銀髪美少女お嬢様(ワケあり)のホグワーツ生活実践編   作:トリスメギストス3世

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026:運命の出会い

 いつの間にか暦も八月に突入し、長い長い夏休みもついに折り返し地点を迎えていた。

 

 他の多くの子供たちと同じように、カティアは夏休みが好きだった。

 高齢の養父母と過ごす穏やかな時間をたくさん確保できるからだ。耳の遠い彼らに向かって大声で話すことや、彼らが稀に語る昔話に耳を傾けることはいつだって心温まる時間だった。

 

 しかしそのためには、ホワイトホール家の養女としての責任を果たさなければならない。

 そして八月はホワイトホール家にとって慌ただしい季節だ。ガーデンパーティー、慈善団体のバザー、社交的な昼食会——そういった行事がどこかしらで連日のように開催される。もちろんカティアは可能な限り多くの集まりに笑顔で顔を出した。

 面白くもない会話に相槌を打ち地域の有力者や議員たちと言葉を交わし続けるうちに、気がつけば魔法界のことなど半ば忘れかけるくらいに、毎日の予定がマグルの社交行事で埋め尽くされていた。

 

 そしてその夜は、四つの——どれもうんざりするほど退屈な割にどれも欠席するわけにはいかない——集まりをこなした後の夜だった。

 

「あーもう!!!」

 

 屋敷の明かりが落ちた深夜、カティアは自室の窓辺に駆け込むなり絶叫した。

 ハイゲイトの屋敷で待機中のヘドウィグとエロールが、止まり木の上で飛び上がる。

 

 きつく締め上げたドレスのホックを乱暴な手つきで外し、レースの手袋を引き剥がしてそのへんに投げつける。豪華な宝石がちりばめられたブローチをベッドの上に叩きつけ、複雑に結い上げられた髪を無理やりに解いた。くるくると束ねられていたロングヘアが滝のように肩へと流れ落ちる。

 

 ドレッサーの前に乱暴に腰を下ろして鏡越しに自分の顔を眺めると—、真紅の瞳が暗闇の中で爛々と輝いていた。感情の制御が効かなくなっている印だ。

 

 今日は本当にひどかった。

 出会う人は全員酷かったが、なかでも最悪だったのがウェイバリー=スミス婦人だ。とにかく噂話が大好きで、格下と見なした相手にはとことん高圧的に振る舞う手合いの人間なのだが、今日はよりによって彼女に捕まってしまった。

 自慢話やら悪口やらを数時間にわたって聞かされるのも最悪だったが、事あるごとに『カティアはお父様はどちらの方でしたかしら。確かロシアご出身でしたっけ?』と言った具合の質問を挟み、悪意をもってこちらの出自を探ってくるのが最悪だった。

 

「あのババア、次あったら本気の本気で絶対に殺す……!」

 

 もちろん実際にはそんなことはしない。

 カティアが自制を諦めるのは簡単だが、それで困るのはホワイトホール夫妻の方だ。

 

 そういう意味ではカティアは相当なお利口さんだ。誰が相手でもどんな話をされても、それをこの世で一番興味深い話であるかのように聞き続けることができる。しかしそれは「できる」というだけの話であり、嫌な相手に何時間も笑顔で応対し続けるのは疲弊して消耗するものだ。

 

 それでもカティアはマグルが好きだった。

 魔法を持たずとも逞しく生きる彼らは、多くの魔法使いよりも進歩的で貪欲だ。その向上心と行動力には素直に感心させられる。もっとも、それは同時にマグルの醜さとも表裏一体だ。見栄や虚栄、体面への執着――世間では立派とされる大人たちのそうした姿を間近で目にするのは、何度経験してもあまり気持ちのいいものではなかった。

 

 カティアはしばらく机に突っ伏して呻き声をあげていたが、やがて諦めたようにのろのろと立ち上がった。

 どれだけ叫んでも、どれほど腹を立てても、明日になればまた退屈な社交行事が待っている。しかもそれは、生まれながらのお嬢様たちとは違い、自分自身で選び取った道だった。

 それを理解していても、叩きつけたブローチや投げ捨てた手袋を拾い集める作業は、ひどく惨めで情けない気分にさせられた。どうしようもない虚しさが心に蓄積されていく。

 

 しかし結局はシャワーも浴びないといけないし、髪も乾かさないといけない。

 明日の予定を頭の中に並べながらクローゼットから寝間着を引っ張り出していると、開け放した窓からばさばさと羽音を立てて一匹の蝙蝠が飛び込んできた。

 

「あっ……!」

 

 蝙蝠はカティアの机の上にぱたりと降り立つと、くるりと一回転して便箋の姿に戻った。

 それは、カティアが五日前にロンとハリーに送った手紙の返事だった。 どうやらカティアの“コウモリレター”は誰にも捕まることなく、ここからウィーズリー家が存在するデヴォン州までの往復を成功させたらしい。

 

 それは折り返しの手紙で、ロンのものと思われる走り書きがびっしりと書き加えられていた。

 

―――

 

 エロールのこと本当によかった。みんな本当に安心しているよ。

 

 カティアの提案、僕もハリーもオーケーだよ。ヘドウィグとエロールの面倒を見てやってくれ。

 ダイアゴン横丁には来週の水曜日に行く予定だよ。そこで直接ふくろうを受け取ろうと思う。

 

 ひとつお願いがあるんだけど、ヘドウィグもエロールもこっちにいないからハーマイオニーには連絡できないんだ。悪いけど、ダイアゴン横丁でハーマイオニーにも会えないか君から聞いてくれないかな。

 

―――

 

 手紙を読み終えたカティアは、軽く息をついた。

 ロンはハリーと額を突き合わせて大急ぎでこれを書いたに違いない。そこら中にインクの染みが飛び散っている。

 

 思えば僅か一ヶ月前にも関わらず、ホグワーツで過ごした日々が遠い昔のようだった。

 どこかで鴉の声がした。窓枠に肘をついてロンドンの夜空を見上げても、街の光に滲んで星はほとんど見えない。

 

 来週の水曜日。ダイアゴン横丁。

 意地悪な婦人も憂鬱なお茶会も一気にどうでもよくなってしまい、カティアはため息をついた。ふと顔を向けると、エロールはもう眠っているのか止まり木の上で丸く縮こまっていたが、ヘドウィグはぱちりと目を開けてじっとこちらを見つめていた。

 

「来週の水曜日ですって。あなたのご主人様に会えるのは」

 

 ヘドウィグはふわりと羽を広げて身体を振ってみせた。

 

――――――

 

 ダイアゴン横丁へ向かう水曜日の朝のことだった。

 

 ロンドンの夏の朝はやはり特別だ。

 これまで多くの国や街を訪れてきたが、石畳の冷気と露店のパン屋から漂うバターの香りがこれほど似合う場所は他にない。カティアはホワイトホール邸の大きな鉄の門扉の上に腰かけ、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。脚をぶらぶらと揺らしながら石畳の向こうに続くいつもの通りを眺める。

 

 今日はハーマイオニーとここで待ち合わせた上で、リムジンでチャリング・クロス通りへ向かう予定だ。

 もちろん、ホワイトホール夫妻を連れていくつもりはない。ダイアゴン横丁へ連れていくわけにはいかないという事情もあるが、それ以前に近頃の彼らは家業でてんてこ舞いだった。

 

 なんでも、投資家のジョージ・ソロスがポンドの空売りポジションを構築し始めたとのことだ。

 養父母を含めたロンドンの地主層はその対応に必死だった。カティアもジョセフの力になってあげたいのは山々だったが、問題がマグルの複雑な金融情勢となってしまうと手も足も出ないというのが正直なところだ。そもそも空売りって何だろう。

 

 手持ち無沙汰のまま、カティアは傍らの石造りの門柱に目をやる。

 そこには大きな鳥かごが二つもぶら下がっていた。かごには一羽ずつふくろうが収容されていて、今回はこれを飼い主たちに引き渡すのが一番の目的だ。片方のヘドウィグは狭いかごの中から不満そうに琥珀色の目を向けてきた。

 もう片方のエロールが収められたかごをのぞき込むと、彼は隅でぐったりと横たわったまま生きているのかどうかさえ怪しい。

 

「ダメよ、エロールお願い。ロンに渡すまで絶対に生きていてね。本当にお願いだから」

 

 かごの隙間からエロールを突いて生存確認をする。

 何とか息はあったが、いつ事切れるかわからなくて本当におっかない。彼の心臓が動いている内に一刻も早くウィーズリー家に引き渡したくて堪らない。そんなカティアの願いが通じたのか、ちょうどそのときハーマイオニーがホワイトホール邸の門前に姿を現した。

 

 カティアは大きく手を振る。

 

「おはよう、ハーマイオニー! こっちよ!」

 

 鉄門の上から身を乗り出して声をかけると、ハーマイオニーはぴたりと足を止めた。

 ぽかんと口を開け、思いきり怪訝そうな顔でこちらを見上げる。カティアの顔からつま先へ、つま先から顔へと視線が何往復かした後、ハーマイオニーはゆっくりと首を傾けた。

 

「えーっと……もしかして、カティアの妹さんかしら」

 

「あら、この姿はまだ見せたことがなかったかしら」

 

 ふくろうのかごをひとつずつ両手に掴むと、門の上からひらりと飛び降りる。

 石畳の上に音もなく着地したカティアは、まだ状況を飲み込めていない様子のハーマイオニーをまっすぐに見上げる。普段はカティアより少し背が高い程度のハーマイオニーだが、今はまるで大人のように見えた。

 

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「じゃあ……姪っ子さん、とか?」

 

「そんなわけないでしょう? 私は一人っ子よ。私の生い立ちで兄弟姉妹がいたらとっくに話題にしているはずだわ」

 

 ここでようやく目の前の女の子の正体に合点がいったらしいハーマイオニーの口が、打ち上げられた魚のようにぱくぱくと動いた。

 

「か、カティア……? まさかカティアなの?」

 

「そんな怪物の正体が実は知り合いだったみたいな反応をされても……」

 

「だ、誰にやられたの? 大丈夫?」

 

「誰かに攻撃されてこんな姿になったわけじゃないのよ?」

 

 カティアは苦笑して目を閉じ、一瞬だけ息を止めた。

 次の瞬間、しゅるりと影が揺らぐような感覚とともにカティアの体は慣れ親しんだ十二歳の体格へ戻っていく。

 

「あのねえ」カティアは呆然とするハーマイオニーを見据えて腕を組んだ。「私が魔法使いだらけのダイアゴン横丁になんの対策もなく行けるわけがないでしょう? 私は『人喰いナターシャ』の娘なのよ?」

 

 普段の姿でダイアゴン横丁なんか歩いた日には、そこら中から呪いをかけられて収拾が付かなくなる。

 ハーマイオニーはしばらく目をぱちくりとさせていたが、やがて生来の知識欲が溢れ出してきたのか興味津々で身を乗り出してきた。

 

「……カティア、あなたってまさか『七変化』なの?」

 

「残念だけど『七変化』ではないわ。使えたらとても便利そうよね、あれ」

 

 首を振り、もう一度自分の姿を六歳ほどにまで縮める。

 

「私は先天的な『変齢者(エイジシフター)』なの。自分の年齢を自由に変更できる、って言ったら伝わるかしら」

 

 変身能力としては『七変化』の下位互換といえる。

 年齢を変更出来る『変齢者』は、それ単体では自分自身の外見から逃れられないからだ。

 

「だけどそんな力を持っている人なんて聞いたことが無いわ!」

 

「……若さを保ったり老いを受け入れなかったりする特性は吸血鬼共通のものだもの。老婆の吸血鬼が人間の血を吸ったら若い頃の姿に戻れたりとか、そういう力の派生なのかもね」

 

 工夫次第で年齢を条件にとった魔法を誤魔化せるのは『七変化』にはない長所でもある。例えば、魔法省の『未成年魔法検知呪文』などだ。

 ハーマイオニーと話していると、規則正しく近づいてくる靴音があった。

 

「これはこれは……カティアお嬢様……?」

 

 石畳の上に長い影を落としたのは、白手袋にモーニングコートという出で立ちの老使用人だ。

 いつもの“じいや”だ。彼は普段と変わらない無表情のまま、目の前の六歳児を頭のてっぺんから爪先まで静かに見下ろした。

 

「モートン、貴方はジョセフおじい様の方に付いていなくていいの? 資産の保持がどうとかであちらは正念場でしょう?」カティアは腕を組んだ。

 

「はい。文字通りの鉄火場でございます。しかし本日はお嬢様と御学友のお嬢様の送迎をするようにと——」

 

 モートンはハーマイオニーに向かって深々とお辞儀した。

 

「——当主様のご指示です。初めまして、グレンジャー様。お嬢様がホグワーツにて、日頃より大変親しくしていただいていると伺っております。当主ジョセフより、本日はお嬢様方のダイアゴン横丁への送迎を仰せつかりました。ウィリアム・モートンでございます」

 

 ハーマイオニーは、突然現れた完璧な身なりの執事に少し面食らった様子だったが、すぐに背筋を伸ばして礼儀正しく返した。

 

「はじめまして。ハーマイオニー・グレンジャーです。カティアには普段から色々と助けられています」

 

 ハーマイオニーは精一杯の微笑みを浮かべた。

 丁寧な言葉遣いが老使用人のお眼鏡にかなったのか、モートンはわずかに目を細めて微笑んだ。

 

「お嬢様は、親しい方には大変お優しい方でございますから。……グレンジャー様、本日は少々ばかり暑くなりそうでございます。道中、お飲み物のご要望がございましたら遠慮なくお申し付けください」

 

 一拍おいて、彼は改めてカティアへ視線を戻した。

 

「………それにしても、お嬢様……なんともまあ………随分と小さいお姿に……………」

 

 いかなる時も動じないホワイトホール家の老使用人でも流石に困惑が言葉に出ていた。

 傍で見ていたハーマイオニーが焦り始める。

 

「か、カティア! 大丈夫なの? この……えーっと、運転手さんはマグルの方でしょう……!」

 

「魔法の秘匿のことなら気にしなくていいわ」

 

 カティアが軽く視線を向けると、老使用人はすかさず言葉を継いだ。

 

「ミス・グレンジャー様、私は魔法と呼ばれる力は扱えませんが、カティアお嬢様の事情は知らされております」

 

「保護者みたいなものね」とカティアが言った。「ジョセフおじい様とマーサおばあ様は何かと多忙だから、こういう大人がそばにいてくれると私も助かるのよ」

 

「この屋敷では私以外にも数多くの使用人が出入りしておりますが、その大部分はカティアお嬢様の正体を知りません。そして何かと噂話が大好きな彼らから色々と不都合な事実を隠すのが私の職務でございます。例えば、『一瞬で治るお嬢様の切り傷』といった目撃情報を、真偽不明の噂のまま沈静化させるといった具合です」

 

 つまり彼こそが、この屋敷で最も信頼された使用人ということだ。

 ハーマイオニーは改めてモートンをまじまじと見た。白髪に深い皺。背筋は定規で引いたようにまっすぐだ。

 

 モートンこそが、ホワイトホール家を守る番犬だ。

 ちなみにここへ来た当初、カティアは彼を相手に非常に激しい暗闘を繰り広げる羽目になったことがある。ホワイトホール夫妻を魔法で丸め込んで養女に潜り込んだせいでホワイトホール家を惑わす悪女として目を付けられたカティアは、家を守ろうとするモートンによって相当なトラウマを負わされたものだ。

 マグル相手にあれほど追い詰められる経験は、カティアの人生でおそらく二度と訪れないだろう。

 

「そ、そう。なら心配いらないのかしら」

 

「その通りでございます、グレンジャー様」

 

 それから十五分も経てば、じいやが運転席に収まったリムジンの後部座席に、二人は並んで腰を落ち着けていた。革張りのシートは広く、ふくろうのかごを二つ足元に置いてもまだ余裕がある。

 リムジンがゆっくりと加速するなか、ハーマイオニーがいそいそとポケットから取り出したのはホグワーツから届いた新学期の教材リストだ。

 

「ねえカティア、今年の教科書ってちょっとおかしいと思わない?」

 

「ああ、ギルデロイ・ロックハートとかいう人のこと?」カティアは相槌を打った。

 

 同じリストはカティアのもとにも届いていた。そして今年は、ミランダ・ゴズホーク著の『基本呪文集』を除けば、教材リストに並ぶ本の著者が全てギルデロイ・ロックハートという同一人物なのだ。

 

 ハーマイオニーはどこかうっとりした顔でリストに目を落としながら言った。

 

「これだけ沢山の本を書かれるなんて……きっと凄い方なのよ!」

 

 カティアはどっちつかずな声を返した。

 ギルデロイ・ロックハートが何者なのかは知らないが、『バンパイアとバッチリ船旅』などという本を出すような男と趣味が合うとは到底思えなかったからだ。

 

「教科書以外に買わないといけないものはある?」カティアは話題を変えた。

 

「そうね、ローブのサイズが合わなくなってきたから買い換えないと。あとは魔法薬の材料で足りなくなってきたものが―――」

 

 ハイゲイトからチャリング・クロス通りまではそれほど遠くない。

 リムジンはほどなくして古ぼけたパブの前に停まり、それぞれふくろうのかごを抱えたカティアとハーマイオニーは暗い路地へ降り立った。

 

「それではお嬢様、どうか危険なことはなさらずに」モートンが念押しした。

 

「私からすることはないんだけれどね……」

 

 基本的にトラブルは向こう側からやってくるものだ。

 面倒事が起きないよう祈りながら、カティアはチャリングクロス通りに踏み出した。

 

 目的地のパブは薄汚れた外観をしていた。足早に道を行き交う人々はパブの隣にある本屋から反対隣のレコード店へと視線を流し、真ん中の酒場にはまるで目もくれない。これはマグル避け呪文特有の挙動だ。

 

「『漏れ鍋』よ」ハーマイオニーが説明した。

 

 カティアにとっては初めての場所だ。

 重い木の扉を押し開けると、たちまちタバコの煙とビールの匂いが混ざり合った空気が押し寄せてきた。カウンターの向こうでは禿頭の老いた主人がグラスを磨いており、隅のテーブルではローブ姿の魔法使いたちが思い思いに杯を傾けている。

 

 二人は足早に店内を突っ切った。

 数人がふくろうのかごを抱えた六歳児に物珍しそうな視線を向けてきたが、それだけだった。呼び止める者もなく、声をかけてくる者もない。

 カティアはかごをしっかりと抱え直してハーマイオニーの背中を追い、裏口を抜けるとそこは薄暗い中庭だった。

 

 ハーマイオニーは杖を取り出し、目の前の煉瓦の壁を軽く三回叩いた。

 すると煉瓦がひとつ、またひとつとうごめき始め、中央に開いた小さな穴がみるみるアーチ型に広がっていく。

 

「へえ、本当はこういう方法で来るのね」カティアは感心して言った。

 

「ええ。去年は入学前にマクゴナガル先生と一緒に来たの。……カティアはどうやってダイアゴン横丁に来たの? 入学前の話だけど」

 

 壁の向こうには、眩しいほどの光と喧騒が広がっていた。

 思い返せば前回ここに来たのは今から一年と少し前のことだ。アーチをくぐり抜けながら、カティアはくつくつと笑った。

 

「"姿くらまし"よ。ダンブルドアと一緒にね」

 

「姿くらまし……って、ダンブルドア先生と?」ハーマイオニーが足を止めて振り返った。

 

「そもそも当時の私は、魔法界の追跡を完全に振り切れたと思っていたからね。お母様の討伐者であるアルバス・ダンブルドアがハイゲイトの玄関先に現れた時は、大真面目にその日が命日かと思ったものよ」

 

 ハーマイオニーの表情が曇った。

 どうにも話が暗くなっていけない。カティアは軽く話題を切り替えた。

 

「ハーマイオニーは? 純マグル生まれのご家庭って、最初にホグワーツの先生が来た時にどういう反応をするものなの?」

 

「パパとママはとんでもないペテン師が来たと思ったみたいよ」

 

「まあ、そうなるでしょうね……」

 

 二人はマダム・マルキンの店の前を通り過ぎながら話し続けた。

 周囲の魔法使いはハーマイオニーとカティアを姉妹か何かと解釈しているようで、誰も話しかけてこない。

 

「だけど私はすぐに魔法を信じたわ。昔から色々と変なことが起きていたから……自分には何か特別な力があるって、ずっと分かっていたもの」

 

「ふうん、そういう感じなんだ……」

 

 生まれた瞬間から魔法と共にあったカティアには少し掴みどころのない感覚だった。生まれたときから身近な大人が当然のように魔法を使っているためそれを"特別な力"として意識することがないのだ。これはロンを含めた大抵の魔法族の子供も同じだろう。

 

「ところで、ハーマイオニーは自分が魔女だと知る前にどんな現象を起こしていたの?」

 

 幼い魔法使いが杖も使わず無意識に引き起こす魔法は、やはり特別なものだ。興味津々なカティアを見て、ハーマイオニーは嬉しそうに語り出した。

 

「一番好きだった絵本にお茶を零して泣いていたら、気が付いたら絵本が直っていたりとか——」

 

「わあ、素敵ね!」カティアは歓声を上げた。

 

 いかにもハーマイオニーらしい『意図せざる魔法』だ。

 とても微笑ましい。カティアがにこにこしながら聞いていると、ハーマイオニーはこう続けた。

 

「あとは、私をからかってきた意地悪な男の子の自転車のタイヤを、走っている途中で外しちゃったりとか……」

 

「危ないね?」カティアの笑顔が引きつった。

 

「私の教科書を隠したクラスメイトの女の子のカバンの中身が、全部木の板になっていたこともあったわ」

 

 ……マグルの学校で、ハーマイオニーはあまり上手くやっていなかったのだろうか。

 入学当初の彼女を思い出して内心ではさもありなんと思いながらも、カティアは何も口にしなかった。代わりに視線を前へ向ける。

 

 気が付けば、ひときわ高くそびえる真っ白な建物が見えてきていた。小鬼が管理するグリンゴッツ魔法銀行だ。

 カティアもハーマイオニーもまずはマグルのお金を魔法族のお金に両替しなければならないため、最初の目的地はここだ。ホワイトホール夫妻が一年分のお小遣いとして相当な額を持たせてくれたので、カティアは内心ほくほくだった。

 

 二人が白い石段を上がり始めたとき、カティアはふと横を歩くハーマイオニーのかごに目をやった。

 

「私も動物を飼おうかしら……一応おじい様にも許可は貰っているのだけれど……」

 

 かごの中のヘドウィグがこちらを見返した。

 もっとも、彼女は最近カティアにご立腹だった。預かっている間、中々外に出せなかったのだ。

 

「カティアは何を飼うつもりなの?」ハーマイオニーもヘドウィグを見た。「やっぱりふくろうよね。私もほしいの。綺麗だし役にも立つわ……」

 

「んー……ふくろう便は魔法で代用ができるから……」

 

 最近はふくろう便の脆弱性を意識する機会が多かったこともあり、ふくろうはどうにも乗り気になれなかった。

 

 グリンゴッツで両替を終えると、二人は通りを渡って「魔法動物ペットショップ」へと向かった。

 

 ペットショップの中は狭苦しかった。壁はびっしりとケージで覆われ、獣と藁と魚っぽさが入り混じった独特の匂いがした。おまけにケージの中の生き物たちが一斉に大騒ぎしているので、店内はひどくやかましかった。

 巨大なヒキガエルが死んだクロバエを飲み込んでいた。宝石だらけの大ガメが甲羅をきらきらと輝かせている。毒々しい色のカタツムリがガラスの壁面をはい回っていたし、太った白ウサギはポンと大きな音を立てながらタロットカードに変身したり元のウサギに戻ったりを繰り返していた。

 

「見てカティア! 可愛い!」

 

 ハーマイオニーが駆け寄っていったのは、球形の毛玉の塊みたいな生き物だった。

 ピンクの舌をちろちろと見せるこの珍妙な生き物はパフスケインだ。飼いやすく手もかからないらしい。ロンもかつて飼っていたとのことだが、その子はフレッドに練習用ブラッジャーとして扱われ死んでしまったという洒落にならない思い出話が妙に印象に残っている。

 

「あー……」カティアは乗らない声を出した。「私ってマグルのお屋敷に住んでいるから、事情を知らないマグルが見ても不思議に思わない子がいいのよ……」

 

 そういう意味では、パフスケインほどではないにせよふくろうも条件に合わない。

 猛禽類は高度な訓練と専門知識が必要で、初心者が気軽に飼える生き物ではないというのがマグルの常識だ。ヘドウィグとエロールをホワイトホール邸に匿うときにも、カティアは言い訳に相当苦労した。

 

 カティアは周囲をぐるりと見回して、希望を口にする。

 

「私は昔から犬が好きなの……」

 

「犬ってホグワーツで飼えるのかしら。あまり見たことがないわ」ハーマイオニーが首を傾けた。

 

 確か禁止はされていなかったはずだ。

 しかしカティアもハーマイオニーも、ホグワーツではファングとフラッフィー以外で犬を見かけたことがなかった。猫を飼っている生徒は時々いるが、この違いはおそらく——。

 

 ハーマイオニーが腕を組んだ。

 

「毎日散歩に連れていかなきゃいけないっていうのが、ホグワーツでの学生生活には合わないのかも」

 

 犬派のカティアは悲しくなって、ケージの中の子犬のレトリバーをじっと見つめた。

 薄い金色の毛並みにつぶらな瞳でとても愛らしい子だった。喉を鳴らしながらこちらを見上げてくる子犬から無理やり目を逸らすと、今度はハーマイオニーが別の生き物に釘付けになっていた。

 

 視線の先を辿ると、そこにいたのはオレンジ色の猫だ。

 鮮やかなジンジャーカラーで、ふわふわとした長い毛並みをしたかなり個性的な個体だった。まるで硬い壁に正面衝突したかのように平坦な顔で、尻尾はブラシのようにボサボサだ。

 

「ええ……この子?」カティアは絶句した。

 

 仏頂面のその猫は客の視線など意にも介さずゆったりと前脚を舐めていた。

 ハーマイオニーがあまりにもその猫を見つめているので、エプロンをつけた店員が飛んできてしまった。

 

「お客様、ペットをお探しでしょうか」

 

「い、いえ!」ハーマイオニーはドキリとしたようだった。「私ではなくカティア……そこの金髪の女の子の方が」

 

「お目が高い! 実はこの子、この店に入ってきてからしばらく経ちますが、中々買い手がつかず——」店員はハーマイオニーの言葉を聞いてすらいなかった。「この子は少し売れ残っておりましてね。……いえ、決して魅力がないわけではないのですよ。ええ、賢すぎてそこらの平凡な飼い主では退屈して長続きしないのです——」

 

 明らかなセールストークを展開する店員を尻目に、カティアは小さな身体を活かして店内を見て回る。

 

 キュウ……と、可愛らしい声がした。

 振り返ると、先ほどの子犬がケージの向こうからこちらを見つめていた。何かを訴えかけるようなまん丸の瞳だ。

 自制心を総動員してレトリバーから視線を引きはがし、ハーマイオニーの様子を見に行く。彼女はまだ店員に捕まっていた。

 

「——この猫は賢いですよ。少々不器量なところはありますが、信頼できる『パートナー』をお探しなら、これ以上の個体はおりません。お嬢さんのような聡明な方にはちょうどいいのではないでしょうか?」

 

 店員のお世辞も全開だ。このオレンジ色の猫を手放したい気持ちが言葉の端々から滲み出ている。

 

「あー、ハーマイオニー?」

 

 カティアが声をかけると店員はすっと身を引き、ハーマイオニーは夢うつつといった顔で言った。

 

「あの子、とっても可愛いわ……」

 

「ふくろうが欲しいって話はどこに……?」

 

 どれだけ薄目で見ても、その猫はカティアの好みではなかった。

 ハーマイオニーは自分の財布を何度も覗き込んでは深いため息をついていたが、どうしてもお金が足りないらしい。結局二人は後ろ髪を引かれる思いで『魔法動物ペットショップ』を出ようとした。

 

 その瞬間、背後から子犬の鳴き声が聞こえてきた。

 ダメだと分かっていたがカティアはうっかり振り返ってしまい、子犬とまともに目が合ってしまった。

 

 カティアはどうしても店を出ることができなかった。出口で振り返ったまま動けなくなるカティアのそばで、店員がしゃがみ込んでこう言った。

 

「あのレトリバーですか? つい先日ここに来たばかりの子ですよ。お嬢さん、抱っこしてみますか?」

 

 返事をする間もなく、店員は子犬を連れてきてしまった。

 導かれるがままに差し出されたその子を両腕に抱きかかえてみると、ふわふわとして温かく、小さくて、良い石鹸のようないい匂いがした。黄金色の毛並みはシルクのように柔らかく、大きな耳がぺたんと垂れている。

 

 子犬はカティアの腕の中でもぞもぞと身じろぎすると、そのまま落ち着いてしまった。

 

「だ、ダメよ。飼えないわ。ごめんなさい」

 

 カティアは自制心を総動員して何とか首を横に振る。

 しかし、子犬は幸せそうにのどを鳴らしながら身体を擦り寄せ、小さな頭をカティアの肩にことりと乗せてきた。

 

 

 

 

 







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