だ。

 

 凛は三体の光点がモニター上で等間隔に展開していくのを見ながら、冷静にタイミングを計っていた。

 

 包囲を完成させるために、三体は一度だけ互いの距離を詰める瞬間がある。

 

 柱を挟んで扇状に展開する過程で、左右に回り込む二体がまだ柱の前面に集中し、正面の一体とほぼ同じ方位角に重なる数秒間。

 

 その密集の瞬間を、凛は待っていた。

 

 ソナーの光点が三つ、支柱の前面に束になる。

 

 距離、二十メートル。

 

 今だ。

 

 凛は外部マニピュレーターのスイッチを弾いた。

 

 ガコンッ。

 

 船体下部から、先ほど水壁を崩壊させたのと同じ構造の水中銛が装填される。

 

 内部には強酸性溶解液がまだ残っている。

 

 光ファイバーケーブルが銛から潜水艇の船内へと伸び、キララのステッキのソケットに接続されたままだ。

 

 凛はマニピュレーターを操作し、柱の横から銛を突き出した。

 

 照準は三体の敵ではない。

 

 敵と敵のちょうど中間。

 

 何もない海水の空間だ。

 

 ズドンッ!

 

 銛が射出され、三体の密集地帯の中心で停止した。

 

「星野さん」

 

 凛は極めて冷静に告げた。

 

「レーザーを、ファイバー経由で銛に照射しなさいな。三秒間」

 

「敵じゃなくて、あの何もない場所に……?」

 

「ええ。海中で直接レーザーを撃てば、船体の目の前の海水が沸騰して自爆しますわ。ファイバーで光を導いて、敵の中心という座標にだけ超高熱を叩き込みますの」

 

 キララは一瞬だけ凛の横顔を見た。

 

 窒息しかけても、全力でレーザーを撃てと命じたあの狂気の眼と同じ光が、ゴーグルの奥で燃えている。

 

 キララはステッキを構えた。

 

「貫けッ!! 『スターライト・レーザー』ッ!!」

 

 キュイィィィィンッ!!

 

 純白のレーザーが光ファイバーの中を光速で駆け抜け、銛の内部に残された溶解液と海水へと直撃した。

 

 ズギャァァァァァァァァンッ!!!!

 

 数千度の超高熱が、海中の一点に局所的に発生した。

 

 溶解液が瞬時に気化し、周囲の海水を巻き込んで液相から気相への爆発的な相転移を起こす。

 

 敵の中心に、超高温の蒸気で満たされた巨大な気泡が膨張しながら出現した。

 

 直径は約二メートル。

 

 それでも、この閉鎖的な支柱周辺の空間においては、十分すぎる規模だった。

 

「水の中に泡が……! これで敵の目をくらませるの!?」

 

「ここからが本番ですわ」

 

 三秒が経過し、レーザーの照射が止まった。

 

 膨張していた気泡は、周囲の冷たい海水によって一瞬で冷却される。

 

 蒸気が急速に熱を奪われ、再び液体に戻る。

 

 泡の内部が、完全な真空になった。

 

 その真空の空間を、水深十五メートルの水圧が、全方位から一斉に押し潰しにかかる。

 

 バキュゥゥゥゥゥンッ!!!!

 

 気泡が数マイクロ秒で崩壊した。

 

 流体力学における極限の破壊現象。

 

 キャビテーション崩壊だ。

 

 真空の泡が水圧で一気に押し潰され、中心で激突した瞬間、数千気圧の衝撃波と超高速のマイクロジェットが全方位に放たれる。

 

 ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 海そのものが爆発したような轟音。

 

 非圧縮性流体である水は、衝撃波を一切減衰させることなく、三体の執行者へと伝達した。

 

 しかも、支柱と海底に囲まれた閉鎖的な空間が、衝撃波の逃げ道を制限している。

 

 支柱の壁面と海底で反射した衝撃波が、三体の位置で重畳・増幅される。

 

 開放海域なら三次元に拡散して威力が減衰するはずのエネルギーが、この狭い空間に閉じ込められることで、二メートルの気泡からは考えられないほどの破壊力を生み出した。

 

『警告……異常水圧……装甲限界突破……!』

 

 数千気圧の衝撃波は、硬い装甲を透過し、内部の精密機械、電子基板、関節の駆動系を粉砕した。

 

 メシャァァァァァァァッ!!!!

 

 全長五メートルの三体の機械が、見えない巨大な手に握り潰された空き缶のように、一瞬でひしゃげた。

 

 装甲の隙間から大量のオイルと火花を噴き出しながら、完全に機能を停止する。

 

 現実の海戦において、魚雷は戦艦に直接命中させるより、艦底の直下で起爆させる方が効果的だ。

 

 爆発で生じた気泡の崩壊が引き起こすバブルパルスが、巨大な戦艦の竜骨すら真っ二つにへし折る。

 

 凛はその軍事物理学のセオリーを、閉鎖空間での反射増幅と組み合わせて再現したのだ。

 

「嘘……」

 

 キララは、一瞬でスクラップと化した三体の残骸が海底へ沈んでいくのを見て、呆然と呟いた。

 

「私のレーザーの熱で……海の水が爆弾になった……?」

 

「正確には、真空が押し潰される物理的な反動ですわ。どんな装甲を持っていようと、物理法則からは逃れられませんの」

 

「でも、待って!」

 

 キララがハッとして周囲を見回した。

 

「水が衝撃波を伝えるなら、このオンボロ潜水艇だって一瞬でペチャンコになってるはずじゃない!」

 

「窓の外をよく見なさいな」

 

 キララが見ると、潜水艇の正面には直径十メートルのメイン支柱が壁のようにそびえ立っている。

 

「衝撃波は障害物にぶつかると反射し、その後ろには波が届かない空間が生まれますわ。音響陰影(アコースティック・シャドウ)と呼ばれる現象ですの。わたくしが最初からこの柱の真裏に潜水艇をねじ込んだのは、柱を防波堤として使うためですわ」

 

 だが、凛の演算はそれだけでは終わらない。

 

 ミシミシ……ミシィィィィィィッ……!

 

 海中に、敵が潰れた音とは違う、巨大で絶望的な金属の軋む音が響き始めた。

 

「葛城さん、この音……!」

 

「ええ。潜水艇を守るために衝撃波を吸収したということは、この柱自体に莫大な物理的負荷が直撃したということですわ」

 

 要塞を支えるメイン支柱。

 

 その極太のチタン合金が、閉鎖空間で増幅された衝撃波の直撃に耐えきれず、根元からひしゃげ、くの字に折れ曲がっていた。

 

 ズズズズズズズズ……ッ!!!

 

 大黒柱の一つが砕けたことで、海上のプラットフォーム全体の重量バランスが崩壊した。

 

 巨大な要塞が、悲鳴のような金属音を上げながら、ゆっくりと確実に海面に向かって傾き始めた。

 

「要塞が……沈んでいく……!」

 

「敵を粉砕すると同時に、要塞の構造限界を突破させましたの。さあ、大詰めですわよ」

 

 凛はバラストタンクの空気を排出し、潜水艇を浮上させた。

 

 ザバァァァンッ!

 

 海面に出た二人の目に飛び込んできたのは、大きく傾き、沈没の危機に瀕している海上プラットフォームの姿だった。

 

 警報が狂ったように鳴り響き、傾いた甲板からコンテナや機材が次々と海へ滑り落ちていく。

 

「要塞が傾いたことで、ドックの隔壁が歪んで開いたままロックされていますわ。侵入ルート確保、完了ですの」

 

 凛は、傾いた要塞の側面、海面スレスレに口を開けている搬入口へと潜水艇を滑り込ませた。

 

 歪んだ搬入口を抜け、要塞内部へと足を踏み入れた凛は、ピタリと動きを止めた。

 

 傾き、海水が流れ込み始めている要塞内部。

 

 だが、凛の頬を撫でたのは、スーパーコンピュータの排熱によるサウナのような熱気ではなかった。

 

 肺の奥まで一瞬で凍りつくような、暴力的なまでの冷気。

 

「……何、これ……寒っ……!」

 

 キララのまつ毛に、白い霜が降り始めていた。

 

 吐く息が空気に触れた瞬間に氷の結晶となり、床に落ちる。

 

 凛は作業服の襟を立て、ゴーグルの霜を拭い取りながら、要塞内部を見渡した。

 

 傾斜した通路を海水が川のように流れ落ちている。

 

 その海水の表面を、異常に重く白い冷気の霧が覆い尽くしていた。

 

 通路の奥からは、シューーッという高圧ガスの漏洩音が絶え間なく響いている。

 

「沸点マイナス二六九度。絶対零度に最も近い液体――液体ヘリウムですわ」

 

 凛の声に、緊張が混じった。

 

「次世代量子コンピュータの超伝導回路を維持するための冷却材。先ほどの衝撃波でメイン支柱が折れた際、要塞内部の冷却配管まで引きちぎってしまったようですわね」

 

 凛が要塞の城門をこじ開けた代償。

 

 漏れ出した液体ヘリウムが、要塞の下層から死の冷気を這い上がらせ、内部全体を巨大な冷凍庫へと変えつつある。

 

「冗談じゃないわよ! こんなところを進んだら、凍死するわ!」

 

「戻る道もありませんわ」

 

 凛が振り返った背後。

 

 搬入口は既に海面下に没し始めていた。

 

 要塞の沈没と凍結が、同時に二人を追い詰めている。

 

「凍死する前に、メインサーバーを叩き潰すしかありませんの」

 

 凛は足元の海水にブーツを踏み入れ、通路の奥へと歩みを進めた。

 

 カツン……カツン……。

 

 その時、白い霧の奥から、硬質な足音が響いてきた。

 

 凛が足を止め、グローブをはめた両手を構える。

 

 キララもステッキを握り直した。

 

 濃密な冷気の霧を切り裂いて現れたのは、一体の人型の機械だった。

 

 これまでの無骨なエンフォーサーとは全く異なる。

 

 極めて人間に近い、滑らかなシルエット。

 

 全身が霜一つ付着していない青白い特殊合金で構成されている。

 

 顔面には目鼻がなく、ただ冷たい一筋の青いスリットだけが光を放っていた。

 

『――システム防衛の最終フェーズへ移行。排除対象(バグ)の凍結処分を実行します』

 

 感情を一切排した電子音声が、凍てつく通路に響く。

 

「管理者のアバター……。自ら物理的なボディを持って出てきたというわけですわね」

 

 凛が低く唸った直後、青白い機械――アーキテクトが、無造作に右腕を振り上げた。

 

 バキィィィィィンッ!!!

 

 足元を流れていた海水が、一瞬にして爆発的な速度で凍結し、鋭利な氷の槍となって射出された。

 

「危ないッ!」

 

 キララが凛を突き飛ばし、自らも横に跳ぶ。

 

 直前まで凛が立っていた隔壁に、太い氷の槍が深々と突き刺さり、周囲の金属をメリメリと凍てつかせた。

 

「あいつ、足元の海水を凍らせて撃ち出してきてるのよ!」

 

「装甲に極低温の液体ヘリウムを直接循環させて、接触する全ての物質から瞬時に熱を奪う、歩く冷却装置ですわ」

 

「燃え尽きなさいッ!!」

 

 キララがステッキを振りかざし、巨大な火炎弾を放った。

 

 だが。

 

 シュゥゥゥゥ……ッ。

 

 炎は、アーキテクトに到達する数メートル手前で急速に萎み、霧散した。

 

「私の炎が消えた……!?」

 

「奴の周囲数メートルは、マイナス二百度を下回る極低温のフィールドですわ。燃焼に必要な温度条件が、炎が到達する前に奪われていますの」

 

 熱力学の壁。

 

 極低温に支配された空間では、魔法の炎であろうと着火条件を維持できない。

 

『熱エネルギーの減衰を確認。排除プロセスを継続します』

 

 アーキテクトがゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。

 

 足元の海水が次々と凍りつき、白い霜の世界が広がっていく。

 

 炎は通じない。

 

 近づけば極低温フィールドで人体が凍結する。

 

 そして足元からは海水が流入し続け、要塞の傾きは刻一刻と増している。

 

「逃げますわよッ! 下へ!」

 

 凛はキララの腕を掴み、海水が滝のように流れ落ちる通路の奥――沈みゆく要塞の深部へと走り出した。

 

「下に行ったら、海水と一緒に沈むだけじゃない!」

 

「立ち止まれば氷漬けにされますのよ! メインサーバーは要塞の最深部ですわ。水と共に落ちるのが最速のルートですの」

 

 背後からアーキテクトの足音が追ってくる。

 

 しかし、凛は走りながら、通路の構造を観察していた。

 

 傾斜した床を流れ落ちる海水。

 

 壁面に露出した破損した冷却配管。

 

 漏洩した液体ヘリウムが白い霧となって這う方向。

 

 そして、通路の奥に見える、さらに太い配管の束と、それが集中している一つの巨大な隔壁扉。

 

 メインサーバー室への扉だ。

 

 凛は走りながら、タクティカルポーチの中身を指先で確認した。

 

 残った装備。

 

 ボクシンググローブ。サバイバルナイフ。携帯端末。光ファイバーケーブルの予備。

 

 そして、耐熱スプレーの小缶が一本。

 

 限られた手札。

 

 だが、この要塞の内部そのものが、凛にとっての武器庫だ。

 

 破損した冷却配管から漏れ出す液体ヘリウム。

 

 傾斜によって加速する海水の流れ。

 

 沈みゆく要塞が生み出す構造的な歪みと、それに伴う金属の応力。

 

 全てが利用可能な物理的変数だ。

 

 凛の脳内で、最後の戦いの設計図が、急速に組み上がり始めていた。

 

 迫り来る絶対零度の悪魔と、沈みゆく密室に流れ込む濁流。

 

 逃げ場のない熱力学の牢獄の中で、最弱の魔法少女は、神の脳髄を叩き潰すための最適解を、一歩ごとに研ぎ澄ませていく。

 

 メインサーバー室まで、あと百メートル。

 

 結衣の命のタイムリミットまで、あと四十六時間。




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