オロホスを照らす夢   作:三日月ノア

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第3話 十四日前

 

 

屋敷の外壁には、ところどころ穴がある。

 

正面から見れば崩れだ。けれど内側にいると分かる。風が通る。音も通る。匂いまで入る。ただ壊れているだけじゃない。使うために残された穴みたいだった。

 

三日目の夜、その一つの前にしゃがんで、使った。

 

外から人の声がする。

 

「また死んだって」

 

「病気じゃないのか」

 

「あのボロ屋敷のせいだって言ってるだろ」

 

「でも誰が行くんだよ」

 

怒鳴っているわけじゃない。擦り切れた声だった。咳が混ざる。言葉の切れ目に、もう言い争う元気も残っていないのが分かる。

 

病気。

 

その二文字だけで喉が重くなる。知っていたはずなのに、こうして外から聞くと近い。原作の中の設定だったはずのものが、急に人の顔を持ち始める。

 

あと十四日もない。

 

またその感覚が来る。根拠は曖昧だ。なのに消えない。監視室の机で見た日付かもしれない。身体に残っていた予定かもしれない。ただの思い込みかもしれない。どれでもありそうで、そのどれでもなさそうだった。

 

「外に興味が?」

 

すぐ後ろで、タブンの声がした。

 

振り向く前に背中が冷たくなる。

 

「見回りだ」

 

「便利ですね、その言い方」

 

タブンは少し離れたまま立っていた。近づかない。逃げ道を残したまま見る方が、この女は好きなんだろう。

 

「村が騒がしいようです」

 

「聞こえた」

 

「でしょうね」

 

一拍。

 

「あなた、最近少し変です」

 

来た、と思った。

 

「どこが」

 

「見ている場所が違う」

 

即答だった。

 

「前のあなたなら、もっと早く切っていました。迷うところで迷わないし、止まるところでも止まらない」

 

言い返せない。前のソマンを知らないからだ。知っているのは、原作の後半で見た思想の硬さだけで、日常のソマンがどんなふうに眉をひそめ、どこで足を止めたのか、そこまではない。

 

タブンはまだこちらを見る。

 

「でも、不調とも違う」

 

「……」

 

「少しだけ、よく見ている」

 

嫌な言い方だ。褒めているようにも、試しているようにも聞こえる。

 

穴の前から離れる。タブンの横を通る。その時、わずかに花の匂いがした。

 

角の先に、細い影がいる。オロホスだった。袖に土がついている。今戻ったばかりらしい。

 

「何ですか、オロホス」

 

タブンが先に聞く。

 

オロホスはこっちだけを見た。

 

「ソマン姉様に、用事」

 

「私に?」

 

「部屋の鍵が……変で」

 

その言い方だけで、身体が先に分かった。どの扉か。どこが噛んでいるか。半分くらいは。頭じゃなく、指先の方が知っている感じだった。

 

「行く」

 

先にそう言う。

 

オロホスが少し目を丸くした。タブンは何も言わない。ただ視線だけが細い。

 

三人で少し歩く。途中でタブンは別の廊下へ逸れた。見張られているのか、外されたのか、その両方か。

 

オロホスの部屋の前で、扉は半端に引っかかっていた。鍵のせいじゃない。木が膨らんでいるだけだ。

 

差し込み、少し持ち上げて回す。すんなり閉まる。

 

「……直った」

 

「そうだな」

 

「ソマン姉様、そういうの得意だったっけ」

 

知らない。けれど、詰まる方が不自然だった。でもそれほど難しくない。ソマンらしくはないのか。

 

「忘れたな」

 

雑に返す。

 

オロホスは追及しなかった。代わりに扉を開け閉めして、それから小さく言う。

 

「・・・ありがとう」

 

その一言が妙に残る。監視対象に礼を言われる筋はないのに、妙にまっすぐ届く。

 

「次は、自分でやれ」

 

強めに言う。

 

オロホスは小さくうなずいた。けれど怒られた顔ではなかった。むしろ少しだけ、ほっとしているように見えた。

 

意味が分からない。ある程度は突き放しているつもりだった。

 

扉が閉まる。

 

一人残る。

 

十四日もない。その間に、ソマンのふりを覚える。鍵を覚える。タブンの視線の癖を覚える。オロホスがどこに何を持っていくのかも。

 

見ているだけじゃ足りない。

 

その前に、まず家の中でソマンとして破綻しないことだ。違う、と見抜かれたら終わる。優しすぎても駄目で、冷たすぎてもたぶん駄目だ。本来のソマンを知っているのは、俺じゃなく、あの二人の方なのだから。

 

それでも、もう引き返す場所はなかった。穴の向こうから入ってくる夜気が、まだ細く廊下に残っていた。

 

監視室へ戻る前に、外壁の穴をもう一度見た。夜風は細いのに、そこだけ家の中へ深く入ってくる。オロホスはあそこを使う。村の声も、病気の噂も、たぶんあの穴から少しずつ屋敷の中へ入っている。

 

もし十四日後にユウが来るなら、あいつは正面から来るのか。それとも別の道か。原作の記憶を引っ張ろうとしても、そこだけ嫌にぼやけている。細かい順番がない。あるのは、来る、という感じだけだ。

 

それが一番厄介だった。知っているつもりで、肝心の手順を外す。そういう失敗だけは、もうしそうな気がしている。だから先に動くしかない。原作通りを待つんじゃなく、その前に屋敷の中の目と足をこちらで持つしかない。

 

扉の向こうで、オロホスがもう一度開け閉めを試す音がした。ぎこちない。まだ少し引っかかっているのかもしれない。助けたつもりはない。ただ直しただけだ。なのに、向こうはたぶんそう受け取らない。そこもまた面倒だった。

 

タブンの足音はもう遠い。けれど、完全に離れた感じはしなかった。あの女は、彼女はたぶん、見ていない時ほど見ている。そういう嫌さがある。

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