オロホスを照らす夢   作:三日月ノア

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ほのぼのとした内容が苦手です


第9話 来る前

 

監視室の画面に、村の方角は映らない。

映るのは屋敷の中だけだ。階段前。食糧庫。東棟。中庭側。切り替えても、それ以上はない。だから逆に、外のことを考える時ほど画面が邪魔になる。

青白い四角が壁に並んでいる。どれも静かだ。静かなのに、見ていると落ち着かない。村の方で何かが起きていても、ここには映らない。屋敷の中だけ切り取って、外を無かったことにしているみたいだった。

夜が浅い時間、東棟の画面の端にタブンが映った。

画面の中ではどの廊下も同じ色をしているのに、今夜だけは東棟の暗さが少し重い。理由はない。ないまま、そう見える。そういう勘だけが先に来る。理由は後から付く。その遅れ方が、いちばん嫌だった。待たされている感じがする。家ごと。息を潜めて。全部。

タブンは止まる。誰かの部屋の前。しばらく動かない。次に切り替えた時には消えている。

嫌な予感がして、監視室を出た。

廊下の先で、オロホスが立っていた。

扉は閉まっている。表情だけで分かる。今、ここにいたのはタブンだ。

「何された」

「別に」

「その顔で通るか」

「……怒られただけ」

怒られた、だけ。

「何で」

「最近、外に出るから」

「それだけか」

「あと、知らない紙を拾いすぎって」

そこで少しだけ息が止まる。

紙。書斎のことまで見えているのか。いや、そこまではまだ分からない。ただ、タブンの目が前より近い。それだけで十分まずい。

オロホスは扉に背を預ける。肩が少しだけ固い。怒られたあとの顔、というより、まだ怒られ終わっていない顔だった。

「ソマン姉様も、怒られたことある?」

「あるだろ」

「今のソマン姉様じゃなくて」

返事が詰まる。

「今の」をそこに混ぜるな、と思う。

「知らない」

雑に切る。

けれどオロホスは珍しく引かなかった。

「最近、たまに違う」

「何が」

「……姉様なのに、知らない顔する」

その言い方が妙に刺さる。

違う。知らない。だが、認められるわけがない。

「用がないなら戻れ」

「うん」

オロホスは頷く。でも動かない。

「何だ」

「ひとつだけ」

少し間があく。

「村の子、来るの」

そこで、背中が冷たくなった。

「何でそう思う」

「外、うるさいから」

それだけだった。

たぶんオロホスは、病気の意味も、村の被害の広がりも全部は分かっていない。ただ、屋敷の外の空気が変わっていることだけは知っている。だから来る、と思う。それだけの話だ。

けれど、その「それだけ」が一番鋭い。

「……来るかもしれない」

やっとそう言うと、オロホスは少しだけ目を伏せた。

「そっか」

「嫌か」

「分からない」

それは本音なんだろう。嫌とも、待っているとも言えない声だった。

「でも、来たら」

「来たら?」

「ソマン姉様は、追い出す?」

答えが遅れる。

原作のソマンなら、そうする。少なくとも最初は迷いなく。今の自分は違う。けれど、違うとそのまま出したら終わる。

「侵入者なら、そうだ」

短く返す。

オロホスはそれを聞いて、小さく頷いた。納得したわけじゃない。言葉だけ受け取った顔だ。本音と受け取っていないのかもしれない。それもまた困る。

「オロホス」

「何」

「来ても、すぐ近づくな」

「どうして」

「だからだ」

雑だ。ひどく雑だと思う。

けれど、説明の仕方が分からない。原作知識をそのまま渡すわけにもいかないし、渡せるほど正確でもない。

オロホスは少し首を傾げた。

「やっぱり変」

「何が」

「前なら、近づくな、じゃなくて、見つけたらすぐ報告しろって言う」

黙る。

そこまで見られているのか、と改めて思う。自分がロールプレイしているつもりでも、比べられる基準は向こうにある。優しすぎても違う。言葉を濁しても違う。

扉の下から、冷たい空気が少し流れてくる。中に入るか迷って、そのまま壁に寄る。

「……来たら、どうするつもりだ」

聞くと、オロホスは少し考えた。

「分からない」

「考えてないのか」

「考えると、変になるから」

その言い方は分かる気がした。

考え始めると、命令と、外の声と、花と、拾った紙と、全部が噛み合わなくなるんだろう。

「じゃあ今のうちに考えろ」

「ソマン姉様も?」

「私はいい」

「またそれ」

少しだけ、口元が緩む。笑ったわけじゃない。けれど、怒られている時の顔ではなかった。

「前にも、いた?」

不意にオロホスが聞いた。

「何が」

「村の子。こういうの」

こういうの、で通じる。外が近い夜。家の中が落ち着かない感じ。扉の向こうに誰か来そうな時の空気。

「……知らない」

またそれだ、と言いたげにオロホスが目を細める。

「前のこと、あんまり知らないね」

「お前もだろ」

「私は、知らなくていいって言われてるから」

言い方が静かだった。その静かさが逆に残る。知らなくていい。そう言われ続けてきた人間の声だ。

その時、廊下の奥で何かが倒れる音がした。

二人ともそっちを見る。食糧庫の方だ。

走る。

角を曲がる。扉は半開き。中には誰もいない。ただ、腐った野菜の箱が一つ落ちて、床に中身をぶちまけていた。

踏まれた跡はない。風か、鼠か、それとも別か。

オロホスが少し遅れて入ってくる。

「また?」

「前にもあるのか」

「たまに。誰も触ってないのに、なる」

それ以上の説明はなかった。

床に散った野菜を見下ろす。腐っている。色も匂いも最悪だ。汁が木の隙間にまで入りこんで、黒ずんでいる。片づけるというより、もう染みついていた。

オロホスがしゃがみ込んで、一つ拾おうとした。

「触るな」

思わず言う。

オロホスが手を止める。

「何で」

「腐ってる」

「でも、片づけないと」

「後でいい」

「……ソマン姉様、そういうこと言うんだ」

たぶん言わなかったんだろう。片づけろ、の方を先に言う。触るな、じゃなく。

「とにかく触るな」

言い直す。

オロホスはその手を引いた。素直に引いたせいで、逆にまずい気がする。こうやって覚えられていく。

腐った匂いの奥で、別の臭いがした。古い紙が湿ったみたいな臭いだ。食糧庫には似合わない。壁際の穴のあたりから来る。外の空気かもしれないし、別の場所の臭いかもしれない。

「ここ、前からこんな匂いだったか」

「どれ」

「腐ったのじゃない方」

オロホスは少し鼻を鳴らした。

「分からない。ここ、だいたい変な匂いだから」

もっともだった。

箱を元へ戻す。軽い。中身が減っているからだけじゃない。底がもう湿りで歪んでいた。少し押しただけで、板がぎし、と鳴る。

「食べてるのか」

口から出てから、自分でも雑だと思う。

「何を」

「ここにあるやつ」

「たまに」

「よく平気だな」

「平気じゃない時もある」

そこで止まる。

食糧庫を出る時、オロホスが半歩だけ遅れた。振り向くと、壁の穴の方を見ている。

「何だ」

「別に」

「その顔で通るか」

さっき自分が言った言葉を、そのまま返す形になる。オロホスは少しだけ口を閉じた。

「……来る前って、物が動くこと、ある」

そこで足が止まる。

「何が」

「箱とか。紙とか。閉まってたところとか」

「前にもあったのか」

「うん。お客さん、来る前」

それは原作知識にはなかった。いや、あったのかもしれないが、自分はそこを覚えていない。

「何で先に言わない」

「今、思い出したから」

責められない返しだった。オロホスはそういうふうにしか覚えていない。紙を見て、匂いで引っかかって、物が落ちて、そこでやっと思い出す。

「他には」

「家が、ちょっと違う」

「違うって何だ」

「……静かじゃないのに、静かな感じ」

分かりにくい。分かりにくいが、言いたいことは少し分かる。音がないんじゃない。待っている静けさだ。

廊下へ出る。東棟へ向かう風が、いつもより細い。板のきしむ音まで遠い。

「オロホス」

「何」

「今日は外に出るな」

「……分かった」

言い返さないのが逆に嫌だった。納得したからじゃない。今日はそれどころじゃないと本人も感じているんだろう。

「花も持っていくな」

「うん」

「本当に分かったのか」

「分かったよ」

返事はした。けれど、花のことを言われた時だけ、指先が少し動いた。身体の方はまだ向こうへ行きたがっている。

東棟の角で別れる前、オロホスが一度だけ振り向いた。

「ソマン姉様」

「何だ」

「来たら、知らせる」

それはたぶん、さっきの「報告しろ」の代わりなんだろう。前のソマンへ返すはずの言葉を、今のこっちへ置き直している。

「……そうしろ」

それだけ返す。

監視室へ戻る頃には、かなり遅かった。

椅子に座る。画面を順に開く。東棟。階段前。食糧庫。何も変わらない。監視室の机には、昨夜から動かしていない鍵束が置いたままだった。持ち出すたびに位置がずれる。戻すたびに音が鳴る。そんな小さい違いまで、今はやけに気に障る。

村の子が来る。

オロホスもそれを感じている。タブンはたぶん、もっと先まで見ている。そして自分だけが、原作を知っているつもりで一番曖昧だ。

外は見えない。見えないくせに、向こうから押されている感じだけはある。屋敷の方が外を意識し始めている。そういう夜だった。

画面の端で、東棟の扉が少し動く。

オロホスの部屋だ。

その映像を見たまま、机の上の鍵束へ手を置いた。金属は冷たい。手の中で鳴るほど動かさない。ただ触れる。

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