ポケットモンスター 君がいた記録   作:人間国宝

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第20話

 

 静寂が支配する頂の祭壇に、荒い息遣いと、雪を踏みしめる足音だけが響いていた。

 

「……レン! おい、レン!」

 

 イサナが駆け寄ってくる。

 彼は白衣を泥だらけにし、肩で息をしながら、祭壇のマシンにもたれかかって眠る少年の元へ滑り込んだ。

 

 医療キットを広げる手つきは、かつてないほど焦っていた。

 

「脈は……まだあるか!? クソッ、体温が低すぎる! ハピナス、強心剤だ! 早くしろ!」

 

 イサナの怒号が飛ぶ。

 だが、レンを守るように寄り添っていたエルレイド――シリウスは、静かに首を横に振った。

 彼は血まみれの左手で、イサナの手を優しく押し留めた。

 

『……』

 

 シリウスの赤い瞳は、深く澄んでいた。

 そこには、悲嘆も絶望もない。ただ、約束を果たした戦士の安らぎだけがあった。

 

 イサナの手が止まる。

 彼はレンの顔を覗き込んだ。

 その表情は、苦悶に歪んでいなかった。

 まるで最高の悪戯を成功させた子供のように、満足げに微笑んだまま、目を閉じていた。

 

 胸元のリミッターは砕け散り、心臓の音はもう聞こえない。

 けれど、その身体からは不思議と温かい熱気が立ち昇っていた。

 最期まで彼を生かし続けた、青い炎の残り香。

 

「……バカ野郎」

 

 イサナは注射器を雪の上に落とした。

 膝から力が抜け、レンの隣に崩れ落ちる。

 

「勝ったまま逃げ切るなんて、反則だろうが……」

 

 イサナは涙を流さなかった。

 ただ、レンの冷たくなった手を両手で包み込み、頭上の星空を見上げた。

 

 0時00分を過ぎた時計の針が、新しい一日を告げていた。

 レンがいなくなった、新しい世界。

 モニターには、まだ『CHAMPION』の文字が輝き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――3年後。

 

 アイオン地方、レクイエム・シティ郊外。

 海を見下ろす『写生の丘』に、一つの新しい墓標が立っていた。

 黒曜石で作られた、小さな石碑。

 そこには名前も、没年も刻まれていない。

 ただ、8つの歯車(バッジ)のレリーフと、短い一文だけが刻まれている。

 

 『瞬きより速く駆け抜け、永遠より長く刻まれた者 ここに眠る』

 

 風が吹いた。

 花畑が波打つ中、白衣を着た青年――イサナが、その石碑の前に花を手向けていた。

 今の彼は、地方屈指のドクターであり、そしてポケモンリーグの医療顧問も務めている。

 

「……よう。久しぶりだな」

 

 イサナは石碑に語りかける。

 返事はない。波の音が答えるだけだ。

 

「最近のチャレンジャーは小粒でな。お前みたいに、命を削ってまで挑んでくるバカはいなくなったよ。……平和なもんだ」

 

 イサナは苦笑し、懐から一枚のスケッチブックを取り出した。

 

「ほら、あいつからの新作だ」

 

 墓石の前にスケッチブックを開いて置く。

 そこに描かれていたのは、四季折々のアイオン地方の風景。

 春の桜、夏の入道雲、秋の紅葉、冬のオーロラ。

 そして、そのすべての風景の中に、小さく「後ろ姿の少年」が描かれていた。

 

 空から、黄金の羽音。

 テッカニンのハヤテが、目にも止まらぬ速さで旋回し、花粉を運んでくる。

 その影には、ひっそりとヌケニンのウツセミが浮いている。彼は変わらず、虚無の穴で空を見つめていた。

 そして、石碑の最前列。

 墓守のように片膝をついて座る、隻腕のエルレイド。

 

 シリウス。

 彼は野生に戻ったわけではない。かといって、イサナの手持ちになったわけでもない。

 彼はただ、ここにいる。主との思い出を守るために。

 

 イサナは、シリウスの隣に座った。

 

「……あいつの記録、まだ誰も抜けないんだ」

 

 ポケモンリーグのクリアタイム。

 

 レンが叩き出した記録は、3年経った今も破られていない。

 病弱な少年が、命を燃やし尽くして駆け抜けた速度。

 それは今や伝説となり、多くのトレーナーたちの憧れとなっていた。

 

 ふと、石碑の前に置かれた青いランタンに、火が灯った。

 誰も火をつけていないのに、ひとりでに燃え上がった青白い炎。

 

 ウィックだ。

 彼はもう実体を持たないが、この場所にはいつも、優しい火の粉が舞っている。

 

『……』

 

 シリウスが立ち上がり、海の方角を指差した。

 そこには、新しい旅に出ようとする、一人の少年トレーナーの姿があった。

 弱そうなコラッタを連れた、頼りない少年。

 けれど、その目は希望に燃えている。

 

「……行くか、シリウス」

 

 イサナが立ち上がる。

 シリウスは頷き、片腕を振って風を切った。

 彼らは時々、こうして新人トレーナーをこっそり導いているらしい。

 かつて、自分たちが誰よりも苦労して歩んだ道を、次の世代が歩めるように。

 

「じゃあな、レン。また来る」

 

 イサナは背を向けた。

 振り返らない。

 レンはもう、過去の悲しい思い出ではない。

 彼らの背中を押す、追い風になったのだから。

 

 

 誰もいなくなった丘の上。

 風が吹き抜け、スケッチブックのページをめくった。

 

 最後のページ。

 そこには、こんな絵が描かれていた。

 満天の星空の下、頂の祭壇で。

 ボロボロのポケモンたちに囲まれて、涙を流しながら笑っている少年の顔。

 

 その下には、下手くそな字で、こう記されていた。

 

 『ありがとう。最高のトレーナー』

 

 青い炎が揺らめき、その文字を優しく照らす。

 墓標の懐中時計は、永遠に0時00分を指したまま。

 

 けれど、物語は終わらない。

 誰かが冒険に出るたび、誰かが夢を追うたび。

 その一瞬の輝きの中に、彼は必ずいる。

 瞬きより速く。

 永遠より長く。

 

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。

かなり駆け足でダイジェストの様になってしまいましたが、レンくんの物語としては相応しいのではないでしょうか。

バトルの描写など分かりにくい部分も多かったと思います。すみません。
ジムバトルでジムトレーナーの繰り出すポケモンが少なかったり、急にダブルバトルになったりと混乱したかもしれません。
基本的にチャレンジャーの実力を測るためにその場に応じて対応できるかどうか、またチャレンジャーの好きな様にさせるといった方針でした。
説明するの忘れてました。

気が向けば番外編なども投稿します。
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