ポケットモンスター 君がいた記録   作:人間国宝

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第15話

 

 

 

 チャンピオンロードは、道ではなかった。

 それは、雲を突き抜ける霊峰『クロノス』の断崖絶壁そのものだった。

 

 酸素濃度は平地の三分の二。気温はマイナス30度。

 ここを登れるのは、選び抜かれた強者か、死に急ぐ愚か者だけだ。

 

「……ハァ、ハァ……ッ」

 

 一歩踏み出すたびに、肺が凍りつく音がする。

 僕はもう、自力で歩いてはいなかった。

 

 シリウス(エルレイド)が僕の背中を支え、ウィック(ランプラー)が僕の胸元に張り付いて、止まりそうな心臓に直接熱を送り続けている。

 ウィックの炎は、もう紫ではない。完全燃焼を示す「白」に変わっていた。彼もまた、限界を超えて僕の命を燃やしている。

 

 ガサッ……。

 

 岩陰から、鋭い視線を感じる。

 野生のサイドンや、空を舞うプテラの影。

 

 ここの野生ポケモンは、下界とはレベルが違う。彼らは襲ってはこなかった。ただ、死相を浮かべて歩く僕たちを、「獲物」としてではなく「通過する死体」として見送っているようだった。

 

 

 意識が飛びそうになるのを、キャンバス(ドーブル)が尻尾で頬を叩いて引き戻す。

 痛覚さえ鈍い。

 その時、巨大な影が道を塞いだ。

 

 鋼鉄の巨体。四本の脚。

 メタグロスだ。

 野生か、あるいは門番か。スーパーコンピュータ並みの頭脳を持つそのポケモンは、赤い瞳で僕をスキャンし、計算した。

 

 『生存確率ゼロ。通行は不許可』。

 

 そう判断したかのように、重力波のようなサイコキネシスを放ってきた。

 

 ズドン!

 

 雪面が陥没する。

 シリウスが前に出るが、重圧に膝をつく。

 

「……どけ。僕の計算じゃ、確率は100%だ」

 

 僕は掠れた声で吼えた。

 ハヤテ(テッカニン)が飛び出す。重力を振り切る加速。

 ウツセミ(ヌケニン)が影に潜る。

 キャンバスが、メタグロスの『コメットパンチ』をスケッチし、倍返しで叩き込む。

 

 論理じゃない。執念だ。

 

 ボロボロのパーティが、完全無欠の鋼鉄を押し返す。

 メタグロスは計算外の事象に演算処理が追いつかず、一瞬動きを止めた。

 

「今だ……抜けろッ!」

 

 その隙に、僕たちは横をすり抜けた。

 メタグロスは追ってこなかった。

 ただ、計算不能のエラーを吐き出しながら、吹雪の中に佇んでいた。

 

 

 

 山頂付近。

 雲海を見下ろす『天空の広場』。

 そこに、彼は待っていた。

 白衣は泥と雪で汚れ、いつもの冷静な仮面は剥がれ落ちていた。

 

 イサナ。

 僕の主治医であり、ライバルであり、恐らく世界で唯一の友人。

 

「……ここを通すわけにはいかない」

 

 イサナの声が震えている。

 彼は知っているのだ。この先、四天王とチャンピオンとの連戦になれば、僕の心臓が確実に破裂することを。

 

 これはバトルではない。緊急手術(オペ)だ。

 患部を切除し、命を救うための。

 

「俺が勝ったら、お前を眠らせてでも連れ帰る。……恨んでくれていい」

 

 イサナが掲げたのは、虹色に輝く石――『キーストーン』が埋め込まれた聴診器だった。

 

 本気だ。

 彼のエース、メガニウムが吼える。

 そして、傍らのタブンネが光に包まれた。

 

「メガシンカ!」

 

 眩い光の中から現れたのは、天使のような羽衣を纏ったメガタブンネ。

 タイプはノーマル・フェアリー。

 圧倒的な耐久力と、慈愛に満ちた癒やしの波動を持つ要塞。

 

「行け、シリウス! 最後の壁を壊すぞ!」

 

 シリウスが突っ込む。

 

 『インファイト』!

 

 拳がメガタブンネの柔らかな腹部に吸い込まれる。

 だが、弾力が衝撃を殺す。硬い。

 

 メガタブンネは微笑みすら浮かべ、シリウスを抱きしめた。

 

 『ドレインキッス』。

 

 シリウスの体力が吸い取られ、メガタブンネが回復する。

 

「無駄だ。俺のパーティは絶対に崩れない。お前が諦めるまで、何度でも回復し、受け止める!」

 

 イサナの戦術は「守り」の極致。

 攻撃してこない。ただ、こちらのPPと体力が尽きるのを待つ。

 それは、「少しでも長く生きてほしい」という彼の祈りそのものだった。

 

 時間が経つごとに、僕の視界が黒く染まっていく。

 寒い。眠い。

 あの中で眠れば、きっと温かいんだろう。

 

 でも。

 

「……僕は、長生きするために生まれたんじゃない」

 

 僕は懐中時計を握りしめた。

 シリウスが振り返る。僕の目を見る。

 頷いた。

 

 僕らは、一瞬の輝きを選ぶ。

 

「………シリウス! 『みちづれ』だ!」

 

 イサナが目を見開く。

 

 「バカな!? エルレイドはその技を覚えないはず……!」

 

 通常なら覚えない。

 だが、この旅でシリウスはずっと見てきた。

 ウィックの呪いを、ウツセミの虚無を。

 そしてキャンバスのスケッチを通して、魂の形を変える術を学んでいた。

 

 これは技ではない。

 自身の精神エネルギーを暴走させ、相手の精神と無理やりリンクさせる、禁断の同調。

 

 シリウスの刃が、自分自身の胸に向けられる。

 いや、違う。彼は「自分の中の、生への執着」を断ち切ったのだ。

 

 ドクン!

 

 メガタブンネが膝をつく。

 リンクしたダメージ。

 鉄壁の守りが、内側から崩壊する。

 

「やめろぉぉぉッ! レン!!」

 

 イサナの絶叫。

 その隙を、ハヤテ(テッカニン)が見逃さなかった。

 

 音速の特攻。

 崩れたメガタブンネの眉間に、必殺の『シザークロス』が突き刺さる。

 巨体がゆっくりと倒れる。

 メガシンカが解け、元のタブンネに戻る。

 

 勝負あり。

 イサナはその場に崩れ落ち、雪を拳で叩いた。

 

「……なんでだ。なんで、死ぬとわかっていて……」

 

 僕はイサナの前に歩み寄り、膝をついた。

 そして、泣いている彼の肩に手を置いた。

 

「……処置(オペ)は失敗だ、ヤブ医者」

「うるさい……バカ患者が……」

 

 イサナは顔を上げ、涙を拭うと、バッグから一本の注射器を取り出した。

 僕は抵抗しなかった。

 彼が打ったのは、鎮静剤ではなく、強力な強壮剤(ドーピング)だった。

 

「……一時的に心機能をブーストする。だが、反動で確実に寿命は縮む。……行け。最後まで見届けてやる」

 

 それが、彼なりの敗北宣言であり、最大の手向けだった。

 

 

 

 

 

 

 

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