外に出た。
そこは、雲の上。星空だけが広がる、世界の頂点。
『頂の祭壇』。
祭壇の中央に、一人の人物が立っていた。
長い髪を風になびかせ、足元に巨大な時計の意匠が刻まれたフィールドに立つ女性。
チャンピオン、『アイオン』。
この地方の名前を冠する、最強のトレーナー。
「……よく来ましたね。時の旅人よ」
彼女の声は、優しく、どこか懐かしかった。
彼女の周りには、時を司るようなポケモンたちが控えている。
未来を予知するサーナイト。過去を象徴するプテラ。時間を超えるセレビィ(これは幻影か?)。
僕は――ウィックとの融合が解け、その場に崩れ落ちそうになった。
それを、片腕のシリウスが支える。
ハヤテが肩に止まる。
キャンバスが足元を守る。
ウツセミのボールが、静かに揺れる。
僕の身体は冷たい。心臓は、もう数分もすれば止まるだろう。
イサナの薬も切れた。ウィックのエネルギーも使い果たした。
残っているのは、魂の燃えカスだけ。
「殿堂入り、おめでとう。……と言いたいところですが」
アイオンは静かにボールを構えた。
「ここは、生きた証を刻む場所。死にゆく者が、最後に何を残せるのか。……私に見せてください」
最後のバトル。
勝っても負けても、これが最後だ。
僕は懐中時計を握りしめた。
8つの歯車が、最後の力を振り絞って回っている。
「……ああ。見せてやる」
僕は震える指で、ボールを投げた。
恐怖はない。
ただ、この一瞬が、永遠に続くことだけを願って。
「みんな……ラストダンスだ!」
0時00分。
運命の針が重なる。
僕の人生、最後の戦いが始まった。
『頂の祭壇』の空気は、真空のように澄んでいた。
音がない。風もない。
ただ、頭上の星空だけが、冷徹に僕たちを見下ろしている。
「……行きますよ」
チャンピオン・アイオンが、細い指先で最初のボールを弾いた。
放たれたのは、太古の翼。
アーケオス。
化石から蘇った、過去を象徴するポケモン。
「ハヤテ(テッカニン)、頼む……!」
僕の声は、もう囁き声に近かった。
それでも、ハヤテは反応した。
ボロボロの羽を震わせ、音速で飛び出す。
アーケオスは『いわなだれ』の構え。巨岩が無数に降り注ぐ。
ハヤテは避けない。いや、避けられない。羽の凍結が進み、旋回性能が落ちている。
ならば、一点突破。
ハヤテは岩の隙間を縫うように直線的に加速し、アーケオスの懐へ飛び込んだ。
ザシュッ!
『シザークロス』。
アーケオスの翼の付け根を切り裂く。
アーケオスが悲鳴を上げ、特性『よわき』が発動する。体力が半分を切ると戦意を喪失する特性。
過去の亡霊は、生への執着を持つハヤテの気迫に押され、戦場から逃げ出すようにボールへ戻った。
まず一勝。
だが、ハヤテも限界だった。着地と同時に雪の上に転がり、動かなくなった。
瀕死ではない。だが、もう飛べない。
僕は無言でハヤテを戻す。
ボール越しに伝わる体温が、急速に冷たくなっていくのが怖かった。
「素晴らしい速さです。……では、こちらは『未来』を」
アイオンの二手目。
空間が歪み、幾何学的な模様を持つポケモンが現れた。
シンボラー。
古代都市の守り神とも言われるが、その能力は異質だ。
「シンボラー、『みらいよち』」
シンボラーが怪しく光る。
何も起きない。
いや、違う。攻撃は「未来」にセットされた。
数ターン後、忘れた頃に致命的なダメージが降り注ぐ、回避不能の時限爆弾。
「……未来なんて、待ってられるか!」
僕はキャンバス(ドーブル)を繰り出した。
キャンバスはフィールドに出ると、すぐに尻尾の絵筆を構えた。
彼が狙うのは、シンボラーではない。
自分自身だ。
キャンバスは自分のお腹に、何かを描いた。
それは、太鼓の絵。
『はらだいこ』。
自分のHPを半分削り、攻撃力を最大まで引き上げる、捨て身の技。
キャンバスの体力が削れる。ふらつく足元。
だが、その瞳には炎が宿っていた。
「一撃で決めるぞ! 『神速(しんそく)』!」
キャンバスが、かつてライメイ・シティで見たウインディからスケッチした神速を放つ。
目にも止まらぬ体当たり。
シンボラーがリフレクターを張ろうとするより速く、キャンバスの頭突きが直撃した。
ドォォォン!
シンボラーが吹き飛ぶ。
だがその直後、キャンバスの頭上に亀裂が走り、光の塊が落ちてきた。
『みらいよち』の着弾。
キャンバスは避けない。自分が倒れても、後ろには仲間がいると信じているからだ。
爆光。キャンバスが倒れる。
総力戦。
アイオンは、ドータクン、ミロカロスと、耐久力の高いポケモンを次々と繰り出してきた。
こちらは、ウツセミ(ヌケニン)の一瞬の無敵時間や、片腕のシリウス(エルレイド)のカウンターで応戦する。
一進一退。
だが、決定的に違うものがあった。
アイオンは涼しい顔をしているが、僕は――
ドクン。
心臓が、大きく跳ねた後、沈黙した。
視界がセピア色に染まり、音が遠くなる。
立っていられない。
膝から崩れ落ちる。
僕を支えたのは、背後に浮いていたウィック(シャンデラ)だった。
彼は戦いには参加していない。
僕の生命維持装置(バッテリー)として、常に僕の背中に張り付き、青い炎を送り続けていたからだ。
だが、その炎も今は弱々しい。
僕という燃料が尽きかけ、ウィック自身の命も削れている。
「……立てませんね」
アイオンが静かに言った。
「それが人間の限界です。時は残酷に、あなたの寿命を奪っていく」
彼女の場に残っているのは、あと一匹。
僕の場に残っているのも、あと一匹。
シリウスだ。
彼は片腕が折れたまま、肩で息をしている。
ウツセミはもう動けない。ハヤテも、キャンバスも戦闘不能。
ウィックは僕を生かすだけで精一杯。
「終わりましょう。私の最高のパートナーで」
アイオンが最後のボールを投げた。
現れたのは、純白のドレスを纏ったような、優雅なポケモン。
サーナイト。
だが、ただのサーナイトではない。
その首元には、『サーナイトナイト(メガストーン)』が輝いている。
「メガシンカ」
まばゆい光と共に、ドレスが膨らみ、漆黒の胸元があらわになる。
メガサーナイト。
特性『フェアリースキン』。
最強の特殊アタッカー。
対するシリウスは、片腕のエルレイド。
サーナイトとエルレイド。
かつて同じラルトスだった、分岐進化の対極。
「守るための魔法」を極めた女王と、「切り拓くための刃」を選んだ騎士。
(……シリウス)
声が出ない。
だから、心で呼んだ。
シリウスが振り返る。
彼は笑っていた。
シリウスが前に出る。
メガサーナイトが、哀れむように彼を見下ろした。
「『ハイパーボイス』」
アイオンの指示。
メガサーナイトが口を開く。
特性によりフェアリータイプとなった爆音が、破壊の波動となってシリウスを襲う。
シリウスは格闘タイプが入っている。フェアリー技は効果抜群。
直撃すれば、塵も残らない。
避けられない。
防げない。
終わった。
その時。
僕の背中で、ウィックが動いた。
彼は僕の背中から離れ――つまり、僕の生命維持を放棄して――シリウスの前に飛び出した。
「……ウィック!?」
ウィックは、そのガラスの身体で、メガサーナイトのハイパーボイスを正面から受け止めた。
ピキ、ピキキキッ……!
ガラスにヒビが入る。
ゴーストタイプのシャンデラでも、この威力は耐えきれない。
だが、ウィックはニヤリと笑った。
砕け散る寸前、彼は『おきみやげ』を使ったのではない。
『トリックルーム』を使ったのでもない。
彼は、自らの炎を爆発させ、その熱風でシリウスの背中を強烈に押したのだ。
「行け」と。
そして、ウィックの身体は砕け散り、光の粒子となって消えた。
僕の心臓が止まる。
寒い。暗い。
でも、目は逸らせない。
ウィックの最期の爆風で加速したシリウスが、音の壁を突破してメガサーナイトの懐に飛び込んだ。
残された左腕。
そこに、ウィックの青い残り火が宿っている。
炎のパンチ? 違う。
これは、僕たちの命の色だ。
「……貫けぇぇぇぇッ!!」
僕の、最後の叫び。
シリウスの左腕が、メガサーナイトの胸元に突き刺さった。