奇跡を起こす魔法   作:あう餅

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共存と運命

 村からの帰り道。買ったばかりのリンゴが入った籠を揺らしながら、秋の気配が色濃くなってきた森の小道をのんびりと歩いていた。

 

 降り積もった落ち葉がふかふかとして心地が良い。

 木々の隙間から差し込む日差しが、少し眩しくて目を細める。

 

 不可能を可能にする魔法。

 魔力を対価として受け取り、その一部を蓄積しながら数百年を生きてきた。

 永くを生きている魔族連中にはもっぱら知られている魔法だ。もっとも不可能を可能にするという部分を知っているものは少ない。

 せいぜい奇跡を起こす程度だと思われているだろう。

 

 今となっては人間に魔法を使った数の方が多くなっている。昔は魔族としか交流がなかったから、自ずと魔族の願いを叶えていた。だが、魔力至上主義の魔族は、奇跡との天秤であっても傾くことはなかった。

 

 人間からの回収率は高くない。そもそも、欲する奇跡に対する魔力を払えないものがほとんどだ。だが数は多いし、欲には際限がない。

 

 そうして徐々に人間との交流が増えてきて、気づいたら奇跡の魔女なんて呼ばれている。

 

 親しくなった人間たちにはどうか同族に殺されないでほしい、なんて思いながら、一方で魔族への郷愁も捨てきれない。我ながらひどく矛盾していると思っている。

 

 けれど、人の心を得てしまった今の私にとっては、これが正しい感情なのだ。矛盾した存在。それが私。最強の矛と最強の盾、それらが共存するのが私の魔法。

 

 冷たい秋の風が頬をかすめた時、私の脳はふと、旧い記憶を引き出していた。

 まだ私が旧い魔族として、北の果ての厳しい吹雪の中にいた頃の記憶へ。

 

 *

 

 それは、今から遠い時代の話。

 

 分厚い雲が常に空を覆い、凍てつくような氷雪が降り積もる北の大地。厳かで冷たい石造りの城の一室で、私は一人、空中に複雑な魔法陣を描いては消し、描いては消しを繰り返していた。

 

「……うーん、ここから先の術式がどうもうまく繋がらないなぁ。可能性が存在しないってどういうことだろう。それって悪魔の証明じゃん。じゃあ先に悪魔を見つければ……? やっぱり骨が折れるなぁ」

 

 私がぶつぶつと独り言をこぼしていると、背後から音もなく気配が近づいてきた。

 振り返らなくてもわかる。この強大で重たく、なのに静かな魔力は、私にはただ一人しか知らない。

 

「ウンメーリア。またその奇妙な魔法をこねくり回しているのか」

 

 重く、穏やかな声だった。

 振り返ると、そこには威厳のあるマントを羽織った魔王様が立っていた。

 魔族の頂点に君臨する、絶対的な存在。だが、私は昔からこの御方に対してだけは、不思議と恐怖よりも親しみやすさみたいなものを感じていた。

 

「奇妙とは心外だなぁ、魔王様。これは将来、歴史をひっくり返す絶対の魔法になる予定なんですよ」

「ほう。万が一にも起こり得る事象には一切発動せず、完全に可能性がゼロの事象にしか効果がないという、あのバカみたいな魔法が、か」

 

 魔王様はバルコニーの手すりに寄りかかり、私の展開している光の術式を面白そうに眺めた。

 

「バカみたいって……可能性がゼロのものなんて、世界を探せばいくらでもあるじゃないですか。死者の蘇生とか、あとはほら、えーっと……」

 

 そう言いながら、私の視線は明後日の方へと飛んでいく。ごほん、と一つ咳払いをして、魔王様へと向き直る。

 

「まあ、それこそ魔力の消費量がバカみたいなのが、課題なんですけどね」

 

 私が肩をすくめると、魔王様は静かに笑った。

 この御方は、私たち魔族の中でも特異な思考を持っていた。他の魔族がただ本能のままに人間を喰らうことしか考えていない中で、魔王様だけはもっとずっと遠くの景色を見つめていた。

 

「ウンメーリア。お前のその魔法は、本当に『不可能』を『可能』にできるのだな?」

「完成すれば、の話ですけどね。でも、自然の理において絶対にあり得ないことであればあるほど良い、っていう訳でもないんです。どんな奇跡でも可能性があると、途端に魔法は成立しません」

 

 私の答えを聞いて、魔王様は灰色の空を見上げる。

 その横顔は、どこか寂しそうに見えたのを覚えている。

 

「……どうやら、私と人間が共存する未来も、不可能らしい」

 

 ぽつりとこぼれ落ちたその言葉に、私は手を止めた。

 

 魔王様が「人間との共存」について研究し、模索していることは知っていた。

 言葉という鳴き声を使い、人間を欺くことしかできない私たち魔族が、どうすれば彼らと談笑し、共に生きることができるのか。

 

 けれど、それは水と油を混ぜようとするのと同じことだ。いや、可能性だけで考えれば、再び宇宙が生まれる確率より低い。つまり不可能なのだ。世界の理として分かり合うことなどできない。

 

 それは魔王様自身が、誰よりも痛感していることだったのだろう。

 

「どんなに言葉を交わそうと、私たちの本質は変わらない。人間を理解しようとすればするほど、彼らとの間にある絶対的な断絶を思い知るのだ」

 

 魔王様は私の方を向き、いつものように穏やかに、冗談めかしてこう言った。

 

「だから、ウンメーリア。お前の魔法が完成したら、私の願いを叶えてくれ。魔族と人間が共存するという、不可能を可能にしてくれないか?」

 

 その言葉に込められた途方もない絶望と希望、そして曇りない純粋な探求心。

 私はその時、この圧倒的な王に対して、言葉で表しきれない深い敬意を抱いた。自身の存在意義すら揺るがしかねない人間との共存という夢を、不可能と知りながら追い求める姿が、眩くきらめいて見えた。

 

「えー、魔王様との共存なんて、どんだけ魔力食うかわからないですよ? 私の魔力がスッカラカンになっちゃいます」

「ははは。ならば、私の魔力も足してやろう。これでも、神話の時代から生きている魔王の魔力だ。少しは足しになるだろう」

「……まあ、完成したら考えておきますよ。気長に待っててくださいね」

 

 私が笑って返すと、魔王様も満足そうに目を細めた。

 これが、私が生まれて初めて敬意を抱いた魔族──魔王様との、何気ない旧い記憶の欠片だった。

 

 *

 

「……魔王様」

 

 森の小道で、私は思わずその名を口にしていた。

 魔族からしても遠いあの日、冗談めかして笑い合った王は、もうこの世界にはいない。勇者一行によって討たれ、その存在は魂も残らず魔力へと還った。

 

 結局、私の魔法『不可能を可能とする魔法』が完成したのは、魔王様が討たれるずっと前だったけれど。

 あの御方の、共存という不可能を魔法で無理やり叶えることは、やはり不可能だった。

 

 であれば私の魔法の対象となり得る。だがこの魔法はやはり燃費がすこぶる悪かった。

 元の構想であった、通常通り魔力を消費して行使するのでは、魔王様レベルの魔力があったとしても人間一人の蘇生で精一杯だった。そこで私は根本から術式を変えて、魔力の器そのものを対価として指定した。魔力の器、すなわち魔力の源泉であり、魔法使いの人生そのものだ。

 

 この革新的な構造によって、可能性は大きく広がった。だけど、やっぱり『共存』は難しかった。私と魔王様の魔力全てを費やしても、それを為せるかわからなかった。良くて五分(ごぶ)だろう。

 でも、もしそれを魔王様に言ったら、あの御方は「五分もあれば上々だ」と言って魔力を差し出しそうだった。だから、できないと嘯いた。

 

 この際私はどうなっても良い。だが、魔王様が魔力を失い弱体化するようなことがあれば、配下の魔族が暴れ始め、人類も反攻の一手を取るだろう。

 そうなれば一体どれほどの犠牲が生まれるかわからない。

 

 でもね、魔王様。

 あなたが夢見た、交わらないものが共に在る未来は、決して無駄じゃなかったと思う。

 

 私はあなたの言葉をずっと覚えていた。

 だから私は、自身に魔法をかけた。

 魔族が人の心を得るという『不可能を可能』にした。

 

 その結果、魔力のほとんどを失っちゃったけど。

 

 そして今は、こんな森の奥でエルフのふりをしながらひっそりと生きている。

 

「……さてと、お昼はリンゴと一緒にパンでも食べようかな」

 

 籠の中で転がる赤いリンゴを見つめながら、私は小さく伸びをした。

 魔王様も、シュラハトも、南の勇者も、ヒンメルもみんなもういない。

 でも、彼らが遺した想いや(魔力)、私が人間たちから集めている願いの欠片(魔力)は私の中にゆっくりと降り積もっている。

 

 絶対に交わることのない人間と魔族。争いは無くならない。

 ならば、分かり合える場所が一つくらいあったって構わないだろう。

 それこそが、私が今企んでいる、最高に馬鹿げた最後の奇跡だ。

 

 私がこの魔法を完成させるまで、どうかもう少しだけ待っていてほしい。

 そう祈りながら、私は秋の陽だまりの中を、小さな小屋へと向かって歩き出した。

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