ポケットモンスター 君がいた記録   作:人間国宝

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第10話

 

 

 第2のジムがある街、『クロック・タウン』。

 街全体が巨大な時計塔の内部に作られたような、歯車と蒸気の迷宮都市だ。

 ジムリーダーは、この大時計の管理者でもある老人、『チック』。

 

 ジムの扉を開けると、そこは巨大な振り子が揺れる時計の内部だった。

 足場は回転する歯車の上。落ちれば奈落の底だ。

 

「ホッホッホ。若い挑戦者じゃな。ワシの時間は貴重じゃよ、速やかに終わらせよう」

 

 チック老人が杖を突くと、彼の周りに浮遊するコイルやレアコイルが火花を散らした。

 タイプは電気と鋼。

 

「こちらこそ、時間がない身です。……行け、ハヤテ(テッカニン)!」

 

 僕は進化したばかりのハヤテを繰り出した。

 

 ブゥゥン!

 

 羽音が空間を切り裂く。

 特性『かそく』。ターンが経過するごとに素早さが上がっていく。

 

「速いな。だが、速いだけでは時は刻めぬぞ。コイル、『ロックオン』!」

 

 コイルがハヤテに照準を合わせる。次の一撃が必中になる危険な技。

 そして続く技は――

 

「『でんじほう』!」

 

 回避不能の極太レーザーが放たれる。当たれば即死、かつ麻痺確定。

 ハヤテのスピードでも、ロックオンされたら逃げられない。

 

「戻れ! ……頼むぞ、ウツセミ(ヌケニン)!」

 

 交代の光。

 空中に、ぽつんと茶色い抜け殻が現れる。

 

 バチバチバチッ!

 

 コイルの放った電磁砲が、ウツセミを直撃した。

 煙が上がる。

 チック老人が勝利を確信して笑う。

 

「紙切れなど一瞬じゃ」

 

 しかし。

 煙が晴れたそこには、傷一つなく浮遊するウツセミの姿があった。

 

「な、なにっ!?」

 

 特性『ふしぎなまもり』。

 「効果抜群」の技以外、すべての攻撃を無効化する神の加護(あるいは呪い)。

 電気技は、ヌケニン(虫・ゴースト)に対して等倍。

 つまり、ダメージゼロ。

 

 僕は冷や汗を拭いながら指示を出す。

 ヌケニンは無敵だが、弱点は明確だ。炎、飛行、岩、ゴースト、悪。

 相手がそのサブウェポンを持っていたら、HPが「1」しかないヌケニンは即死する。

 これは、相手の技構成を読み切るロシアンルーレット。

 

「コイル、電気技は効かんぞ! 『ジャイロボール』じゃ!」

 

 鋼技。これも等倍。無効!

 ウツセミは揺らぎもしない。

 

「今だ、『シャドークロー』!」

 

 ウツセミが音もなく背後に回り込み、闇の爪でコイルを切り裂く。

 一撃。

 チック老人の表情が変わる。

 

「……得体のしれぬポケモンじゃ。なら、これでどうじゃ! レアコイル!」

 

 次に現れたレアコイル。

 こいつが何をしてくるか。岩技の『いわなだれ』か? 炎技の『めざめるパワー』か?

 

 僕の心臓が早鐘を打つ。

 ウツセミの背中の穴が、僕を見つめている気がした。

 

 

「レアコイル、『ちょうおんぱ』!」

 

 混乱技!

 これは防げない!

 ウツセミがふらふらと空中で軌道を乱す。

 混乱して自分を攻撃すれば、その衝撃でHP1が尽きて死ぬ。

 

「戻すしかないか……いや、交代際に追撃されたらハヤテが死ぬ」

 

 絶体絶命。

 

 ――タイミングを合わせろ。

 

 僕は目を閉じた。

 ウツセミの虚無と同調する。

 

 混乱? いや、空っぽの器に混乱する脳みそなんてないはずだ。

 本能のままに動け。

 

「ウツセミ、そのまま突っ込め! 『かげうち』!」

 

 ウツセミがふらつきながらも、影を伸ばした。

 実体ではなく、影による先制攻撃。

 影がレアコイルを貫く。

 

 勝負は、薄氷の上でのダンス。

 僕の命と、ウツセミの儚い命がリンクして、歯車仕掛けの迷宮を突破していく。

 2つ目のバッジ。

 その代償に、僕の手は冷たくなり、爪先の色が紫色に変色し始めていた。

 

 

 

 

 

 

『クロック・タウン』のジムを出た瞬間、僕は石畳の上に膝をついた。

 勝利の余韻などない。あるのは、冷え切った身体の震えだけだ。

 

「……はは、危なかった」

 

 ジムリーダーは、チャレンジャーの実力を見るために、あえて段階を踏んで戦う。

 僕はその「テスト」の最初の段階で、全力を使い果たしてギリギリ合格したに過ぎない。

 

「……次からは、奇策だけじゃ勝てないな」

 

 僕は懐中時計を見た。2つ目の歯車が嵌まっている。

 

 だが、代償は大きかった。

 指先の感覚がない。血流が悪くなり、紫色に変色している(チアノーゼ)。リミッターが抑えきれないエネルギーの漏出が、末梢神経を焼き始めているのだ。

 

 僕は路地裏の軒下で、震える手で薬を飲んだ。

 苦い。吐き気がする。

 

 シリウス(キルリア)が、悲しげな目で僕の背中をさする。

 ウィック(ヒトモシ)は、僕の弱った魂の匂いを嗅ぎつけ、心配そうに――あるいは美味しそうに――周りをふわふわと漂っている。

 

 その時、ウィックがふと、僕のリュックのポケットに顔を突っ込んだ。

 取り出したのは、イサナがくれた『きずぐすり』……ではなく、『もうどくプレート』だった。

 

 以前、野生のポケモンが落としたものを拾っていたアイテムだ。毒タイプの技の威力を上げる道具。

 

『ポゥ!』

 

 ウィックはそれを、自分の蝋の身体の中に押し込んだ。

 紫色の炎が、ドス黒く変色する。

 彼はニヤリと笑い、僕の冷え切った手に自分の身体を押し付けた。

 

 熱い。

 火傷しそうなほどの熱量。

 ウィックは、自分の炎に「毒」の性質を混ぜることで、燃焼効率を無理やり上げたのだ。

 

「……バカ野郎。お前まで命を削ってどうする」

 

 毒は、ポケモン自身の身体も蝕む。

 だが、その強烈な熱のおかげで、僕の指先に血の巡りが戻ってきた。

 共犯関係は、より深く、より危険な領域へ沈んでいく。

 

 

 

 3つ目の街へ向かう街道沿いに、『写生の丘』と呼ばれる場所があった。

 一面の花畑。風光明媚なこの場所には、多くの芸術家や、風景を描くポケモンたちが集まる。

 

 僕の命が尽きる前に、少しでも多くの景色を目に焼き付けたい。

 そんな感傷で立ち寄った丘の上で、奇妙なポケモンに出会った。

 

 ドーブルだ。

 二足歩行の犬のような姿。長い尻尾の先からペンキを出し、絵を描くポケモン。

 

 だが、その個体は異質だった。

 他のドーブルたちが美しい花や空を描いている中で、彼だけは、「枯れた花」や「腐った倒木」、「雨に濡れたアスファルト」など、誰も見向きもしない暗い景色ばかりを描いていた。

 

 キャンバス代わりの岩に描かれたその絵は、陰鬱だが、嘘のように写実的で、心を掴む何かがあった。

 

「……いい絵だ」

 

 僕が呟くと、ドーブルは驚いて筆を止めた。

 彼はずっと、群れの中で変わり者扱いされていたのだろう。自分の絵を褒められたことに、困惑しているようだった。

 僕はシリウスをボールから出した。

 

「バトルしよう。君のその観察眼、僕の旅に必要だ」

 

 ドーブルはニヤリと笑い、尻尾を構えた。

 彼の技は『スケッチ』一つのみ。

 相手が使った技を、そのまま自分の技として習得する特殊能力。

 

「シリウス、『マジカルリーフ』!」

 

 輝く葉っぱがドーブルを襲う。

 ドーブルはそれを紙一重でかわし、尻尾を振るう。

 

 『スケッチ』発動。

 次の瞬間、ドーブル自身が『マジカルリーフ』を放ち、相殺した。

 

「なるほど、見たものを完全にコピーするのか。……なら、これはどう?」

 

 僕はウィック(ヒトモシ)を出した。

 ダブルバトル形式だ。

 

「ウィック、『おにび』!」

 

 青白い鬼火が迫る。

 ドーブルはそれもスケッチしようとするが――熱さに筆が止まる。

 形のない「炎」や、目に見えない「幽霊の技」を描き写すのは難しいらしい。

 

「君は、形あるものしか描けないのか? ……違うだろ。君が描いていた枯れ木には、命の終わりが描かれていた」

 

 僕は叫んだ。

 ドーブルの瞳が揺れる。

 そうだ、見ろ。僕のこの、死にかけた命の色を。

 

「ウィック、最大出力だ! 僕の命を燃やせ!」 

 

 僕のリミッターが悲鳴を上げる。

 ウィックの炎が膨れ上がり、丘全体を飲み込むような火柱となる。

 ドーブルは逃げない。

 その圧倒的な「死と生の輝き」に魅入られたように、尻尾を走らせた。

 

 カッ!

 

 火柱の中で、ドーブルが描き上げたのは、技のコピーではない。

 炎そのものをキャンバスに封じ込めたような、芸術的な防御壁――『キングシールド』だった。

 

 炎を防ぎきったドーブルは、満足げに息を吐き、自ら僕の前に歩み寄ってきた。 

 

 僕はボールを投げた。

 抵抗はない。

 

「……よろしくな、『キャンバス』。僕の最期まで、しっかり記録してくれよ」

 

 

 

 

 

 




チック老人は物忘れが激しいです。
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