事八日市のあやかし事   作:豚足と豚骨の化身

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記憶を記す古本屋

 

僕はよく本を読む。本はいい。人の人生が、その幾重にも重なった文字の連なりに集約されている。その大きさは、ほんの片手に収まる程度だ。ページを捲り、綴られた物語に思いを馳せるその時間を僕は愛している。

 

とある夏の日。日がかんかんと照りつけるコンクリートを自転車で走り抜けているところに、ふと妙に暗い古本屋に出会った。「妙に暗い」というのは文字通りで、影でそこそこ暗がりだと言うのに、何故かこの古本屋は電気を付けていないのだ。

 

なんとなく、入ってみた。涼みたいという目的もあったけど、それ以上に僕はその中に立ち並ぶ本に惹き付けられた。クーラーは見当たらないが、何故か室内は冷えていた。影だからという理由だけでは説明できないくらいの、不思議な肌寒さだった。

 

「お客さんとは、珍しいね。」

 

本棚が立ち並ぶ向こうのカウンターに、女性が立っていた。病的に白い肌と、異様に赤い目を光らせている。その姿がどうも不気味で、僕はグッと息を呑んだ。

 

「こんな所に古本屋があるなんて、知りませんでした。」

 

僕が言う。すると白い女性はケタケタと笑って返した。

 

「誰も知らないさ。こんな所に古本屋があるなんてね。」

 

どういうことかは分からないが、その諦めたような言い方が何処か悲しさを感じさせるような雰囲気を漂わせていた。そこから僕は何を言うでも無く、ボーッと本棚を眺めて歩く。

 

「夏目漱石」「芥川龍之介」「太宰治」「江戸川乱歩」

皆、優秀な物書きだ。僕は特に芥川龍之介が好きだと思う。彼の描く陰鬱な世界は、僕に現実の辛さを教えてくれる。

 

「本が好きなのかい?」

 

手で小さなビー玉を弄びながら、鼻先に眼鏡を置いて女性は尋ねた。

 

「はい、とても。」

 

「君のような若いのが、珍しいね。昔から、本を読むようなヤツは年寄りか暇を持て余した金持ちだけだったよ。」

 

「そんなことは無いと思いますよ。もちろん、小説という類のものは手を出すのが面倒だと言いますが、これらの良さを知っている人は世界に沢山います。」

 

「それなら、私のこの店は繁盛しているはずだろう?」

 

「きっとそれは別の要因があるのでしょう。」

 

「ふむ、なるほどね。全くその通りかもしれないよ。」

 

並べられた本の中から、一冊を抜き出してみる。「火の中の浪漫」と書かれたそれを、僕はゆっくりと開いた。ばっと飛び出した古本の渋い匂いが、鼻にべっとりとこべりつく。

 

ページを捲って、その導入に目を滑らせる。「あくる日の街中に、踊る少女がいた。」と書かれた文から始まるそれを、ほんの少しだけ読み進めてみた。

 

きっとそれは、恋物語。踊り子の少女と戦争に向かう兵士が、街中でバッタリと出会い、互いに一目惚れをするロマンチックな物語。1ページ半から、僕が読み取ったのがそれだった。

 

読んでみたい本を見ると、僕は無性に心地良さを感じる。直感とでも言うのだろうが、「これはきっと僕に合ってる」と思わずにはいられない本を見つけるのだ。そして、僕はそれを読む。

 

カウンターにその本を置いて、僕は財布を取り出した。しかしそれを、白い女性は制するように首を振る。

 

「辞めたまえ。ここでの通貨はお金じゃないよ。」

 

「と、言いますと?」

 

「私はね、大事なものは手元に置いておきたいんだ。ここの本は私にとっての宝物でね、だからお金では買えないんだ。」

 

「それでは、もうこれらは売り物ではないのでは?」

 

「いいやぁ、売り物だよ。『古本屋』だからね。本が売っていない訳ないだろう?」

 

「ならば、何で買うというのです?」

 

「記憶だよ。君の記憶を頂こう。その本と同等の価値を持つ、君の大切な思い出を差し出すんだ。」

 

とても正気とは思えない非現実的なお話だったが、僕はしかし漠然と、しっくりと来て頷いた。そういえば、元々僕が自転車で走っていたあの道は、毎日の如く通っていた道なはずだ。ならば、この古本屋も毎日見ていたはずだ。

 

だが僕は今日、この古本屋に初めて立ち入った。きっと、ここは非現実的な事が起こる古本屋なのだろう。僕の前に突然現れたのも、妙に中が暗いのも、不気味な寒さに満ちているのも、きっと妖の類いと言われる現象なのだ。

 

「お客さん、その本を買うのかい?」

 

「買います。」

 

「で、あれば記憶をもらおう。」

 

「何の思い出を捧げればいいんです?」

 

「何でもいいさ。その本と見合うものならね。」

 

「であれば、少し前に車に引かれ、骨折で入院した思い出を差し上げましょう。」

 

「『本と見合うもの』と言ったろう。何故そんな嫌な記憶を私が貰ってやらなけりゃならないのさ。」

 

「じゃあ、僕の修学旅行の記憶とか?」

 

「ん〜まぁ、いいだろう。君は初めてのお客さんだからね。特別サービスってやつだよ、有難く思いたまえ。」

 

女の人は手を伸ばして、その細い指を束ねて僕の視界を覆った。

 

「目を瞑り、ゆっくりと呼吸をするんだ。」

 

促されるまま、肺を広げ一気に息を吐いてやる。

 

「そうだ。……よし、もういいよ。」

 

視界が開けて、僕の前にはにんまりと不敵な笑みを浮かべる女性がいる。やはり彼女は不気味に見えるが、しかしなお整った顔立ちをしているせいか、どうも見惚れてしまう。

 

「また来てくれよ。お客さんのことが気に入ったからさ。」

 

「気に入ったって……なんですか、それ。」

 

「言葉通り、お客さんにまた会いたいってこと。」

 

「なっ、えぇ?」

 

「なんだい、こういうのを言われるのは慣れてないのかい?」

 

「ん、まぁ……はい……」

 

僕はその日は帰ることにした。外に出ると、照りつける強い日のせいか、それとも別の要因か、酷くに顔が熱くなっているような感覚に見舞われた。

 

 

前日買った本の話を、僕は初めに「ロマンチックな物語」だと予想していたが、それは大きく外れていた。実際は見事なまでのバッドエンド、少女は戦火に焼かれ死に、兵士は悲しみにくれたまま生永らえて、結局最後には自殺してしまう。

 

しかし素晴らしい話だった。きっと、兵士が最後に自ら命を絶ったのは、少女に対する愛によるものだったのだろうと思う。考えてみれば、僕はそんな身も焦がす恋心というのを抱いたことがない。少し、羨ましかった。

 

扉を開く。酷く不気味な冷気が脚の間を通って抜けてゆく。僕はまたこの古本屋に来ていた。本棚の奥のカウンターの女性、もとい店長はこちらを一瞥して、にへらと笑う。口元には、何味か分からないキャンディの棒が見えた。

 

「いらっしゃい。会いたかったよ。」

 

「そんな恥ずかしいことよく言えますね。」

 

「はっはっ、私は暇を持て余しているのさ。客が恋しいのだよ。」

 

「いつも通りの人気の無さで何よりです。」

 

「あぁ、全くだよ。」

 

店長が吐き捨てた含みのある肯定を聞き流して、僕は本棚に目を通す。前も見た、著名な物書きの名前の横に、どうも目を引く本が置かれていた。「修学旅行記」と書かれたそれを手元に眺めるが、何処にも作者の名前は書かれていない。僕はその本を持って、カウンターへと歩み寄った。

 

「おっと、中身は見ないでいいのかい?」

 

「不思議と、心が惹かれるんです。なんだか、これ買うべきだなって思って。」

 

「そうかい、そりゃ運命の出会いってやつかもね。」

 

「そうだといいですね。」

 

どうも正体不明の高揚が、静かに僕の胸で蠢いていた。この本を持つと、何故か買って読みたいという衝動に駆られる。

 

「それじゃあ、記憶をもらうよ。」

 

「この本に見合う記憶……そうですね。例えば、この前テストでいい点を取ったとかは?」

 

「いいね、それにしよう。」

 

そうして、僕らの取引は成立した。手順は前と同じだった。「毎度あり」という店長の声と共に、僕の視界はクリアになる。

 

「そうだ、これはオマケ。」

 

そう言って、彼女は口に咥えたキャンディを僕の口へと突っ込んだ。ビックリして後ろに2、3歩後退すると、悪戯な表情で店長が笑う。

 

「そのキャンディ、私のお気に入りなんだ。よく味わってくれよ。」

 

「頭おかしいんじゃないです?」

 

「なんだ、少年。照れてんのかい?」

 

「……そんなことないですっ。」

 

とても身体が火照っていた。店の冷気を感じないほど、身体が熱くなっていた。外に出て、ガラスに反射した自分を見ると、耳が真っ赤になっているのがわかった。この時、僕はようやく気が付いたのだ。きっとこれこそが、恋なのだろう。そうして噛み締めたキャンディは、レモン味だった。

 

 

 

僕が買った本の内容は、なんて事ない少年の修学旅行の話。本当に平凡だったが、僕はその話が素晴らしいと思った。何故そんなふうに思ったのかは覚えていない。

 

次の話は、「少年が勉強をしてテストで良い点を取る話」その次は、「喧嘩をした少年が母親と仲直りする話」その次は……その次は……もう覚えていない。

 

目が覚める。ここが何処かは分からないが、薄暗い天井にカーテンから光が差し込んでいるのが見えて、朝であることを理解する。重い身体を起こすと、家具が揃った部屋の床一面に大量の本が積み上がっていた。

 

そうだ、本だ。あの古本屋に行こう。また、本が読みたい。そうして部屋を出て、玄関らしき所まで行くと、後ろから40代くらいのおばさんが話しかけてきた。

 

「ねぇ、あんた……大丈夫なの?」

 

なんの事か分からなかった。分からなきゃいけないと察した。どうもその状況にゾッとして、僕は靴も履かずに玄関から飛び出す。外は寒く、吐いた息が白くなるほどだった。そんな中を、ジンと痛む足を前へ動かして、あの古本屋に向かった。

 

扉を開く。落ち着く冷気が僕を包む。その先で見惚れるほど美しい顔の店長が「いらっしゃい」と、優しい笑みで言った。

 

「本をください。何か、読みたいんです。」

 

「そうだね、なら選ぶといい。そこに本があるだろう?」

 

「いえ、それが……明確に何かが読みたいんです。でも、その読みたい本が分からないんです。」

 

「ほぅ、難しいことを言うね。しかし丁度良かった。多分、それはこれの事じゃないかな。」

 

店長がカウンターの下から取り出した一冊に、僕は寄って見る。そこには「読書恋物語」と書かれていた。僕はそれを見て直感する。これこそが、僕の見たかった本だ。

 

「それはとある本屋の女に、少年が恋をする話さ。まぁ、結末は君が確かめるといい。」

 

「そうですね。そうします。それで……どう買えばいいんでしょうか。」

 

「ふむ、それすらも忘れたかい?ならば仕方あるまい。そうさね、お客さんにはもうロクに記憶が残っちゃいない。だから、君自身を捧げたまえよ。」

 

「僕自身を……?そうすれば、この本が買えるんですか?」

 

「もちろんだとも。さぁ、どうする?」

 

「買います!買わせてください!」

 

「よぉし、決まりだ。それじゃあ、目をお瞑り。」

 

店長の細い指が目の上に伸びてくる。穏やかに目を瞑ると、ふわりと暖かな安心が湧き上がってくるようだった。あぁ、きっと僕は幸福なのだろうと、ただそう思えた。

 

 

 

僕は彼女の手の中で、自身に記された文字列に目を通されている。艶やかな唇が開いて、その美しい鈴の音が誰もいない古本屋に響いた。

 

「あの本の結末は、恋心すら忘れた少年が自我すらその女に捧げてしまうバットエンドだ。しかし、安心しなさいな。」

 

本は閉じられ、新たに増えた古本が本棚に差し込まれる。

 

「ここにある本は皆、私の宝物だからね。」

 

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