銀髪美少女お嬢様(ワケあり)のホグワーツ生活実践編 作:トリスメギストス3世
クリスマス休暇が終わるまでのあいだ、カティアはホワイトホール夫妻のもとで穏やかな日々を過ごした。
冬のロンドンは骨まで凍みるような寒さだが、ハイゲイトの屋敷の中では暖炉の火が絶えることなく燃え続け、どの部屋にもオレンジ色の柔らかな明かりと温もりが満ちていた。
クリスマスの翌日には、ハイゲイトの屋敷にグレンジャー一家を招いて小さな歓迎会を開催した。
同じ北ロンドンに暮らすグレンジャー一家は、保守的なホワイトホール老夫妻にとってはこのうえなく性に合う客だったようだ。
何にしても休暇はあっという間に終わり、出発の朝が訪れる。
玄関ホールでカティアは二人の前に立った。
ホグワーツに行きたくなかった。
この家にいたいと、これほどまでに強く感じた瞬間は無かった。
「カティア、あまり心配しなくていい。お前が立派な大人になって帰ってくるまで、私はここで待っているよ」
ジョセフは穏やかに言った。
――――――
ホグワーツ特急の車窓に、灰色の空が流れていた。
頬杖をついて外を眺めるカティアは上の空で、あまりに元気のない様子を見かねたのかハーマイオニーが口元に板チョコを差し出してきた。
「大丈夫、カティア?」
「……うん」
「ロンドンを、離れたくないのね?」
カティアはしばらくじっと窓の外を見つめた。
そしてハーマイオニーの方は見ずにこくりと頷くと、彼女はまるで姉のようにカティアの頭を撫でてきた。
「ホームシック?」
ハーマイオニーが優しい声で言った。
「まあそうかもね」カティアは認めた。
もともとカティアはマグルの暮らしを望んでいた。それでもホグワーツに入学したのは、ダンブルドアの庇護下に入って魔法省の『反吸血鬼法』を回避するという消極的な理由に過ぎない。
いざホグワーツに入学してみたら、友達も出来て案外楽しいとは思えたが、それはそれとして高齢の養父母と過ごせる時間には限りがある。
ジョセフの体調が優れないとなれば、ハウススクールへ行くのが少し憂鬱なのも仕方がないだろう。
「本当に大丈夫? カティア、顔色がよくないわ」
「大丈夫よ。慣れるわ、きっと」
気分はどこかアンニュイだったが、列車はかまわず走り続ける。
事実、ハーマイオニーととりとめのない話をしていると、段々と気持ちも少しほぐれてきた。
ホグズミードに着いた頃には、カティアもだいぶ元の調子を取り戻した。
そしてホグワーツ城に辿り着くと、ハリーとロンが玄関ホールで待ち構えていた。
「ハーマイオニー、カティア、大変なんだ!」ロンが叫ぶ。
「えっ?」
ハリーがクリスマスに”透明マント”を贈られたとの事だった。さらにハリーが三晩も続けてベッドを抜け出し、学校中をうろついたという話を聞かされて、ハーマイオニーは目を丸くした。
「そういうことなら、ニコラス・フラメルについて何か見つけられたはずでしょう!」
四人で談話室に移動しながらハーマイオニーは怒っていたが、フラメルについてカティアは知らないふりをした。
実を言えば、カティアはずっと以前から三人が賢者の石に辿り着かないよう地道な工作を続けていた。たとえば、ニコラス・フラメルの名が載った図書館の蔵書を先回りして借りるなどだ。
三人が賢者の石について知ることは彼らのためにならないと、カティアは固く信じていた。
それよりもカティアが気になったのは、ハリーが贈られたという透明マントの方だった。
「その透明マントって、もしかして”三人兄弟”のマント?」
カティアは首を傾げた。
「え、ごめんカティア。三人兄弟って?」ハリーが申し訳なさそうな顔をした。
なんとハーマイオニーも首をかしげた。ロンは当然知っているとばかりに頷いた。
四人の間にしばしの沈黙が落ちた。カティアとロンが知っている側で、ハリーとハーマイオニーが知らない側だ。
「えーっとね」
カティアはこめかみに指を当てた。
「ハリー、ハーマイオニー。魔法界には『吟遊詩人ビードルの物語』っていう本があるの」
「そんな本、聞いたことないわ!」ハーマイオニーが叫んだ。
「『吟遊詩人ビードルの物語』を知らない? 正気か?」ロンが信じられないという口調で言った。
ハーマイオニーが知らない本をロンが知っているというのは珍しい。
プライドを傷つけられたハーマイオニーが頬をふくらませるのを視線で制しながら、カティアは慌てて割って入った。
「みんな聞いて。つまり、『吟遊詩人ビードル』っていうのは、マグルのアンデルセンやグリムみたいな存在なの。わかる?」
ハリーとハーマイオニーはしばらく考えるような仕草をしてから、二人とも頷いた。
「……つまり、魔法界の子供が読む童話集ってこと?」ハーマイオニーがすぐに言った。
「そういうこと。アンデルセンの『マッチ売りの少女』や、グリムの『赤ずきん』と同じで、魔法族の子供たちはビードルの『ぺちゃくちゃウサちゃんとぺちゃくちゃ切り株』あたりの物語を読み聞かされて―――」
ハーマイオニーが噴き出した。
「ぺちゃくちゃ……えっと、なんですって?」ハーマイオニーはくすくす笑いを必死にこらえた。
「『ぺちゃくちゃウサちゃんとぺちゃくちゃ切り株』。"魔法を使えるのは自分だけ"と法律で定めたマグルの王様と、それに取り入るペテン師の話よ。話の系統としては"裸の王様"が一番近いかしら」
カティアはさらりと説明した。
ぺちゃくちゃウサちゃんはビードルの童話の中でも特に正統派な作品で、カティアのお気に入りのひとつだった。
「じゃあマグルって、『魔法使いとポンポン飛ぶポット』も『豊かな幸運の泉』も知らないのか!」ロンが目を丸くして声を上げた。
カルチャーショックを受けているロンを横目に、カティアは肩をすくめた。
「話を透明マントに戻しましょうか。あのね、ビードルの童話の中に、『三人兄弟の物語』という話があるの。要は"死から逃れようとしても無駄だし一度死ねば帰ってこれない"って類の教訓話なんだけれど、その話の中に透明マントが登場するのよ」
「ちょっと待って。マントを持ってくる」
談話室にたどり着いた。男子寮の階段を駆け上がったハリーは、やがて透明なレースのような布を手に戻ってきた。
カティアが触れてみると、液体が布になったような不思議な感触だ。試しに自分の右手をそれで覆ってみると、確かに右手が透明になった。
見れば見るほど、カティアは自分の目が信じられない気持ちになった。
「………本物……? 信じられない、本当に実在するんだ………」
「そんなに変かな。カードには、父さんが持ってたって書いてあったけど……」ハリーは居心地悪そうに肩をすくめた。
カティアは首を振って透明マントをハリーに返した。
まさか『三人兄弟の物語』に登場するアイテムの現物ということはないだろうが、機能としては引けを取らない。由緒ある純血の家系に代々伝わる魔法の品、といったところだろう。
仮にこれが"蘇りの石"ともなれば大騒ぎするところだが、透明マントならば実在しうるものとして納得はできた。
「あまり悪さしちゃダメよ」
カティアはそう釘を刺した。
同級生の男の子が透明マントを持っているというのは、一人の女子としてなかなかに気が気でない話ではある。
――――――――
その日の夜、女子寮のベッドに横たわるカティアは眠っていなかった。
厚手のカーテンの隙間から月の光が細い刃のように差し込み、石造りの壁に淡い影を落としていた。
部屋の空気はひんやりとしていて、周囲のベッドからは規則正しい寝息が聞こえる。天蓋付きのベッドの布越しにぼんやりとした闇が広がっていた。
カティアは音を立てないように上体を起こした。
そのままベッドからそろりと降りたカティアは、まったくの無言で女子寮の壁に杖先を向けた。
厚い石壁が円形に消失した。
女子寮に直径1メートル程の通行可能な穴が生成され、カティアは服を翼に変形させながらそれに飛び込んだ。
外に出た瞬間、刺すような寒気が肌にまとわりつく。
空中を滑るように滑空しながら後ろを振り返ると、グリフィンドール塔の外壁に開けた穴は既に閉じている。背中の翼を羽ばたかせ、窓のそばを通らないよう夜空を飛んだ。
美しい冬だった。
雲一つない夜空が広がり、深く澄みきった紺碧の中に星々が凍りついたように瞬いていた。
月光の白銀の光が地上へ降り注ぎ、雪が積もった石造りの塔を白く際立たせていた。
「さて………」
独り言を一つ。
カティアは外側から立ち入り禁止の四階廊下に近づくと、杖をふるって外壁に”壁抜き呪文”を使った。
いとも容易く目的の廊下に立ったカティアは周囲を警戒しながら、目的の扉の前に進む。
再度”壁抜き呪文"で、鍵のかかったドアを巻き込む形でアーチ状の通行路を生成する。カティアは初歩的な”開錠呪文”を使えないが、だからと言って密室に侵入出来ないわけでもないのだ。
迷わず中に踏み込むと凄まじい獣臭だった。
三重の唸り声と共に、三対の黄色い目がカティアを見据えてきた。
カティアは真紅の瞳を輝かせた。
急に唸り声がやんだ。
そのまま巨体が崩れ落ちる。頭を伏せていびきをかき始めた三頭犬のフラッティーの脚を、カティアは慎重にまたいだ。
「………三つの頭で私を見たら、”眠りの魔法”も三倍効いちゃうよ?」
小さな声で答え合わせをする。
相性という物がある。多頭の魔法生物には大抵これが効くのだ。最悪の場合は無理やり戦ったが穏便に済むならそれに越した事はない。
カティアはフラッティーが守っていた跳ね上げ式の仕掛け扉を片手で開けた。
下を覗き込んでみたら、中は真っ暗だ。しかし夜目が効くカティアには底に何があるかがほんのりと見えていた。
もう少し良く観察したかったが、背後でフラッティーの眠りが覚める気配がしたのでそうのんびりもしていられなかった。
覚悟を決めて穴に飛び込む。かなり長い時間をかけて何やら柔らかい物の上に着地した。
周りを見回すと、あたりは一面の蔓植物のようなものに覆われていた。
そしてすぐに植物のツルが足首にからみついてきた。カティアは牙をガチンと鳴らしながら膝辺りまで巻き付いてきた蔓を無理やり引きちぎり、再度翼を広げて飛び立った。
そこら中から蔓が伸びてきた。
獲物を嗅ぎつけた蛇の群れのように腕に巻きついた蔓を力任せに引き剥がす。
繊維が裂ける鈍い音とともにそれは振りほどいたが、次の瞬間には別の蔓が肩へと這い上がってきた。
「なら……えいっ!」
カティアは左手でパチンと指を鳴らし、白銀の閃光を真下に放った。
呪いが当たった場所から周囲に広がるように、ガラスの割れるような音が連鎖する。その音は足元から壁に伝っていき、湿った蔓は白く染まって硬い氷の枝へと変わっていった。
カティアが使ったのは”氷蝕の呪い”だ。吸血鬼は闇の生物らしく、変身術の他に闇の魔術に適性がある。
とはいえ、カティアの呪いもこの規模の植物を根絶することは出来なかったようだ。氷の層の奥からさらに緑色の蔓が伸び始めた。
カティアは翼を大きく広げ、ばさりと空気を叩いた。
一気に真上へ高度を稼ぎ、凍りついた蔓の森を突き抜けるように上昇してその頂点で一瞬だけ静止した。
その瞬間、全身の力を拳に集めて一気に急降下。
凍りついた植物がガラス細工のように広がる”底”に向け、勢いよく拳を振り下ろした。
ガッシャ―ン、ととんでもない音と共に氷と蔓が砕け散った。
白と黒の破片が爆ぜるなか、カティアは蔓植物の層をぶち抜いて更に下へと落ちていく。
勢い余って石の地面に激突しながら、とにかくカティアは次の層へと到達した。
「よしよし………意外と甘いな、ホグワーツの警備体制………」
カティアはローブを軽くはたいた。
奥へ続く石の一本道を小走りで通り抜けながら、カティアはご機嫌で呟いた。
この先に『賢者の石』があると思えば歩調も軽くなる。
賢者の石さえあればジョセフの病気も治せる。カティアがジョセフやマーサと過ごす時間も確保できる。
もちろん、カティアは彼らに不老不死になってほしいわけでは無い。
せめて九十………できれば百歳まではカティアの傍にいてほしい、そしてカティアがホグワーツを卒業した後も十年ぐらいは一緒に過ごしたいのだ。
ホワイトホールの夫妻は幸せな老後を手に入れるべきだ。そうでないならこの世の中の方が間違っている。
カティアの足音以外に聞こえるのは、壁を伝い落ちる水滴の音だけだった。
通路は下り坂だ。そしてその先からかすかに、柔らかく擦れ合う音やチリンチリンという音が聞こえた。
通路の出口に出た。
目の前に眩く輝く部屋が広がった。キラキラとした無数の”鍵”が部屋いっぱいに飛び回る、天井の高い部屋だ。
カティアが周囲を見回してみると、部屋のむこう側には分厚い木の扉が見えた。
杖を向けて”壁抜き”の呪文を使おうと思ったが、カティアは直前で思い直す。
この部屋は、飛び回る”鍵”を確保して扉を開けることを、明らかに強く求めている。
正規の手段以外で通路を開けば何か面倒な罰が下るかもしれない。
これは根拠も何もない純粋な勘だったが、だからこそ無視するわけにもいかなかった。
カティアはしばらく周囲を見回した。
そしてしばらくして、明るいスカイブルーの羽を生やした銀色の大きな鍵を見つけた。
鍵のデザインがドアノブの意匠と合っている。カティアはそれから数分の間ほかの飛び回る鍵も観察したが、やはり銀の鍵こそが正解の鍵と断定した。
ばさりと、翼が空気を叩いた。
カティアは脚の力も使って勢いよく跳ね、壁と天井を跳ね回って撹乱し、数秒後には銀の鍵を確保した。
幸いにして他の鍵が襲ってくるという展開もなく、銀の鍵を使うと木の扉が開いた。
カティアは次の部屋に進む権利を得た。
次の部屋には大きなチェス盤があった。
本当に大きい。何しろ、駒の一つ一つがカティアの2倍近い身長がある。
入口の側が黒い駒で、部屋のずっとむこう側でこちらを向いて白い駒が立っていた。
「…………………………チェスかあ」
カティアは黒のクイーンに近づき、手を伸ばして触れた。
石に命が吹き込まれ、甲冑と兜を着用し棒状の剣を両手で支える駒が、じっとカティアを見下ろした。
「向こうに行くためには、チェスに勝たなくてはいけない?」
カティアの質問に、クイーンは頷いた。
黒のクイーンがチェス盤を降りた。カティアが代わりにその役割をしなければならないらしい。
盤上に乗った瞬間、カティアはこのゲームの悪辣さに気が付いた。
魔法使いのチェスはマグルの物とルールは同じだが、駒が実際に盤上を動いて物理的に相手の駒を取り合うという特徴がある。そして駒が物理的に攻撃しあうという性質は、そのまま盤上のカティアが石像に攻撃される可能性に直結するのだ。
つまり、黒のクイーンであるカティア自身が敵に攻撃されるリスクに晒されるという事だ。
キングの前の白のポーンが、二つ前に進んだ。
「………キングの前のポーン、進んで」
中央のポーンを付き合う。
次の白の手はナイトを跳ねる手で、こちらもナイトを展開させて守る。
次の白の手はBb5。カティアは腕を組んだ。
――――――――
カティアは巨大チェスで三連敗した。
初戦で腕と肋骨、二戦目で内臓、三戦目で首を破壊された。
白のビショップの棍棒で殴打されて盤外に叩き出されたまま横たわっていたカティアは、安定しない頭を片手で支えながら、ゆっくりと上体を起こした。
恨みがましくチェス盤を睨みつける。
常人ならばとうに死んでいてもおかしくない傷だが、カティアであれば再生できる。
全身に激痛が走る中でどうにか立ち上がって壁にもたれかかると、折れた首が少しずつ元の位置へ戻っていく感覚があった。
しかし、さすがのカティアも首を切り離されたり心臓に杭を撃ち込まれたりすればおそらく死ぬ。白の駒に攻撃されるときは、もう少し気をつけなければならない。
「………なるほど」
カティアは、自身の見立てが相当甘かったことを認めざるを得なかった。
まず、最初の一戦で黒のクイーンを自分の役に選んだのは明らかな判断ミスだった。
クイーンは盤上でもっとも強力な駒だ。しかしチェスとは、あくまでもキングをチェックメイトするゲームである。
つまりカティアの選択は、敵は自由に動けるのに自分のクイーンだけは逃げ続けなければならないという謎の制約を自らに課した愚行だったのだ。
二戦目からはカティア自身がキングを担うことでその問題は解消されたが、厄介事はそれだけではなかった。
そもそも、巨大チェスという舞台の構造自体が非常にやりづらい。
盤面を上から俯瞰できないため、戦況の把握が本当に難しいのだ。そのうえ駒の背丈が高く視界が遮られるおまけまでついている。
死角からナイトが跳んでくるわ遠方のビショップの射線に気づかないわで、普段ならありえないような凡ミスを連発した。そのせいで余計にボロ負けした感も否めない。
そして地味に堪えたのは、先手有利なチェスで黒の後手を強いられることだった。
三戦目では白のキングに直接交渉を持ちかけてみたのだが、石の王様は首を横に振るばかりだった。挑戦者は後手で受けから入れとのことらしい。
だが、これらの要素がすべて無かったとしても、魔法の巨大チェス自体が明らかにカティアより強かった。
チェスは苦手な方ではないが、かといって得意でもない。ハリーやハーマイオニーには勝ててもロンには惨敗する程度の腕なのだ。
「…………………………」
一応、カティアはこの巨大チェスの駒そのものを破壊することは可能だ。
敵の駒に取られる場面で相手を逆に壊すような荒業も、やればできるだろう。しかしカティアにはそれだけはやってはいけないという確信があった。
騎士道精神の話ではない。
そもそも、魔法で定められたルールを破ることは極めて危険な行為なのだ。
何より、これほど強力な防衛魔法が挑戦者の"反則"を想定していないはずがない。その対応が、白と黒の駒が侵入者を総がかりでタコ殴りにするというものだった場合、カティアは余裕で死ぬ。
チェス盤には手を触れず、背後の壁を直接"壁抜き"するという手もなくはない。
しかし、カティアはどうしてもそれを試してみる気になれなかった。
「…………………………仕方ないか」
カティアは一度、寮に帰ることにした。
幸いにして、ジョセフの容態はそこまで悪くない。彼があと何年生きられるかは分からないが、別に期限が来週というわけでもないのだ。
どちらにしても、今夜は偵察だけのつもりだった。
何しろ、今この瞬間に賢者の石を手に入れでもしたら困るのはカティア自身なのだ。ダンブルドアもホグワーツも当然ながらホワイトホール家の住所を把握しているわけで、賢者の石を盗んだカティアがロンドンへ逃げ帰ったとしてその先がない。
賢者の石の奪取は、老夫妻とともに逃げ込める安全な隠れ家を確保してから行わなければならないのだ。
それか、カティアが賢者の石の偽物を用意するかだ。何にしてもカティアはのんびりと構えるつもりだった。
―――――――――
翌朝、ヨーグルトをローブに零してハーマイオニーに拭いてもらいながら、夢うつつのカティアは周囲を見回した。
驚くほどいつも通りの朝だった。
休暇明けで憂鬱そうな生徒たちに、休暇明けで憂鬱そうな先生方。
どうやら昨夜の夜歩きは誰にも知られていないようだった。カティアのことなど誰も気に留めていない。
正直に言えば、カティアは『賢者の石を狙ったことがあっさり露見し、マクゴナガルに退学を宣告される』という展開も覚悟していた。しかしどうやら、今回はカティア側に分があったらしい。
いくらダンブルドアとはいえ、すべてを知った上で泳がせているなどという展開はありえないという確信があった。
カティア・アシュリーはこれでも、三年ものあいだ魔法省とダンブルドアの捜索の手からたった一人で逃げ続けた実績を持つ身だ。証拠隠滅と逃走については自信がある。
本気で悪事に手を染めたカティアを止めるのはダンブルドアをもってしても容易ではないという事だ。今後も油断は禁物だが、素晴らしい事に賢者の石への挑戦権はまだ残っているようだった。
「カティア、カティア!」
「ん……にゃ? どうしたの、ハーマイオニー……」
「あなた、もう十五分も空のお皿からヨーグルトを食べているわよ?」
グリフィンドールのテーブル全体からどっと笑いが湧き起こった。カティアは、もう少し小さな声で言ってくれればいいのにと思った。
そして最悪なことに、この日は『闇の魔術に対する防衛術』の授業だった。
ニンニクの匂いが充満するこの授業では、カティアはいつも散々な思いをしていた。それを抜きにしても、クィレル先生はお世辞にも良い教師とは言えなかった。
「そ、そ、それでは、ミスター……ミスター・フィ、フィネガン。き、教科書の、三十五ページには、や、闇の生物への対処法について、ど、どのように書かれているかな?」
シェーマスが気のない声で教科書をそのまま読み上げるのをぼんやりと聞きながら、カティアは机に突っ伏した。
クィレルはひどい吃音持ちで、いつも何かに怯えているような様子を見せていた。おまけにアルバニアでの武勇伝はどれも内容が薄く信憑性にも欠けていた。
そして授業でやる事と言えば教科書の朗読と座学だけで、これでは生徒たちの信頼を勝ち取れるはずもない。ハーマイオニーを除く一年生たちは、『こんな頼りない先生に教わって、本当に闇の魔術から身を守れるのか』という不信感をもはや隠そうともしなくなっていた。
「カティア、大丈夫?」
「大丈夫に見える……?」
隣のハリーが心配そうに覗き込んできたが、ニンニクの匂いでぐったりしているカティアには気の利いた返事を返す余裕すらなかった。
クィレルの薄味な授業がようやく終わる頃には、カティアは廊下をまっすぐ歩くことすら怪しいほど消耗していた。
ハーマイオニーがカティアの肩を抱き支えてくれる。
「生徒の中に半吸血鬼がいるってのに、自分が怖いからって教室でニンニクを焚くなんてどういう神経してるんだ」
クィレルが去っていった廊下の先を睨みながら、ハリーがついに苛立ちを隠さない声で吐き捨てた。ロンが低く唸って同意するように頷く。
先生という生き物に対して生まれつき忠実にできているハーマイオニーが、友情と信念の板挟みになって苦しんでいた。
「マクゴナガル先生に相談してみたら……」
それがいかにもハーマイオニーらしい提案だったため、カティアは思わず笑ってしまった。