銀髪美少女お嬢様(ワケあり)のホグワーツ生活実践編 作:トリスメギストス3世
石のある部屋からの撤退は骨が折れた。
最大の懸念はクィレルの容態だ。
ヴォルデモートの寄生状態から急に切り離されたのがよほどまずかったらしい。時間が経つにつれて彼の呼吸音が浅くなり続けるため、このまま死んでしまわないかとカティアは気が気でなかった。
おまけにハーマイオニーは眠ったままで、ロンは気絶から戻ってこない。
羽の生えた鍵が乱舞する部屋に置かれた箒を総動員し、動けない三人をなんとか運び出してやっとのことで城の中まで帰り着いた頃には、カティアとハリーは疲労困憊だった。
「ハーマイオニーだけじゃなくてネビルまで眠らせたの?」ハリーが言った。
ここへ突入する前にカティアが眠らせたパジャマ姿のネビルが、壁際で大きな寝息を立てて転がっていた。
「あなた達がここに来るまでに大騒ぎしてくれたおかげよ」
カティアはクィレルを引きずりながら、医務室へ向けて足を速める。
「ハリーを追いかけて大急ぎでここまで走ってきたら、今度はネビルが『アシュリーがお母さんを生き返らせようとしてる!』なんて具合で立ち塞がってくるんですもの。ねえ、誰かひとりぐらい私の言うことを信じてくれてもいいでしょ?」
「なるほど、どうやらわしは大遅刻してしまったようじゃのう」
ふたりは飛び上がった。
まだ戦闘の興奮が抜けていないカティアは反射的にローブへ手を突っ込んだが、杖を引き抜いた瞬間にそれは弾き飛ばされてしまった。
乾いた音を立てて、杖が石の廊下を転がっていった。
深夜の廊下に、長い緑のローブを着たダンブルドアが立っていた。不自然な姿勢で固まるカティアを無視してすぐにクィレルの傍に膝をついた。
ダンブルドアが杖を向けてぶつぶつと何らかの呪文を唱えはじめるのを、ハリーとカティアは呆然と見つめた。
「クィリナス……何ともまた愚かな……」ダンブルドアがそう呟いた。
数分も経った頃、ダンブルドアは唐突にすっと立ち上がると杖を振って複数の担架を作り出した。
クィレルとハーマイオニーとロンとネビルをそれぞれ乗せて宙に浮く担架には当惑したが、ダンブルドアが大股で歩き出したため慌てて追いかける。ハリーがカティアの杖を拾ってきてくれた。
「つまりクィレル先生は、ヴォルデモートと……あー、"共生"しておったということかの?」ダンブルドアが聞いた。
ハリーとカティアは目を見合わせた。
今のクィレルをひと目見ただけで、彼が少し前まである種の寄生状態にあったことを見抜いたのだろうか。
「はい。そうです」ハリーが答えた。「クィレルの頭の後ろからヴォルデモートの顔が飛び出ていて――」
「何とも嘆かわしい……どこか遠くにおる主の命令で動いておると思うておったが……」ダンブルドアは首を横に振った。「まさかそこまでとは思わなんだ……」
医務室につくとダンブルドアはカティアたちを廊下に待機させ、担架を引き連れて連れて部屋へ入っていった。
「ポンフリーも大仕事だね」ハリーは肩を竦めた。
全体的に置いてけぼりなカティアもどっちともつかない声を出した。
それから軽く一時間は待たされただろうか。ようやく出てきたダンブルドアはどこか穏やかな雰囲気だった。
「ふたりともおいで。もう夜も遅いが、わしとしても確認しなければならんことがあってのう」
彼は怒っているようには見えなかった。
ハリーとカティアを連れてダンブルドアはまた別の場所へ歩き出す。気が付けば三人はガーゴイルの像の前に立っていた。
「『フィフィフィスビー』」ダンブルドアは言った。
ガーゴイルに命が吹き込まれて脇へ飛び退いた。今のが合言葉に違いない。
その先には石の螺旋階段があり、三人が足をかけるとゆっくりと上へ動きはじめた。ダンブルドアは磨き上げられた樫の扉を押し開け、カティアたちを内部へ招き入れた。
「ふたりとも、お入り」柔らかい声だった。
カティアたちは身を寄せ合うように部屋の中へ踏み込んだ。
素晴らしい部屋だった。円形の空間にはホグワーツ歴代校長の肖像画がずらりと並んでいて、どの肖像画もぐっすり眠り込んでいる。彼らの頭が静かに上下していた。
周りを見回すと、棚の上には『組み分け帽子』が置かれていた。
大きな鉤爪脚の机の上には煙を吐いたりカチカチと音を立てながら回転したりする、奇妙な銀色の道具でいっぱいだ。天体観測や城のセキュリティ、あるいは特定の人物の監視などに使われているのだろう。
そして何よりもカティアの目を引いたのは、扉の脇の止まり木の上で眠る白鳥ほどの大きさの鳥だ。
かなりの老鳥だ。赤い羽はくすんで艶がなく、脚のウロコのような皮膚がかさかさしている。
「不死鳥……!」カティアは思わず声を上げた。
それを聞いたハリーが勢いよく振り返った。
全体的にくたびれた印象だったが間違いなく不死鳥だ。初めて見た。カティアたちの反応に気を良くしたのか、ダンブルドアは顔をほころばせた。
「その通りじゃ、ミス・アシュリー」ダンブルドアは紅茶のカップをふたりの前に置いた。「今は随分とくたびれておるが、本来は実に美しい鳥じゃよ」
興味津々なカティアとハリーだったが、肝心の不死鳥はとろんとした目つきで茫洋と見返してくるだけだ。
ダンブルドアはたっぷりと鑑賞時間を設けた後、控えめに咳払いをして注目を集めた。
「さて、君たちふたりと――ミスター・ロナルド・ウィーズリー、ミス・ハーマイオニー・グレンジャー、そしてミスター・ネビル・ロングボトムは――」
カティアはハリーと軽く視線を交わした。ハリーは小さく首を横に振る。白状するしか道はない。
「――わしが留守の間に、血沸き肉躍るような冒険をしたようじゃな?」
ハリーとカティアは、時系列順にそれぞれの経緯を話し始めた。
そして、秘密主義のカティアにはハリーに共有してない事項がたくさんあった。特に禁じられた森の話はハリーを驚かせた。
クィレルと交戦していたという部分でハリーは立ち上がった。
「言ってくれても良かったじゃないか!」ハリーは大きな声で言った。「それを教えてくれていたら、ぼくたちだってスネイプが犯人だなんて思わなかったのに!」
「クィレルは暗い森のなかで生徒に『死の呪文』を撃ち込んでくるような人間よ」カティアも負けじと言い返した。「スネイプを疑わせていたほうが安全だと思い直したの。少なくともスネイプはハリーたちを殺さないわ」
ハリーは納得出来ていないようだった。カティアはガチンと牙を打ち鳴らす。
「件の事件に関するマクゴナガル先生の報告では――」ダンブルドアが割って入った。「――森のなかで君を襲った『フードの男』の正体については不明とのことじゃったが……」
ここで厄介なのは、カティアが本当に石泥棒だったという点だ。
それを隠蔽するつもりなら、動機の説明には気をつけなければならない。
「ええ、私は確かにあの時点でクィレルが黒幕だと気づいていましたが――」カティアは表情を変えずに続けた。「――マクゴナガル先生には伝えませんでした。真犯人がクィレルだと告発すれば、こんどは自分が狙われると思ったからです」
直球の自己保身を盾にする。実際に嘘でもない。
半月眼鏡の奥からダンブルドアが見てくるのでカティアは落ち着かなかったが、彼は何も言わなかった。
「ごめんなさい、ハリー。だけどあなたたちに危険な目に遭ってほしくなかったのは本当よ……」カティアは素直な気持ちを打ち明けた。「いざとなれば話すつもりだったわ。……まさか、話し合う機会すら与えられないまま不意打ちされるなんて、夢にも思っていなかったけれど」
痛いところを突かれたハリーは言葉に詰まった。
その次は、クィレルに『カティアがナターシャを復活させようとしている』と吹き込まれたハーマイオニーの話だ。ダンブルドアの不在を知ったハーマイオニーが不意打ちでカティアに”金縛り術”をかけた一件を語るハリーのわき腹を肘で小突く。
「……お互い様じゃない」カティアは恨みがましく口を尖らせた。「ハリーだって酷いわ。この一年は何だったのよ。少しくらいは私に事情を聞いてみようとは思わなかった?」
「時間がなかったんだ……」ハリーは視線を泳がせた。「時間さえあれば絶対に確かめていたよ。でも僕たちはスネイプが石を狙っていると思い込んでいたし……亡くなったお母さんを生き返らせたいって話をハーマイオニーに聞かされて、つい信じてしまったんだ……」
「互いに許し合うことは理解への第一歩じゃ」ダンブルドアが重々しく宣言した。
かなり強引なまとめ方だとは思ったが、カティアは軽く肩をすくめるにとどめた。
「さて、となればわしはこの素晴らしい冒険譚の続きを聞きたいのう」
「………私は昨日の夕方に女子寮でハーマイオニーに"金縛り術"をかけられ、ベッドの下に押し込まれました」
カティアは渋々と語り始めた。
同室のパーバティが戻ってきたおかげで金縛りを解いてもらえたこと。ダンブルドアが魔法省の急用で不在だと知ったこと。ハリーたちが備えもないままスネイプを石泥棒と決めつけて、危険な仕掛けの奥へ踏み込んだと悟ったこと。さらには四階廊下でのネビルとの一件――。
「ほう!」
ダンブルドアの目がキラリと光った。
「ミスター・ロングボトムが、きみの行く手に立ち塞がったのかね?」
「はい。敵ながら見事な姿勢でした」カティアは素直に言った。「『人喰いナターシャが復活すれば、また多くの被害者が出る。絶対に先へは行かせない』――彼はそう言って、私に杖を向けてきました」
ロングボトム夫妻の事件をハリーは知らない。
カティアは慎重に言葉を選びながらダンブルドアにだけ伝わるように説明する。
「――それで魔法使いの決闘を行い、私はネビルを打ち倒しました。そして今度こそハリーを追いかけようとします」
ハリーの側の話も聞き応えがあった。ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人が力を合わせ、魔法の守りを次々と乗り越えたという内容だ。
「――ハーマイオニーがスネイプの仕掛けを解いてくれて、僕は最後の部屋に辿り着きました。そこにいたのはクィレルで……」ハリーはちらりとカティアを見た。
「ちょうどその頃、私はトロールの部屋でハーマイオニーと鉢合わせて……」カティアは渋い顔をした。「……出会い頭だったもので話すことも出来ない早撃ち勝負になってしまい、私は彼女を眠らせました」
その後の顛末はハリーが語るのに任せた。
クィレルが真犯人だったこと。鏡から石を取り出したこと。ヴォルデモートがカティアに「人喰い」の話を持ち出して勧誘したこと。ハリーの殺害を命じ、カティアがそれを拒んだこと。石の返却。そして最後に、クィレルからヴォルデモートが抜け出し、ハリーに触れて崩壊するクィレルの右腕をカティアが切断し、止血を施して四階廊下まで撤退したこと――。
ダンブルドアはしばらく黙って考え込んだ。
やがて老いた不死鳥が濁った声で鳴くとダンブルドアはゆっくりと顔を上げた。
「……何にしても、ヴォルデモートは何らかの形で……あー、"存続"していたわけじゃ」
ハリーとカティアは続きを待った。
「しかし、きみたちはヴォルデモートが復活するのを見事に阻止した! 素晴らしい……実にあっ晴れよ。わしはきみたちが誇らしい……」
ハリーは耳を赤くしたが、カティアは少し複雑な気持ちだった。
褒められることは嬉しい。しかし、善悪がどのように機能しようと、結局ダンブルドアはカティアの母を殺しているのだ。
ダンブルドアは意味ありげに重々と頷いてこう続けた。
「夜はまだ長い。まだまだ話を続けようぞ。今度はわしがきみたちの問いに答える番じゃの」
カティアは軽く目配せし、順番を譲る。
「えーと、つまりヴォル……"例のあの人"は――」
「ハリー、ヴォルデモートと呼びなさい。名前を恐れていると、そのもの自身への恐れも大きくなる」
「はい、先生。ヴォルデモートは『賢者の石』がなくとも、他の手段でまた戻って来られるのでしょうか?」
ダンブルドアは深々と息をついた。カティアも気になっていた問いだった。
「ハリー。あの者はいなくなったわけではない。どこかへ去っただけじゃ。今頃はまた別の、憑依できる体を探しておるだろう。あの者は本当の意味で生きているわけではないゆえに殺すこともできん」
冷静に考えてみるとかなり不可解な存在だ。いったいどのような魔法を使えば、霊魂ですらないそんな曖昧な状態になれるというのだろう。
「何らかの闇の魔術じゃろう。あの者は我々が想像だにしないような方法を探り当てたに違いない」まるでカティアの考えを読んだかのように、ダンブルドアが続けた。「寄生されて生命力を使い果たされたクィレル先生は、危うく命を落とすところだった。――それはさておき、ハリー。今夜きみたちがやったことは、ヴォルデモートが再び権力を手にするのを遅らせたに過ぎないのかもしれん。しかし、そうやって彼の狙いが何度も何度もくじかれ続ければ……そう、いつか彼は二度と権力を取り戻せなくなるかもしれんのう」
喜べばいいのか恐れるべきなのか判断のつかない話だった。ハリーも同じように感じたらしく、なんとも困ったような顔をこちらへ向けてくる。
次に、カティアは少し気になっていたことを尋ねた。
「では先生、鏡の中の石についてです。結局、あれはどういう仕組みだったのでしょうか?」
「おお、それは聞いてほしかった。しかしのう、カティア――"鏡の中に石を置く"という事を思いつくなら、すでに仕組みを見抜いておったのではないかね?」
「ある程度なら」カティアは認めた。「鏡像が現実を決定するという事は、鏡の中に石を置く姿を映せば現実の"石"が消失します。まあ取り出すだけの一方通行である可能性も否定出来なかったので賭けではありましたが……」
カティアはここで首を傾げた。
「でも結局――ハリーが取り出せた"石"を、私やクィレル先生は取り出せませんでした。この理由が最後まで分からなくて……私の"望み"は今の年齢と乖離した大人の姿でしたので、鏡像との同期に失敗していたたとかでしょうか?」
「きみはいいところを突いておる」ダンブルドアは穏やかに言った。「ここだけの秘密じゃがのう、カティア――あの鏡はな、『石』を見つけたいと思う者だけが手に入れられるように仕掛けてあったのじゃ。よいか、見つけたい者であって、使いたい者ではないぞ。さもなければ鏡に映るのは、黄金を錬成したり、命の水を口にする己の姿となる」
「……ああ、なるほど」カティアは合点がいった。「"石を手に入れる"と一口に言っても、"所有"と"使用"は別の状態として判定されてしまうということですね。そして必要なのは"所有する"方の鏡像であって……あれ?」
何らかの目的を持つ者の鏡像が"使用"に固定されることを利用したのなら、それは非常に上手い仕組みだ。
「鏡の前に立つ人が盗人である限り、石を"所有している"鏡像を映し出すのはかなり難しい……?」
「その通りじゃ」ダンブルドアはあっさりと言った。「何者も、己の心にだけは嘘をつけんからのう。石を使いたいと願う者だけは石を手に入れられない。あの鏡はそのように仕掛けてあったのじゃよ」
……つまり、カティアに勝ち目は最初からなかったのだ。
仮に誰よりも早くあの鏡の前に辿り着いていたとしても、カティアの目的が『ジョセフのために命の水を使うこと』である限り希望は無かった。
次はハリーが口を開いた。
「ダンブルドア先生。それでヴォルデモートはどうして僕を殺したかったんでしょう?」
カティアはとっさに顔をあげたが、ダンブルドアは深くため息をついた。
「ああ、ハリー。すまぬ。その問いには今日のところは答えてやることができん」
カティアは落胆した。ハリーが諦めきれずに口を開くより早く、ダンブルドアは静かに首を振った。
「今はまだその時ではない。時が来れば必ずわかる日がくるじゃろう……知らされたくないかもしれんが……」
ハリーは肩を落とした。
「では……どうしてクィレルは、僕に触れたところが焼け爛れたんでしょうか」
「君のお母上は、君を守るために命を捨てられた。ヴォルデモートがついぞ理解できなかったものがあるとすれば――それは、愛じゃ」
いきなり謎めいた話になった。
思い切り胡散臭そうな顔をするカティアへ向かって茶目っ気たっぷりにウィンクしながら、ダンブルドアは言葉を続けた。
「リリーの愛情は今もハリーの中に生きておる。目に見えるしるしのことではない――ハリーに深く注がれた無私の愛そのものが、力となるのじゃ。愛した者がこの世を去った後も、その力は永遠に愛された者を守り続ける。だからこそクィレルのように憎しみと欲望と野望に塗れた者、ヴォルデモートと魂を分かち合うような者はハリーへ触れることができぬ――」
カティアは、隣に座るハリーがふいに顔を伏せたことに気づかないふりをした。ダンブルドアもまた窓辺に舞い降りた小鳥にひどく心を惹かれたようだった。
「……おそらくその力こそが、まだ幼子であった君を、死の運命から救ったのであろう」
ダンブルドアはそう締めくくった。カティアは半信半疑もいいところだったが、その場でそれを口にするほど無粋ではなかった。
「あー、お母さん繋がりで聞いておきたいのですが……」カティアは別の質問をすることにした。
「クィレルに憑りついた"あの人"は、私に対して『人喰いナターシャ』の話をしてきました」
「ああ、そうじゃろうな……」ダンブルドアは重苦しく頷いた。「ナターシャ・アシュリーは死喰い人――ヴォルデモートに従う闇の魔法使いのことじゃが――その中でも重鎮中の重鎮でのう。ヴォルデモートにとっては、自らの栄光を思い出させるような懐かしい名前であったと思う」
カティアは少し苦笑した。リリー・ポッターによる高尚な愛の話の後だと酷い落差だ。
「あの人は私にはとても優しいお母様でしたよ。とはいえ、闇の政権下で『人喰い』がどのような立ち位置だったのかを私はあまり知らないのですが……」
ダンブルドアはじっとカティアを見つめた。
「それで、ダンブルドア先生から見た『人喰い』ナターシャはどういう存在だったのでしょうか? あなたが討伐者なのですから色々とご存じのはずでしょう?」カティアはチクリと刺した。
「……そうじゃな、確かに彼女は、敵でさえなければ素晴らしい人物じゃった」
ダンブルドアは少し躊躇った。
「カティア、君が母君を深く愛しておることは重々承知しておる。できることなら良い面だけを語ってやりたいが、『人喰い』による哀れな犠牲者たちのためにも、わしは彼女の暗い面も語らねばならぬ」
ダンブルドアはそう前置きした。カティアが静かに頷くと、両目を閉じてゆっくりと語り始めた。
「『人喰いナターシャ』は決して最強の怪物というわけではなかった。隔絶した魔法力で無敵に近かったヴォルデモートとは異なり、闇祓いの部隊があと一歩というところまでナターシャを追い詰めたことも数度ある。しかし、魔法力そのものはヴォルデモートの方が圧倒的に上であるにも関わらず、『人喰い』はある意味においてヴォルデモートよりも危険な存在じゃった……」
ダンブルドアは硬い声で続ける。
「『人喰い』ナターシャは純吸血鬼で、その本質は二つ名の通りの"捕食者"であったと思う。彼女が行うのは生存本能に従った食事であり、悪意に基づいた殺人という側面は無かった。しかし『人喰い』はとにかく大食いで、彼女による犠牲者の数は他の死喰い人が出す犠牲者の総数に匹敵した。広がる吸血鬼化、亡者を操る習性——我々とは絶対に分かり合えないと思わせるような何かを、彼女は確かに持ち合わせておった」
この辺りは聞き覚えのある話だった。カティアも否定はしない。
ただ、吸血鬼というものは生態からしてこんなものだ。その本能をあますことなく実行できるだけの力が、ナターシャに備わっていたというだけとも言える。
「しかしナターシャには、ひとたび身内と定めた者が窮地に陥れば、利害も善悪も顧みずに必ず助けへ向かうという一面があった。闇祓いが包囲する真昼間の荒野を単身で強行突破し、全身の大火傷を強引に再生させながら舎弟を連れ帰る。……彼らがナターシャをいかほど信頼しておったか、もはや語るまでもなかろう」
カティアは思わず首を傾げた。実の母親にそのような印象は薄い。
「お母様ってそんな感じでしたっけ……?」
「娘が産まれてから、彼女は君のことだけを見るようになったのじゃよ」
ならばその"舎弟"たちは、なぜ孤児になったカティアを助けてくれなかったのだろうか。
カティアはさらに首を捻ったが、ダンブルドアはそれ以上説明しようとはしなかった。
「ところで先生、『賢者の石』は結局どうなるのですか?」ハリーが身を乗り出して尋ねた。
「ふむ。まず、『賢者の石』がわしの旧友ニコラス・フラメルの所有物だということには辿り着いておるの?」
ハリーもカティアも頷いた。
「よろしい。石はもともと、グリンゴッツ魔法銀行の最高機密金庫に保管されておった。しかしニコラスがヴォルデモートの動きを察知してわしに相談し、去年の七月末、ハグリッドに命じて石を回収させた……」
「そしてその日のうちに、クィレルが七一三番金庫に侵入した」ハリーが口を挟んだ。
「その通りじゃ。ハグリッドが石を持ち出してからわずか数時間後のことじゃった。移動がほんの少し遅れておったなら、あの時点で石はヴォルデモートの手に渡っておったじゃろう」
不死鳥が濁った鳴き声をあげた。痰が詰まったかのような声だった。
「紙一重じゃった。そこでわしはすぐさまホグワーツ城の奥深くに強固な仕掛けを構築し、石を守る体制を整えた。しかし結果としてクィレルとヴォルデモートによって守りは突破され、君たちがいなければ最悪の結末を迎えるところじゃった。石がこの世に存在し続ける限り、ヴォルデモートは何度でも、いかなる手段を用いてでも奪いに来るじゃろう……」
しばしの沈黙が部屋を満たした。壁に掛けられた歴代校長の肖像画が何枚か、こそこそと隣の額縁へ移動しているのがカティアの目に入った。
ダンブルドアは静かに指を組み合わせる。
「……石はわしの所有物ではない。ゆえに、これ以上はここでは答えてやることができん」
「十分です。ありがとうございます、ダンブルドア先生」ハリーは素早く言った。
何となく、ハリーとカティアで交互に質問する流れができていた。
実はダンブルドアに聞きたいことはある。カティアはしばらく思い悩んだが――ハリーの隣に座っていることが気恥ずかしい内容なのだ――ずっと以前から心の底に沈めていた問いを、とうとう口にすることにした。
「……ダンブルドア先生。その……私の父について、何かご存知ではないでしょうか」
ダンブルドアの顔にかすかな影が差した。
「カティア。それが誰であるかは、わしにも分からぬ」
「……そうですか。大丈夫です。あまり期待はしていませんでした」
マグルなのか魔法使いなのかも分からない。今どこにいるのかも知らない。
かつて父のことを尋ねたとき、ナターシャは苦笑いをしながら『放っておけない人だったのよ』とはぐらかしたものだった。今になって思えば、たぶん、幼いカティアに聞かせるような話でもなかったのだろう。
そして結局のところ、父はカティアを助けに来てくれなかった。
彼はもう死んでいるのか。見捨てたのか。それとも――
「――私のことを知らないのかな……」
膝の上で両手をそっと重ねた。俯いたその顔に、二人が気づかないでいてくれればいいのに、とカティアは思った。
―――――――――
「だから言ったじゃないか!」ロンがハリーの背中を平手で叩いた。
昼の医務室は陽射しが差し込んで明るく、消毒液の匂いがする。
マクゴナガルの巨大チェスで敵のビショップに殴られ気絶していたロンがようやく目を覚ましたという知らせを受けて、ハリーとカティアはすぐさまお見舞いに駆けつけた。
起き上がるなり事の顛末を聞かされたロンは、お見舞い品の百味ビーンズを一粒つまんで口に放り込みながら大げさに肩をすくめた。
「クィレルだなんて……マーリンの髭! 驚いたなあ……てっきりスネイプだとばかり思ってたのに……」
ロンは次のお菓子に手を伸ばした。
「だけど僕はカティアを疑う前にまず話を聞いた方がいいって言ったんだ。なのにハーマイオニーときたら、そんな時間はない、今すぐ気絶させるべきだの一点張りで——」
「ロン! あの時はあなただって賛成したじゃない!」
すべての責任をなすりつけられそうなハーマイオニーの声が割り込んだ。
隣のベッドのカーテンがさっと開き、ピンクのガウン姿のまま顔をのぞかせせてくる。
「ダンブルドアが戻るまでの辛抱だって、みんなで決めたじゃないの! ね、ハリー? そうでしょう?」
「う、うーん……」ハリーは視線をさまよわせた。
ロンとハーマイオニーの不毛な言い合いを眺めているうちに、カティアはなぜか少し元気が出てきた。ロンのテーブルに積み上げられたお見舞い品からこっそり蛙チョコをくすねる。
「——試験が終わってほっと一息ついていたら、いきなり君が真っ青な顔で飛び込んできて、『カティアが犯人だ、今夜ダンブルドアがいない、どうしよう』ってまくし立てるんだ。そりゃ僕たちだって混乱するさ。おまけに僕たちが女子寮に入れないのをいいことに、君が勝手にカティアに"金縛り術"を——」
「勝手になんかしてないわ! ロン、あなただってスネイプを止めなきゃって——」
「まあ、実際のところ」
適当なところでカティアが割り込んだ。
三人の視線が自分に集まったのを確かめてから皮の肩掛け鞄に手を差し入れ、折り畳まれた紙の束を取り出した。巨大チェス対策の『カンニングペーパー』だ。
それをロンに手渡すと、ハーマイオニーに向けてウィンクしてみせた。
「実はね、クィレルが言っていたことも、まったくの見当違いじゃなかったのよ」
「えっ?」
三人の声が重なった。
ロンが弾かれたようにカンニングペーパーを広げる。魔法で駒が動く図式化されたチェス盤の絵を目にした途端、ハーマイオニーははっと顔を上げた。
「カティア、あなた……もしかして——」
「私が一人で巨大チェスを突破したことについて、誰も不思議に思わなかったのかしら。だからこういうズルが必要だったのよね………」
カティアのチェスの腕前は、ロンよりもずっと劣る。三人ともよく知っていた。
そこでようやくハリーとロンも合点がいったらしい。ふたりは口をぽかんと開けたまま、呆然とカティアを見つめた。
「……カティア、まさか本当に、石を盗もうとしていたの?」ハリーはかろうじて声を絞り出した。
カティアはくすくすと笑い、人差し指を唇にあてた。
「少なくとも、お母様を甦らせようとは考えていなかったけれどね。実はジョセフ——私を育ててくれたマグルの養父のことだけれど——彼が身体を悪くしていて、それを治すために『賢者の石』が必要だったの」
ロンの視線が、手元のルーズリーフとカティアの顔とを何度も行き来した。
「おったまげたなあ……。だけど、どうして話してくれる気になったんだい? それってダンブルドアにも言ってないんだろ?」
「友達だからじゃない?」カティアはふと目を細め、陽射しを避けるように椅子を引いた。「とにかく、『賢者の石』を狙うのは諦めたの。どちらにしても"みぞの鏡"の仕掛けは私には突破できないし。……でも、ここで話したことはみんなには内緒よ?」
三人が神妙に頷くのを見て、カティアは満足した。
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