普通科のシンデレラ   作:きたりあ

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少し息を吐いて

 

「あなた、アイドルをする気は無い?」

 

 レッスン室の空気が、少しだけ止まった気がした。

 

「いいえ、言葉が足りなかったわね。あなたをプロデュースさせて頂戴」

 

 十王星南はまっすぐこちらを見ていた。冗談でも、思いつきでもない顔だった。

 

 私は一度、瞬きをした。

 

「……冗談でしょ。悪いけど、興味ない」

 

 口から出たのは、我ながら拍子抜けするくらいあっさりした言葉だった。

 

 少しだけ、間があいた。

 

「そう、残念ね」

 

 星南はそれだけ言った。驚いた様子も、困った様子もなかった。ただ、確かめた、というような声だった。

 

「私は普通科なんで」

 

 なんとなく、付け足した。理由というほどのものでもない。ただ、それが一番しっくりきた。

 

 佑芽が小さく「えっ」と声を漏らした。

 

「凛ちゃん、もったいないよ……!」

 

 千奈は両手を胸の前で握りしめたまま、じっと私を見ている。篠澤さんは何も言わない。ただ、さっきと同じまっすぐな目でこちらを見ていた。

 

 トレーナーだけが、小さく息を吐いた。

 

「今日は終わりにしましょうか。渋谷さん、ありがとうございました。また、いつでもいらしてくださいね」

 

 声は穏やかだった。でも、どこか納得していない響きがあった。

 

 星南は一歩だけこちらに近づいた。

 

「また勧誘させてもらうわ」

 

 宣言、という言葉がぴったりな声だった。有無を言わせない、でも押しつけがましくもない。ただ、決定事項として告げる声。

 

 それだけ言って、踵を返した。

 

 ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。

 

 しばらく、誰も喋らなかった。

 

「……すごいですわ」

 

 最初に声を出したのは千奈だった。

 

「渋谷さん、すごいですわ……!」

 

「何が?」

 

「スカウトなんて初めて見ましたわ……!」

 

 佑芽が被せるように言った。

 

「いいなあスカウト!本当に受けないの?もったいないよ!」

 

 目をきらきらさせている。まるで自分のことみたいに嬉しそうだった。

 

「別に……」

 

 なんて返せばいいのかわからなかった。

 

 私は壁から背中を離した。

 

「帰るね」

 

「あっ……!」

 

 千奈が慌てて顔を上げた。

 

「今日は、本当にありがとうございました、渋谷さん!」

 

 ぺこりと深く頭を下げた。佑芽も少し不満を残しながらも「ありがとう、凛ちゃん!」と大きく手を振る。篠澤さんは、ほんの少しだけ頷いた。

 

「……うん」

 

 私は小さく返して、レッスン室を出た。

 

-----

 

 廊下に出ると、さっきまでの空気が嘘みたいに軽くなった。

 

 扉の向こうからは、まだ話し声が聞こえている。誰かが笑って、誰かが何かを言っている。

 

 私は一度だけ振り返って、それから歩き出した。

 

 別に、何かが変わったわけじゃない。ただ少しだけ、いつもより人に見られていた気がする。それだけだった。

 

 階段を降りながら、ふとよぎった。

 

 スカウト。

 

 あんなの、普通に断るものじゃないのか。よく分からないけど、少なくとも——私には関係のない話だ。

 

 普通科なんだし。

 

 それだけで、十分な理由になる気がした。

 

 外に出ると、もう日が傾きかけていた。風が少しだけ冷たい。

 

 私はスマホを取り出して時間を確認して、それからそのままポケットに戻した。

 

 歩きながら、頭の中をぐるぐるするものがあった。

 

 あの日の時間が、なんかよかった。

 

 それは本当だ。三人が下手なりに踊っていて、楽しそうで、口ずさんでいたら歌っていた。歌い終わったら佑芽が叫んで、千奈が目を丸くして、篠澤さんが静かに見ていた。トレーナーが「素質がある」と言った。星南が「プロデュースさせて」と言った。

 

 でも、だからって。

 

 普通科なんだし。

 

 家から一本、制服がかわいい、偏差値もそこそこ。それだけの理由で選んだ学校で、それだけの理由で十分だった。アイドルになりたいとか、夢があるとか、そういうのは最初から持っていなかった。

 

 今日は、ただそれだけの日だった。

 

 それでよかった。

 

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 二日後の昼休み。

 

 教室の中は、いつも通りの騒がしさだった。弁当の匂いと、誰かの笑い声と、机を引く音が混ざっている。私は自分の席でパンの袋を開けながら、なんとなく窓の外を見ていた。特に理由はない。ただ、ぼんやりしていただけだった。

 

 そのときだった。

 

「凛!」

 

 やけに通る声が、教室の入り口から飛んできた。

 

 聞き覚えがありすぎる声だった。

 

 私は反射的に顔を上げた。そして——固まった。

 

 入口に立っていたのは、十王星南だった。相変わらず、姿勢がいい。無駄に堂々としている。しかも、めちゃくちゃ目立っていた。

 

 教室の空気が一瞬だけ静まり返る。何人かが「え?」みたいな顔をして、こちらを見ている。

 

「スカウトに来たわ!」

 

 星南が胸を張って言った。

 

 なんでそんなに堂々としてるんだ、この人。

 

 私は無言で立ち上がった。

 

「え? 渋谷?」

 

 誰かが声をかけてきた気がしたけど、無視した。

 

 とりあえず、逃げる。

 

 私はそのまま教室を出た。

 

「ちょっと凛!待ちなさい!」

 

 後ろから声が飛んでくる。

 

 知らない。廊下を曲がって、階段を降りる。購買の方へ向かいながら、小さく息を吐いた。

 

 ……馬鹿じゃないの。

 

 本当に来るとは予想していなかった。いや、予想していなかったわけじゃないけど。ああいうのって、普通は一回断られたら終わりなんじゃないのか。

 

 分からない。でも——とにかく、面倒だった。

 

-----

 

 それから、何度か同じことが起きた。

 

 三日後。

 

「凛!」

 

 教室の入り口から聞こえた瞬間、私は立ち上がった。

 

「ちょっと、また来てる!」

 

 クラスの誰かが小声で言う。私は無視して、そのまま廊下に出た。トイレに向かう。後ろから足音が追いかけてくる。

 

「待ちなさいってば!」

 

「興味ないので」

 

 振り返らずに言った。

 

「だからこそ来てるのよ!」

 

 意味が分からない。

 

 私はそのまま女子トイレに入った。さすがに中までは来ないだろう。個室に入って、扉を閉める。しばらくして、足音が遠ざかっていった。

 

 静かになってから、小さく息を吐いた。

 

 ……なんなんだ、本当に。

 

 さらに数日後、購買前。

 

「凛!」

 

 声がした瞬間、私は反対方向に歩き出した。

 

「逃げないで!」

 

「逃げてません」

 

 逃げてるけど。私はそのまま階段を上がった。後ろから「また来るわよ!」という声が飛んでくる。

 

 やれやれ、という気分だった。

 

 さらにその翌日。今度は放課後、下駄箱のところで待ち伏せされていた。

 

「凛」

 

 靴を履き替えようとしたところで声がかかる。振り向くと、星南が壁にもたれて立っていた。いつもの堂々とした立ち姿で、手には何か書類を持っている。

 

「今日は叫ばないの」

 

「叫ぶ必要がないもの。ここで待っていれば来るから」

 

 合理的すぎて返す言葉がなかった。

 

 私は無言で靴を履いた。

 

「なんで私だと分かったの」

 

「毎日来てたら分かるわ」

 

 当たり前のように言った。

 

「……変な人だ」

 

「そう? 私は普通よ」

 

 全然普通じゃない。でも、言い返すのも面倒だった。

 

 星南は書類を鞄にしまって、それから付け加えた。

 

「また来るわ」

 

「知ってる」

 

 私は外に出た。後ろから、下駄箱の扉が閉まる音がした。

 

 そんなことが、何度か続いた。

 

 別に怒っているわけでもない。ただ、面倒なだけだった。

 

 それでも——不思議と、完全に無視することはできなかった。声が聞こえれば、分かる。ああ、また来たんだな、って。それだけだった。

 

-----

 

 星南の声を避けるようになってから、妙なことが起きた。

 

 アイドル科の生徒が、目に入るようになった。

 

 今まで気にしていなかったわけじゃない。でも、意識して見ていたわけでもなかった。それが、なんとなく引っかかるようになった。

 

 ある日の昼休み、購買帰りに屋上の近くを通ったとき、フェンス越しに人影が見えた。何人かが音楽に合わせて動いている。窓から差し込む五月の光の中で、腕が弧を描いて、足が床を蹴る。屋上でダンスレッスンをやっているらしかった。

 

 立ち止まって見ていたわけじゃない。ただ、通り過ぎながら、視線が自然とそっちに向いた。

 

 音楽が漏れ聞こえてくる。知らない曲だった。それに合わせて、何人かの身体が同じ動きを繰り返している。揃っているとは言えなかった。でも、誰一人やめなかった。曲が終わると、すぐにまた最初から始まった。

 

 別に、上手いとか下手とかじゃない。ただ、動いていた。止まらなかった。

 

 帰り道でも同じだった。

 

 校門を出て少し歩いたところで、前を走っている生徒に気づいた。アイドル科の生徒だろうか。ランニングの途中らしくて、こちらを抜かしていった。顔は知らない。でも、走り去っていく背中をしばらく目で追っていた。

 

 放課後、中庭を横切ったとき、ベンチで発声練習をしている子がいた。口を大きく開けて、お腹から声を出している。恥ずかしいとか、人目が気になるとか、そういう様子は一切なかった。ただ、真剣だった。

 

 今まで、こういう光景は確かにあったはずだ。

 

 でも、こんなふうに目に留まることはなかった。

 

 なんでだろう、とは考えなかった。

 

 ただ、目に入った。それだけだった。

 

-----

 

 気がつけば、二週間くらい経っていた。

 

 ある日の放課後。

 

 私は教室を出たあと、少し歩いてから足を止めた。

 

 忘れ物。机の中に、ノートを置きっぱなしにしていた気がする。別に今日じゃなくてもいいけど、なんとなく戻ることにした。

 

 階段を上がって、廊下を歩く。夕方の校舎は、昼間より静かだった。人の気配が、少ない。教室のほとんどは、もう暗くなっていた。

 

 ノートを取り出して、また廊下に出る。

 

 帰ろうとして、ふと足が止まった。

 

 窓の外に、アイドル科の棟が見えた。

 

 普通科から直接見える角度じゃないから、今まで気にしたことがなかった。でも今日は、西日の加減で、向こうの棟の窓がよく見えた。

 

 暗くなっている窓が多い中、一つだけ、明かりがついていた。

 

 なんとなく、気になった。

 

 理由はない。ただ、気になった。

 

 普通科の棟を出て、渡り廊下を歩く。アイドル科の棟に入るのは、あの日以来だった。廊下の空気がすこし違う。壁に貼られたポスターも、公演の告知や練習スケジュールで埋まっていて、普通科とは雰囲気が違った。

 

 明かりのついている教室を探して、廊下を歩く。

 

 音がした。

 

 何か、リズムみたいな音。

 

 気になって、そっと視線を向けた。

 

 中にいたのは、一人の生徒だった。長い銀色の髪が、揺れていた。何度も、同じ動きを繰り返している。腕を上げて、下ろして、また上げて。止まらない。ただ、それを繰り返している。

 

 ……一生懸命、やってるな。

 

 すごい、とか。羨ましい、とか。そういうのじゃない。ただ。

 

 ああ、こういう感じなんだな、って。やりたいことがある人って。

 

 それだけだった。

 

 私はそのまま、静かに視線を外した。見ている理由もないし、見られる理由もない。帰るだけだ。

 

 でも。

 

 さっきの光景が、少しだけ頭に残っていた。銀髪が、何度も揺れていた。それだけなのに、妙に目に残っていた。

 

-----

 

 校門を出る頃には、空が少し暗くなっていた。

 

 歩きながら、ぼんやりと考える。

 

 夢中になれるもの。ああいうの。自分には、ないな。今まで、一度も。

 

 別に困ってないし、不自由もしてない。

 

 でも。

 

 ないな、って。

 

 屋上で踊っていた子も、走っていた子も、一人で練習していたあの子も。みんな、何かに向かっていた。上手いかどうかとか、疲れているとか、そういうことより前に、向かっている場所がある。

 

 それが共通していた。

 

 あの日のレッスン室も、そうだった。三人ともヘトヘトで、全然上手くなかった。でも、楽しそうだった。向かっている場所があるから、しんどくても止まらなかった。

 

 それが、ただ目に残った。

 

 そのとき、ふと。入学式のことを思い出した。

 

『君が夢中になれる何かが、この学園で見つかるといいな』

 

 学園長の声が、頭の奥でよぎった。あのときは、特に意味なんて考えていなかった。ただ、聞き流しただけだった。

 

 でも今になって、少しだけ引っかかった。

 

 夢中になれるもの。もし、そんなのが見つかるなら。何が待っているのかなんて、分からないけど。

 

 少なくとも——今みたいに、何もないままよりは。

 

 少しだけ、ましかもしれない。

 

-----

 

 翌日の昼休み。

 

 いつものように席でパンを開けていると。

 

「凛!」

 

 また、声がした。聞き慣れた声だった。

 

 私は小さく息を吐いた。

 

 またか。

 

 もう反射で立ち上がりそうになって——少しだけ、止まった。

 

 それから。ゆっくりと、入口の方を見た。

 

 十王星南が立っていた。いつもと同じ顔。いつもと同じ声。いつもと同じ勢い。

 

「今日もスカウトに来たわ!」

 

 堂々と言い切る。本当に、懲りない人だ。

 

 私は席を立った。でも今度は、逃げなかった。

 

「……一つだけ、聞いていいですか」

 

 自分でも少しだけ意外な声だった。

 

 星南が目を瞬かせる。

 

「なに?」

 

 私は、ほんの少しだけ間を置いて。それから言った。

 

「アイドルになれば——」

 

 一度、息を吸う。

 

「夢中になれるものって、見つかると思いますか」

 

 教室が、少しだけ静かになった気がした。

 

 星南は、すぐには答えなかった。

 

 一拍。それから、静かに言った。

 

「保証はしないわ」

 

 はっきりした声だった。

 

「でも——」

 

 少しだけ、口元が緩んだ。

 

「見つけた子は、何人も見てきた」

 

 嘘じゃない声だった。

 

 私は、小さく息を吐いた。

 

 それから。

 

「……分かりました」

 

 自分でも、驚くくらい普通の声だった。

 

「アイドル科の勧誘、受けます」




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