魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。 作:アホ面オムライス
メインサーバー室。
体育館ほどの巨大なフロアの中央に、黒い筐体のサーバーラックが墓標のように林立している。
非常灯の赤い明滅だけが、無数のケーブルと金属の森を不気味に照らし出していた。
凛はラック群の間を歩きながら、サーバーの構造を観察した。
各ラックの背面には、極太の光ファイバーケーブルが数十本単位で接続されている。
ケーブルは全て床下のダクトに集束し、要塞の外部――病院の地下を経由して、世界中の搾取コンバーターへと繋がっているはずだ。
ラックの筐体を覗き込む。
内部は通常のサーバーブレードではなかった。
ブレードの代わりに、分厚い断熱材に包まれた円筒形のモジュールが、各ラックに四基ずつ縦に収納されている。
円筒の表面には、極細の冷却配管が蜘蛛の巣のように巻き付き、内部から微かな低周波の唸りが伝わってくる。
超伝導量子コンピュータの演算コア。
病院の地下で戦った執行者の超伝導装甲と同じ原理で、極低温を維持することで量子ビットの状態を安定させている。
凛はラックの総数を数えた。
八列、各列八基。合計六十四基。
一基あたり四つの演算コア。
二百五十六の量子演算コアが、この部屋に集約されている。
これが、世界中の魔法少女のシステムを管理し、歪魔の生産を制御し、魔力飽和病の患者から魔力を搾取し続けている頭脳の全てだ。
物理的に破壊する。
方法は単純だ。
量子コンピュータは極低温でしか動作しない。
冷却系統を断てば、演算コアは室温まで上昇し、超伝導状態が崩壊して演算不能に陥る。
凛はラック群の根元を調べた。
各ラックの底部から、共通の冷媒供給マニホールドが伸びている。
液体ヘリウムを循環させる太い銅製の配管が、全六十四基のラックを直列に繋いでいた。
このメインの冷媒供給ラインを一箇所でも切断すれば、全ラックへの冷却が停止する。
凛はサバイバルナイフを抜いた。
冷媒供給マニホールドの最も細い接合部を見つけ、ナイフの先端を継ぎ手のボルトに当てる。
ボルトを外せば、配管の接合部が開き、液体ヘリウムが噴出して冷却ラインが断たれる。
その瞬間。
ドォォォンッ!!
背後で、隔壁扉に凄まじい衝撃が加わる音が響いた。
倒れ込んだ鉄の扉が、内側に向かって数センチ押し込まれている。
アーキテクトだ。
扉を凍結させ、脆くなった鉄を物理的に打ち砕こうとしている。
扉の表面が、見る見るうちに白い霜に覆われていく。
極低温で金属が脆性破壊を起こす温度まで冷却されれば、あの分厚い鉄の塊も、ガラスのように粉々に砕ける。
残り時間は、分単位ではない。
凛はボルトにナイフを当て直し、柄を叩いて回し始めた。
だが、ボルトは固い。
冷媒が長期間循環していた配管の継ぎ手は、熱収縮と結露による腐食で完全に固着していた。
凛の腕力では、回らない。
ナイフの刃がボルトの頭から滑り、火花が散る。
「くっ……!」
凛は歯を食いしばった。
身体強化の魔法が使えれば、この程度のボルトなど片手で捻じ切れる。
Fランクの生身の腕力。
それが今、最も致命的な制約として凛の前に立ちはだかっていた。
ドォォォンッ!!
二度目の衝撃。
隔壁扉に、亀裂が走った。
亀裂の縁が白く凍結し、鉄が脆くなっていく音がミシミシと響く。
「葛城さん、扉がもたないわ!」
キララが叫んだ。
凛はボルトから手を離し、別のアプローチを考えた。
ボルトが回らないなら、配管そのものを破壊する。
だが、銅製の配管は肉厚が六ミリ以上ある。サバイバルナイフでは切断できない。
レーザーで溶断する手もあるが、冷媒が充填された配管にレーザーを当てれば、内部の液体ヘリウムが瞬間的に気化して爆発的な膨張を起こす。
水蒸気爆発ならぬヘリウムガス爆発。
密閉空間での急激な気化は、配管を爆弾に変える。
至近距離で作業している凛とキララが巻き添えになる。
凛の視線が、サーバーラックの側面に貼られた保守用のラベルに止まった。
ラベルには、ラックの型番と並んで、冷媒循環系の緊急遮断手順が印字されている。
――『緊急時:各ラック底部の手動バルブを閉鎖し、冷媒を排出ラインへ誘導すること』
手動バルブ。
凛はラックの底部を覗き込んだ。
冷媒供給マニホールドの各分岐点に、赤い塗装の手動バルブが設置されている。
保守作業時に個別のラックを冷却ラインから切り離すための、物理的な遮断弁だ。
バルブを閉めれば、そのラックへの冷媒供給が停止する。
全六十四基のバルブを閉めれば、全ラックの冷却が断たれる。
だが、六十四基。
一基ずつ手動で閉めている時間はない。
ドォォォォォンッ!!!
三度目の衝撃。
隔壁扉の亀裂が広がり、凍結した鉄片が内側に飛び散った。
扉の向こうに、アーキテクトの青いスリットの光が見える。
あと一撃か二撃で、扉は完全に砕ける。
「星野さん」
凛はキララを振り返った。
「あなたに任せたいことがありますの」
「何よ」
「各ラックの底部に赤いバルブがありますわ。片っ端から閉めなさい。右に回せば閉まりますの。わたくしは反対側から回りますわ」
「全部で何基あるの」
「六十四。半分ずつですわ。三十二基」
キララはステッキを腰に差し、両手を空けた。
「走りながら回せばいいのね。それくらい、魔法がなくたってできるわ」
二人は左右に分かれ、ラック群の間を駆け抜け始めた。
一基目。凛はラックの底部に膝をつき、赤いバルブのハンドルを掴んで力任せに回した。
キィィッ、という金属の軋む音。
バルブが閉まる。
配管内の冷媒の流れが断たれ、ラック内部の低周波の唸りが微かに変調する。
二基目。三基目。
凛は立ち上がり、走り、膝をつき、回す。
単純な反復動作。
だが、固着したバルブは一基ごとに凛の握力と手首の腱を削っていく。
グローブの中で、掌の裂傷が開き直す感触があった。
反対側のラック列では、キララが驚くべき速度でバルブを閉めていた。
Sランクの魔力は枯渇していても、彼女の肉体はシステムの恩恵を受けた基礎身体能力を保持している。
凛の二倍の速度でバルブが閉まっていく。
八基。十二基。十六基。
ラック内部の唸りが、一基ずつ静かになっていく。
冷却を失った演算コアの温度が、ゆっくりと上昇を始めている。
バァァァァンッ!!!
背後で、隔壁扉がついに砕け散った。
極低温で脆くなった鉄の塊が、ガラスのように粉々に飛散する。
白い冷気の壁をまとったアーキテクトが、メインサーバー室に足を踏み入れた。
『メインサーバー室ヘノ不正侵入ヲ確認。冷却系統ヘノ物理的妨害ヲ検知。即座ニ排除シマス』
アーキテクトの右腕が上がる。
床に溜まった海水が凍結し、氷の槍が凛に向かって射出された。
凛は身を捻って回避した。
氷の槍がサーバーラックの筐体を貫通し、背面から突き出る。
貫かれたラックの内部で、演算コアの断熱材が裂け、冷媒配管が損傷する音がした。
凛は次のラックに走り、バルブを閉める。
二十基目。
アーキテクトがサーバーラックの列の間に入ってきた。
その足元から、冷気がラックの底部を覆うように広がっていく。
凛が閉めたバルブの一部が、アーキテクトの冷気で再び凍結し始めた。
バルブのハンドルが霜に覆われ、動かなくなる。
閉めたはずのバルブが、凍結による金属の収縮でわずかに緩み、冷媒が再び流れ始めるラックもあった。
「くそ……!」
端から閉めても、アーキテクトが通過すれば凍結で元に戻される。
いたちごっこだ。
凛は走りながら思考した。
個別のバルブを閉める方法では、アーキテクトの妨害を振り切れない。
冷却系統を、もっと根本的に断つ方法が必要だ。
凛の目が、フロアの壁面に設置された一つの設備を捉えた。
消火設備。
サーバー室の天井に、赤いスプリンクラーヘッドが等間隔に並んでいる。
通常のサーバー室であれば、水損を避けるためにガス系の消火設備が使われる。
だが、凛が見上げたスプリンクラーヘッドの形状は、ガス噴射ノズルではない。
湿式のスプリンクラーだ。
要塞の設計者は、量子コンピュータの冷却に液体ヘリウムを使用している。
ヘリウムは不燃性だが、万一冷媒が漏洩して酸素濃度が低下した場合の緊急換気と、電気火災に対する最終手段として、建築基準に準拠した湿式スプリンクラーが併設されていた。
水。
大量の常温の水が、天井から全てのサーバーラックに同時に降り注いだら。
極低温で稼働する量子演算コアに、常温の水が直接浴びせられる。
冷却系統の外側から、強制的に温度を上昇させる。
バルブを一基ずつ閉める必要はない。
スプリンクラーが作動すれば、六十四基全てのラックが同時に水損し、演算コアの温度環境が一気に崩壊する。
凛は壁面の消火設備制御盤を見つけた。
赤い筐体。ガラスの蓋の中に、手動起動レバーがある。
だが、制御盤はフロアの壁際にあり、アーキテクトとの間にラック群が三列挟まっている。
アーキテクトは現在、フロアの中央付近。
凛は右側のラック列の影を走り、壁際へと向かった。
「星野さん! 左側からあいつの注意を引きなさいッ!」
「わかったわ!」
キララはラック列の反対側から飛び出し、アーキテクトに向かってステッキを振りかざした。
「こっちよ! ポンコツ冷蔵庫!」
キララが残存魔力で小さな火球を連射する。
火球はアーキテクトの極低温フィールドで次々と消えるが、熱源の接近にアーキテクトのセンサーが反応した。
青いスリットがキララの方を向く。
氷の槍が、キララの走る方向へと射出された。
キララはラックの陰に身を隠して回避する。
その隙に、凛は壁際の消火設備制御盤に到達した。
ガラスの蓋を肘で叩き割る。
破片が腕に刺さる痛みを無視し、手動起動レバーを掴んだ。
引く。
ガコンッ!
レバーが落ち、天井の配管内で水が動き始める鈍い振動が伝わってきた。
一秒。二秒。
シュゴォォォォォォッ!!
天井のスプリンクラーヘッド全てが同時に開放され、大量の水が滝のようにフロア全体へ降り注いだ。
冷たい水が、六十四基のサーバーラックの上から容赦なく浴びせかけられる。
筐体の隙間から内部に浸入した水が、極低温の演算コアの断熱材を浸し、冷媒配管の表面を覆う。
パチパチパチッ!
水と極低温の金属が接触し、局所的な氷結と沸騰が同時に起こる。
ラック内部で、急激な温度変化による熱応力が断熱材を引き裂き、演算コアの外殻にクラックが走る。
超伝導状態を維持するために必要な極低温環境が、強制的に破壊されていく。
ラック群から、次々と異常を示すアラート音が鳴り始めた。
赤、黄、赤、赤。
一基、また一基と、演算コアの表示灯が正常の青から異常の赤へと変わっていく。
クエンチの連鎖。
冷却を失った超伝導回路が次々と常伝導状態に転移し、蓄積されていた電磁エネルギーが熱に変換されて内部温度が急上昇する。
演算コアが、自らの蓄えたエネルギーで自壊していく。
『警告。メインサーバー群ノ演算能力、六十二パーセント喪失。七十八パーセント喪失。冷却系統ノ復旧ヲ――』
アーキテクトの電子音声に、初めてノイズが混じった。
スプリンクラーの水が、アーキテクト自身の装甲にも降り注いでいる。
先ほどの通路での蒸気と同じ効果だ。
大量の水がアーキテクトの極低温装甲に接触し、ライデンフロスト効果で蒸気膜が形成される。
冷却効率が低下し、フィールドが弱まる。
だが今度は通路の局所的な蒸気ではない。
天井から際限なく降り注ぐ水が、アーキテクトの装甲を絶え間なく覆い続けている。
蒸気膜が破れても、次の水が即座に新しい蒸気膜を作る。
冷却効率の低下が、持続的に維持されている。
アーキテクトの足元の凍結範囲が、目に見えて縮小していく。
極低温フィールドの半径が、数メートルから一メートル未満にまで後退した。
『演算能力、九十四パーセント喪失。システム制御ノ維持ガ困難デス。冷却系統――回復不能。メインサーバー群、全基停止マデ、アト――』
電子音声が途切れた。
フロア全体を埋め尽くしていたサーバーラックの低周波の唸りが、一つ、また一つと消えていく。
最後の一基の表示灯が、青から赤に変わった。
完全な静寂が、水の降り注ぐ音だけを残して、メインサーバー室を包み込んだ。
六十四基の量子演算コア、全基停止。
魔法少女のシステムを支配していた神の脳髄が、物理的に死んだ瞬間だった。
アーキテクトの青いスリットの光が、ゆっくりと明滅を繰り返した後、ふっと消えた。
外部サーバーからの演算リソースを完全に失った機体が、セラフのドローンと同じように、ただの金属の人形へと変わる。
膝の関節が折れ、二メートルの機体が前のめりに崩れ落ちた。
水飛沫が上がり、スプリンクラーの水に打たれながら、アーキテクトは沈黙した。
凛は壁に背中を預け、ずるずると座り込んだ。
天井から降り注ぐ水が、血と泥と石灰に汚れたパステルピンクのフリルドレスを洗い流していく。
右腕の裂傷。左掌の擦過傷。首元の赤い痣。全身の打撲。
魔力Fランクの生身が支払った、一夜の戦闘の代償が、冷たい水に晒されて鮮明になっていく。
「……終わった、の……?」
キララが、水に濡れた金髪を顔に張り付かせたまま、呆然と呟いた。
「ええ。神の脳は死にましたわ」
凛は膝の上で拳を握り、立ち上がった。
「ですが、まだ終わっていませんの。サーバーが止まっただけでは、結衣の魔力飽和病は治りませんわ。コンバーターが停止してからのタイムリミットは四十八時間。そのうち既に十二時間以上が経過していますの」
凛はサーバーラック群の残骸の間を歩き、中央の一基だけ形状が異なるラックの前で足を止めた。
他のラックより一回り大きく、筐体の色が黒ではなく銀色だ。
スプリンクラーの水を浴びて表面が濡れているが、このラックだけは表示灯が消えていない。
微かなオレンジ色の光が、まだ点滅している。
「これは演算コアではありませんわ。データストレージですの」
凛は筐体の保守パネルを開いた。
内部には、耐衝撃・耐熱仕様のソリッドステートドライブが十六基、RAIDアレイとして構成されている。
量子演算コアと違い、ストレージは常温で動作する。
スプリンクラーの水で筐体は濡れているが、ドライブ自体は防水ケーシングに守られて無事だった。
「魔力飽和病の患者データ。搾取コンバーターの設計図。そして、病を解除するためのプロトコルが、ここに記録されているはずですわ」
凛は携帯端末を取り出し、ストレージのデータポートにケーブルを接続した。
結衣を救うための最後のピース。
それはこの銀色の箱の中にある。
沈みゆく要塞の中で、スプリンクラーの水に打たれながら、凛の指先がキーボードを叩き始めた。
結衣の命のタイムリミットまで、あと三十五時間。
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