その一撃は、物理法則を超えていた。
シリウス(エルレイド)の左拳が、メガサーナイトの胸板を貫く寸前。
拳に纏わりついた青い炎――ウィック(シャンデラ)が遺した命の残り火――が、シリウスの精神エネルギーと混ざり合い、眩い白光へと昇華した。
それは技名のない、ただの「一撃」だった。
けれど、そこには僕たちの旅の全てが詰まっていた。
雪山の寒さ、砂漠の渇き、毒の痛み、そして死への恐怖と、生への渇望。
ドォォォォォン……!
音さえも置き去りにした衝撃が、祭壇の空気を震わせた。
メガサーナイトの漆黒のドレスが光の粒子となって砕け散る。
鉄壁の特殊防御を誇る女王が、物理の一点突破に耐えきれず、ゆっくりと、スローモーションのように後ろへ倒れていく。
メガシンカが解ける。
美しいサーナイトの姿に戻り、雪の上に静かに伏した。
勝負あり。
風が止まる。
シリウスは拳を突き出したまま、残心を解かない。
いや、動けないのだ。
全てを出し尽くし、彫像のように固まっている。
チャンピオン・アイオンが、ほう、と白く美しい息を吐いた。
彼女は倒れたサーナイトを優しくボールに戻すと、静かに拍手をした。
「……見事です。私の『永遠』が、あなたの『一瞬』に追い抜かれました」
彼女の言葉は、遠くから聞こえるようだった。
僕の視界は、もう針の穴ほどしか残っていない。
暗いトンネルの向こうで、アイオンが微笑んでいるのが辛うじて見える。
「おめでとう。あなたが、新しいチャンピオンです」
その言葉を聞いた瞬間。
僕の膝から、完全に力が抜けた。
地面に倒れ込む――はずだった身体を、誰かが抱き止めた。
『……』
シリウスだ。
右腕は折れ、左拳は砕け散っている。それでも彼は、ボロボロの身体で僕を支えていた。
彼の目を見る。
赤い瞳が、静かに潤んでいる。
言葉ではない、安堵と誇りの波動が伝わってくる。
「……ああ。行こう、シリウス」
僕はシリウスに体重の全てを預け、引きずられるようにして歩き出した。
目指すのは、祭壇の奥にある、巨大な石碑のようなマシン。
殿堂入り記録装置。
数メートルの距離が、数キロにも感じられた。
心臓はもう動いていない気がする。
惰性だけで血液が流れている。指先の感覚はない。
マシンの前に立つ。
冷たい金属のパネルに手を置いた。
『生体認証完了。新チャンピオン・レン。……パートナーを登録してください』
無機質な音声が、夜空に響く。
僕は震える手で、腰のボールを一つずつ、所定の窪みに嵌め込んでいった。
一つ目。
テッカニン、ハヤテ。
雪山を越え、空を切り裂いた黄金の翼。
誰よりも速く駆け抜けた、命知らずの特攻隊長。
二つ目。
ヌケニン、ウツセミ。
何も言わず、ただ僕の影として寄り添った虚無。
最後の最後で、その身を犠牲に勝利を切り開いた守護神。
三つ目。
ドーブル、キャンバス。
世界の醜さと美しさを描き続けた芸術家。
どんな局面でも、意外な技で道を照らしてくれた知恵者。
四つ目。
シャンデラ、ウィック。
僕の病を喰らい、僕の命を繋いだ共犯者。
最期まで僕の心臓代わりとなって、燃え尽きた青い灯火。
五つ目。
エルレイド、シリウス。
僕の「生きたい」という叫びを受け止め、剣となった騎士。
最初の友達。最高の相棒。
僕は、自分の懐中時計を外した。
8つのバッジが嵌め込まれ、傷だらけになった、僕の旅の証。
それを、最後の窪みに押し込む。
カシャン。
マシンが重低音を響かせ、光の柱を空へと放った。
モニターに、僕たちの写真とデータが表示される。
Champion: Ren
記録が、確定した。
このデータは、アイオン地方のサーバーに永遠に保存される。
僕が死んでも、100年経っても。
ここに「レン」というトレーナーが生きて、戦ったという事実は、誰にも消せない。
「……残せた、な」
僕はモニターの光を見つめながら、ずるずるとその場に座り込んだ。
安堵と共に、最後の糸が切れた。
寒さはもう感じない。
痛みもない。
ただ、ひどく眠い。
シリウスが、僕の横に座り込んだ。
彼は僕の頭を自分の膝に乗せ、優しく撫でてくれた。
その手は、ゴツゴツしていて、温かかった。
「……シリウス。ちょっと、寝るよ」
僕は霞む目で、満天の星空を見上げた。
星が綺麗だ。
あの中の一つに、僕もなれるだろうか。
『……おやすみ、レン』
初めて、シリウスの声がはっきりと聞こえた気がした。
テレパシーじゃない。
耳元で囁かれたような、懐かしい声。
僕は目を閉じた。
リミッターの音はしない。
心臓の音もしない。
あるのは、穏やかな静寂だけ。
僕の時計の針は、ここで止まる。
けれど、物語は残る。
瞬きより速く駆け抜け、永遠より長く刻まれた、僕たちの旅。
――レポートを、書き残しました。