銀髪美少女お嬢様(ワケあり)のホグワーツ生活実践編   作:トリスメギストス3世

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009:ウィンガーディアム・レヴィオーサ

 半吸血鬼として様々な偏見に晒されるカティアだが、居心地を改善するための努力は一応していたつもりだ。

 

 ハリーやロンとの日頃の交流はもちろん、ラベンダーやパーバティとのぎこちないやり取りも諦めずに続けた。

 先生方の覚えが良くなるよう、宿題のレポートにもある程度力を入れてしっかりと学習意欲を示した。

 

 時にはハリーを頼って、クィディッチチームの練習にも顔を出した。

 

「君、本当に単独で飛べるのかい!?」

 

 グリフィンドールのクィディッチキャプテンのオリバー・ウッドはカティアを見るなり詰め寄ってきた。

 カティアは思わず数歩後ずさりしながらも答える。

 

「まあ……はい。箒を使わない飛行という意味なら可能ですが……」

 

「ちょっとやってみてくれないか。一度、この目で直に見てみたいんだ」

 

 カティアの展開するコウモリじみた薄膜の“翼”は、グリフィンドールのクィディッチチームに大ウケだった。

 二学年上の女子生徒、チェイサーのアンジェリーナは、さわさわと翼を撫でながら感心したように言う。

 

「これ、私に触られてる感触とかあるの?」

 

「ローブが変化したものなので、感触は無いです」

 

「ふーん。直に生えているわけじゃないのね……」

 

 何にしても、箒に乗るクィディッチチームに混ざって鬼ごっこをするのは良い息抜きとなった。

 飛行能力と言う意味では、短期的な瞬発力や小回りは自前の翼で飛ぶカティアが圧倒的に上だった。しかし長期戦になるとスタミナが切れ始めて箒が有利になるので、そういう意味ではなかなかの接戦だった。

 

 数度の熾烈な空中戦の後、ベンチにひっくり返って息を整えるカティアを見て、ウッドは言った。

 

「君、チームの補欠に入る気は無いか? 素晴らしい空間認識能力と反射速度だ。箒も、まあ……まあ、うん、筋は悪くない。しっかりと訓練すれば形にはなるはずだ。」

 

「……クィディッチのルール上、箒から落ちても自力で飛べる私は、ちょっと問題じゃないですか……?」

 

「……いや、クィディッチには厳密な意味で箒でしか飛んではいけないという規則は、おそらく無かったはずだ。誰かが怪我した時だけでも試合に出てみないか。任せろ、何とかマクゴナガルを説き伏せて、このチームを……」

 

 ウッドは、カティアのローブの翼を“闇の生物の魔法”ではなく“素晴らしい滞空能力”として見ている節があった。

 なんならブラッジャーに骨折させられても、試合中に再生できる盾役と思われている可能性すらある。

 

「やめとけよ、ウッド。カティアを誘おうったって無駄だぜ」

 

 何とかチーム入りを辞退しようとするカティアを見かねたのかジョージが介入してきた。ニヤニヤしながら言う。

 

「真昼間の試合で半吸血鬼に補欠なんかやらせた日にゃ、ハリーがスニッチを取る前に俺たちのカティア嬢が消滅しちまうよ」

 

 そんな出来事がありつつも、気がつけばカティアがホグワーツに入学して二ヶ月が経っていた。

 

 ハロウィーンの朝。パンプキンパイを焼く魅惑的な匂いが廊下に漂い、カティアは目を覚ました。

 寝ぼけ眼のカティアを見て、ハリーは不思議そうな顔をする。

 

「嬉しそうだね。そんなにパンプキンパイが好きなの?」

 

「だってハロウィンだもの。翼を伸ばしてマグルの街を歩いていても、仮装だと思われて何も言われないのよ?」

 

 しかしハロウィン大好きカティアの幸せな気持ちは、あまり長く続かなかった。

 「妖精の呪文」はただでさえカティアの鬼門だったが、ついにカリキュラムが“物を飛ばす”練習に入ってしまったのだ。

 フリットウィックがネビルのヒキガエルをブンブン飛び回らせるのを目で追いながら、また落ちこぼれになるのではないかと考えると、カティアは憂鬱で仕方がなかった。

 

 先生は生徒を二人ずつ組ませて練習させた。

 カティアはハリーと組んだ。案の定、『ウィンガーディアムレビオーサ』の呪文は先生に教わった通りに杖を振っても何も起きなかった。

 

「何がおかしいのかなあ………?」

 

 ハリーは心底不思議そうにカティアの杖と浮かび上がらない羽を交互に見た。

 

 杖を持つカティアはヤケクソで羽を突いて、真っ白なハチドリに変身させる。

 バタバタと飛び立っていく小鳥を見上げるカティアは何とも言えない満足感で満たされたが、フリットウィック先生がニコニコと笑顔で歩み寄ってきた。

 

 小柄な彼は叱ることも褒めることもなく、課題用の羽をもう一枚カティアの机の上に置いた。

 

「ミス・アシュリーは練習すること」

 

「はーい………」

 

 そこから先は変身術に頼らずに頑張ってはみたが、結局その日中に羽が浮くことはなかった。

 

 一方で、ロンはハーマイオニーと組むことになった。二人ともこれにはカンカンだった。

 

ウィンガディアム レヴィオサー!

 

 ロンが叫んでいると、やはりハーマイオニーの鋭い声が追加で聞こえてくる。

 

「言い方が間違ってるわ。ウィン・ガー・ディアム レヴィ・オー・サ。『ガー』と長ーくきれいに言わなくちゃ」

 

「そんなによくご存知なら、君がやってみろよ」

 

 ロンが怒鳴っている。 ハリーとカティアは顔を見合せた。

 ハーマイオニーは袖をまくり上げて杖を振り、呪文を唱えた。

 

ウィンガーディアム レヴィオーサ!

 

 羽は机を離れ、頭上一・二メートルぐらいの所に浮きあがった。

 カティアは思わずデカい舌打ちをして、慌てて両手で口を抑える。

 

「オーッ、よくできました!」

 

 フリットウィックが拍手をして叫んだ。

 

「皆さん、見てください。グレンジャーさんがやりました!」

 

 ハリーはカティアの肩をポンポンと叩いた。

 クラスが終わった後、案の定ロンは最悪の機嫌だった。

 

「『いい? "レヴィオーサ"よ。あなたのは"レヴィオサー"……』」

 

 ロンは残酷にもハーマイオニーの話し方を正確に真似して見せた。

 

「あいつが誰からも好かれないのも当然だよ。まったく、悪夢みたいなやつさ」

 

 実際、ロンの声真似が相当面白かったのは事実だったが、カティアには笑い出さないようにする社会性があった。

 

 クスクス笑いが周囲に広がる中、誰かが急いでカティアたちを追い越していった。ハーマイオニーだ。

 

 彼女は泣いていた。

 

「あーあ」

 

 カティアは大仰に肩を竦めた。

 ロンが左右を見回し、とても気まずそうな顔をする。

 

あーあ! あーーあ!!

 

「やめてくれよカティア……。誰も友達がいないってことは、ハーマイオニーもとっくに気がついていただろうさ」

 

 この時点ではカティアも相当面白がっていたが、次の授業にハーマイオニーが姿を見せなかったことで、さすがに心配が勝ち始めた。

 ハリーと不安げな視線を交わす。

 ロンは気にしていないふりをしていたが、次第に落ち着きをなくしていった。

 

「あのさあ、カティア」

 

 昼食時、ロンは周囲に聞こえないよう声をひそめて切り出した。

 

「ハーマイオニーのことだけど、何も泣くことないだろ? あっちがずっと偉そうにしてきたんだから、こっちが文句のひとつも言うのは当たり前じゃないか」

 

「うーん、あの子が上から目線ってところは、ちょっと否定しきれないけれど」

 

 カティアは微妙な顔でかぼちゃパイをひと切れ皿に取り分けた。

 

「ひょっとして、あなたに呪文のコツを教えようとしていただけかもしれないわよ? あの子的には親切にしたつもりなのかも?」

 

「まさか。ハーマイオニーのあの言い方、どう聞いたってそんな感じじゃなかったよ」

 

「『そんなこともできないの?』って顔をされるのが癇に障るのは分かるけれどね」

 

 カティアはあっさりと説得を諦めた。

 そこまでしてハーマイオニーを弁護する義理はない。それに、ロンの言い分にもそれなりの正当性があるように思えたのも確かだった。

 

 ただ、その日の午後になってもハーマイオニーの姿がどこにも見当たらないとなると、いよいよ心配の度合いが増してきた。

 

「……ねえカティア、ハーマイオニーは大丈夫かな」

 

 ハリーがロンに聞こえないよう、声をひそめて言った。

 カティアは苛立たしげに爪を噛みながら大広間をざっと見渡した。ハーマイオニーが授業をサボるなど異常そのものだ。

 

「……あの子のことだから夜には女子寮に戻ってくるはず。そのときに一応、声をかけてみるつもり」

 

 ハリーたちとは違い、カティアはハーマイオニーと同室だ。今後のためにも最低限のフォローは欠かせない。

 面倒なことになったと内心でぼやきながら、ハロウィーンのごちそうを食べに大広間へと向かう途中で同じく同室のパーバティ・パチルが早足で近づいてきた。

 

「ねえカティア、ハーマイオニーに何があったか知らない?」

 

「えっ、どうしたの? 私は何もしていないけれど」

 

 カティアは咄嗟に嘘にならない範囲で答えながら、パーバティに先をうながした。

 

「ハーマイオニーがトイレで泣いているの。声をかけてみたんだけど、一人にしてって言ってきかなくて……」

 

「……夜には部屋に帰ってくるでしょうから、そのときに私が話しかけてみるわ」とカティアは言った。

 

「お願いできる? ラベンダーは放っておけばいいって言い張って聞かないし……」

 

 カティアはグリフィンドール一年生女子寮の先行きがちょっと不安になった。パーバティをなだめて話を切り上げ、うんざりした顔で振り返る。

 

 ロンが、いかにも居心地悪そうな顔で突っ立っていた。

 

「ハーマイオニーはともかく、私には何か言うべきことがあるんじゃないの?」

 

「…………ごめん」

 

 ロンはどこか納得しきれない様子だったが、不承不承そう言った。

 一応謝罪しただけマシと内心で評価しつつハロウィンの大広間に踏み入った。そして飾りつけを見た瞬間、カティアはハーマイオニーのことをひとまず忘れることにした。

 

「わあ!」

 

 数千匹ものコウモリが壁や天井で羽をばたつかせていた。

 魔法で造られたコウモリの群れが、黒雲のように低くたれこめながらテーブルのすぐ上まで急降下し、くり抜いたかぼちゃの蝋燭の炎をちらちらと揺らめかせる。

 テーブルに着くと、新学期の始まりの時と同じように金色の皿の上にごちそうが現れた。

 

 しかし、楽しいパーティーはすぐに終わってしまった。カティアが皮つきポテトに口をつけようとしたちょうどその時、クィレルが全速力で大広間に駆け込んできたからだ。

 

 カティアはクィレルが大嫌いだった。

 ターバンから漂うニンニクの匂いに思わず顔をしかめる。みんなが見つめる中、クィレルはダンブルドアの席までたどり着くと、テーブルにもたれかかって息も絶え絶えに言った。

 

「トロールが……地下室に……お知らせしなくてはと思いまして」

 

 クィレルはその場にバッタリと倒れた。

 

「……トロール? 地下室に?」

 

 状況の不自然さに、カティアは思い切り首をひねった。

 周囲は大混乱に陥った。ダンブルドアが杖の先から紫色の爆竹を何発か爆発させる。

 

「監督生よ、すぐさま自分の寮の生徒を引率して寮に戻るように」

 

「!!」

 

 パーシーが飛び上がった。グリフィンドールのテーブルに向き直る。

 

「さあ! 僕について来て! 一年生はみんな固まって! 僕の言うとおりにしていれば、トロールなど恐るるに足らず! さあ、僕の後ろについて離れないで! 道を開けて。一年生を通してくれ! 僕は監督生だ!」

 

 大騒ぎするパーシーはやや滑稽だったが、カティアは肩をすくめるにとどめた。

 規則にうるさくあまり人気があるとは言えないパーシーだが、カティアは彼のことを信頼していた。

 入学初期にカティアが半吸血鬼への偏見と差別で一番苦しんでいた頃に、パーシーは監督生として様々な嫌がらせからカティアを守ってくれたからだ。

 

「いったいどうやってトロールは入ってきたんだろう」

 

 パーシーについて行って階段を上がりながら、ハリーが切り出した。

 

「僕に聞いたって知らないよ。でもトロールって、すごくバカなヤツらしいよ。ひょっとしたらピーブズがハロウィーンのいたずらのつもりで入れたんじゃないかな」とロンが答えた。

 

「禁じられた森に住んでいるのかな、トロールって」カティアは首をひねった。

 

 森から城まで徒歩で歩いてくるトロールを想像すると、なかなかシュールな光景だった。カティアが一人で含み笑いしていると、ハリーが突然カティアの腕をつかんできた。

 思わず小さな悲鳴をあげたが、ハリーにはそれに気を使う余裕さえなかった。

 

「ちょっと待って……ハーマイオニーだ」

 

「あいつがどうかしたの?」ロンが答えた。

 

「トロールのこと知らないよ」

 

 三人に嫌な沈黙が下りた。

 カティアとロンは顔を見合わせる。

 危険な予感が胸の奥からじわじわと込み上げてくる。

 

「わかった。でもパーシーに気づかれないようにしなきゃ」

 

 ロンが言ったが、カティアは懐疑的だった。

 

「え、パーシーにも一緒に来てもらえば……ちょっと聞いてよ」

 

 二人はカティアの話も聞かず、反対方向へ向かうハッフルパフの生徒たちにまぎれ込んでしまった。少し裏切られたような気持ちになりながら、カティアはもう一度前を見た。

 

 パーシーについていけば安心だが、万が一ハリーとロンがトロールに出くわしたとしたら――。

 

「……もう!」

 

 小声で毒づくと、カティアもこっそりとハリーとロンの後を追った。

 途中で何故か四階へ向かうスネイプを見かけ、カティアは慌ててタペストリーの裏に身を潜めた。彼が通り過ぎるのを確認してから走り出すと、怪獣グリフィンの大きな石像の陰に二人の姿を見つけた。

 

「大丈夫だロン、パーシーじゃない。カティアだ」ハリーが言った。

 

 カティアはグリフィンの石像の裏へ飛び込んだ。ハリーが囁くように言う。

 

「スネイプを見た? いったい何をしてるんだろう。どうして他の先生たちと一緒に地下室へ行かないんだ」

 

「私も見かけたけれど……それよりトロールはどこ?」

 

 カティアは周囲を見回した。ロンがわずかに顔をしかめる。

 

「まだ見つけてない……でも、何か臭わないか?」

 

 ロンの言う通りだった。

 腐った雑巾と公衆トイレを足して二で割ったような悪臭が漂い始め、続いて音が聞こえてきた。

 低い唸り声と、巨大な何かを引きずるような重い足音。

 

 廊下の向こう、左手のほうから、巨大な影がじわじわとこちらへ近づいてくる。

 三人が物陰に身を縮めていると、月明かりの差し込む場所にその影が姿を現した。

 

「トロール……!」

 

 カティアが息を呑んだ。

 身の丈は四メートル、鈍い灰色の皮膚に岩のようにゴツゴツした巨体。禿げた頭は不釣り合いに小さく、短い脚は大木の幹ほどもある。腕は異様に長く、手に握った巨大な棍棒が床を引きずって音を立てていた。

 

「カティア、君の魔法で倒せないの?」

 

 ハリーが囁いた。カティアは曖昧に喉を鳴らした。

 

「無茶言わないで。嫌よ、あんなのと戦うのは」

 

 あの手の闇の生物は呪文の通りが非常に悪い。少なくとも直接的な変身はほぼ不可能だ。

 闇の生物である半吸血鬼であるカティアはその気になればかなり高度な呪いも使えるが、それでも正面からトロールに杖を向けるような展開は極力避けたい。

 

 とはいえ、再生力がある以上、最悪の場合はハリーとロンを逃がして一人でけりをつけるしかない。

 カティアが腹をくくりかけたとき、トロールはあるドアの前で立ち止まり、中をじっと覗き込んだ。

 

 そして長い耳をぴくりとさせ、やがて前屈みになってのそりのそりと中へ入っていった。

 

「鍵穴に鍵がついたままだ。あいつを閉じ込められる」ハリーが声を殺して言った。

 

「待って。私に任せて」

 

 カティアはローブから杖を取り出した。

 扉に近づく必要はない。意識を研ぎ澄ませて静かに杖を一振りする。

 

 音もなく、石壁がゆっくりとせり出して扉を押し包むようにして埋めていく。

 数秒後には、最初から扉など存在しなかったかのような石壁がそこにあった。これで内部は完全な密室だ。

 

「やった!」会心の出来に、カティアは歓喜の声をあげた。

 

「いいぞ!」ハリーが小さくガッツポーズをした。

 

「完璧!」ロンが興奮したように囁いた。

 

 三人で顔を見合わせて控えめにハイタッチ。

 声を押し殺しながら喜びを分かち合う。

 

「よし、いつまでもここにいるわけにはいかない。急いでパーシーと合流しよう!」

 

 ハリーが促した。

 三人で廊下を走り出したその瞬間、心臓が止まりそうな声が耳を劈いた。

 甲高い、恐怖で正気を失ったような女の子の悲鳴。

 

 たった今、出口を完全に塞いだばかりの部屋の中からだ。

 

「あ」

 

 カティアの頭の中が真っ白になった。

 

「しまった……」

 

 ロンの顔は「血みどろ男爵」も真っ青なほど青ざめていた。

 

「女子用トイレだ!」

 

 ハリーが息を呑んだ。

 

「「「ハーマイオニーだ!!」」」

 

 三人が同時に叫んだ。

 

 カティアはよりにもよって、トロールをハーマイオニーごと女子トイレに閉じ込めてしまった。

 

 慌てて杖を壁へ向け直すが、頭は真っ白なままだった。何らかの呪いで強引に穴を開けようにも、呪いや瓦礫が中のハーマイオニーに直撃でもすれば大惨事となる。

 

カティア!! 早く!! ”壁を開けて”!!!

 

 ハリーが怒鳴った。

 ほとんど無我夢中で、カティアは杖を鋭く振るった。

 

 向かい側の壁に、五つのアーチ形のトンネルが無音でくり抜かれた。

 ハリーとロンが消失した石材の穴から中へ飛び込み、カティアも一瞬遅れてトイレに突入した。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは奥の壁に張りつき、恐怖のあまり今にも気を失いそうだった。

 トロールが洗面台を次々となぎ倒しながら、じりじりとハーマイオニーに迫っていく。ハリーは大声で叫んだ。

 

ハーマイオニー、逃げろ!

 

 しかしハーマイオニーは腰が抜けてしまったらしく、トロールを見上げたまま首を横に振るだけだった。

 

「引きつけろ!」

 

 ハリーは夢中になってロンに怒鳴ると、近くの蛇口や瓦礫をつかんでトロールめがけて投げつけ始めた。

 

 トロールがハリーに気を取られたその隙に、カティアはハーマイオニーのそばの薄汚れた便器へ向かって杖を複雑に動かした。便器は一瞬のうちに巨大なアナグマへと姿を変えた。

 アナグマはヒーヒーと悲鳴を上げて手足をばたつかせるハーマイオニーのローブに噛みつくと、廊下のほうへ必死に引きずり始める。

 

 一方、トロールはドシンドシンと向きを変え、鈍そうな目をぱちくりとさせた。卑しく小さな目がハリーをとらえる。

 一瞬の間があって、トロールは棍棒を振りかぶりながらハリーへと突進してきた。

 

 カティアは右手の杖をアナグマに向けてハーマイオニーを安全な場所へ誘導しながら、左手の人差し指をグイッと上にあげた。

 

 トイレの床が一部分だけ、五十センチほど隆起した。

 トロールは即席の段差に足の指をぶつけてそのまま派手に転倒した。巨体が個室や便器を次々と押し潰し、凄まじい破壊音が城中に響き渡る。

 

 だがトロールはすぐさま唸り声を上げながら起き上がった。今度は大上段に棍棒を構えると、カティアめがけて振り下ろしてきた。

 アナグマの操作に気を取られて一瞬反応が遅れたカティア。次の瞬間、ハリーが横合いから突進してきた。

 

 カティアは短い悲鳴を上げ、水道が壊れてびしょ濡れになった床に叩きつけられる。

 直後、さっきまでカティアが立っていた場所にトロールの棍棒がめり込んだ。石造りの床に大きな穴が開く。

 

 さらに怒りをあらわにしたトロールが、棍棒をめちゃくちゃに振り回した。

 ハーマイオニーはまだ恐怖のあまりアナグマに引きずられるままだったが、ロンは自分の杖を取り出して大きく振り上げた。

 

ウィンガーディアム・レヴィオーサ!

 

 棍棒がトロールの手を離れ、空中へと高く、高く舞い上がった。

 誰もが息をのんでそれを見つめた。棍棒はゆっくりと一回転し、それから鈍い打撃音を立てて持ち主の頭上に落ちてきた。

 

 トロールは千鳥足でふらふらと揺れた。

 そしてそのままうつ伏せに倒れ込み、ずしんという重い衝撃が部屋全体を揺さぶった。

 

 しばらく、誰一人動かなかった。

 ハリーに押し倒されたままの姿勢で、カティアは呆然と首を振った。冷たく濡れた床の感触が、かろうじて生きているのだということを教えてくれた。

 ハリーがゆっくりと立ち上がった。全員、息も絶え絶えだった。ロンはまだ杖を振り上げたまま棒立ちになっていた。

 おとなしく鼻を鳴らすアナグマの隣で、すでに半分ほど廊下に出ていたハーマイオニーが、ようやく口を開いた。

 

「これ、死んだの?」

 

「いや、ノックアウトされただけだと思う」ハリーは答えた。

 

 カティアはハリーに手を引かれ、よろよろと立ち上がった。

 

 急にバタンという音がして、バタバタと足音が聞こえた。

 四人は顔を上げた。トロールと戦っている最中は気づきもしなかったが、トロールが大暴れする音を階下の誰かが聞きつけたに違いない。

 

 まもなくマクゴナガル先生が飛び込んできた。そのすぐ後にスネイプ、最後はクィレルだった。

 クィレルはトロールを一目見るなり胸を押さえその場にへたり込んでしまった。スネイプはトロールをのぞき込み、それから鋭い目で周りを見回した。

 女子トイレの壁には五つものアーチ状の大穴が空いていた。床の一部は五十センチほどもせり上がり、個室も便器も粉砕されている。巨大なトロールが気絶して横たわり、カティアたちはびしょ濡れだった。

 

 マクゴナガルがカティアを見すえた。唇の色が蒼白だ。

 

「一体全体――――」

 

 ハーマイオニーを引きずっていたアナグマが、ポフッと便器に戻った。便器が石の床をガランガランと派手な音を立てて転がっていく。

 

「――――あなた方はどういうつもりなんですか」

 

 ハリーが視線をカティアにやったが、こちらにも策はない。

 ロンはまだ杖を振り上げたままの格好で突っ立っていた。

 

「殺されなかったのは運がよかっただけです。寮にいるべきあなた方が、どうしてここにいるんですか?」

 

 マクゴナガルは至極もっともなことを言った。

 カティアが何とかこの状況を収めようと思考を巡らせていると、ハーマイオニーが小さな声を上げた。

 

「マクゴナガル先生。聞いてください――三人とも、私を探しに来てくれたんです」

 

「ミス・グレンジャー!」マクゴナガルが驚愕した。

 

 ロンがギョッとしてハーマイオニーを振り返る。ハリーとカティアは素早く視線を交わしたが、どうすればいいのかまるで思いつかなかった。

 

「私がトロールを探しに来たんです。私……一人でトロールをやっつけられると思って。その……あの、本で読んでいたので、トロールについてはいろいろ知っているつもりで」

 

 ロンは杖を取り落とした。

 ハーマイオニーがマクゴナガル先生に嘘をついている。カティアの思考が今日一番の空白で埋め尽くされた。

 

「もし三人が見つけてくれなかったら、私、死んでいました。カティアが壁に穴を開けてくれたり、腰が抜けてしまった私を変身させた動物で逃がしてくれたり。ハリーもトロールの気を引いてカティアを助けていました。ロンはトロールの棍棒でノックアウトしてくれたんです。全員、誰かを呼びに行く時間なんてなかったんです。三人が来てくれた時には、もう殺される寸前で……」

 

 カティアは咄嗟に『そのとおりです』という顔を装った。

 即興で考えたにしては、真実と嘘が巧みに入り混じったかなりうまい言い訳だ。

 

 確かに三人がハーマイオニーを助けるために戦ったことは完全な事実だが、カティアが初手でトイレを封鎖してハーマイオニーの逃げ道を断ったという致命的なミスだけを都合よく隠してくれている。

 

「まあ……そういうことでしたら……」

 

 マクゴナガル先生は四人をじっと見つめた。

 

「ミス・グレンジャー、なんと愚かなことを。たった一人で野生のトロールを捕まえようなどと、どうしてそんなことを考えたのですか?」

 

 やはり、ハーマイオニーがトロール退治を目論んだという部分だけはかなり無理があった。

 それでもハーマイオニーはうなだれて、規則を破ったふりをしている。

 

「ミス・グレンジャー、グリフィンドールから五点減点です。あなたには失望しました。怪我がないなら、グリフィンドール塔に戻った方がよいでしょう。生徒たちが、さっき中断したパーティーの続きを寮でやっています」

 

 一瞬、マクゴナガルはハーマイオニーの嘘に気づいているのではないかとカティアは疑った。

 何はともあれ、ハーマイオニーは俯いたまま小走りで立ち去った。マクゴナガルは今度はこちらに向き直る。

 

「あなた方には一人五点ずつ差し上げましょう。ダンブルドア先生にはわたくしからご報告しておきます。帰ってよろしい」

 

 急いで部屋を出て、二階ほど上がるまで三人は一言も口をきかなかった。

 カティアがちらりと後ろを振り返ると、マクゴナガルはカティアの変身術によって開けられた大穴や隆起した床、そして消えた扉を修復して回っていた。

 

 何はともあれ、トロールの臭いから解放されたのだけはホッとした。

 

「三人で十五点って少なすぎるよな」ロンがぶつくさ言った。

 

「四人で十点だろ。ハーマイオニーの五点を引くと」とハリーが訂正した。

 

「私が最初にトイレを封鎖してトロールとハーマイオニーを閉じ込めた件を隠してくれて助かったよ」

 

 カティアはため息をついた。

 

 太った婦人の肖像画の前に着いた。中に入ると談話室には人が溢れていた。

 みんな談話室に運ばれてきた食べ物に群がっている。ハーマイオニーだけが一人ぽつんと扉のそばに立って待っていた。互いにとても気まずい一瞬が流れた。

 ハリーとロンが顔を見合わせもせず、それぞれ「ありがとう」とハーマイオニーに言ってから、急いで食べ物を取りに行った。

 

 カティアはぐしょぐしょになった自分のローブを見下ろした。それから同じく濡れているハーマイオニーのローブを見る。

 トイレの水道管が破裂する中で転がったり引きずられたりした結果の濡れ具合なので、このままご飯を食べるのは衛生的に苦しいものがある。

 

「……とりあえず着替える?」ハーマイオニーがカティアに提案してきた。

 

「そうしましょう。まったく、トロールなんてどこから入り込んできたのかしら……」

 

 カティアは首筋に手を当てながら返し、二人で女子寮へつながる階段を上った。

 

「…………………………………………ありがとうね。色々と」

 

 カティアは何とか感謝の言葉を絞り出した。

 ハーマイオニーも目を泳がせながら、ひどく言いにくそうにこう返してきた。

 

「………ううん。大丈夫よ。助けられたのは本当だもの」

 

 誰かと仲良くなるのに最も効果があることは、一緒に何らかの成功体験を積むことだ。

 四メートルもあるトロールを協力してノックアウトし、秘密を共有するという体験はまさしくそれだった。

 

 

 

 

 

 

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