『ミラー・レイク』を越え、次の街へ向かうには、標高3000メートル級の雪山『白銀の背骨』を越えなければならない。
アイオン地方の北側、冬の領域だ。
猛吹雪だった。
視界は白一色。自分の足元さえ見えない。
気温はマイナス20度。装備は整えたはずだが、僕の身体機能はとっくに崩壊している。
「……ハヤテ、戻れ。……凍っちゃう」
僕は先導していたハヤテ(テッカニン)をボールに戻した。
彼は虫・飛行タイプだ。氷点下では羽が凍りつき、墜落死する危険がある。
代わりに、ウィック(ヒトモシ)を抱きかかえる。
彼の炎だけが頼りだ。
『ポゥ……』
ウィックの炎が小さい。酸素が薄いせいだ。
そして僕の意識も薄い。
リミッターの警告音が聞こえない。寒さでバッテリーが落ちたか、それとも僕の心臓が警告するほどの力を失ったか。
足の感覚がない。雪を踏んでいるのか、空を歩いているのかわからない。
(ここで眠れば、楽になれるな)
甘い誘惑。
その時、白い闇の向こうから、青い光が近づいてきた。
救助隊か?
違う。
野生のフリージオの群れだ。
氷の結晶の身体を持つ彼らは、獲物を氷漬けにして保存食にする。
5体、いや10体。
鎖で獲物を縛るように、僕を取り囲む。
『れいとうビーム』の照準が、動けない僕に向けられる。
「……シリウス……」
ボールに手を伸ばすが、指が動かない。凍りついている。
間に合わない。
ヒュンッ!
光線が放たれる直前、僕の懐から勝手にボールが弾け飛んだ。
現れたのは、黄金の残像。
ハヤテだ。
戻れと言ったのに、勝手に出てきた。
ブォンッ!
ハヤテはその驚異的なスピード(特性:かそく)で、僕の周りを旋回した。
摩擦熱が発生するほどの超高速移動。
氷のビームが、ハヤテの残像を貫くが、本体には当たらない。
彼は「避ける」ことで僕を守り、同時に「壁」になっている。
しかし、ここは極寒の地だ。
数秒飛ぶだけで、ハヤテの薄い羽に霜が降りる。
動きが鈍れば、撃ち落とされる。
死ぬ気か。僕のために、たった数日の付き合いの僕のために。
「……やめろ、ハヤテ!」
僕の絶叫に、ハヤテは止まらない。
彼は知っているのだ。ヌケニンという「抜け殻」と別れ、本体として生きることを選んだ自分の命の意味を。
刹那に輝くことこそが、テッカニンの生だと。
ハヤテが急降下し、フリージオの群れに突っ込む。
『いのちがけ』。
自分のHPを削り、相手に同等のダメージを与える決死の技。
ドォォォォン!!
雪崩のような爆発。フリージオたちが吹き飛ぶ。
同時に、ハヤテも雪の中に墜落した。
黄金の羽が折れ、雪に埋もれていく。
「ハヤテ!!」
僕は雪を掻きむしり、這いずって彼を抱き上げた。
冷たい。動かない。
僕の体温じゃ、彼を温められない。
(熱が……熱が欲しい……!)
僕が祈ったその時、腕の中でくすぶっていたウィック(ヒトモシ)が、僕の「絶望」と「渇望」を吸い上げた。
カッ、と紫色だった炎が、白熱した青色に変わる。
雪洞(かまくら)の中で目を覚ました。
暖かい。
焚き火をしているわけではないのに、ストーブの前にいるようだ。
「……生きてる?」
身を起こすと、目の前に「それ」はいた。
黒い帽子のような頭部。ガラスのホヤのような胴体。そして、そこから伸びる二本の長い腕。
ランプラー。
ヒトモシが進化した姿だ。
ウィックは進化したのだ。
図鑑にはこうある。『臨終の時を迎えた人の元に現れ、魂が肉体を離れると吸い取る』。
不吉の象徴。
だが、今のウィックは、その長い腕で僕と、傷ついたハヤテを抱きかかえ、自身の炎で温め続けてくれていた。
『……ポゥ』
ウィックが僕を見る。
その目は以前のような無邪気な食欲だけではない。もっと深く、暗い執着の色があった。
歪んだ独占欲。
けれど、今の僕にはそれが、どんな優しさよりも頼もしかった。
「……ありがとう、ウィック。かっこいい腕だな」
僕が触れると、ウィックは嬉しそうに腕を絡めてきた。
進化して腕が生えたことで、彼は物理的に僕を支えられるようになった。
僕が歩けなくなっても、その腕で引きずってでも連れて行くつもりなのだろう。
ハヤテも意識を取り戻していた。
羽はボロボロだが、『きずぐすり』を使えば飛べるようになるだろう。
シリウス(キルリア)が、心配そうにハヤテの頭を撫でている。
雪は止んでいた。
外に出ると、雲の切れ間から、山頂にある街の灯りが見えた。
第4のジムがある街、『ライメイ・シティ』。
常に雷雲に覆われた、発電所の街。
僕はウィックの腕に掴まり、立ち上がる。
懐中時計のバッジは3つ。
折り返し地点。
僕の身体はもう、ウィックの支えなしでは真っ直ぐ歩けなくなっていた。
『ライメイ・シティ』のジムは、街一番の高層ビル、電波塔の頂上にあった。
エレベーターで昇った先、屋上のバトルフィールドは、強風と轟音が支配する場所だった。
頭上には黒雲。バチバチと静電気が肌を刺す。
「ようこそ、空に近い場所へ」
ジムリーダーの『ヴォルト』は、パンクロッカーのような男だった。
エレキギターを背負い、風に逆立てた金髪が稲妻のようだ。
タイプは電気。そして、この場所ならではの「飛行」の複合。
「俺のビートについてこれるか? リズムを外せば、即黒焦げだぜ!」
ヴォルトがギターをかき鳴らすと、アンプ代わりのスピーカーポケモン、ストリンダーが咆哮した。
「行くぞ、ハヤテ!」
僕は先発にテッカニン(ハヤテ)を選んだ。
電気タイプ相手に飛行タイプは不利だ。だが、ハヤテは「速さ」で雪山を越えた。ここで引くわけにはいかない。
「ハヤテ、『つるぎのまい』!」
ハヤテが回転し、攻撃力を高める。
ヴォルトが笑う。「遅い! ストリンダー、『オーバードライブ』!」
爆音の衝撃波。
これは「音」の技だ。回避率に関係なく、広範囲を制圧する。
ハヤテが空中でバランスを崩す。
「そこだ! エモンガ、追撃!」
ダブルバトル形式。もう一匹のエモンガが、上空から『エアスラッシュ』を放つ。
絶体絶命。
「……見切れるはずだ。死線を越えたお前なら!」
僕の叫び。
ハヤテの複眼が光る。
音の波、風の刃。その隙間にある、針の穴のような安全地帯。
ハヤテは『まもる』を使わなかった。
ただ、加速した。
音速を超え、衝撃波を置き去りにし、エモンガの背後を取る。
「なにっ!?」
「『バトンタッチ』!」
攻撃するのではない。
ハヤテは自らの加速したスピードと、剣の舞で上げた攻撃力を、そのまま後続に託してボールに戻った。
現れたのは、白い騎士。
シリウス(キルリア)だ。
ハヤテの残した「超高速」を受け継いだシリウスは、テレポートのように瞬時にストリンダーの目の前に現れた。
今はまだキルリア。
しかし、ハヤテから受け継いだ攻撃上昇が、彼の拳に宿る。
「シリウス、物理で殴れ! 『ドレインパンチ』!」
キルリアの細い腕が、剛速でストリンダーの腹に突き刺さる。
ドゴォッ!
強烈な一撃。さらに与えたダメージに応じて体力を回復する。
ストリンダーが吹っ飛び、エモンガが慌てて援護しようとするが――
「逃がさないよ。ウィック、出番だ!」
僕はキャンバス(ドーブル)ではなく、進化したウィック(ランプラー)を投入した。
ウィックは空中を浮遊し、エモンガを長い腕で捕縛しようとする。
「『10まんボルト』!」
ヴォルトが叫ぶ。
エモンガが放電する。
だが、ウィックはニヤリと笑った。
進化した彼は、タイプが変わっているわけではない。だが、その「魂の器」は大きくなっている。
雷撃を正面から受け止め、そのエネルギーごと美味そうに飲み込んだ。
『ポゥ……ゲフッ』
余裕のげっぷ。特防お化けの本領発揮だ。
ウィックは腕を伸ばし、エモンガに『のろい』を貼り付けた。
自分のHPを半分削り、相手に毎ターン絶大なダメージを与える呪術。
シリウスの高速格闘技と、ウィックの呪い。
「速さ」と「執念」のコンビネーションが、雷鳴のスタジアムを制圧していく。
最後は、ヴォルトの切り札、ライボルトが放った『かみなり』を、シリウスがハヤテ譲りのスピードで躱し、カウンターの『サイコカッター』で切り裂いた。
雨が上がった。
雲の切れ間から、夕日が差し込む。
「……シビれたぜ。命知らずのビートだ」
ヴォルトは髪をかき上げ、稲妻の形をした『ボルトバッジ』を投げ渡した。
4つ目。
これで半分だ。
僕は手すりに寄りかかり、眼下に広がる雲海を見下ろした。
心臓が痛い。
バトルの興奮が引くと同時に、鉛のような疲労が襲ってくる。
ウィックがスッと近づき、僕の身体を支えてくれた。
シリウスも、ハヤテのボールを心配そうに覗き込んでいる。
「……半分か」
あと4つ。
そして、チャンピオンロード。
僕の時間は、あとどれくらい残っているんだろう。
夕日に照らされた僕の手は、血の気が引いて、白蝋のように透き通って見えた。