奇跡を起こす魔法   作:あう餅

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奇跡を起こす魔法

「あなたが、奇跡を成す魔法使いか」

 

 深く皺の刻まれた老人が、私の小さな小屋を訪ねてきた。

 杖をつく手は枯れ枝のように細く、その命の灯火がそう永くないのは誰の目にも明らかだった。だが、彼が身に纏う魔力は、優に百年は練り上げられたであろう澄み切ったものだ。

 

「いかにも。私は奇跡を起こす魔法使いだ。……対価は知っているかい?」

「あぁ。私の生涯をかけて積み上げた、この魔力のすべてだ」

 

 老人は、流行り病で命を落としたという孫娘の亡骸が入った棺を前に、静かに頷いた。

 

 私の魔法──多くには『奇跡を起こす魔法』と呼ばれているそれは、厳密には違う。

 正しくは『不可能を可能とする魔法』だ。

 

 自然界の理や常識において、万が一にでも起こり得る事象には絶対に発動しない。完全に可能性がゼロの事象にのみ発動する、極めて汎用性の低い魔法である。

 死者の蘇生などというものは、その最たるものだ。どれほど高度な治癒魔法を使おうが、どれほど神に祈ろうが、失われた命が戻る確率はゼロ。だからこそ、私の魔法の対象になり得る。

 

「命は要らないよ。私が受け取るのは、あなたが生涯をかけて鍛え上げた魔力のすべてだ。……後悔はない?」

「ええ。この身に宿る魔力をすべて捧げます。どうか、この子を生き返らせてはいただけないでしょうか」

 

 老人は床に額を擦りつけ、声を震わせて懇願した。

 私は小さく頷き、老人に向かって手を差し伸べた。足元から、淡い金色の光を帯びた魔法陣が静かに展開される。

 

 人生の大半を占めたであろう、その魔力を捧げるほど。愛というものは尊いものだ。

 だからこそ私はこの魔法を使う。

 

 人間と魔族の間では本来、交わされることのない高度な契約魔法の術式だ。

 相互の完全な承諾がなければ発動しないこの魔法は、人の魔力を私自身のものとして簒奪するためのもの。私の長い生の中で三つだけ編み出した魔法。

 今はそれらを三位一体としてしか、まともに運用できないが……

 

「契約は成立したよ」

 

 老人の体から、温かく重厚な魔力が私の内に流れ込んでくる。彼は一瞬だけ苦しげに顔を歪めたが、その瞳には決して揺るがない決意があった。

 私は目を閉じ、受け取った魔力を編み上げる。

 

 不可能を可能にするためには、莫大な魔力という対価が必要になる。ここでいう魔力は寝れば回復するものじゃない。その器自体を指す。

 受け取った魔力の九割ほどをこの瞬間に燃やし尽くし、絶対の不可能を可能へと反転させる。

 

不可能を可能とする魔法(ヴンメルルダー)

 

 淡い光が小屋の中を満たし、棺の中で眠っていた少女の体を包み込んだ。

 やがて、失われていた血の気が小さな肌に戻り、止まっていた心臓が静かに鼓動を刻み始める。少女がゆっくりと目を開けると、老人は子どものように泣き崩れ、その体をきつく抱きしめた。

 

「おじい……ちゃん?」

「おお……おお……!」

 

 二人の再会を静かに見届けながら、私は自らの内に残った魔力を自身の器に継ぎ足した。

 これが私の報酬だ。

 

 こうして誰かの願いを叶えるたびに、ほんの少しずつ魔力を貯蓄している。数百年という途方もない時間をかけて、少しづつ魔力を密かに蓄え続けていた。

 

 *

 

 それから数週間後。

 私は買い出しのために森を抜け、麓の村を訪れていた。

 

 魔族の証である角は魔法で隠し、耳はエルフのように尖らせている。長く生きるエルフならば、森の奥で何百年もひっそりと暮らしていても怪しまれることはない。

 

 秋の気配が色濃くなってきた市場は、収穫の時期も重なって活気に満ちていた。

 香ばしい焼き菓子の匂いや、色鮮やかな果物が並ぶ光景。私は籠を腕に下げながら、のんびりと石畳の通りを歩いていた。

 

「あ、魔女様! 今日のリンゴは蜜がたっぷり入ってて美味しいよ。持ってくかい?」

「うん。じゃあ、五つもらおうかな」

 

 果物屋のふくよかな女性が、私の籠に赤いリンゴを一つおまけして入れてくれた。

 村人たちの私を見る目は、親しみの中に少しだけ畏敬の念が混じっている。奇跡の魔法使いとして長いこといるからね。どうやら私に関する言い伝えとかもあるみたいだし。

 

 彼らと接していると、時折不思議な感覚に陥ることがある。

 私の中にある魔族としての本能は、目の前にいる無防備な人間たちを「美味しそうな食料」として認識している。しかし同時に、私の中の『人の心』が、彼らを愛おしくも思っているのだ。

 

 人間たちが家畜や魚などの動物を可愛がり、時には家族の一員として扱うのと同じ感覚。食材として見ている側面と、家族の一員としての側面、それが私の中で共存している。

 もちろん私にも、人間以外の動物と、人間に向ける愛情は根本的に違うものだとわかっているし、実感がある。

 だからこそ、私は彼らを欺きながらも、危害を加えることなく静かに暮らしている。

 

 ふと、同族たちの顔が脳裏をよぎった。

 人間を理解できず、ただ言葉で欺き喰らうことしか知らない魔族たち。私は自分が魔族であることを憎んではいないし、彼らのこともまた憎んでいない。

 ただ、私には人類と魔族という特別枠が二つあるだけだから。

 

 どうか、私と親しくなったこの人間たちが、同族たちに殺されないでほしいと思う。

 そして、私の同族たちも、無闇に討伐されないでほしい。

 

 しかしこの身は魔族のもの。だからこそ争いがなくならないことはわかってしまう。

 そんな身勝手で、矛盾した願いを抱きながら、私はもらったリンゴの表面を指でそっと撫でた。

 

 市場の隅を歩いていると、若者たちのひそひそとした話し声が耳に入ってきた。

 

「聞いたか? 先週、隣町の老いぼれ魔法使いが死んだらしいぜ」

「ああ、孫娘が生き返った直後にポックリ逝ったってやつだろ。絶対、あの郊外に住んでるエルフの魔女の呪いだって。寿命を吸い取ったに違いない」

 

 若者の軽口に、横にいた初老の男──おそらく彼の父親だろう──が、凄まじい勢いで若者の頭を引っぱたいた。

 

「馬鹿野郎! めったなことを言うんじゃない! あのお方は奇跡の魔法使い様だ。罰が当たるぞ!」

「い、痛ぇな……分かったよ」

 

 親に叱られ、若者は首をすくめて足早に去っていった。

 私はそのやり取りを、少し離れた場所から淡々と見つめていた。

 エルフの魔女の呪い、なんて言葉に思わずふふっと笑ってしまいそうになる。呪いなんて私には使えないのに。

 

 強いて言えば『不可能を可能にする魔法』こそが呪いになるのだろう。

 

 だから老魔法使いが死んだのは、呪いのせいと言っていい。

 生涯をかけて練り上げた魔力をすべて失ったことによる肉体への反動と、孫娘の命を取り戻せたことで張り詰めていた糸が切れたから。

 それならば呪いの結果亡くなったといえるだろう。

 

(奇跡の魔法使い、か)

 

 心の中で、小さく自嘲する。

 私は人を欺き、人を喰らう本能を持った魔族だ。決して崇められるような存在ではない。

 それでも、彼らが私に願った奇跡の代償(魔力)は、私の中に着実に蓄積されている。

 

 決して交わることのない人間と魔族。

 ならば、彼らが共に笑いあえる場所はあるのだろうか。

 

 この途方もない奇跡を起こすためには、まだまだ魔力が足りない。

 いつかその日が来るまで、私は人類と魔族(同族)の争いが減るのを祈るばかりだ。

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