銀髪美少女お嬢様(ワケあり)のホグワーツ生活実践編   作:トリスメギストス3世

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028:二年目

 子犬を迎え入れてから一ヶ月も経たないうちにレトリバーは怪獣になった。

 犬を飼うことはぬいぐるみを手に入れることと全くの別物ということを、カティアは嫌というほど思い知らされた。

 

 綻び一つなかったカティアのお気に入りの洋服の裾はあっという間にぼろぼろになった。

 マグルの友人がくれたお気に入りのスリッパは少し目を離した隙に噛まれて布くずになり、高価な壁紙は剥がされ、庭師が丹精込めて育てた花壇をメイベルが掘り返したことでカティアはここ数年で一番の大目玉を食らった。

 

 あまりの惨状に音をあげたカティアがホワイトホール夫妻の伝手で頼んだ躾師は、仏頂面の依頼主を見て苦笑した。

 まさか袖がボロボロになった服でお客さんを迎え入れる日が来るとは思わなかった。カティアには犬以外にも多数の仕事があるため、着替えの時間が捻出できなかったのだ。

 

「大丈夫ですよお嬢さん。これはメイベルちゃんが悪いわけでも、あなたの育て方が悪いわけでもありません。レトリバーの子犬を迎えた家ではどこでも同じです」

 

 肝心のメイベルは躾師相手に大興奮で、今は芝生の上で疲れて眠っていた。

 

「メイベルちゃんは、人懐っこくて、好奇心旺盛で、自信に満ちています。カティアさんはメイベルちゃんに良く向き合えていますよ」

 

「……まあ、育てると決めたので……」

 

 もちろん、レトリバーの子犬が破壊神であることを知らなかったわけではないのだ。

 それに見た目ほどはカティアも精神的に追い詰められてはいない。子犬が言う事を聞かない程度、魔法省に追われた魔の三カ月に比べれば天国みたいなものだ。

 

 それに、結局はメイベルは特別に可愛かった。

 破壊したスリッパの破片を戦利品として自信満々に渡してくるあの目線も、丸っこいフォルムで庭を駆け回る姿も抜群に愛らしかった。カティアがひとたび地域のお茶会に連れ出せば、参加者の全員を一瞬で虜にした。

 いつもは陰湿な噂話に花を咲かせている中年女性たちが、口を揃えて昔飼っていた犬の思い出話を語り始める光景を見た時などは、犬を飼うだけの価値は十分すぎるほどあったと思うのだった。

 

 そうして九月一日がやってきた。

 このヤンチャな子犬をホグワーツに連れて行くのは不安しかなかったが、防音呪文のかかった犬用ケージがあるというだけで随分と気が楽だ。

 

 キングスクロス駅の九と四分の三番線には、早い時間からすでに人影がちらほらとあった。

 旅行カバンを抱えた生徒たちが足早に行き交い、フクロウがケージの中でせわしなく羽を広げている。プラットフォームの向こう側、朝靄の中に真っ赤な蒸気機関車の姿が浮かび上がっていた。

 

 夏休みの終わりはいつだって憂鬱なものだが、それでもカティアは一年前と比べたら随分と気軽な気持ちだった。またハーマイオニーに会える。ハリーとロンとも会えるし、ホグワーツでの生活だってつまらないものではない。そう思うと自然と足取りが軽くなり、カティアは空いているコンパートメントを見つけて滑り込んだ。

 

 コンパートメントの中でケージの戸を開けると、メイベルはさっそく鼻をひくつかせながらそこら中をせわしなく嗅ぎ回り始めた。

 小さな尾っぽが揺れているのをのんびりと眺めていると。コンパートメントの引き戸がガラリと開いた。よく見知った顔だ。

 

「カティア! よかった、ここにいたのね!」

 

 ハーマイオニーが大きなトランクを引きずりながら入ってきた。

 棚に荷物を力いっぱい押し込み、向かいの座席にどさりと腰を下ろす。それから床を歩き回るメイベルに目を落として、顔をほころばせた。

 

「前に見た時より随分と大きくなったんじゃないかしら」

 

「とんでもないヤンチャ娘なのよ、この子。でもね……『メイちゃん』?」

 

 呼びかけると、メイベルがぱっとこちらに振り返った。あまりの愛苦しさにハーマイオニーが黄色い声を上げる。カティアは満足してメイベルを抱き上げ、褒めながらお菓子を与えた。

 

「まあ本格的な躾はもう少し先ね」カティアはメイベルに頬ずりしながら言った。「しばらくはこの子が他所様に迷惑をかけないように、私が気を張り続けるしかないわ」

 

 犬が迷惑をかけないよう管理するのは飼い主の責任だとジョセフは言っていた。

 ハーマイオニーはメイベルをひとしきり撫で回した後、いそいそと鞄に手を伸ばす。取り出したのは分厚い本だ。表紙には雪をかぶった山と、にっこりと微笑む男の顔が印刷されていた。

 

 『雪男とゆっくり一年』著・ギルデロイ・ロックハート

 

「ロックハート先生の本、カティアはもう読んだ?」ハーマイオニーはこう切り出した。

 

「まあ一回はね」

 

「私は六回ずつ読んだわ」ハーマイオニーはごく当然のことのように答えた。「読めば読むほど新しい発見があるの。ロックハート先生って本当に凄い方なのよ、カティア。雪男の調査のためにチベットに単身乗り込んで、現地の魔法使いたちとも協力関係を築いて——しかも、その間に現地の孤児院に匿名で多額の寄付までされているのよ?」

 

「本に書いてあるなら匿名とは言えないんじゃないかしら」

 

 しかしハーマイオニーは聞いていないようだった。

 

「それだけじゃないわ。バンシーの退治の時には三日三晩一睡もせずに呪文の研究を続けたって書いてあるし、狼人間の一件では仲間が次々と逃げ出す中で一人だけ立ち向かったって——」

 

 本のページをめくるハーマイオニーの頬がほんのりと上気し、声がやや上ずっていた。

 

「——ロックハート先生が今年の『闇の魔術に対する防衛術』の先生だなんて!」ハーマイオニーは本から顔も上げずに熱っぽく続けた。「これは絶対に今までで一番の授業になるわ。直接教わることができるなんて素敵だと思わない?」

 

「そうかしら」カティアはメイベルの背中を撫でながら上の空で言った。「自分の著書を何冊も教科書に指定するっていうのが、どうにも嫌な予感がしない?」

 

「それの何が悪いの?」ハーマイオニーがショックを受けたように顔を上げた。

 

「自分の著作を何冊も買わせるような先生って――」カティアはロックハートの表紙を一瞥して続けた。「――まあ、あまりお行儀が良いとは言えないってジョセフが言っていた――」

 

「だけど内容はしっかりしているわ!」

 

 ハーマイオニーが声を上げた。『雪男とゆっくり一年』を両腕でぎゅっと抱きしめ、傷ついたような目でカティアを見てくる。

 

「……まあ、読み物としては面白いわね」カティアは矛を収めた。

 

 反応を見て早々に説得を諦める。こちらも少し熱くなりすぎた。

 人付き合いというのは、何も正しいことを言えば上手くいくものでもない。人は誰かに説得されて変わるのではなく自分で気づいて変わるものだ。……それに相手が信じたいものをそっとしておく能力は、友達付き合いにおいてかなり重要な技術でもある。

 

 ハーマイオニーはカティアが矛を収めたことで、目に見えてほっとしたようだった。

 ふと窓の外に目をやると、いつの間にか列車は動き出していた。ロンドンの街並みがゆっくりと後ろへ流れ始め、煉瓦造りの建物が次第に緑の野原へと変わっていく。静かになったコンパートメントの中でカティアがその景色をぼんやりと眺めていると、ロックハートの本を鞄に収めたハーマイオニーがふと気づいたように口を開いた。

 

「そういえばハリーとロンはどこにいるのかしら」

 

「中々来ないね。今頃、廊下でコンパートメントを一つ一つ見て回っているんじゃないかしら」

 

 しかしカティアの予想はすぐに外れた。

 引き戸が開いて顔色の悪いフレッドが飛び込んできたからだ。少し険しい表情だ。

 

「カティア、ハーマイオニー、ここにいたか。少しまずいことになった」

 

「何があったの?」カティアはすぐに訊いた。

 

「ハリーとロンがこっちに来られなかったんだ」フレッドは額に手を当てながら言った。「九と四分の三番線に入るための壁があるだろ。俺たちが全員通り抜けた後で、最後尾のあの二人だけが通り抜けられなくて——」

 

「えーっ!」カティアとハーマイオニーが声を揃えた。

 

「俺たちも大慌てさ」フレッドは続けた。「パパがすぐに引き返して二人を迎えに行こうとしたんだけど、どういうわけかこっち側からも壁を通り抜けられなくて——」

 

「あの二人は新学期早々に何をやっているのやら……」カティアは思わず呆れた声を出した。

 

「じゃあハリーとロンは今もキングスクロス駅のマグル側にいるってこと?」ハーマイオニーが身を乗り出した。「つまりこの列車には乗っていないのね?」

 

「うん。まあ、そういうことだ」フレッドは頷いた。

 

 その時、コンパートメントの外の廊下からよく通る声がかかった。

 

「フレッド! こっちだ、早く!」

 

 グリフィンドールの上級生、リー・ジョーダンの声だ。フレッドは立ち上がり、引き戸に手をかけながら二人を振り返った。気まずそうに後頭部をかく。

 

「俺はちょっと行かなきゃならん。……あの二人のことはパパたちに任せるしかないさ。心配かけて悪かったな」

 

 それだけ言い残して、フレッドは足早に廊下へ消えていった。引き戸がぱたんと閉まり、コンパートメントの中にふたたび静寂が戻ってきた。

 ハリーとロンがいない列車の旅は寂しかった。窓の外では緑の野原がどこまでも広がり、遠くに小さな村の屋根が点々と見え隠れしている。なんとも素晴らしい景色だが、キングス・クロス駅で途方に暮れているであろうハリーとロンの姿を思い浮かべると、どうにも落ち着かない。

 

「ハリーとロンなら大丈夫よ」カティアは半分自分に言い聞かせるように言った。「この列車じゃないとホグワーツに行けないって仕組みじゃあるまいし……」

 

「だけど壁が通り抜けられなくなるなんて、どうしてそんなことが起きたのかしら」ハーマイオニーは膝の上でぎゅっと手を握り合わせた。

 

「まあ十中八九ハリーへの嫌がらせでしょう。あの『手紙泥棒』の仕業じゃない? それにしても、九と四分の三番線の壁ってどうやって封鎖するのかしら」

 

 悪戯にしては手が込みすぎているし、悪意にしては回りくどすぎる。

 やっていることはかなり高度なのだが目的がどうも読めない。この件については犯人像がとにかく見えず、どれぐらい真剣に物事を捉えたらいいのかが判断しにくかった。

 カティアがハーマイオニーとああでもないこうでもないと話していると、コンパートメントのガラス越しに廊下をうろうろする小さな人影が見えた。

 

 廊下を行っては戻り、戻っては立ち止まるその子は燃えるような赤毛だ。ダイアゴン横丁でも見かけたロンの妹に違いない。

 

「なんで入ってこないのかしら」カティアが囁き声で言った。

 

「きっと入りにくいのよ」ハーマイオニーも声を落として答えた。「一年生だもの。知り合いがいないコンパートメントに飛び込むなんて誰だって緊張するわ」

 

「あれ、去年のハーマイオニーはそんな風には見えなかったけれど?」カティアはにやりと笑って、ハーマイオニーの声色を真似る。「『私も練習のつもりで簡単な呪文を試してみたけど、全部うまくいったわ。教科書はもちろん全部暗記したの。それで足りるといいんだけど……』―――」

 

「まあ失礼ね、お黙りなさい!」ハーマイオニーが真っ赤になってカティアの腕をはたいた。

 

 二人が息をひそめてしばらく待っていると、やがて引き戸がほんの少しだけ開いた。

 

「あの……ここに座ってもいい? どこのコンパートメントも空いていなくって……」

 

 ジニーが隙間からおずおずと顔をのぞかせた。

 

「ジニー!」ハーマイオニーがちょうど今ジニーの影に気がついたかとでもいうように明るい声を出した。「どうぞ入って。広いから大丈夫よ」

 

 ロンとはあまり似ていなかった。顔の造形はフレッドやジョージに近いが、そもそも相当な器量良しだ。重そうなトランクを引きずりながら入ってきたジニーを、カティアはにやにやしながら眺める。

 

「あらまあ」カティアは口を開いた。「ダイアゴン横丁では絶対に私と目が合わないようにしていたのに、同じコンパートメントに入る勇気はあったのね。感心だわ」

 

「意地悪を言わないの」ハーマイオニーがすかさず割り込んだ。「気に入った相手をからかうのはカティアの悪い癖なのよ。気にしないでねジニー。私たち、あなたのことはロンから聞いているわ」

 

 もっとも、ホグワーツでのロンが自分の妹について何か話していた覚えはあまりない。

 何かと面白いフレッドとジョージの悪行やパーシーへの愚痴を口にすることは多くとも、それ以外の兄妹の話が出ることは非常に稀だ。ジニーへの言及でまともな物は『家にうるさい妹がいてさ』ぐらいしかない。

 

 互いに簡単な自己紹介を済ませ、カティアはメイベルをジニーの膝に乗せてやった。

 メイベルはしばらくジニーの匂いを嗅いでいたかと思うと、突然面白がるように身をよじって逃げ出そうとし始める。ジニーが両手で必死に子犬を抑えているのを見て、カティアはくすくす笑いが止まらなくなった。

 

 ハーマイオニーが優しく切り出した。

 

「そういえばジニー、あなたはどの寮に入りたいと思っているの? やっぱりお兄さんたちと同じグリフィンドールかしら?」

 

「……みんな私がグリフィンドールに入って当然だと思っているの」ジニーはメイベルを膝に押さえつけながら答えた。「もし別の寮になっちゃったらなんて言われるか……」

 

「プレッシャーに思う必要はないのよ」ハーマイオニーが穏やかに言った。「私だってレイブンクローと相当迷われたんだから。カティアはどうだった?」

 

「スリザリンに入るにはマグル贔屓すぎるとかなんとかで、消去法で選ばれた感は否めないわね、グリフィンドール……」

 

 寮に傾向のあるような純血家系だと組み分けに相応な圧力がかかるのだろう。

 ジニーは緊張しているようだったが、カティアの気の抜けるようなエピソードに少し肩の力を抜けたようだ。そこからなんとなく話が弾み始めた。

 

「ねえ、相談があるの……」

 

 話し始めてしばらく経ち、ジニーが急に真剣そのものという口調で切り出した。息を詰めるカティアたちにジニーは言う。

 

「変身術で一番出来が悪い生徒は、先生にムササビに変えられて隠し扉の裏にぶら下げられちゃうって本当?」

 

 カティアとハーマイオニーは同時に吹き出した。笑いすぎて座席に崩れ落ちそうになる二人を、ジニーは呆然と見ていた。しばらく経ち、その頬がじわじわと赤くなっていく。

 

「……じゃあ私、ジョージに嘘を教えられたの?」

 

「え、ええ、そうよ……ホグワーツはそんな恐ろしいところではないわ……」ハーマイオニーは肩を震わせながらも懸命に真面目な調子を取り戻そうとしていた。「あの双子の言うことは信じすぎないことね。まあジニーなら私よりよく分かっていると思うけど……」

 

「私のお兄さんたちはいつも私を揶揄って遊ぶんだもの……」

 

 ジニーはいじけたようにメイベルの背中を撫でた。

 そうは言っても、一人っ子のカティアにとって兄弟姉妹のいる暮らしはちょっとした憧れでもある。家に帰れば同年代の子供がいるというのは、一体どんな気持ちなのだろう。

 

 笑いの涙を指で拭いながら、カティアは興味に任せて訊いた。

 

「でもほら、男兄弟が続いた後の女の子でしょう? ご両親やお兄さんたちには、それはもう大切にされているのではなくて?」

 

「全然そんなことないの!」ジニーの声が大きくなった。

 

 赤毛と同じくらい顔を赤くして、ジにーは身を乗り出して熱弁する。

 

「パパもママも、ロンもジョージもフレッドもパーシーも! みんな私を子供扱いして、何かと口を出してくるの! この前だってこっそり箒の練習をしようとしたら全員で止めに来て——」

 

「全員で?」カティアが聞き返した。

 

「全員で! 六対一よ? それで私がちょっと泣いたら今度は全員で慰めに来て——もう、私はもうこどもじゃないのに……!」

 

 話を聞く限りは、ジニーはウィーズリー家のお姫様らしい。過干渉とも言う。

 そもそもウィーズリー家自体が明らかに『女の子が欲しくて頑張っていたら六人連続で男の子が生まれ、七人目でついに娘』という家だ。そして古今東西、性別が上の子供たちと異なる末っ子は特別扱いと相場は決まっている。道理でロンが割を食うわけだ。

 

「ふうん、ロンもそんな感じなの?」カティアが半笑いで相槌を打った。

 

 ジニーは激しく頷く。

 

「そうよ! ロンはほんっとうに口煩くて——本人だって全然ちゃんとしていないのに——」

 

 子供っぽい癖に兄貴面ばかりしてくるロン。

 自分を仲間外れにして遠ざけようとしてくる双子。

 堅苦しくて小言ばかり行ってくるパーシー。

 

 社交に慣れたカティアが本気で乗せているだけあって、ジニーの饒舌は止まる気配がなかった。

 

「―――それにママは私の服を全部勝手に決めるの! 私の好みがどうとか関係なくて、ママの好みを押しつけてくるのよ!」

 

「それは嫌ね。私なら自由にさせてほしいわ」カティアは強い同情を声に乗せて返した。

 

 もっとも、カティアが八歳の時に実母を殺されていることをジニーは知らないらしい。

 なんと今のジニーより三つも年下だ。よくもまあ当時のカティアは闇祓いの追跡を振り切ったものだと自分でも思う。

 

 可愛らしく怒るジニーを見てつい笑ってしまいそうなカティアだったが、先ほどからハーマイオニーの視線が険しいので、ジニーで遊ぶのはこの程度にしておくことにした。

 

「あ、お菓子よ」カティアが軽く首を横に振ると、ジニーが勢いよく振り返った。

 

 お菓子の押し車を引いた魔女がコンパートメントの前に差しかかった。カティアはカボチャジュースとカエルチョコレートをいくつか買い、ジニーにも分けてやった。

 

「ありがと……」ジニーは小さな声でお礼を言った。

 

 どうやら話しすぎたと気がついたらしい。耳の先まで赤くなっている。

 カティアがお菓子の匂いを嗅ぎつけて猛然と突進してくるメイベルをなんとか抑えていると、ジニーが話題を変えるように言った。

 

「この子、名前はなんていうの?」

 

「メイベルよ。ほら、メイちゃん?」

 

 呼びかけると子犬がぴょんぴょんと跳ねてカティアに飛びついた。

 昼過ぎにはハーマイオニーがロックハートの本を取り出してまた読み始めた。カティアはジニーとカエルチョコレートのカードを交換しながらぽつぽつと話し続け、気がつけば窓の外の景色はいつの間にか緑の野原から夕暮れの橙へ、そして深い藍色へと変わっていた。列車の規則正しい揺れに身を任せているうち、カティアの意識はいつしか遠のいていた。

 

「カティア、そろそろ着替えなきゃ」

 

 ハーマイオニーの声と肩を軽く揺らされる感覚で目が覚める。

 窓には夜の闇が広がり、遠くに点々と灯りが見えた。ジニーはすでにホグワーツのローブに着替えていて、膝の上でメイベルをしっかりと抱いて座っている。

 

 カティアは大きく伸びをする。

 

「んにゃ……そういえば結局ハリーとロンはどうなったのかしら……」

 

「無事についているといいんだけど……」

 

 ハーマイオニーも心配そうだった。急いでローブに着替えながらカティアは考えを巡らせる。

 ウィーズリー氏がいる以上は早々困ったことにはならないはずだが——まもなく列車が速度を落とし始め、車輪がレールを刻む音が変わった。

 

「ホグズミードよ」ハーマイオニーが窓の外を覗きながらジニーに言った。

 

 暗闇の中にぼんやりとした灯りが少しずつ増えてきて、プラットフォームの輪郭が浮かび上がった。

 夜目の利くカティアにはその奥にホグワーツ城の尖塔までくっきりと見えていた。去年と比べると、今年は随分と気楽な気持ちだ。

 

 列車がゆっくりとプラットフォームに滑り込み、ブレーキのきしむ音とともに止まった。扉が一斉に開き、冷たく湿った夜の空気がどっと流れ込んでくる。

 

「一年生はこっち! 一年生!!」

 

 ハグリッドの大声が夜の闇に響き渡った。

 

「ジニー、頑張ってね」カティアはプラットフォームの先を指さした。「一年生は湖をボートで渡るの。去年の私たちもそうしたわ」

 

「う、うん……」

 

 ジニーは名残惜しそうに、抱えたメイベルをカティアに引き渡した。

 それからトランクの持ち手を強く握り直して、ジニーは人の流れに乗って歩き出す。何度か振り返るその後ろ姿に二人で手を振る。人混みの中で赤毛が揺れ、やがて見えなくなった。

 

「健気ないい子ね」ハーマイオニーが目を細めた。

 

「……女の子のフレッドと話しているみたいだったけど」カティアがぼそりと言った。

 

 緊張していて少し分かりづらかったが、ジニーは相当な自信家だ。彼女の目には自分を子供扱いする兄たちを見返したいという強烈な反発と、確かな野心が燻っていた。時々、フレッドやジョージの目の内に宿るものとよく似ている。

 

「確かに、ロンとはあまり似ていないとは思ったわ」ハーマイオニーも同じ意見らしかった。

 

 二年生以上の生徒はまた別の手段でホグワーツへ向かう。

 プラットフォームの外へ流れた先の暗い道に、ぼんやりとしたランタンの灯りが列をなしていた。

 

 何台もの馬車がずらりと並んで待ち構えている。

 そして馬具に繋がれていたのは普通の馬ではなく、コウモリのような翼が生えた、やせ細った漆黒の天馬だった。骨と皮だけのような体躯に白く濁った目が目立つその生き物を、カティアは去年見たことがあった。

 

 それについて話そうとした瞬間、ハーマイオニーが信じられないことを言った。

 

「へえ、ホグワーツの馬車って馬無しで動くのね」

 

「え?」カティアは思わず振り返った。「何を言っているの。しっかりとセストラルが曳いているわ」

 

「セストラル?」ハーマイオニーは眉をひそめた。「何の話?」

 

「ほら、あそこよ。翼の生えた黒い馬。禁じられた森にも棲んでいるの」

 

 ハーマイオニーは馬車の前あたりをまじまじと見つめたが、何も見つけられないようだった。

 首を傾け、目を細め、それでも首を振るハーマイオニーの様子を見る限り、カティアをからかっているというわけではないらしい。

 

「……多分、視認するために何か条件があるのよ」カティアはそう結論づけた。

 

 馬車の列が動き始め、二人は並んで乗り込んだ。

 ランタンの灯りがゆらゆらと揺れ、木々の間からホグワーツ城の明かりがじわじわと近づいてくる。メイベルはケージの中でくんくんと鼻を鳴らしていた。

 

 ――――――

 

 ホグワーツ城の大広間は、息をのむほど素晴らしい空間だ。

 古く強力な魔法がかけられた天井に満天の夜空が広がり、何百本ものろうそくが中空に浮かんで揺れている。四つの長いテーブルには生徒たちがひしめき合い夏休みの土産話が飛び交っていた。石造りの壁に声が反響し、全体がどよめくような賑わいに満ちていた。

 

 しかしカティアは、自分が通る時に周囲の生徒たちが額を寄せ合ってひそひそ話をするのに気づいた。視線が背中に刺さる。半吸血鬼で『人喰い』を母に持つカティアは入学以来ずっとこんな具合だった。

 これでも入学当初に比べれば相当マシになったのだが、グリフィンドール以外からは相変わらず危険な肉食獣扱いらしい。

 

 気にしていないふりをしながら顎を上げて前を向き、グリフィンドールのテーブルに腰を落ち着ける。

 足元にメイベルのケージをそっと下ろすと、お腹を空かせた子犬が切ない声を上げた。

 

「あ、こんばんは、カティア!」

 

 隣の席からラベンダーが親しげに話しかけてきた。視線はすでにケージに釘付けだ。

 

「夏休みはどうだった? どんな動物を飼ったの?」

 

「ゴールデンレトリバーよ。メイベルっていうの」

 

「レトリバー! ホグワーツで犬って飼えるものなのね……」

 

 まさか大広間でレトリバーの子犬を放すわけにもいかない。

 カティアはケージをそっと足で押してメイベルをなだめながら、実はそれよりも気になることがあった。ハーマイオニーが肘でつついてそっと耳打ちしてくる。

 

「まだハリーたちが来ていないわ」

 

「……何とかして追いつくかなって思っていたんだけど」

 

 ハリーたちよりも、マクゴナガルが一年生の列を引き連れてくる方が早かった。

 蝋燭の明かりの下で青ざめた一年生たちの顔がずらりと並ぶ。組み分けの儀式を前に足がすくんでいるのが遠目にも分かった。そんな列の中に、ひときわ目立つ燃えるような赤毛があった。

 

「頼むぜ……」ジョージがジニーを凝視しながら呟くのが聞こえる。

 

 ジニーは緊張した面持ちで前だけを見て歩いていた。

 顔色が特別悪く、グリフィンドール以外になったらどうしようと考えているのが手に取るように分かる。もっとも、列車で話した限りではジニーはかなりグリフィンドールらしい印象だったが——。

 

 古びた組み分け帽子がホグワーツの成り立ちや四つの寮の特徴を盛り込んだ歌をうたった。

 組み分けの儀式が始まち、名前を呼ばれた一年生たちが次々と椅子に座り帽子をかぶせられていく。

 

 そしてジニー・ウィーズリーの名が呼ばれた。

 ジニーが椅子に腰を下ろし、大きな帽子がすっぽりと頭を覆う。一瞬の沈黙——。

 

「グリフィンドール!」

 

 グリフィンドールのテーブルが沸き立った。

 新入生を迎える歓声としては他の一年生と比べても明らかに大きく、フレッドとジョージは立ち上がって吠えるように叫んだ。パーシーは満面の笑みを浮かべて拍手している。

 

 組み分けが終われば宴が始まる。ダンブルドアの短い挨拶の後、皿の上にごちそうが現れた。

 ローストチキン、マッシュポテト、グレービーソース、バターたっぷりのコーン——湯気を立てて輝くそれらにほとんどの生徒が夢中になる中、カティアは山盛りの料理を皿に取りながらも入り口の方へ視線をやっていた。時々、スネイプやマクゴナガル、ダンブルドアまでもが深刻な顔で離席したり戻ってきたりするのが気になって仕方がなかった。

 

 やがてデザートも食べ終わった頃、ダンブルドアが再び立ち上がった。

 大広間を満たしていたおしゃべりがぴたりとやむ。

 

「さて!」ダンブルドアは笑顔で全員を見渡した。「みんなよく食べ、よく飲んだことじゃろう。今年も無事に皆の顔を見られたことを、わしは嬉しく思う!」

 

 ふとダンブルドアを見つめた。何しろ文字通りの親の仇だ。

 カティアはもともとダンブルドアに対して色々と複雑な感情を持っていたが、今年はいよいよ彼をどう見たらいいのかが分からなくなってしまった。

 結局、ダンブルドアはどうして『命の水』を融通してくれたのだろうか。

 

「いくつか知らせることがある。管理人のフィルチさんから皆に伝えるようにとのことじゃが、城内持ち込み禁止の品に——」

 

 もちろんダンブルドアは『命の水』について言及することはなく、つまらない業務連絡を読み上げ始めた。

 禁じられた森への立ち入り禁止の再確認、廊下での魔法使用の禁止——―今年こそは校則を守れる平和な一年でありますようにと、カティアは心の底から祈ってみる。

 

「では、今年度の新しい教員を紹介しようと思う。『闇の魔術に対する防衛術』担当、ギルデロイ・ロックハート先生じゃ」

 

 女子生徒の熱い歓声が大広間を満たした。

 ハンサムなロックハートは得意満面だ。色男は優雅に立ち上がり、ローブの裾をひと払いしてから大広間をゆっくりと見渡した。にこりと笑えば白い歯が輝く。

 

「みなさん、こんばんは! こうして皆さんにお会いできて、私は今夜これ以上なく幸せです。そして皆さんにとっても、今年は素晴らしい一年となるでしょう——」

 

 そうして長々とした演説が始まった。

 自分のチベット遠征の武勇伝、バンシー退治で学んだこと、雪男との交流から得た教訓——話題は次から次へと飛び、一向に終わる気配がない。ほとんどの女子生徒たちはうっとりと頬に手を当ててため息をついていたが、カティアは欠伸を押し殺すのにひどく苦労した。

 

 教員席に目をやると、彼らもロックハートを心から歓迎しているわけではないことが見て取れた。

 マクゴナガルは石のような無表情でロックハートの演説を聞き流し、スプラウト先生は皿の上のポテトを必要以上に丁寧に切り分けることに全神経を注いでいた。スネイプはといえば、唇を硬く引き結んでロックハートなど存在しないかのように振舞っていた。

 

 そして結局のところハリーたちが来ないままロックハートの長い演説は終わった。

 生徒たちが談笑しながら大広間を出ていく中、カティアはハーマイオニーと顔を見合わせる。

 

「二人はどうしちゃったのかしら……」

 

「教えてやろうかグレンジャー!」

 

 割り込んできた声は、聞き覚えのある冷たい響きだった。

 ドラコ・マルフォイだ。色素の薄い髪を後方に撫でつけスリザリンのローブをきっちりと着込んだ彼は、取り巻きのクラッブとゴイルを左右に従えて立っていた。

 

 マルフォイは口の端をひき上げてせせら笑う。

 

「曰く、目立ちたがりのポッターと落ちこぼれのウィーズリーは、空飛ぶ車でホグワーツに到着なされたとのことだ」

 

「空飛ぶ車……? あの人たちってそんなの持ってるの?」カティアは返した。

 

「本当のことさ」マルフォイは肩をすくめた。「先生方が何度も席を立っていたのはそのせいだろう。マグルに目撃されたとかで魔法省から連絡が来ていたのだろう。しかしまあ——ウィーズリー家も終わりだな。空飛ぶ車!」

 

「ロマンよねえ……」カティアは気のない返事をした。

 

 数年前に見たマグルの映画のせいか、カティアの頭の中に浮かぶのはデロリアンが夜空を駆ける姿だ。

 馬鹿にされたと勘づいたのか、マルフォイの笑みが攻撃的な色を帯びる。

 

「アシュリー、半獣の君に教えてやろう。魔法使いの間では、許可なくマグルの乗り物に魔法をかけることは違法なんだ」

 

「そうなの?」カティアは首を傾けた。「お母様が言うには、マルフォイ家は空飛ぶロールスロイスを保有していたとか何とか……」

 

 マルフォイの顔が、みるみる赤くなった。

 ロールスロイスの話は完全な嘘だが、マルフォイ側もこの問いへの返答は慎重にしなければならない。何しろ下手な否定をしてしまうと、史上最悪の吸血鬼である『人喰いナターシャ』との関係を認めることになってしまう。

 

「……我が家に、『人喰い』との繋がりは何もない」

 

「そう? 私のお母様はあなたのお父様を"最大の友人の一人"と言及していたけれど……」

 

 これも真っ赤な嘘だが、マルフォイはそれを証明できない。

 

 周囲の生徒たちは全員足を止め、声も上げずに成り行きを見守っていた。廊下に緊張が満ちていく中でいよいよマルフォイの顔が青ざめていく。

 

「公然の秘密ではあるけれどね」カティアは澄まして続けた。「ねえ、"ドラコ"、親の罪に縛られているのはお互い様でしょう?」

 

「……証拠はない」マルフォイは慎重に口を開いた。

 

「ええ。多額の献金で証拠を無かったことにしたのだから、まあ無いわね」

 

 二人はほぼ同時に杖を抜き、互いの杖先を向け合った。周囲の生徒たちが波を引くように後退する。

 

「その口を閉ざせ、エカテリーナ・アシュリー」マルフォイが言った。

 

 カティアは退屈そうに杖先を軽く動かしながら言った。

 

「ねえ、あなたの伯母様のベラトリックス嬢のことだけれど、彼女はルシウスが"あの人"の配下だと知らなかったのかしら。そしてアズカバンのお仲間たちの証言を無価値にするために、いったいどれほどのガリオンを積めば良かったのか教えていただける?」

 

「やめたまえ! 二人ともやめたまえ、新学期早々何をやっているんだ!」

 

 割って入ったのはパーシーだった。監督生のバッジを胸に光らせ、カティアとマルフォイの間に体を割り込ませる。

 

「カティア、杖を下ろせ。先ほどダンブルドア先生が仰っていただろう。廊下での魔法使用は禁止だ」

 

 カティアは舌打ちをして杖をローブに収めた。パーシーはそのままマルフォイに向き直る。

 

「マルフォイ、君も寮に戻れ」

 

 マルフォイはしばらくパーシーを見ていたが、やがて鼻を鳴らして半笑いを浮かべた。

 

「デカい顔ができるのは今のうちだぞ、ウィーズリー。問題の空飛ぶ車はアーサー・ウィーズリーの所有物だろうよ——」

 

 視界の端で、フレッドとジョージがいかにも心当たりのありそうな顔をしているのが不安だった。

 

「——あの家にそんなものを買う余裕があったとは思えないが、重大な法律違反には変わりない。魔法省から罰金でも科されたら、今度こそ一家揃って路頭に迷うんじゃないか。まあ、あの家にとっては今更かもしれないな」

 

「スリザリンから二十点減点だ、マルフォイ!」パーシーが一喝した。

 

 ハーマイオニーが強く腕を引いてきた。

 

「さあ行くわよ、カティア——さあ!」

 

 カティアは半ば引きずられるようにして、人気のない廊下の隅まで連れていかれる。

 

「焦ったマルフォイが何かボロを出すかと思ったの」カティアはハーマイオニーに言い訳した。

 

「致命的な失言を引き出せれば、ルシウス・マルフォイの逮捕まで繋げられたかもしれないのに……」

 

「もう! マルフォイにそんなことをする価値はないわ!」

 

 こちらの仕掛けに対するドラコの対応がかなり上手かった。

 どうやら父親に相当教え込まれているらしい。あれほど大勢の前で不意打ちで親の過去を持ち出せば、失言の一つや二つをするものかと思っていたのだが……。

 

 カティアが悔しがっていると、ハーマイオニーがメイベルの入ったケージをぐいと突き出してきた。受け取れということらしい。

 

「……それより、本当かしら」ハーマイオニーが声を落として言った。「ハリーとロンが空飛ぶ車で、マグルに目撃されながらホグワーツにやってきたなんて! もしそれが本当なら、退学処分になってもおかしくないわ!」

 

「退校処分にはならなかったよ」

 

 背後から声がした。

 

 カティアとハーマイオニーは同時に振り返ると、廊下の暗がりから人影が現れた。

 それは全身傷だらけで葉っぱだらけ、ローブはあちこちが泥で汚れてぼろぼろのハリーとロンだった。

 

 

 




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