銀髪美少女お嬢様(ワケあり)のホグワーツ生活実践編   作:トリスメギストス3世

13 / 19
013:あの手この手の第二試行

 暖かな空間の隅で、カティアはチェス盤を前にひとり考え込んでいた。

 

 グリフィンドールの談話室は物思いに耽るにはいい場所だ。暖炉の火がぱちぱちと音を立てて赤い光が石壁や古びたソファに柔らかく揺れるこの空間は、カティアのお気に入りの場所だった。

 窓の向こうには雪景色が広がる夜ともなれば格別だ。マクゴナガルの巨大チェス攻略作戦を練るには絶好の夜である。

 

「もしかしてお困りかい?」

 

 ふいに声をかけられて顔を上げると、ロンが嬉しそうに立っていた。

 ロンはカティアの目の前のチェスセットを顎でしゃくる。

 

「………ねえ、黒の後手の三手目は、どれが一番“まぐれ”があるの?」

 

「試しに僕と打ってみるかい? その言い方なら、僕が白を持った方がよさそうだね」

 

 それから数局、カティアはロンと対戦して見事に惨敗した。

 またしても終盤。壊滅的な黒陣を前に、カティアは頭を抱える。

 

「私、ちゃんと本気でやってるんだけれどな……」

 

「チェスの腕は勉学の優劣とは別のところにあるのだ」ロンはおどけて言った。

 

「僕とハーマイオニーがいい例だろ? ところでカティア、なんでいきなりチェスなんだ?」

 

「……マイブーム? チェスってマグルでもまったく同じルールだから、親しみがあるのよ」

 

「なーる。だからハーマイオニーも最初からルールを知ってたのか。……チェックメイト」ロンは納得したように頷いた。

 

 カティアは両手を上げて降参して、そのままこめかみを押さえた。

 

「……もしかしてチェス、実力差がありすぎると“まぐれ”が無い?」

 

「あー……まあ、無いんじゃないかな。」

 

 ロンはさらりと言いながら、中盤あたりまで駒の配置を巻き戻す。

 

「ほら、カティアってここから何手先ぐらいまで読めてるの?」

 

「んー、五手くらい?」

 

「僕は十手くらいは見えてるんだ」

 

 道理で勝てないわけだ。

 そして、マクゴナガルの巨大チェスがロンと同等の腕前だと仮定した場合、正攻法での突破は不可能という説が薄っすらと浮かび上がってきた。

 

「…………………………ロン、もう一回やってもいい?」カティアは抗った。

 

「いいよ。何度でも付き合うさ」ロンは嬉しそうにチェス盤を見下ろした。

 

 ロンはチェスがあまりに強いため、逆に対戦を頼まれることも少ないのだ。

 そして途中までは互角だったのに最終的に何故か負けている自陣を見て、カティアは頭を抱えた。

 

――――――――

 

 ロンを巨大チェスの部屋へ連れて行けば、カティアにも勝ち目はある。

 しかし再生できるカティアと違い、ロンは巨大チェスに殴られたら一撃で命を落としかねないという問題があった。

 

 だからカティアはその案は早々に捨てた。

 自分の目的のために善良な友人を危険に巻き込むほど、カティアは腐っていない。

 ジョセフのためといえども、越えてはならない一線はあるのだ。

 

 とはいえ、巨大チェス攻略が早くも行き詰まっているのは事実だった。

 具体的な勝算が見込めるまでは、賢者の石へのアプローチは控えるべきだろう。悪事というものは一度見逃されたからといって、二度目も見逃されるとは限らないのだ。

 

 その次の日は変身術の授業だった。

 教室のドアが勢いよく開くと、マクゴナガル先生がカツカツと鋭い足音を立てて教壇へ向かった。お喋りしていた生徒たちが一瞬で静まり返る。

 

「皆さん、前回の授業では羊皮紙をガラスの板へと変える材質の変化を学びました。一部の生徒はまだガラスが柔らかいままでしたが……」

 

 ネビル・ロングボトムがビクリと肩をすくめた。

 マクゴナガルが杖をひと振りすると机の上の箱から全員の手元へ、銀色の鋭いフォークが一本ずつ飛んできた。

 

「今日取り組むのは凹凸の変形です。このフォークの四本の歯を一本にまとめ、滑らかな曲線を持つスプーンへと変身させなさい。金属の『流れ』を意識しなければ絶対にうまくいきません」

 

 カティアは指先でひと撫でし、フォークをスプーンへと変形させた。

 そして『境界を越える――石像はいかにして守護者となるか』という分厚い本へと意識を戻す。

 

『……多くの変身術師が陥る最初の過ちは、石像を単なる巨大な操り人形として扱うことである。呪文学的な「浮遊」や「牽引」によって四肢を糸で引くだけでは、それは所詮、鈍重な石の塊に過ぎない。実戦における変身術的優位性は、皆無と言わざるを得ないだろう――――』

 

 変身術の時間に自習することを認められているカティアは、こうした専門書に目を通す機会が自然と増えていた。

 マクゴナガルから借り受けた本はどれも一筋縄ではいかない難解さだったが、長らく"感覚"だけで変身術を行使してきたカティアには確かに得るものが多かった。

 

「悪夢だぜ……これ、どうやって元に戻すんだ……?」

 

 ロンの呻き声が聞こえてきた。

 カティアがそっと視線を上げると、ロンのフォークがぐにゃりと曲がったままもとに戻る気配がない。ハリーは中途半端な先割れスプーンを前に苦笑いを浮かべていた。

 

 一方で、ハーマイオニーは見事な出来のスプーンを前にして、澄ました顔で姿勢よく座っている。

 マクゴナガルに見付けて貰おうと椅子の上でぴょこぴょこするハーマイオニーを後ろから見て含み笑いしながら、再度本に意識を向き直した。

 

『―――魔法使いの家庭であれば、幼少期より「動くチェス駒」に親しんでいることだろう。駒たちが自ら進路を選び、時には未熟な指し手に毒づく様子を見て、多くの者はそれを「そういう呪文」だと片付けてしまう。しかし、変身術を志す者は、その裏に染み付いた魔法の仕組みを理解しなければならない―――』

 

 ”チェス”という単語に急に意識を引かれた。

 

『―――一部の高価なチェス駒が、指し手に生意気な口を利いたり、助言を与えたりするのはなぜか。それは、術者が変身を施す際、素材に特定のチェスプレイヤーの思考を転写しているからだ。これは魂の複製ではなく、あくまで「チェスという限定的な状況下でのみ機能する反応回路」の構築である。駒が不甲斐ない指し手に怒るのは、それが素材に刻まれた勝利への最短経路という論理から逸脱しているから―――』

 

 ここまで読んだ時、強烈な閃きが走った。

 マクゴナガルの巨大チェスは「マクゴナガルの思考の転写」だ。自動で動くとはそういう事に違いない。

 では、こちらも「最強の誰か」の思考を転写したチェスセットを用意すればいいのだ。

 

 律義にカティアが戦う必要なんて、最初からどこにも無かったのだ。

 敵の動きを手元のチェスセットに入力すればこちらの最善手を示してくれる、ある種の魔法道具。つまり優秀な『カンニングペーパー』を用意すれば、カティアにも勝機はある。

 

――――――――

 

 『カンニングペーパー』の作成は、そう簡単な話でもなかった。

 そもそも市販されている魔法のチェス盤からしてそうなのだが、そこに使われている魔法は変身術だけではない。カティアが苦手とする杖呪文の要素が多分に含まれている。

 

 例えば、駒を動かすための『無機物に命を吹き込み動かす魔法』は変身術の領域だ。

 カティアが雪合戦で使った『雪で成形したドラゴンを手動で動かす魔法』もこの系統だ。他にもプレイヤーの指示を口頭で受けて動くチェスの駒程度であれば、カティアにも"何となく"作れてしまう。

 

 しかし、プレイヤー無しで自動で動くチェスを作るのは”変身術”だけでは足りない。

 『命を吹き込まれただけの駒』に自動で無理やり戦わせると、ポーンが斜めに何マスも動いたり、キングが盤の外に逃亡したりといった誤作動が起きてしまうのだ。

 

 役割に応じた駒の動きや基本的なルールを駒に刻みこむのは呪文学の領域なのだ。

 そしてカティアはこの魔法がどうしても使えなかった。本来はそれほど難しくない魔法のはずなのだが………。

 

 とにかく第一段階で既に躓いている以上、その先にある『チェスプレイヤーの思考の転写』など夢のまた夢であることは言うまでもない。

 

 ましてや、カティアが転写しなければならないのは自分の思考ですらない。

 自分より遥かに強いチェスプレイヤー、即ちロンの思考なのだ。

 

 そしてこれはカティアも調べている過程で後から知ったのだが、『自分の外側に自分より賢い論理を構築する』という行為は相当難しいらしい。

 『魔法とは術者の意志と理解を具現化するものであるため、自分には理解できない高等な論理を自分の魔力で組み立てようとすることは、原理的に自己矛盾を引き起こす』と書かれていた。

 

 何にしてもあまりにも高すぎる壁を前に、カティアの『カンニングペーパー』作りはあえなく頓挫してしまった。

 

 そして、カティアも巨大チェスのことばかりを考えているわけにはいかなかった。

 宿題も授業も友達付き合いも中々忙しく、こちらの決して疎かにするわけにはいかなかったからだ。

 

 深夜の談話室。疲れた様子のハリーはふと顔を上げて、カティアをじっと見た。

 

「ところでカティアって、いつ勉強してるの?」ハリーが言った。

 

 クィディッチの練習に時間を取られるハリーは授業の課題に苦しむことが多い。

 普段はハーマイオニーがやっているが、カティアもたまに彼のレポートを手伝ってあげることがあった。

 

 その中でのハリーの質問に、カティアはきょとんと首を傾げた。

 

「なんで?」

 

「カティアが勉強している姿をあんまり見たことがないから………」とハリーは尻切れトンボで言った。

 

 カティアはくすくすと笑ってハリーの質問を受け流した。

 この質問に対する答えは単純で、単に人には見えないところで勉強しているだけだ。カティアが朝に弱いのは、決して半吸血鬼だからという種族的理由"だけ"でもない。

 夜目が利くカティアは真っ暗な寝室でも問題なく勉強することが出来るのだ。

 

 何にしても、カティアはハーマイオニーと違って『努力を表に出さずに涼しい顔をする自分』を演出するだけの強かさがあった。

 

「多分、授業をちゃんと聞いているんだよ」カティアは誤魔化した。

 

「カティアって魔法史とかよく寝てない?」ハリーが指摘した。

 

 それは本当に眠いだけだが、何にしてもそれはそれで愛嬌というものでもある。

 実際、カティアは何もせずとも午前中は本当に眠い。種族柄、授業に集中しようがないのだ。

 マグルの学校時代にも居眠りや寝坊をしては先生に散々怒られたものだ。

 

「ところで、クィディッチチームの様子はどう? 次のハッフルパフ戦も勝てそう?」

 

 カティアは露骨に話題を変えた。

 ハリーは少し当惑した様子を見せたが、話題がクィディッチだったこともありすぐに話に乗った。

 

 ウッドがいかに厳しいかやニンバス2000がいかに素晴らしいか、双子のウィーズリーのいたずらの話などを熱弁し始めるハリー。

 

「あそこでスニッチがこう動いて、それを僕がこう飛んでくるブラッジャーを避けて―――」

 

 狭い談話室のソファの上で箒に乗っているかのように身振り手振りをする姿を、カティアは微笑みながら眺めた。

 

―――――――――

 

 巨大チェスに敗北してから数週間経ったが、カティアは決して『賢者の石』を諦めたわけではなかった。

 マクゴナガルの巨大チェスをどう突破するかについては色々と考えたが、やはり最善手を示してくれる『カンニングペーパー』の作成が一番現実的なように思えた。チェスの腕を一から磨くという正攻法では時間がかかりすぎる。

 

 しかしカティアは”呪文学”の範疇の、駒の自動化が出来ない。

 得意の“変身術”の領域でどうにか自動チェスを成立させられないかと試行錯誤を重ねるうちに、カティアはある方法を思いついた。

 

 今、カティアの目の前には一組の大きなチェスセットがあった。

 『日刊予言者新聞』の広告欄で見かけ、同封のカタログから取り寄せた品だ。

 

 自動対戦機能付き、二十二ガリオン。

 ホワイトホール家のお嬢様とはいえ自由に使える資金はそれほど多くないカティアにとって、これはなかなかの出費だった。それでも必要経費だと自分に言い聞かせて思い切って購入した一品である。

 

 グリフィンドール女子寮のベッドの上に置かれているそれに、カティアは杖をまっすぐ向けた。

 チェス盤と六種三十二個の駒を、ゆっくりと押し潰すようにまとめて“変身”させ、一枚の紙へと変えてしまう。

 

 一辺四十センチほどの紙になったチェスセットを手に取ると、そこには記号化されたチェス盤が描かれていた。

 カティアが指先でつつくと、白のポーンが二つ前に進む。そして黒側もそれに対応した手を打ってきた。これで自動化は成功だ。

 

「よしよし。これで自動化は問題なし……と」

 

 折角なので、性能を試してみてもいいだろう。

 その日の深夜、カティアは前回と同じ手順で四階廊下に立っていた。

 

 壁抜けの呪文で部屋に侵入し、魔法の瞳で番犬を眠らせ、悪魔の罠を凍らせて突破した。

 翼の生えた鍵を捕まえて扉を開ける。そして問題の巨大チェスと対面した。

 

 僅かな緊張とともに、黒のキングへと手を触れる。

 敵が先手だ。白のポーンが二つ前に進む。その動きを手元の『カンニングペーパー』に入力し、出力された黒の手をそのまま指示する。

 

 しかし結論から言えば、カティアは巨大チェスを相手に四度目の敗北を喫した。

 

「二十二ガリオンも出したのに!」

 

 カティアの憤慨した声が、ホグワーツの地下に虚しく響いた。

 

 現実は甘くない。

 白のナイトにぐちゃぐちゃにされた右脚の大腿骨を、つま先をトントンと鳴らすことで修復しながら半吸血鬼は腕を組んだ。

 

 だが、勝てないこと自体は想定内だ。素直に一歩前進と解釈してもいいだろう。

 『カンニングペーパー』に対する罰則の気配がない以上、この方針自体は間違っていないと証明されたとも解釈出来る。あとは性能を引き上げるだけで、巨大チェスの突破は可能なはずだ。

 

 問題は、『思考の転写』をどう実現するかだ。カティアもそこまでは具体案が浮かんでいなかった。

 

 色々と思案を巡らせながら来た道を戻る。

 悪魔の罠の層を抜けて長い縦穴を飛翔し、フラッフィーの守る仕掛け扉の裏側まで来たところで、不意に誰かの話し声が聞こえた。

 

「!!!」

 

 カティアは、空中で急停止した。

 そのままふわりと身をひねり、天井に靴裏をつける。

 そして逆さまにしゃがみ込むことで、捲れ上がろうとするローブの裾を太腿とふくらはぎで押さえ込んだ。フラッフィーと床を挟んで逆側に立つイメージだ。

 

 誰かに見つかったのかもしれない。

 うるさい心臓を押し殺しながら、カティアはじっと耳を澄ませた。

 

「……な、なんで……よりによって、こ、こんな時間にこんな場所で……セブルス、君にあ、会わなくちゃいけないんだ」

 

 カティアは自分の耳を疑った。

 この声はクィレルだ。いつも以上にどもっている。

 

「クィレル、君こそ何故、こんな深夜に四階廊下に? 何か用でもあったのかね?」

 

 こちらはスネイプだ。

 廊下にカティアの嫌いな教師上位二人が揃っている。しかしどちらに見つかっても終わりなのは間違いない。

 今のカティアは夜間無断外出どころか、賢者の石の盗難の現行犯なのだ。アズカバン行きとなってもおかしくない。

 

「な、なんの事だか……セブルス、き、君こそ……“そう”では、な、ないのかい?」

 

「誰に口を利いているのだ。吾輩が質問している。君はなぜ、今この四階廊下に姿を現した?」

 

 スネイプとクィレルはしばらくの間押し問答をしていたが、会話が一向に進まない。

 しかしどちらも聞いていることは同じで、『なぜこの時間にこの廊下にいるのか?』だ。カティアは慎重に盗み聞きする。

 

「吾輩が思うに――」

 

 スネイプが低く危険な声で切り出した。

 

「――君はすでに、ハグリッドの三頭犬を出し抜く方法を見つけたのではないか?」

 

「わ、私にはなんの事だか……」

 

 クィレルは本気で当惑しているように聞こえた。しかしスネイプは苛立たしげに続ける。

 

「つい先日発覚したことだが、あの野獣の“先”にある防衛機構が起動した痕跡が残っていた。つまり、既に”誰か”が、『賢者の石』を盗もうとこの扉の奥に侵入したということだ」

 

 カティアは天井から落ちそうになった。それは間違いなく自分自身の事だ。

 悪魔の罠を凍らせて巨大チェスで対戦した時点でいずれ露見するとは思っていたが、思ったよりも早い。ついに侵入者の存在に察知されてしまった。

 

「な、なにを……それは本当か、セブルス」

 

「知らぬふりはやめろ! クィレル、貴様は何を企んでいる!」

 

 スネイプの怒声が響く。一方のクィレルは、本気で困惑している様子だった。

 それを扉二枚を隔てて聞いているカティアの混乱と緊張が、いよいよ頂点に達する。

 

 盗み聞きした限りでは、スネイプがクィレルを疑っているようにしか思えない。

 カティアは小さく首を振った。意味が分からない。よりにもよってクィレルが?

 

「せ、セブルス……わ、私には……分からない……」

 

「……左様か。ならば今夜はお開きとしよう。幸いにして『賢者の石』は無事とのことだからな。しかし忘れるな、貴様の行くところは全て吾輩が見張っていることを」

 

 幸いにして、彼らは何らかの口論をしながら遠ざかっていった。

 カティアは足音が聞こえなくなってからさらに二十分ほど待機し、それから大慌てで壁を抜いて外壁経由で外からグリフィンドール寮へと逃げ帰った。

 

 音を立てないようにそっとベッドに潜り込む。

 危なかった。今夜は本当に危なかった。カティアは安全で快適な天蓋付きベッドの中でも、しばらく動悸が収まらなかった。

 

 困ったことになった。

 カティアの名前が出ていないとはいえ、侵入者の存在を察知されてしまったことは痛手だ。今後の侵入が更に難しくなる。

 

――――

 

 夜歩きの翌朝、カティアは珍しくはっきりと目が覚めていた。

 

 今日は一時間目からクィレルの『闇の魔術に対する防衛術』だ。

 朝食の席では隣のハーマイオニーが「まあ、今日はずいぶんしっかりしているじゃない!」と嬉しそうに言っていたが、カティアは内心それどころではない。

 

 パンをかじりながらも、頭の中では同じ考えがぐるぐると巡り続けていた。

 

 昨夜遅くにクィレルが現れた理由が分からない。

 

 どうにも引っかかる。

 クィレルはスネイプに『君を見張るため』とかもごもごと言っていたが………。

 

 そんなわけで今日はクィレルをよく観察しようと心に決めながら防衛術の教室に入ると、いつものように強烈なニンニクの臭いが鼻を突いた。

 

 ロンが呻く。

 

「うげ、この匂いにはムカつくぜ」

 

 しかしクィレルはなかなか姿を現さなかった。

 始業のベルが鳴っても来ない。何も起きないまま五分が過ぎると、教室全体がざわざわとしてきた。

 

「いったいどうしたんだろう」ハリーが言った。

 

「いいぞ、このまま自習にならないかな」ロンが嬉しそうに言う。

 

 そしてロンの願いが叶った。

 数分後、アーガス・フィルチが防衛術の教室に顔を出し、ゼエゼエ声でクィレル先生は体調不良のため本日の授業は休講と告げたのだ。

 教室中から歓声が上がったが、カティアの気分は少しも晴れなかった。クィレルを観察したかったのだ。

 

 全員で廊下に出た瞬間にハーマイオニーが明るい顔で言った。

 

「こういう時間こそ有効活用すべきよ。ちょうどいいわ、皆でニコラス・フラメルについて、ちゃんと調べましょう」

 

 ハリーが微妙な顔をし、ロンは露骨に顔をしかめた。二人ともフラメルについては飽きているのだ。

 最初からフラメルを調べる事に参加していないカティアはさっさと逃げ出した。

 

「またそれかよ! ハーマイオニー、もう何冊も見たじゃないか!」カティアの背後でロンが嫌そうな声をあげた。

 

「だからこそよ!」ハーマイオニーは力強く言い切る。

 

「普通の本に載っていないなら、もっと専門的な資料を当たるべきなの。制限区域の――」

 

 カティアは含み笑いをしながら、立ち入り禁止の四階の廊下へと足を向けてみた。

 本来ならば授業をしている時間帯のため、城内にはほとんど人の気配がない。石造りの廊下はしんと静まり返り、カティアの足音だけが大きく響く。

 

 やがて四階に差しかかり、問題の廊下へと近づいたその時だった。

 かすかな話し声が聞こえてきたため反射的に足を止めた。カティアはそっと壁際へと身を寄せる。

 

 角の向こうで誰かが話している。

 

「では、クィレルは三頭犬の対処法を知ったということじゃな」

 

 信じられないことに、これはダンブルドアの声だ。

 そして返事は低くねっとりとした声で返ってきた。

 

「はい。それは間違いないかと。しかしマクゴナガル教授のチェスで手間取っているようで――」

 

 スネイプだ。鍵のかかった扉の前で二人が立ち話をしていた。重苦しい雰囲気が廊下に漂っている。

 

 カティアは息を殺してゆっくりと後ずさった。

 会話が聞こえなくなる距離まで下がると、今度は物音を立てぬよう細心の注意を払いながら足早にその場を離れる。

 

 急いで階段を降り、走って廊下を曲がり、談話室まで一気に戻る。

 疲労困憊のまま暖炉前のソファに深く身を沈め、カティアは跳ね回る心臓を必死に落ち着かせた。

 

「………今のは、なに?」

 

 カティアの声が孤独に響く。

 そのまま数十分の間、カティアは頭の中で先ほどの盗み聞きを考え続けていた。

 

 分かった事は概ね三つだ。

 

 一つ目、スネイプは”白”だ。

 ダンブルドアとあのような会話を交わしている以上、スネイプが悪玉であるとはさすがに考えにくい。

 

 二つ目、クィレルは”黒”だ。

 厳密には断定出来ないが、ダンブルドアにあれほど強固に疑われているという事実は、彼が限りなく黒に近いことを示している。

 

 三つ目、ダンブルドアたちは『真犯人』を認識していない。

 実際のところ、ダンブルドアの言及する”三頭犬を突破してチェスで苦戦している人物”とは間違いなくカティアのことだ。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 少し間抜けにも見えるが、彼らの目線ではクィレルがあまりにも怪しすぎるのだろう。

 目の前にあまりにも怪しすぎる容疑者がいるため、それとは別枠で『養父母のため、唐突に賢者の石が必要になった一年生の女子生徒』が存在することを想定出来ないのだろう。そもそも生徒は賢者の石の存在自体を知らないはずなのだ。

 

 それ自体は非常に好都合で、カティアが警戒されていないのはありがたい。

 一方で、カティアはクィレルの存在が気がかりだった。

 なにしろ本人は、「自分がやっていない」ことを知っているのだ。

 

「……面倒なことになってきたなぁ」

 

 カティアは小さく嘆いた。

 クィレルだけは、自分以外の誰かが石を狙っていることに気づいている。

 そして残念ながら、彼が『真犯人』の正体に辿り着く可能性は決して低くはない。

 

 しかもカティアは曲がりなりにも三頭犬を突破している。

 もしクィレルが『君が夜な夜な石を狙っていることを校長に知られたくなければ、私に協力しろ』などと脅迫してきたら、カティアにとって非常に厄介な事態になる。

 

 さらに問題なのは、クィレルが石を盗んだ際に現場にカティアの痕跡を残される可能性だ。

 彼の疑いをすべて『人喰いナターシャの娘が本性を現した』という物語にすり替えられるのは御免こうむりたい。

 

 また、カティアが指示に従わなかった場合や、クィレルより先に石を手に入れると判断された場合、彼は容赦なくカティアを排除しにかかるだろう。

 賢者の石が世界に一つしか存在しない以上、最終的に互いが互いの障害となるのは避けようのない話だった。

 

 

 

 






  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。