普通科のシンデレラ   作:きたりあ

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評価・感想などありがとうございます!!!
更新遅れてすみません!
次からペース感一定になると思います…!


ここまでが序章

転入の手続きは、思っていたよりあっさりしていた。

 

 もっと大げさなものを想像していたわけじゃないけど、少なくとも、少しは特別な感じがあるのかと思っていた。でも実際にやることは、学園長との再面談と机の上に積まれた書類に名前を書いて、説明を聞いて、それを鞄にしまう。それだけだった。

 

「こちらが新しい時間割になります」

 

 事務的な声だった。机の向こうに座っている先生は、慣れた手つきで紙を一枚差し出してくる。受け取って、軽く目を通した。

 

 普通科の時間割とは、少し違っていた。見慣れない科目名がいくつも並んでいる。ボーカル、ダンス、表現基礎。横に並んだ数字を見ても、まだ実感は湧かなかった。

 

「制服については、基本自由ですがアイドル科のものがありますので今日中にサイズを測っておきましょう。明日には仮のものが用意できます」

 

「……はい」

 

 短く返した。隣の机では、別の先生が何かを確認していた。紙をめくる音と、ペン先が書類に触れる音が、やけに大きく聞こえた。

 

「それと、こちらが校則の補足です。普通科とは少し異なる部分がありますので、目を通しておいてください」

 

 また一枚、紙が増える。受け取って、鞄に入れた。特別な言葉は、なかった。ただ必要なことだけを説明されて、必要なものだけを渡される。それが少しだけ、安心できた。

 

「では最後に、クラスの確認をしておきましょう」

 

「渋谷さんは一年……二組……二組?三組じゃなくて?あ、ごめんなさい少々お待ちください」

 

 一年二組。聞き覚えのある数字だった。あの日、レッスン室で会った三人の顔が、自然と浮かぶ。少しバタついていた先生が戻ってきた。

 

「すみません、資料に問題はなかったみたいです。渋谷さんは二組でお願いします」

 

「……そうですか」

 

「案内は必要ですか?」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 先生は軽く頷いた。

 

「以上で手続きは完了です。今日からアイドル科所属になりますので、よろしくお願いします」

 

「……ありがとうございました」

 

 職員室を出て、扉を閉めると、廊下の空気が少し違って感じられた。普通科の棟より、壁に貼られたポスターの量が比べものにならないくらい多い。公演の案内や、練習予定、オーディションの募集。紙の量が、そのまま活動量みたいだった。

 

 廊下を進む途中、すれ違う生徒が何人かこちらを見た。一瞬だけだけど確かに見て、何か話している。知らない顔ばかりだ。制服も、普通科とは少し違う。袖のラインが違うだけなのに、それだけで別の場所に来た感じがした。

 

「……あーあれが普通科の?」

 

 小さな声が、すれ違いざまに聞こえた。振り返らずにそのまま歩き続ける。一年二組に向かえば、またあの三人がいる。それは少しだけ、分かっている未来だった。

 

-----

 

 一年二組の前で、足を止めた。教室の中から声が聞こえてくる。笑い声と、机を動かす音。息を吸って、軽くノックをする。

 

「失礼します」

 

 扉を開けた瞬間、いくつかの視線がこちらに向いた。一瞬だけ、空気が止まった気がした。

 

「ああ、来たか。今日から編入の渋谷凛さんだ」

 

 担任の声だった。私は教壇の横に立った。

 

「普通科からの編入になる。席は——」

 

「渋谷さん!」

 

 ぱっと立ち上がった声があった。千奈だった。

 

「こっちですわ!」

 

 隣の席を指さしている。

 

「やったー!ほんとに同じクラスだ!」

 

 佑芽が大きく手を振った。篠澤さんは席に座ったまま、静かに頷いた。

 

「そこだな。倉本の隣に座ってくれ」

 

「……はい」

 

 教室を横切る間、いくつかの視線を感じた。

 

「普通科って……」「会長が……」

 

 小さな声が、耳に残った。全部は聞き取れない。でも、意味は分かった。

 

 席に着く。

 

「渋谷さん、よろしくお願いしますわ!」

 

「……うん」

 

-----

 

 最初の授業は、ボーカル基礎だった。

 

 教室というより、レッスン室だった。正面の壁が一面鏡になっていて、自分の姿が嫌でも目に入る。何人かの生徒が、すでに整列していた。

 

「今日から編入の渋谷さんね。列の後ろに入って」

 

「……はい」

 

 短く返して、言われた通り後ろに並ぶ。周りの生徒が、ちらちらとこちらを見る。興味半分、警戒半分。そんな視線だった。

 

「今日は基礎の確認からやるわ。姿勢。背筋を伸ばして。顎を引いて。息は胸じゃなくて、お腹」

 

 周囲の生徒が一斉に姿勢を整える。見よう見まねで、同じようにやった。

 

「じゃあ順番に発声。ドレミでいいわ」

 

 一人目の声が響く。大きい。でも少し硬い声だった。二人目、三人目と順番が近づいてくるたびに、鏡越しに周囲の反応が見えた。誰かが小さく頷いたり、眉を寄せたり。

 

 順番が回ってきた。

 

「次、渋谷さん」

 

「……はい」

 

 一歩前に出て、軽く息を吸う。お腹から。さっき先生が言っていた通りに。

 

「ドレミ」

 

 特別なことは何もしていない。ただ言われた通りに、息を流しただけだった。

 

「……もう一回」

 

 先生が言った。少しだけ間を置いて、もう一度、今度は息の流れを意識しながら声を出す。

 

「ドレミ」

 

 先生が小さく頷いた。

 

「いいわね。変な癖がない」

 

 それだけだった。褒められたわけでもない。でも、何かを確認されたような感じだった。周囲の視線が、少しだけ変わった気がした。授業は、そのまま次の生徒へと進んでいった。

 

-----

 

 昼休み、廊下を歩いていると声が聞こえた。

 

「普通科からって、本当?」「会長がスカウトしたって聞いたけど」「だからって、そんなすぐ……」

 

 隣の教室から漏れてくる声だった。名前は出ていない。でも、誰の話かは分かった。立ち止まらなかった。そのまま歩き続けた。別に、構わない。そう頭では分かっていた。でも、耳に残った。

 

-----

 

 授業が終わって教室を出ようとしたとき、篠澤さんが声をかけてきた。

 

「凛」

 

 振り返ると、篠澤さんが荷物を持って立っていた。いつもと同じ、余計なものが削ぎ落とされたような顔だった。

 

「転入のとき、試験とかあったの?」

 

「……別になかったよ」

 

「そうなんだ。エリートだね」

 

 淡々とした口調だった。褒めているのか、それとも別の何かなのか、よく分からなかった。

 

「……そんなんじゃないと思うけど」

 

「なんかあったんでしょ、理由」

 

 決めつけでも、詮索でもなかった。ただ、確認している声だった。

 

「まあ」

 

 それだけ返した。篠澤さんは特に続けなかった。

 

「あと広でいいよ」

 

「……そう? じゃあこれからよろしくね、広」

 

「うん。よろしく」

 

 ただそれだけだったけど、廊下に出てから少しだけ、さっきよりも軽い気がした。

 

-----

 

 放課後、掲示板の前に人が集まっていた。新しい紙が一枚貼られている。

 

 ライブオーディション——「初」

 

 その文字を、少しだけ長く見た。

 

「やっぱ出る?」「当然でしょ!この日のために準備してきたんだから」「中間審査まで、あと二週間、力入れなきゃね」

 

 横から聞こえてきた声に、少しだけ意識が引っ張られた。二週間。その言葉が、頭の中に残った。中間審査まで、二週間か。想像していたより、ずっと短い。今回は見送って、次を狙う方が現実的かもしれない——そんなことを考えていたとき、佑芽の声が飛んできた。

 

「凛ちゃんなにしてるの??」

 

 振り向くと、佑芽と千奈がいた。広も少し後ろに立っている。

 

「定期公演の案内見てた。中間試験なんてあったんだね、知らなかった」

 

「渋谷さんも挑戦するんですの?」

 

 千奈の目が、少しだけ揺れていた。

 

「ううん。まだ初日だし、少し考えようかなって」

 

「でも渋谷さんなら初出場でもライブまで行ってしまいそうですわ!」

 

「……どうかな。三人は出るの?」

 

「皆でるよ!中間試験で今度こそお姉ちゃんに勝つんだ〜!」

 

 佑芽が拳をぎゅっと握った。その横で、千奈も小さく頷いていた。

 

「……正直、難しいのは分かっていますわ」

 

 少しだけ俯きながら言う。でも、声はちゃんと前を向いていた。

 

「それでも出てみたいんですの。今の自分が、どれくらい通用するのか……試してみたいんですわ」

 

 無理かもしれない。それでも、という覚悟が、小さいけれどはっきりした声の芯に滲んでいた。

 

 広が、掲示板に視線を向けたまま言った。

 

「たぶん、ダメだと思う」

 

 さらっと言って、でも間を置かずに続けた。

 

「それでも出る。やらないでダメなのと、やってダメなのは違うから」

 

 大きな声でも、強い口調でもなかった。ただ、妙に重い言葉だった。

 

 みんな出るんだな、と感じた。難しいのは分かってる、ダメかもしれないと分かってる、それでも出る。理由はただ一つ、試したいから。今の自分を。それだけで十分だと、三人の顔を見ていると分かった。

 

「……そっか」

 

 小さく呟いた。胸の奥のどこかが、また少しだけざわついた。まだ決めていないのは、自分だけみたいだった。

 

 そのとき、後ろから声がかかった。

 

「ねえ」

 

 振り向くと、見覚えのない女子生徒が立っていた。腕を組んで、こちらを見ている。目が、少し鋭かった。

 

「もう定期公演出るつもり? 会長のお気に入りとか知らないけど、二週間もないのに受けるなんて馬鹿じゃないの? 普通科から来ていきなり出場とか、ちょっと調子に乗りすぎなんじゃない?」

 

 唐突で、遠慮も迷いもない言葉だった。周りの空気が、少しだけ静かになった。言い返す言葉は浮かばなかった。ごもっともだ、とどこかで感じていた。二週間、何も知らないままここに来たばかりで、周りから見れば無謀に映るのは当然だった。

 

 千奈が何か言おうとしていたけど、小さく首を振った。怒っているわけじゃない。ただ、少しだけ考えていた。今の自分のことを。

 

 ——試してみたい。

 

 どれくらいできるのか。今の全力が、どこまで通じるのか。それを知っておきたかった。理由は、それだけだった。

 

「……私、出て——」

 

「あなたたち、なにしてるの?」

 

 静かな声だった。でも、その場にいた何人かがぴたりと動きを止めた。振り向くと、十王星南が立っていた。さっきまでざわついていた空気が、ほんの少しだけ整った気がした。

 

 声をかけてきた女子生徒が、すぐに表情を変えた。

 

「……なんでもないです。ちょっと話してただけで」

 

 少しだけ声が柔らかくなって、それからこちらを見た。口元がわずかに歪む。

 

「……そうよね?」

 

 軽い声だったけど、逃がさない響きがあった。千奈が口を開きかけて、佑芽も続こうとして、広も小さく息を吸っていた。でも私は小さく首を振った。三人が止まる。

 

「……なんでもないよ」

 

 短く言った。本当に、それだけだった。

 

 星南は私の顔を少しだけ見た。何かを測るような目だった。

 

「……なら、いいわ」

 

 それだけ言って、でもそのまま去ることもしなかった。周りにはまだ何人も生徒が残っていて、みんなこちらを見ていた。星南はゆっくりと息をついた。

 

「凛。アイドル科転入おめでとう」

 

 誰かが小さく息を呑んだ。それからもう一度こちらを見た。

 

「こっちの返答はまだだったわね。改めて私に、あなたをプロデュースさせて」

 

 ざわ、と小さな音が広がった。周りの生徒たちの視線が、一斉にこちらに向く。逃げ場は、なかった。でも、もう決めていた。

 

「……ここでは、断らせてください」

 

 静かに言った。周囲がざわついた。

 

「どうして?」

 

 星南は少しも焦っていなかった。ただ、理由を聞いていた。私は一度だけ周囲を見た。知らない顔ばかりだった。でも、きっとずっとここで頑張ってきた人たちだ。

 

「……頑張ってきた人が、たくさんいるから。中等部からやってる人とか、毎日ここで練習してる人とか。そういう人たちがいるのに、普通科から来たばかりの私がいきなり会長のプロデュースで上手くいったら……筋が通らない気がして」

 

 静かになった。誰も何も言わなかった。星南は黙って聞いていた。

 

「だから、この定期公演に出ます。全力で挑んで、今回ダメでも自分なりの結果を出してから、そのときはこちらからお願いさせてください。プロデュース、してくださいって」

 

 静寂が落ちた。ほんの一瞬、時間が止まったみたいだった。星南が小さく息を吐いた。

 

「……分かったわ」

 

 否定でも拒絶でもない、受け入れた声だった。口元がほんの少しだけ緩む。

 

「二週間。短いわよ」

 

 それだけ言って、歩き出した。背中が遠ざかっていく。

 

 少しの沈黙のあと、佑芽が言った。

 

「……一緒に頑張ろうね、凛ちゃん!」

 

 二週間。短い。でも——ここまでが、序章だ。本当に始まるのは、たぶんここからだった。

 

-----

 

 バイトが終わったときには、もう足が重くなっていた。

 

 藤田ことねは店の裏口から外に出ると、夜の空気を肺の底まで吸い込んだ。リュックを背負い直して、歩き出す。足が重い。今日は忙しかった。いや、今日も、か。信号待ちで足を止めて、息を吐く。

 

 疲れたなー。アイドル科に入って、もう三年。それなのに、何かが変わった気がしなかった。このままで、大丈夫なのかな。そんなことを、何度も考えてしまう。

 

-----

 

 翌日の昼休み。

 

「ねえ、聞いた? 普通科から編入してきた子」

 

 その言葉で、ことねは少しだけ意識を向けた。

 

「会長がスカウトしたらしいよ」

 

 頬を手のひらに乗せて、小さく息を吐く。最近。そういえば、今月は声をかけられていないな。入学してからはそこそこあったのに。

 

「普通科からアイドル科とか、すごいよね」

 

-----

 

 昼休みの終わりが近づいていた。教室を出て廊下を歩くと、少しだけ人だかりができていた。人の隙間の向こう側に、見慣れない顔があった。長い黒髪に高い身長。三人に囲まれて、話している。

 

「あの子じゃない? 普通科から来たっていう……」

 

 特別なことをしているわけじゃない。ただ、そこに立っているだけだった。でも、なんとなく、目に入った。

 

 関係もないし、そのまま歩き出した。

 

 ほんの少しだけ、さっき見た黒髪が、頭の中に残っていた。

 




文章の密集率があんまりだったので詰めてみました。
読みづらかったら戻します。
評価・感想などお待ちしております。
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