奇跡を起こす魔法   作:あう餅

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契約と未来

 魔王軍の脅威が人間の間で叫ばれ始め、至る所で争いが起こり始めた頃。

 

 私の棲む森にも時折その余波が訪れることがあった。争いの果てにたどり着いた魔族や、それらから逃れてきた民草。

 私の展開している結界は対象の無意識に干渉するもの。故に明確に魔族から逃げるものと追うもの。それらはごく稀に結界をすり抜けるのだ。

 

 エルフに偽装している私は、適当に森の出口を案内してやったり、どうしようもない重傷者には少しばかり人間の魔法で治療を施してやったりしていた。

 そんなある日のこと。私の小屋に、少しばかり異質な客がやってきた。

 

 現れたのは戦士のような格好をした者たちだった。

 その立ち振る舞いや装備の様式から、激戦区である南の地の一族だとわかる。

 よくこんなところまでやって来たものだ。

 私は内心、感心していると長と思わしき人物が前へと出てきた。

 

「どうか、この子に未来を見通す力を与えてほしい」

 その腕にはまだ幼い赤子と言って差し支えない子が抱えられていた。

 彼らの口から出た未来視という言葉に、私は思わずため息をつきそうになった。

 

「あのねぇ……君たち、本気で言ってるのかい?」

 

 私は呆れ半分で彼らを諭した。

 未来視なんて、一個人の魔力でどうにかなるような安い奇跡じゃない。

 かつて私は、魔王様の腹心である全知のシュラハトに同じ未来視を与えたことがある。あの時は、途方もない年月で磨かれた膨大な魔力を持ってしてようやく叶ったほどだ。

 人間の短い寿命と魔力量で、それに匹敵する対価を支払うなんて、どう計算しても割に合わない。それこそ、彼ら全員が老成した魔法使いでもなければ。

 

「君たち一族全員の魔力を絞り尽くしたって全然足りないよ。悪いことは言わないから、その子を連れて安全な土地へお逃げ」

「いいえ、逃げる場所などもうどこにもありません。全知のシュラハトが見据える未来に抗うためには、我ら人類の側にも、未来を視る眼が必要不可欠なのです」

 

 男は一歩も引かなかった。その瞳の奥には、狂気じみた決意が宿っていた。私はこの目を知っている。魔法に全てを捧げて来た者達と同じ目をしている。

 

「魔力ならこの通り、我々一族全員の魔力をお使いください」

 そういうと、彼らの魔力が溢れ出す。魔力制限

 今は私も使っている技術。

「たしかによく研ぎ澄まされた魔力だ。年齢を考えれば魔法使いとして一級品だ」

 だが、それでも足りない。

 

「そう、ですか。なら、魔力が足りないというのであれば、我ら一族が代々受け継いできた秘術を使います。……南の地を守るため、どうか契約を」

 

 彼から漂う魔力の気配が変わった。

 その瞬間、私は彼らが何をしようとしているのか、薄々感づいてしまった。

 

 人間の中には、特異な魔法を受け継ぐ血統がいる。それは一族の中でだけ語り継がれ、世に明かされることはない。まさかこんなところで見られるとは。

 

 彼らが使おうとしているのは、自身の命の器をそのまま魔力の器へと変換する魔法──『命を魔力に変える魔法』だ。

 

 通常、私の魔法の対価として魔力の器を明け渡した場合、魔力が極端に減ったショックでしばらくの間後遺症が残る場合があるが、命までは落とさない。だが、彼らは最初から命を対価のテーブルに乗せている。

 

 これは術式を解析したとしても魔族には使えなさそうだ。根本的に作りが違う。

 

「……君たち、わかっているのかい? それを使えば、君たちはこの子が成長する姿を見られなくなるんだよ。赤ん坊を一人ぼっちにしてまで、やることなのかい」

「我々が生き残ったところで、どのみち魔族に蹂躙される未来しかありません。ならば、この子に希望を託す。ただ、それだけのことです」

 

 次世代に希望を託して、自分の命を投げ出す。

 そんな合理性から逸脱した行動は、魔族の精神構造では理解できない。魔族は己の生存と魔力がすべてであり、種族の未来のために個体が犠牲になるなんてことは考えない。

 

 だからこそ、あのお方々は異質にうつる。

 そして私は人の心を得てしまっている。

 彼らのその異常なまでの自己犠牲が、どうしようもなく気高く、そして痛ましく見えてしまった。

 

「……わかったよ。ここに契約は定められた」

 

 これ以上説得しても無駄だと悟り、私は魔力を編み上げた。

 相互承諾のもとで、魔法が起動する。対象は赤子。事象は未来視の付与。

 赤子が自然の理で未来視を得る確率は完全にゼロ。条件は満たしている。

 

「さぁ、受け取ろうか」

 

 私が術式を起動した瞬間、一族の者達は一斉に自らの魔法を発動させた。

 彼らの生命力が凄まじい勢いで魔力へと変換され、私の器へと流れ込んでくる。熱く、重く、そして悲しい魔力の奔流。私はその莫大な魔力をコントロールし、赤子の瞳に未来を視る奇跡を刻み込んでいった。

 

 光が収まり、術式が完了すると同時だった。

 

 ドサリ、ドサリと。

 重い音を立てて、戦士たちは次々と地面に崩れ落ちた。

 

「……っ」

 

 私は思わず息を呑んだ。

 わかっていたはずだ。彼らが命を削ろうとしていることには感づいていた。だけど、どこかで「人間なんだから、土壇場で生存本能が勝って寸前で止まるんじゃないか」なんて甘い考えがあったのかもしれない。

 

 彼らの体からは、完全に命の火が消え去っていた。

 魔力枯渇による後遺症とか、そういう生易しいレベルじゃない。本当に、一片も残さず、自身の命をすべて魔力に変換し尽くして死んでしまったのだ。

 事切れた男の顔は、眠る赤子の方を向いたまま、とても安らかな表情を浮かべていた。

 

「……馬鹿だなぁ、君たちは」

 

 目の前で次々と人が事切れるのを目の当たりにして、私の胸の奥がぐちゃぐちゃに掻き乱された。

 赤子を守り、世界を救うために自らの命を投げ出す人間の愛情。それを見届けてしまったこと、そして彼らの命を対価として奪い取ってしまったことへの、どうしようもない罪悪感。

 魔族のくせに、人間の死にこれほど心を痛めている自分が滑稽で、情けなかった。

 

 私は冷たくなった彼らの体を、小屋の裏手にある土地に埋葬し、不格好な木の墓標を立てた。

 せめてもの手向けとして、私の知る限りの女神の魔法を唱える。

 そして、泣き声を上げ始めた赤子をそっと抱き上げた。小さな体は温かく、その瞳にはすでに、遠い未来の景色が映り始めているようだった。

 

「はぁ、どうするんだい、この子……こんな森の中に置いておくわけにもいかないし」

 

 私は赤子を抱えたまま森を出て、人間の町へと向かって歩き出した。

 

「わたし、子育てなんてしたことないよぉ……」

 

 トボトボと歩く道すがら、私はふとある疑問に行き当たった。

 

 全知のシュラハト。

 私がかつて千年先まで見通す目を与えたあの男なら、今日この森で、私がこの赤子に未来視を与えることも、とうの昔に知っていたはずだ。

 

 人類側に、自分と同じ未来視を持つ特異点が存在することになる。それは魔王軍にとって明確な脅威だ。

 ならば、なぜシュラハトは事前にこの一族を潰しに来なかったのか? 赤子が私の元に辿り着く前に、手を打つことなど造作もなかったはずだ。

 

「……いや。見逃したのか?」

 

 私のことも、だろう。

 シュラハトは、自身が描く魔族が存続する未来の盤面を見据えている。彼がこの赤子の誕生を見逃したということは、この赤子が未来視を得て彼に牙を剥くことすらも、彼の計画ということだ。

 

 もしかすると、彼は遠い未来でこの子と戦い、その結末すらも視ていて、それを受け入れているのかもしれない。

 己の命すらも盤上の駒として扱い、魔王様の悲願と魔族の未来にすべてを捧げる。その覚悟に私の瞳は揺れ動く。

 

「君の見た未来と、この子の見る未来。いったいどちらが歴史に刻まれるんだろうね」

 

 

 ──────

 

 

 町へ着き、教会が運営している孤児院の扉の前に、私は赤子をそっと寝かせた。少しばかりの金貨を添えて、これで私の役目は終わり。さっさと森へ帰ろう。

 

 そう思って立ち去ろうとした、その時だった。

 

「……あ、ぅ」

 

 赤子の小さな手が伸びてきて、私の人差し指をぎゅっと力強く握りしめたのだ。

 振り返ると、赤子は不思議そうな、それでいて安心したような目で私を見上げていた。

 その瞳の奥には、私が先ほど付与したばかりの未来視の力が宿っている。ひょっとするとこの子は、私が絶対に自分を食べない未来でも視たのだろうか。それとも、単に温かい体温に縋り付いただけなのか。

 

「……ずるいなぁ、君は」

 

 その小さな手の温もりに、私の決意はあっさりと崩れ去ってしまった。

 結局、私は情に流され、その子を抱き直して森へと引き返した。

「少し大きくなるまで。一人で生きていけるようになるまで」と、誰に対するものかわからない言い訳を呟きながら。

 

 

 それから始まった人間の子供との共同生活は、控えめに言って厄介の極みだった。

 

 人間の子供はとにかく脆い。すぐ熱を出すし、転んで怪我をするし、お腹を空かせて泣きわめく。魔族の私には食事も睡眠もほとんど必要ないのに、彼に合わせて生活リズムを大きく崩さざるを得なかった。

 人間の村までわざわざヤギの乳を買いに走り、夜泣きに付き合って森の中をあやして歩き回る日々。

 

 時には、魔族の本能が顔を出すこともあった。

 彼が怪我をして血を流した時、その匂いに無意識に喉が鳴り、指先がピクリと動いた自分に気づいて、酷い自己嫌悪で吐きそうになったこともある。私はやっぱり魔族で、彼を食い殺す捕食者なのだと思い知らされる瞬間だった。

 

 それでも。

 小屋の柱にナイフで刻んだ背比べの傷が少しずつ上へ伸びていくのを見るたびに、私の胸の奥はとても温かいもので満たされていった。

「ウンメーリア、見てこのお花」と笑いかけてくれる彼の顔を見るだけで、厄介な本能も、面倒な苦労も、すべてどうでもよくなるくらいには、私は彼を愛してしまっていた。

 

 

 だが、幸せな時間は長くは続かない。

 物心ついた頃から、彼は時折、虚空を見つめて酷く悲しそうな顔をするようになった。未来視が、彼の瞳に過酷な運命を映し出しているのだろう。

 

 それから少したったある日、彼は自分で削った不格好な木剣を、庭で黙々と振り始めた。

「どうしたんだい、急に」

「……僕には、やらなきゃいけないことがあるみたいなんだ」

 

 彼は手を止めず、汗を拭いながら笑って答えた。

 

「みんなを守るのが、僕の役割だから」

 

 その言葉を聞いて、私は息を呑んだ。

 彼が視ている未来。それはおそらく、魔王様の腹心、全知のシュラハトと戦って死ぬという運命だ。

 彼は自分が死ぬ未来を知りながら、それに絶望するどころか、運命を受け入れて戦う準備を始めている。

 

 なんて残酷な皮肉だろう。

 私がかつて命を救われ、力を与えたシュラハト。そして、私が育て、力を与えたこの子。

 彼らが未来の盤面で、互いの命を賭けて殺し合う運命にある。

 

 シュラハトは魔族の存続のためにすべてを捧げている。この子は人類の未来のためにすべてを懸けている。

 私は、その結末を変えてやりたかった。彼に「行くな」と言って、この森の結界の奥底に一生閉じ込めてしまいたかった。

 けれど、私には彼の気高い決意を折ることなどできなかった。

 

 

 やがて、立派な青年に成長した彼は、ある秋の朝、静かに森を出て行くことになった。

 背中には一族が使っていた剣を二振り背負い、その顔つきはすでに、後に人類最強と呼ばれるに相応しい精悍さを備えていた。

 

「今までありがとう。ウンメーリアの作るごはん、美味しかったよ」

 

 彼は昔と変わらない、無邪気な笑顔でそう言った。

 

「……本当に、行くのかい」

「うん。僕の視る未来の先に、人類の希望があるから」

「そうか。……気をつけてね。人間も魔族も」

 

 引き止める言葉は、最後まで喉の奥に引っかかって出てこなかった。

 私はただ、彼が森の木々の間に消えていくまで、その後ろ姿をずっと見送っていた。

 

 

 数十年後。

 買い出しに出た人間の村で、彼が全知のシュラハトら七崩賢と戦い、相打ちになって命を落としたという噂を聞いた。

 南の勇者が散ったのだと、人々は酒場で涙を流しながら語り合っていた。

 

 私は無表情のまま買い物を済ませ、森へ帰った。

 そして、いつものように一人で小屋の前の落ち葉を掃き集め始めた。無心で手を動かせば、気が紛れると思ったからだ。

 魔族のくせに、人間の死に心を痛めるなんて滑稽だ。彼が死ぬ運命なんて、とうの昔にわかっていたじゃないか。そう自分に言い聞かせる。

 

 だが。

 ふと視線を上げた先。小屋の柱に残された無数の背比べの傷が、目に入った。

 庭の隅に、彼が子供の頃に振っていた古い木剣が立てかけられているのが、見えた。

 

「……あぁ、本当に」

 

 竹箒を持つ手が震え、ポタポタと、乾いた落ち葉の上に水滴が落ちた。

 

「人間の子供なんて、育てるんじゃなかったなぁ」

 

 私は竹箒を握りしめたまま、森の静寂の中で、一人声を殺して泣き続けた。

 

 

 ◆

 

 

 それから、さらに幾ばくかの時間が流れた。
 南の勇者の死という大きな犠牲の先に、人類にも新たな希望の芽が息吹いていた頃だ。

 

 私はいつものように、静寂に包まれた森の小屋で、奇跡のための魔力をコツコツと貯める隠遁生活を続けていた。


 あの「背比べの傷」が刻まれた柱も、少し古びただけでそのまま残してある。

 そんな静かな午後だった。

 

「……おや?」

 

 私の張っていた森の結界が、警告音すら鳴らさずに、あっさりと突破された。


 何者かが、迷うことなく私の小屋へと真っ直ぐに向かってくる。魔族の気配ではない。だが、尋常ではない威圧感をまとった集団だ。

 

 私は警戒しながら、そっと小屋の扉を開けた。

「フリーレン、本当にこんな所に魔法使いがいるのか?」
「うん。あの古い結界魔法は、術者が維持をしないといけないから」

 

 そこに立っていたのは、青い髪をした人間の剣士、大きな斧を背負ったドワーフ、生臭そうな気配を漂わせた僧侶、そして──冷たい目をしたエルフの魔法使いだった。

 

 エルフの少女は、小屋から顔を出した私を見るなり、何の躊躇いもなくその杖を真っ直ぐに私へと向けた。
 杖の先端には、すでに高密度に圧縮された殺人的な魔法が展開されている。

 

「……エルフに偽装してるみたいだけど、無駄だよ」

 彼女の絶対零度の声が、森に響き渡った。

「お前、魔族でしょ」

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