「ルールは2対2。どちらかの手持ちが2体とも戦闘不能になった時点で決着とする!」
審判のロボット(コイルの形をしたドローン)が無機質な声を張り上げた。
金網の向こうで、ジムリーダーのガストンが不敵に笑う。
「おいおい、少年。お前の手持ち、足元のラルトス一匹だけじゃないのか?」
図星だった。
僕の腰のベルトには、ボールが一つしかない。
通常ならここで「出直してきます」と言うのが筋だ。だが、今の僕には時間がない。一度この熱気の外に出て、また戻ってくれば、今度こそ心臓が止まるかもしれない。
僕は視線を上げ、工場の天井、鉄骨の梁を見上げた。
そこに、ゆらゆらと揺れる青い光がある。
さっき僕の命を啜った、小さな死神。
「……なぁ。もっと食いたいか?」
僕が独り言のように呟くと、天井のヒトモシが『ポゥ?』と反応した。
僕は空のモンスターボールを取り出し、彼に見せつけるように掲げた。
「タダ飯は終わりだ。腹いっぱい食いたきゃ、降りてきて働け」
交渉成立か、それとも単なる気まぐれか。
ヒトモシは音もなく落下し、僕の手の中にあるボールのスイッチを、自らの小さな手で叩いた。
カシュッ。
抵抗はない。ボールが一度だけ揺れ、ロック音が鳴る。
ゲット完了。感動もへったくれもない、食欲だけで繋がった契約。
僕はそのボールを投げ上げた。
「行ってこい、ウィック! 第一ラウンドだ!」
ボールから飛び出したヒトモシ(ウィック)は、金網のフィールドに着地すると、嬉しそうに頭の炎を揺らした。
対するガストンは、呆れ半分、感心半分といった顔で鼻を鳴らした。
「ハッ、野生の現地調達か! イカれたガキだぜ。行くぞ、ギアル!」
ガストンが繰り出したのは、二つの歯車が噛み合ったポケモン、ギアル。
鋼タイプ。相性は炎のウィックが圧倒的に有利だ。
「ギアル、『ギアソーサー』!」
「ウィック、『ひのこ』だ!」
二枚の歯車が高速回転し、エネルギー弾となって飛んでくる。
だが、ウィックは避けない。
『ポッ、ポポポゥ!』
彼は笑いながら、口から紫色の火球を吐き出した。
それがギアルの攻撃とぶつかり合う――はずだった。
しかし、ウィックの放った火の粉は、軌道が不規則だった。
ゆらり、と陽炎のように揺れたかと思うと、ギアソーサーをすり抜け、ギアルの本体に直撃した。
ジュッ……!
金属が焼け焦げる嫌な音が響く。
ギアルが悲鳴を上げて回転を止める。
ただの『ひのこ』じゃない。ゴーストタイプ特有の、呪いを帯びた粘着質の炎だ。一度付着すると、消えずにじわじわと装甲を溶かしていく。
「追撃だ、『スモッグ』!」
僕が指示を出すが、ウィックは聞かない。
彼はギアルが苦しむ様子を見て、キャッキャと楽しげに笑い、勝手に接近していく。
そして、動けないギアルに直接触れ、その生命力を吸い始めた。
「……おい、やめろ!」
僕が叫ぶ。
ガストンが舌打ちをして、ギアルをボールに戻した。
「戦闘不能! 勝者、ヒトモシ!」
圧倒的だった。だが、残酷すぎた。
ウィックは不満そうに僕を振り返る。『まだ食い足りない』と。
こいつは、バトルをしているんじゃない。食事をしているんだ。
「……いい性格してるな。だが、次はそうはいかんぞ」
ガストンが、腰のベルトから鈍く光るヘビーボールを抜いた。
空気が変わる。
現場監督の顔から、ジムリーダーの顔へ。
「出てこい。俺の相棒、コータス!」
ズドン! と重量級の着地音。
甲羅から黒煙を噴き上げる、赤亀のポケモンが現れた。
その瞬間、コータスの特性『ひでり』が発動する。
天井の照明が太陽のように強く輝き、スタジアムの温度が一気に10度近く跳ね上がった。
「う、ぐ……ッ」
僕の喉が鳴る。
さっきウィックに吸ってもらって落ち着いていた身体が、再び悲鳴を上げ始める。
暑い。熱い。
血液が煮えるようだ。
「ウィック、戻れ! 相性が悪い!」
相手は炎タイプ。ウィックの炎技は半減される上に、相手の火力はこちらの上を行く。
だが、ウィックは戻らない。
目の前の強大なエネルギーの塊を見て、よだれを垂らしている。
「コータス、『ふんえん』!」
ガストンの号令。
コータスが甲羅を震わせ、周囲一帯に灼熱の噴煙を撒き散らした。
逃げ場はない。
『ポ……!?』
ウィックが炎の波に飲まれる。
通常なら『もらいび』で無効化できるかもしれないが、レベル差がありすぎる。物理的な爆風と衝撃が、小さな蝋の身体を吹き飛ばした。
ウィックは金網に叩きつけられ、目を回してダウンした。
「ヒトモシ、戦闘不能!」
ワンパンだ。これがジムリーダーのエース。
僕は急いでウィックをボールに戻す。
残るは、シリウス一匹。
そして僕の体力は、もうレッドゾーンだ。
「シリウス、頼む……!」
『キルッ!』
シリウスがフィールドに立つ。
身長差は倍以上。しかも、この灼熱地獄の中だ。
エスパー・フェアリータイプの彼にとって、この環境は最悪だ。
「速攻で決めるぞ。……『かげぶんしん』!」
シリウスが分身し、コータスを撹乱しようとする。
だが、ガストンは動じない。
「無駄だ。コータス、揺らぎを感じ取れ」
コータスは目を細め、熱源探知のように本体を見極めようとする。
そして。
「そこだ! 『ジャイロボール』!」
コータスが身体を甲羅に収納し、高速回転しながら突っ込んでくる。
速い! 鈍足のはずのコータスが、回転の遠心力で弾丸のように迫る。
「『まもる』!」
キーーン!
シリウスが展開した緑色の障壁に、鋼鉄の甲羅が激突する。
障壁にヒビが入る。重すぎる。
衝撃でシリウスが後退る。
その隙に、コータスは距離を取り、次のチャージを始めた。
いや、チャージじゃない。
口元に、太陽のような光が集束していく。
ソーラービームだ。『ひでり』下では溜めなしで撃てる、高火力の草技。
(食らったら終わる。でも、避ける場所なんて……)
僕の視界が霞む。
リミッターの警告音が、耳鳴りと混ざって遠くなる。
立っていられない。金網を掴んで身体を支える。
その時、ふと、金網の隙間から漏れる「蒸気」が見えた。
フィールドの床下には、冷却用の配管が通っている。
――ここだ。
「……シリウス」
声が出ない。
だから、想いを飛ばす。
シリウスの脳内に、イメージを直接叩き込む。
『コータスを狙うな。足元の、床の継ぎ目を狙え』
シリウスが僕を見る。
僕の死相が見えているはずだ。それでも彼は、僕の狂った作戦を信じた。
「コータス、発射ァ!」
「今だ……『ねんりき』で、バルブを回せぇぇッ!」
極太の光線(ソーラービーム)が放たれるのと同時。
シリウスの目が青く輝き、コータスの足元にある配管のバルブを、念動力で無理やりねじ切った。
ドシュウウウウウウウッ!!
爆音と共に、圧縮された高圧蒸気が床下から噴き出した。
ちょうどコータスの真下からだ。
不意打ちの噴出圧に、コータスの巨体が宙に浮く。
放たれたソーラービームの射線が上に逸れ、天井の照明を粉砕した。
「なっ、フィールドを利用しただと!?」
ガストンが目を見開く。
宙に浮いた亀は、無防備だ。
ひっくり返った状態で、蒸気に煽られている。
「トドメだ……! 最大出力、『チャームボイス』!!」
シリウスが息を吸い込む。
喉から放たれたのは、歌声ではない。
愛らしい外見からは想像もつかない、破壊的な音波の塊。
必中の波動が、無防備なコータスの腹に直撃した。
キィィィィィィン!
金属音がスタジアムを揺らす。
コータスは白目をむき、蒸気の中に沈んだ。
ズズン……と、コータスが地面に落ちる音がした。
それっきり、動かない。
「コータス、戦闘不能! 勝者、チャレンジャー・レン!」
電子音が勝敗を告げる。
同時に、僕の膝の力が抜けた。
地面に倒れ込む寸前、シリウスが駆け寄ってきて、小さな身体で僕を受け止めた。
『キルゥ!』
「……ああ、平気だ。勝った、な」
天井を見上げる。
割れた照明から、火花が散っていた。
ガストンが歩み寄ってくる。彼は倒れたコータスを労った後、僕の前に立ち、ニカっと笑った。
「見事だ。火力パワーのごり押しじゃなく、この工場の構造を利用するとはな。……現場向きの頭をしてるじゃねえか」
ガストンは懐から、鈍い真鍮色のバッジを取り出した。
小さな歯車の形をしている。
「『スチームバッジ』だ。受け取りな」
僕は震える手でそれを受け取り、懐中時計に嵌め込んだ。
カチリ。
小気味よい音がして、時計の長針が『1』の目盛りまで進んだ。
チク、タク、チク、タク。
止まっていた僕の時間が、確かに動き出した音。
「……ありがとうございます」
「おう。だが坊主、その顔色は褒められたもんじゃねえ。次はもっと準備してこいよ。死ぬぞ」
ガストンの言葉は、脅しではなく、純粋な忠告だった。
僕は苦笑いで頷き、シリウスに肩を借りて立ち上がった。
ジムを出る。
外の空気は冷たくて、美味かった。
ウィックの入ったボールが、ポケットの中で微かに熱を発している。
シリウスが僕を見上げ、誇らしげに胸を張った。
残り7つ。
僕の命が燃え尽きるのが先か、伝説の頂に届くのが先か。
今はまだ、誰にもわからない。