ポケットモンスター 君がいた記録   作:人間国宝

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第5話

 

 

「ルールは2対2。どちらかの手持ちが2体とも戦闘不能になった時点で決着とする!」

 

 審判のロボット(コイルの形をしたドローン)が無機質な声を張り上げた。

 

 金網の向こうで、ジムリーダーのガストンが不敵に笑う。

 

「おいおい、少年。お前の手持ち、足元のラルトス一匹だけじゃないのか?」

 

 図星だった。

 僕の腰のベルトには、ボールが一つしかない。

 

 通常ならここで「出直してきます」と言うのが筋だ。だが、今の僕には時間がない。一度この熱気の外に出て、また戻ってくれば、今度こそ心臓が止まるかもしれない。

 

 僕は視線を上げ、工場の天井、鉄骨の梁を見上げた。

 そこに、ゆらゆらと揺れる青い光がある。

 さっき僕の命を啜った、小さな死神。

 

「……なぁ。もっと食いたいか?」

 

 僕が独り言のように呟くと、天井のヒトモシが『ポゥ?』と反応した。

 僕は空のモンスターボールを取り出し、彼に見せつけるように掲げた。

 

「タダ飯は終わりだ。腹いっぱい食いたきゃ、降りてきて働け」

 

 交渉成立か、それとも単なる気まぐれか。

 ヒトモシは音もなく落下し、僕の手の中にあるボールのスイッチを、自らの小さな手で叩いた。

 

 カシュッ。

 

 抵抗はない。ボールが一度だけ揺れ、ロック音が鳴る。

 ゲット完了。感動もへったくれもない、食欲だけで繋がった契約。

 僕はそのボールを投げ上げた。

 

「行ってこい、ウィック! 第一ラウンドだ!」

 

 ボールから飛び出したヒトモシ(ウィック)は、金網のフィールドに着地すると、嬉しそうに頭の炎を揺らした。

 

 対するガストンは、呆れ半分、感心半分といった顔で鼻を鳴らした。

 

「ハッ、野生の現地調達か! イカれたガキだぜ。行くぞ、ギアル!」

 

 ガストンが繰り出したのは、二つの歯車が噛み合ったポケモン、ギアル。

 鋼タイプ。相性は炎のウィックが圧倒的に有利だ。

 

「ギアル、『ギアソーサー』!」

「ウィック、『ひのこ』だ!」

 

 二枚の歯車が高速回転し、エネルギー弾となって飛んでくる。

 だが、ウィックは避けない。

 

 『ポッ、ポポポゥ!』

 

 彼は笑いながら、口から紫色の火球を吐き出した。

 それがギアルの攻撃とぶつかり合う――はずだった。

 しかし、ウィックの放った火の粉は、軌道が不規則だった。

 ゆらり、と陽炎のように揺れたかと思うと、ギアソーサーをすり抜け、ギアルの本体に直撃した。

 

 ジュッ……!

 

 金属が焼け焦げる嫌な音が響く。

 ギアルが悲鳴を上げて回転を止める。

 ただの『ひのこ』じゃない。ゴーストタイプ特有の、呪いを帯びた粘着質の炎だ。一度付着すると、消えずにじわじわと装甲を溶かしていく。

 

「追撃だ、『スモッグ』!」

 

 僕が指示を出すが、ウィックは聞かない。

 彼はギアルが苦しむ様子を見て、キャッキャと楽しげに笑い、勝手に接近していく。

 そして、動けないギアルに直接触れ、その生命力を吸い始めた。

 

「……おい、やめろ!」

 

 僕が叫ぶ。

 ガストンが舌打ちをして、ギアルをボールに戻した。

 

「戦闘不能! 勝者、ヒトモシ!」

 

 圧倒的だった。だが、残酷すぎた。

 ウィックは不満そうに僕を振り返る。『まだ食い足りない』と。

 こいつは、バトルをしているんじゃない。食事をしているんだ。

 

「……いい性格してるな。だが、次はそうはいかんぞ」

 

 ガストンが、腰のベルトから鈍く光るヘビーボールを抜いた。

 空気が変わる。

 現場監督の顔から、ジムリーダーの顔へ。

 

「出てこい。俺の相棒、コータス!」

 

 ズドン! と重量級の着地音。

 甲羅から黒煙を噴き上げる、赤亀のポケモンが現れた。

 その瞬間、コータスの特性『ひでり』が発動する。

 天井の照明が太陽のように強く輝き、スタジアムの温度が一気に10度近く跳ね上がった。

 

「う、ぐ……ッ」

 

 僕の喉が鳴る。

 さっきウィックに吸ってもらって落ち着いていた身体が、再び悲鳴を上げ始める。

 暑い。熱い。

 血液が煮えるようだ。

 

「ウィック、戻れ! 相性が悪い!」

 

 相手は炎タイプ。ウィックの炎技は半減される上に、相手の火力はこちらの上を行く。

 だが、ウィックは戻らない。

 目の前の強大なエネルギーの塊を見て、よだれを垂らしている。

 

「コータス、『ふんえん』!」

 

 ガストンの号令。

 コータスが甲羅を震わせ、周囲一帯に灼熱の噴煙を撒き散らした。

 逃げ場はない。

 

『ポ……!?』

 

 ウィックが炎の波に飲まれる。

 通常なら『もらいび』で無効化できるかもしれないが、レベル差がありすぎる。物理的な爆風と衝撃が、小さな蝋の身体を吹き飛ばした。

 

 ウィックは金網に叩きつけられ、目を回してダウンした。

 

「ヒトモシ、戦闘不能!」

 

 ワンパンだ。これがジムリーダーのエース。

 僕は急いでウィックをボールに戻す。

 残るは、シリウス一匹。

 そして僕の体力は、もうレッドゾーンだ。

 

「シリウス、頼む……!」

 

『キルッ!』

 

 シリウスがフィールドに立つ。

 身長差は倍以上。しかも、この灼熱地獄の中だ。

 エスパー・フェアリータイプの彼にとって、この環境は最悪だ。

 

「速攻で決めるぞ。……『かげぶんしん』!」

 

 シリウスが分身し、コータスを撹乱しようとする。

 だが、ガストンは動じない。

 

「無駄だ。コータス、揺らぎを感じ取れ」

 

 コータスは目を細め、熱源探知のように本体を見極めようとする。

 そして。

 

「そこだ! 『ジャイロボール』!」  

 

 コータスが身体を甲羅に収納し、高速回転しながら突っ込んでくる。

 速い! 鈍足のはずのコータスが、回転の遠心力で弾丸のように迫る。

 

「『まもる』!」

 

 キーーン!

 

 シリウスが展開した緑色の障壁に、鋼鉄の甲羅が激突する。

 障壁にヒビが入る。重すぎる。

 

 衝撃でシリウスが後退る。

 その隙に、コータスは距離を取り、次のチャージを始めた。

 いや、チャージじゃない。

 口元に、太陽のような光が集束していく。

 ソーラービームだ。『ひでり』下では溜めなしで撃てる、高火力の草技。

 

(食らったら終わる。でも、避ける場所なんて……)

 

 僕の視界が霞む。

 リミッターの警告音が、耳鳴りと混ざって遠くなる。

 立っていられない。金網を掴んで身体を支える。

 その時、ふと、金網の隙間から漏れる「蒸気」が見えた。

 フィールドの床下には、冷却用の配管が通っている。

 ――ここだ。

 

「……シリウス」

 

 声が出ない。

 だから、想いを飛ばす。

 シリウスの脳内に、イメージを直接叩き込む。

 

 『コータスを狙うな。足元の、床の継ぎ目を狙え』

 

 シリウスが僕を見る。

 僕の死相が見えているはずだ。それでも彼は、僕の狂った作戦を信じた。

 

「コータス、発射ァ!」

「今だ……『ねんりき』で、バルブを回せぇぇッ!」

 

 極太の光線(ソーラービーム)が放たれるのと同時。

 シリウスの目が青く輝き、コータスの足元にある配管のバルブを、念動力で無理やりねじ切った。

 

 ドシュウウウウウウウッ!!

 

 爆音と共に、圧縮された高圧蒸気が床下から噴き出した。

 ちょうどコータスの真下からだ。

 不意打ちの噴出圧に、コータスの巨体が宙に浮く。

 放たれたソーラービームの射線が上に逸れ、天井の照明を粉砕した。

 

「なっ、フィールドを利用しただと!?」

 

 ガストンが目を見開く。

 宙に浮いた亀は、無防備だ。

 ひっくり返った状態で、蒸気に煽られている。

 

「トドメだ……! 最大出力、『チャームボイス』!!」

 

 シリウスが息を吸い込む。

 喉から放たれたのは、歌声ではない。

 愛らしい外見からは想像もつかない、破壊的な音波の塊。

 必中の波動が、無防備なコータスの腹に直撃した。

 

 キィィィィィィン!

 

 金属音がスタジアムを揺らす。

 コータスは白目をむき、蒸気の中に沈んだ。

 ズズン……と、コータスが地面に落ちる音がした。

 それっきり、動かない。

 

「コータス、戦闘不能! 勝者、チャレンジャー・レン!」

 

 電子音が勝敗を告げる。

 同時に、僕の膝の力が抜けた。

 地面に倒れ込む寸前、シリウスが駆け寄ってきて、小さな身体で僕を受け止めた。

 

『キルゥ!』

「……ああ、平気だ。勝った、な」

 

 天井を見上げる。

 割れた照明から、火花が散っていた。

 

 ガストンが歩み寄ってくる。彼は倒れたコータスを労った後、僕の前に立ち、ニカっと笑った。

 

「見事だ。火力パワーのごり押しじゃなく、この工場の構造を利用するとはな。……現場向きの頭をしてるじゃねえか」

 

 ガストンは懐から、鈍い真鍮色のバッジを取り出した。

 小さな歯車の形をしている。

 

「『スチームバッジ』だ。受け取りな」

 

 僕は震える手でそれを受け取り、懐中時計に嵌め込んだ。

 

 カチリ。

 小気味よい音がして、時計の長針が『1』の目盛りまで進んだ。

 チク、タク、チク、タク。

 止まっていた僕の時間が、確かに動き出した音。

 

「……ありがとうございます」

「おう。だが坊主、その顔色は褒められたもんじゃねえ。次はもっと準備してこいよ。死ぬぞ」

 

 ガストンの言葉は、脅しではなく、純粋な忠告だった。

 僕は苦笑いで頷き、シリウスに肩を借りて立ち上がった。

 

 ジムを出る。

 外の空気は冷たくて、美味かった。

 ウィックの入ったボールが、ポケットの中で微かに熱を発している。

 シリウスが僕を見上げ、誇らしげに胸を張った。

 

 残り7つ。

 僕の命が燃え尽きるのが先か、伝説の頂に届くのが先か。

 今はまだ、誰にもわからない。

 

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