週1を目処に投稿しますのでよろしくお願いします!
「あなた、アイドルをする気は無い?」
レッスン室の空気が、少しだけ止まった気がした。
「いいえ、言葉が足りなかったわね。あなたをプロデュースさせて頂戴」
十王星南はまっすぐこちらを見ていた。冗談でも、思いつきでもない顔だった。
私は一度、瞬きをした。
「……冗談でしょ。悪いけど、興味ない」
口から出たのは、我ながら拍子抜けするくらいあっさりした言葉だった。
少しだけ、間があいた。
「そう、残念ね」
星南はそれだけ言った。驚いた様子も、困った様子もなかった。ただ、確かめた、というような声だった。
「私は普通科なんで」
なんとなく、付け足した。理由というほどのものでもない。ただ、それが一番しっくりきた。
佑芽が小さく「えっ」と声を漏らした。
「凛ちゃん、もったいないよ……!」
千奈は両手を胸の前で握りしめたまま、じっと私を見ている。篠澤さんは何も言わない。ただ、さっきと同じまっすぐな目でこちらを見ていた。
トレーナーだけが、小さく息を吐いた。
「今日は終わりにしましょうか。渋谷さん、ありがとうございました。また、いつでもいらしてくださいね」
声は穏やかだった。でも、どこか納得していない響きがあった。
星南は一歩だけこちらに近づいた。
「また勧誘させてもらうわ」
宣言、という言葉がぴったりな声だった。有無を言わせない、でも押しつけがましくもない。ただ、決定事項として告げる声。
それだけ言って、踵を返した。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
しばらく、誰も喋らなかった。
「……すごいですわ」
最初に声を出したのは千奈だった。
「渋谷さん、すごいですわ……!」
「何が?」
「スカウトなんて初めて見ましたわ……!」
佑芽が被せるように言った。
「いいなあスカウト!本当に受けないの?もったいないよ!」
目をきらきらさせている。まるで自分のことみたいに嬉しそうだった。
「別に……」
なんて返せばいいのかわからなかった。
私は壁から背中を離した。
「帰るね」
「あっ……!」
千奈が慌てて顔を上げた。
「今日は、本当にありがとうございました、渋谷さん!」
ぺこりと深く頭を下げた。佑芽も少し不満を残しながらも「ありがとう、凛ちゃん!」と大きく手を振る。篠澤さんは、ほんの少しだけ頷いた。
「……うん」
私は小さく返して、レッスン室を出た。
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廊下に出ると、さっきまでの空気が嘘みたいに軽くなった。
扉の向こうからは、まだ話し声が聞こえている。誰かが笑って、誰かが何かを言っている。
私は一度だけ振り返って、それから歩き出した。
別に、何かが変わったわけじゃない。ただ少しだけ、いつもより人に見られていた気がする。それだけだった。
階段を降りながら、ふとよぎった。
スカウト。
あんなの、普通に断るものじゃないのか。よく分からないけど、少なくとも——私には関係のない話だ。
普通科なんだし。
それだけで、十分な理由になる気がした。
外に出ると、もう日が傾きかけていた。風が少しだけ冷たい。
私はスマホを取り出して時間を確認して、それからそのままポケットに戻した。
歩きながら、頭の中をぐるぐるするものがあった。
あの日の時間が、なんかよかった。
それは本当だ。三人が下手なりに踊っていて、楽しそうで、口ずさんでいたら歌っていた。歌い終わったら佑芽が叫んで、千奈が目を丸くして、篠澤さんが静かに見ていた。トレーナーが「素質がある」と言った。星南が「プロデュースさせて」と言った。
でも、だからって。
普通科なんだし。
家から一本、制服がかわいい、偏差値もそこそこ。それだけの理由で選んだ学校で、それだけの理由で十分だった。アイドルになりたいとか、夢があるとか、そういうのは最初から持っていなかった。
今日は、ただそれだけの日だった。
それでよかった。
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二日後の昼休み。
教室の中は、いつも通りの騒がしさだった。弁当の匂いと、誰かの笑い声と、机を引く音が混ざっている。私は自分の席でパンの袋を開けながら、なんとなく窓の外を見ていた。特に理由はない。ただ、ぼんやりしていただけだった。
そのときだった。
「凛!」
やけに通る声が、教室の入り口から飛んできた。
聞き覚えがありすぎる声だった。
私は反射的に顔を上げた。そして——固まった。
入口に立っていたのは、十王星南だった。相変わらず、姿勢がいい。無駄に堂々としている。しかも、めちゃくちゃ目立っていた。
教室の空気が一瞬だけ静まり返る。何人かが「え?」みたいな顔をして、こちらを見ている。
「スカウトに来たわ!」
星南が胸を張って言った。
なんでそんなに堂々としてるんだ、この人。
私は無言で立ち上がった。
「え? 渋谷?」
誰かが声をかけてきた気がしたけど、無視した。
とりあえず、逃げる。
私はそのまま教室を出た。
「ちょっと凛!待ちなさい!」
後ろから声が飛んでくる。
知らない。廊下を曲がって、階段を降りる。購買の方へ向かいながら、小さく息を吐いた。
……馬鹿じゃないの。
本当に来るとは予想していなかった。いや、予想していなかったわけじゃないけど。ああいうのって、普通は一回断られたら終わりなんじゃないのか。
分からない。でも——とにかく、面倒だった。
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それから、何度か同じことが起きた。
三日後。
「凛!」
教室の入り口から聞こえた瞬間、私は立ち上がった。
「ちょっと、また来てる!」
クラスの誰かが小声で言う。私は無視して、そのまま廊下に出た。トイレに向かう。後ろから足音が追いかけてくる。
「待ちなさいってば!」
「興味ないので」
振り返らずに言った。
「だからこそ来てるのよ!」
意味が分からない。
私はそのまま女子トイレに入った。さすがに中までは来ないだろう。個室に入って、扉を閉める。しばらくして、足音が遠ざかっていった。
静かになってから、小さく息を吐いた。
……なんなんだ、本当に。
さらに数日後、購買前。
「凛!」
声がした瞬間、私は反対方向に歩き出した。
「逃げないで!」
「逃げてません」
逃げてるけど。私はそのまま階段を上がった。後ろから「また来るわよ!」という声が飛んでくる。
やれやれ、という気分だった。
さらにその翌日。今度は放課後、下駄箱のところで待ち伏せされていた。
「凛」
靴を履き替えようとしたところで声がかかる。振り向くと、星南が壁にもたれて立っていた。いつもの堂々とした立ち姿で、手には何か書類を持っている。
「今日は叫ばないの」
「叫ぶ必要がないもの。ここで待っていれば来るから」
合理的すぎて返す言葉がなかった。
私は無言で靴を履いた。
「なんで私だと分かったの」
「毎日来てたら分かるわ」
当たり前のように言った。
「……変な人だ」
「そう? 私は普通よ」
全然普通じゃない。でも、言い返すのも面倒だった。
星南は書類を鞄にしまって、それから付け加えた。
「また来るわ」
「知ってる」
私は外に出た。後ろから、下駄箱の扉が閉まる音がした。
そんなことが、何度か続いた。
別に怒っているわけでもない。ただ、面倒なだけだった。
それでも——不思議と、完全に無視することはできなかった。声が聞こえれば、分かる。ああ、また来たんだな、って。それだけだった。
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星南の声を避けるようになってから、妙なことが起きた。
アイドル科の生徒が、目に入るようになった。
今まで気にしていなかったわけじゃない。でも、意識して見ていたわけでもなかった。それが、なんとなく引っかかるようになった。
ある日の昼休み、購買帰りに屋上の近くを通ったとき、フェンス越しに人影が見えた。何人かが音楽に合わせて動いている。窓から差し込む五月の光の中で、腕が弧を描いて、足が床を蹴る。屋上でダンスレッスンをやっているらしかった。
立ち止まって見ていたわけじゃない。ただ、通り過ぎながら、視線が自然とそっちに向いた。
音楽が漏れ聞こえてくる。知らない曲だった。それに合わせて、何人かの身体が同じ動きを繰り返している。揃っているとは言えなかった。でも、誰一人やめなかった。曲が終わると、すぐにまた最初から始まった。
別に、上手いとか下手とかじゃない。ただ、動いていた。止まらなかった。
帰り道でも同じだった。
校門を出て少し歩いたところで、前を走っている生徒に気づいた。アイドル科の生徒だろうか。ランニングの途中らしくて、こちらを抜かしていった。顔は知らない。でも、走り去っていく背中をしばらく目で追っていた。
放課後、中庭を横切ったとき、ベンチで発声練習をしている子がいた。口を大きく開けて、お腹から声を出している。恥ずかしいとか、人目が気になるとか、そういう様子は一切なかった。ただ、真剣だった。
今まで、こういう光景は確かにあったはずだ。
でも、こんなふうに目に留まることはなかった。
なんでだろう、とは考えなかった。
ただ、目に入った。それだけだった。
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気がつけば、二週間くらい経っていた。
ある日の放課後。
私は教室を出たあと、少し歩いてから足を止めた。
忘れ物。机の中に、ノートを置きっぱなしにしていた気がする。別に今日じゃなくてもいいけど、なんとなく戻ることにした。
階段を上がって、廊下を歩く。夕方の校舎は、昼間より静かだった。人の気配が、少ない。教室のほとんどは、もう暗くなっていた。
ノートを取り出して、また廊下に出る。
帰ろうとして、ふと足が止まった。
窓の外に、アイドル科の棟が見えた。
普通科から直接見える角度じゃないから、今まで気にしたことがなかった。でも今日は、西日の加減で、向こうの棟の窓がよく見えた。
暗くなっている窓が多い中、一つだけ、明かりがついていた。
なんとなく、気になった。
理由はない。ただ、気になった。
普通科の棟を出て、渡り廊下を歩く。アイドル科の棟に入るのは、あの日以来だった。廊下の空気がすこし違う。壁に貼られたポスターも、公演の告知や練習スケジュールで埋まっていて、普通科とは雰囲気が違った。
明かりのついている教室を探して、廊下を歩く。
音がした。
何か、リズムみたいな音。
気になって、そっと視線を向けた。
中にいたのは、一人の生徒だった。長い銀色の髪が、揺れていた。何度も、同じ動きを繰り返している。腕を上げて、下ろして、また上げて。止まらない。ただ、それを繰り返している。
……一生懸命、やってるな。
すごい、とか。羨ましい、とか。そういうのじゃない。ただ。
ああ、こういう感じなんだな、って。やりたいことがある人って。
それだけだった。
私はそのまま、静かに視線を外した。見ている理由もないし、見られる理由もない。帰るだけだ。
でも。
さっきの光景が、少しだけ頭に残っていた。銀髪が、何度も揺れていた。それだけなのに、妙に目に残っていた。
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校門を出る頃には、空が少し暗くなっていた。
歩きながら、ぼんやりと考える。
夢中になれるもの。ああいうの。自分には、ないな。今まで、一度も。
別に困ってないし、不自由もしてない。
でも。
ないな、って。
屋上で踊っていた子も、走っていた子も、一人で練習していたあの子も。みんな、何かに向かっていた。上手いかどうかとか、疲れているとか、そういうことより前に、向かっている場所がある。
それが共通していた。
あの日のレッスン室も、そうだった。三人ともヘトヘトで、全然上手くなかった。でも、楽しそうだった。向かっている場所があるから、しんどくても止まらなかった。
それが、ただ目に残った。
そのとき、ふと。入学式のことを思い出した。
『君が夢中になれる何かが、この学園で見つかるといいな』
学園長の声が、頭の奥でよぎった。あのときは、特に意味なんて考えていなかった。ただ、聞き流しただけだった。
でも今になって、少しだけ引っかかった。
夢中になれるもの。もし、そんなのが見つかるなら。何が待っているのかなんて、分からないけど。
少なくとも——今みたいに、何もないままよりは。
少しだけ、ましかもしれない。
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翌日の昼休み。
いつものように席でパンを開けていると。
「凛!」
また、声がした。聞き慣れた声だった。
私は小さく息を吐いた。
またか。
もう反射で立ち上がりそうになって——少しだけ、止まった。
それから。ゆっくりと、入口の方を見た。
十王星南が立っていた。いつもと同じ顔。いつもと同じ声。いつもと同じ勢い。
「今日もスカウトに来たわ!」
堂々と言い切る。本当に、懲りない人だ。
私は席を立った。でも今度は、逃げなかった。
「……一つだけ、聞いていいですか」
自分でも少しだけ意外な声だった。
星南が目を瞬かせる。
「なに?」
私は、ほんの少しだけ間を置いて。それから言った。
「アイドルになれば——」
一度、息を吸う。
「夢中になれるものって、見つかると思いますか」
教室が、少しだけ静かになった気がした。
星南は、すぐには答えなかった。
一拍。それから、静かに言った。
「保証はしないわ」
はっきりした声だった。
「でも——」
少しだけ、口元が緩んだ。
「見つけた子は、何人も見てきた」
嘘じゃない声だった。
私は、小さく息を吐いた。
それから。
「……分かりました」
自分でも、驚くくらい普通の声だった。
「アイドル科の勧誘、受けます」
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