ポケットモンスター 君がいた記録   作:人間国宝

4 / 20
第4話

 

 

 『始動区』のジムは、街一番の巨大製鉄所の中にあった。

 高くそびえる煙突から黒煙が吐き出され、赤錆びた鉄扉の向こうからは、轟音と熱気が漏れ出している。

 

 ここ、第一ジム『スチーム・ゲート』。

 タイプは「鋼」と「炎」。

 この地方の産業を支えるエネルギーの源だ。

 

「……最悪の環境だな」

 

 重厚な扉を押し開けた瞬間、熱風が顔面を叩いた。

 気温は優に40度を超えているだろう。舞い散る火の粉と、鼻を突く硫黄の臭い。

 健康な人間でさえ息苦しいこの場所は、体温調節機能が壊れている僕にとっては、巨大な処刑台のようなものだ。

 胸のリミッターが、即座に反応した。

 

 警告音が早まる。外気の熱に誘発され、体内の生体電流が暴れだそうとしている。

 

『キルッ!』

 

 足元のシリウスが、鋭い悲鳴を上げて僕のズボンを引っ張った。

 

 強烈な拒絶の感情が脳に突き刺さる。彼はエスパータイプだ。鋼や虫ほどではないが、この暴力的な騒音と熱気は、繊細な精神にとってストレスでしかないだろう。

 

「……引き返せないよ。ここを通らなきゃ、先へは行けない」

 

 僕は咳き込みながら、受付のある管理室へと歩を進めた。

 汗が噴き出すそばから蒸発していく。視界が赤いフィルターをかけたように揺らぐ。

 

 ジムの控え室は、工場の休憩所を兼ねていた。

 オイルの染みた長椅子に座り、順番を待つ。

 ジムリーダーは工場の現場監督も兼任しているらしく、「急なトラブルで炉の点検中だ。30分待て」と言われたきり、もう1時間が経過していた。

 

「はぁ……はぁ……ッ」

 

 限界が近い。

 水分補給はしているが、体内の熱が下がらない。

 リミッターの警告音が、耳障りな高音に変わりつつある。

 意識が朦朧としてきた。シリウスが必死に僕の手を握り、自分の冷たい体温を分け与えようとしてくれているが、焼け石に水だ。

 

(まずい……ここで倒れたら、挑戦権剥奪どころか、強制搬送だ)

 

 少しでも涼しい場所を探さなければ。

 僕はふらつく足取りで控え室を出て、薄暗い廊下へと逃げ込んだ。

 そこは資材搬入用の裏通路のようだった。メインの炉からは離れているが、それでも空気は淀んでいる。

 

 ガクッ。

 

 膝から力が抜け、壁に手をつく。

 そのままズルズルと崩れ落ちた。

 視界が暗転しかける。

 心臓が早鐘を打ち、体中の血液が沸騰しているようだ。過剰生成されたエネルギーが行き場を失い、僕の内側を焼き尽くそうとしている。

 

『キルゥゥーーッ!』

 

 シリウスが泣き叫び、僕の胸を叩く。

 死ぬな、死ぬな、と。

 

 その時だった。

 ふわり、と。

 鉄と油の臭いに混じって、**「甘い、ろうそくの香り」**が漂ってきた。

 廊下の奥の闇から、ゆらりと青白い炎が現れた。

 白い蝋でできた身体。つぶらな黄色い瞳。

 ヒトモシだ。

 

(……野生か? こんな工場の中に?)

 

 図鑑の知識が脳裏をよぎる。

 ――『ヒトモシ。人の生命力を吸い取り、頭の炎を燃やす』。

 別名、死神の案内人。弱った人間に近づき、その灯火を吸い尽くすポケモン。

 

 ヒトモシは音もなく近づいてきた。

 シリウスが威嚇のために立ち塞がる。

 

『キッ!』

 

 だが、ヒトモシはシリウスを一瞥もしない。

 その黄色い瞳は、ただ一点、熱暴走を起こしかけている僕の心臓を見つめていた。

 

 涎を垂らすような、純粋な「食欲」の気配。

 

『ポゥ……』

 

 ヒトモシが小さく鳴き、僕の目の前に立った。

 シリウスが念力を放とうとする。

 

「……待て」

 

 僕は掠れた声でシリウスを制した。

 直感があった。

 こいつは、僕を殺しに来たんじゃない。

 僕から溢れ出ている、この「余分なもの」を欲しがっているだけだ。

 ヒトモシが小さな手を伸ばし、僕の胸――リミッターの上あたりに触れた。

 

 ひやりとした感触。

 次の瞬間。

 

 ジュワァッ……。

 

 身体の芯から、熱い泥のようなものが吸い出される感覚があった。

 苦痛ではない。むしろ、パンパンに膨れ上がった風船の空気が抜けていくような、奇妙な開放感。

 

「……あ、ぁ……」

 

 ヒトモシの頭の炎が、青から紫へ、そして激しい赤へと色を変え、大きく燃え上がる。

 美味しい。もっと欲しい。

 そんな感情が、冷たいテレパシーのように流れ込んでくる。

 リミッターの警告音が、徐々に間隔を空け、やがて止まった。

 心拍数が落ち着いていく。

 

 僕を殺そうとしていた「過剰な生命エネルギー」を、この小さな死神が吸い取ってくれたのだ。

 

『ポッ?』

 

 ヒトモシが不思議そうに首を傾げた。

 普通の人間なら、これだけ吸えば気絶するか、死んでいるはずだ。

 なのに、目の前の人間は、逆に顔色が良くなっている。

 「枯れない泉」を見つけた。そんな驚きと歓喜が、その瞳に宿った。

 

「……はは。美味いか? 僕の命は」

 

 僕が力なく笑うと、ヒトモシは満足げに目を細め、ぽんぽんと膨れたお腹を叩いた。

 そして、名残惜しそうに何度か僕を見た後、廊下の闇へと消えていった。

 

『キル?』

 

 シリウスが呆気に取られている。

 敵意を向けようとした相手が、結果的に主人を救って去っていったのだから、混乱するのも無理はない。

 

「……助かったな。皮肉な話だけど」

 

 僕は壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。

 身体が軽い。ここ数年で一番調子がいいかもしれない。

 毒を以て毒を制す。

 僕の病気は、ゴーストタイプにとっては極上の餌場というわけか。

 

 

 

「レン選手! レン選手はおられませんか! 次、あなたの番です!」

 

 遠くから呼び出しのアナウンスが聞こえた。

 僕は深呼吸をする。肺に入ってくる熱気が、もう怖くない。

 

「行こう、シリウス。……今の僕は、ちょっと強いぞ」

 

 

 ジムのメインスタジアム。

 巨大な溶鉱炉の上に架けられた、金網のバトルフィールド。

 その向こう側には、作業用ゴーグルを首から下げた筋骨隆々の男――ジムリーダー『ガストン』が立っていた。

 隣には、蒸気を噴き上げる亀のようなポケモン、コータスがいる。

 

「待たせたな、挑戦者! この熱気に耐えられず逃げ帰る軟弱者が多い中、よく立った!」

 

 ガストンの大声が反響する。

 

 金網の下からはマグマのような熱気。だが、僕の体温は平熱だ。さっきのヒトモシが、致死量ギリギリまで吸い取ってくれたおかげで、今の僕は一時的な「健常者」になれている。

 

「チャレンジャー、レン。……始めます」

 

 ボールを構える。

 シリウスがフィールドに飛び出し、コータスと対峙する。

 相手は炎タイプ。エスパー技は等倍だが、コータスの物理防御は鉄壁だ。

 

 だが、僕には見えていた。

 スタジアムの天井付近、鉄骨の影に、小さな青い光が揺れているのを。

 あのヒトモシだ。

 僕という「餌」が、どう料理されるのかを見物しているらしい。

 

(見せてやるよ。お前の気に入った味が、どれほどの熱量か)

 

 僕は懐中時計を強く握りしめた。

 

 さあ、最初の歯車を回そう。

 

「シリウス、戦闘開始!」

 

 製鉄所の轟音を切り裂き、僕らの旅の、本当の初戦が始まった。

 




懐中時計型端末ーートレーナー証をこれから懐中時計と言います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。