ポケットモンスター 君がいた記録   作:人間国宝

7 / 20
第7話

 

 

 『迷いの森』は、その名の通り、方向感覚を狂わせる磁場に覆われていた。

 視界を白く塗り潰す濃霧。苔むした巨木が、亡者の手のように枝を伸ばしている。

 

 GPSは圏外。頼りになるのは、道端に点々と置かれた、朽ちかけた道祖神のような石碑だけだ。

 

「……寒いな」

 

 僕は襟元を合わせ、白い息を吐いた。

 森の湿気は、弱った肺には毒だ。呼吸をするたびに、濡れた綿を詰め込まれているような息苦しさを感じる。

 肩に乗ったウィック(ヒトモシ)が、頭の炎を少し強く燃やしてくれた。

 周囲の霧が晴れ、暖かさが頬に伝わる。

 

 こいつは本当に、現金なやつだ。僕の体調が良いときはそっけないが、弱ってくると「死なれては困る」とばかりに甲斐甲斐しく世話を焼く。

 

『キル……』

 

 足元を歩くシリウス(ラルトス)が、立ち止まった。

 彼の赤いツノが、不規則に明滅している。

 

 「嫌な感じ」「足元」「たくさんいる」。

 

 警戒のアラートが脳内に響く。

 

 ザッ、ザザッ。

 

 落ち葉の下、腐葉土の地面が波打った。

 一箇所ではない。周囲360度、至るところから、土を掘り返す音がする。

 

「……囲まれたか」

 

 僕はウィックを肩から降ろし、臨戦態勢をとった。

 土の中から現れたのは、土色の身体に、退化した小さな目を持つ昆虫ポケモンたち。

 ツチニンだ。

 

 本来は地中で木の根を齧って暮らす大人しいポケモンだが、この『迷いの森』の個体は違う。

 縄張り意識が異常に強く、侵入者の足音を感知して集団で襲ってくる。

 

 ジジジジジ……。

 

 十数匹のツチニンが、鋭い爪を擦り合わせ、威嚇音を鳴らす。

 視力はほとんどないはずだが、僕の不整脈のような足音と、漏れ出す生体エネルギーのノイズが、彼らを苛立たせているらしい。

 

「強行突破するぞ。ウィック、『ひのこ』で道をこじ開けろ!」

『ポウッ!』

 

 ウィックが紫色の炎を吐き出す。

 先頭のツチニンが燃え上がり、地中へ逃げ込む。

 だが、数が多い。

 

 別の方角から飛び出したツチニンが、鋭い爪で『みだれひっかき』を繰り出す。

 

「シリウス、『ねんりき』で迎撃!」

 

 シリウスが青い波動を放ち、飛びかかってきた敵を空中で静止させる。

 しかし、その隙に別の個体が地面を掘り進み、僕の足元から奇襲をかけてきた。

 

 ドガッ!

 

「ぐっ……!」

 

 突き上げられた衝撃で転倒する。

 泥の味が口に広がる。

 まずい。倒れたら、振動が増えて余計に標的にされる。

 這い上がろうとする僕の背中に、ツチニンの爪が迫る。

 

『キルァッ!!』

 

 シリウスが金切り声を上げ、僕の上に覆いかぶさった。

 小さな身体で、僕を庇う。

 

 ツチニンの爪が、シリウスの白い肌を切り裂く。

 赤い筋が走り、シリウスが苦痛の感情を爆発させる。それがダイレクトに僕の脳を揺さぶる。

 

「シリウス……!」

 

 ――やめろ。

 

 僕を守って傷つくなんて、本末転倒だ。

 僕は使い捨てのトレーナーでいい。君たちは、僕が死んだら野生に戻ればいいんだ。

 

 そう思っていたはずなのに。

 シリウスは退かない。

 涙目で、ボロボロになりながら、それでも僕の前に立って小さな両手を広げている。

 

 「守る」「僕が」「もっと強く」。

 

 純粋すぎる願い。

 それが、僕の心臓と共鳴した。

 

 ドクン。

 

 僕の胸から溢れたエネルギーが、シリウスへと流れ込む。

 いつもの「暴走」とは違う。

 これは「譲渡」だ。僕の命の炎を、彼に託す。

 

「……シリウス!」

 

 僕の叫びに応えるように、霧の中でまばゆい光が弾けた。

 進化の光。

 生命の形が組み替わる、神秘の輝き。

 

 小さなラルトスのシルエットが、光の中で伸びやかに成長していく。

 短かった手足がすらりと伸び、頭部のツノが大きくなり、まるでチュチュを纏ったバレリーナのような姿へ。

 

 光が収束する。

 そこに立っていたのは、ラルトスではない。

 感情ポケモン、キルリア。

 

『……キルリ』

 

 その声は、以前よりも少し大人びて、凛としていた。

 

 彼は――いや、進化した今の姿は中性的で美しい――スッと片足を上げ、優雅にターンを決めた。

 それだけで、周囲の霧が晴れるような清涼な空気が広がる。

 

 ツチニンたちが一斉に飛びかかる。

 キルリアは動じない。

 踊るように腕を振るう。

 放たれたのは、必中の追尾弾――『マジカルリーフ』。

 

 光り輝く葉の群れが、霧を切り裂き、ツチニンたちを一匹残らず正確に撃ち抜いた。

 

 ドカドカドカッ!

 

 ツチニンたちが吹き飛び、裏返る。

 圧倒的な制圧力。

 これが、進化……。

 静寂が戻る。

 

 残ったのは、一匹だけ。

 群れのボスらしき、ひと回り大きなツチニンが、ひっくり返ってもがきながらも、まだ戦意を失わずにこちらを睨んでいた。

 その執念。泥に塗れても生きようとする泥臭さ。

 それは、今の僕に必要なものだと思った。

 

「……ウィック、そいつを弱らせてくれ。優しくだぞ」

 

 ウィックが心得たとばかりに、弱火の『おにび』を放つ。

 火傷を負い、動きが鈍ったツチニンに向けて、僕はボールを投げた。

 

 カシュッ。

 

 コロン、コロン、コロン……カチッ。

 ゲット完了。

 僕は泥だらけの手でボールを拾い上げた。

 

「……よろしくな。『ウツセミ』」

 

 

 その夜。

 大樹の根元で焚き火を囲んだ。

 進化したキルリア――シリウスは、僕の隣に座り、傷の手当てを受けている。

 

 ラルトスの頃のようにベタベタと甘えてくることはなくなった。

 代わりに、背筋を伸ばして周囲を警戒するその横顔には、騎士のような気高さが宿っていた。

 

 感情の伝達も変わった。

 以前のような「感情の洪水」ではなく、もっと洗練された、言葉に近いニュアンスが伝わってくる。

 

 『傷は痛みますか? レン』

 

 そんな、気遣うような視線。

 

「大丈夫だよ。……ありがとう、シリウス。かっこよくなったな」

 

 僕が言うと、彼は嬉しそうに、でも少し照れくさそうに、くるりと回ってみせた。

 

 そして、新入りのツチニン、ウツセミ。

 ボールから出すと、彼はすぐに地面に潜ろうとしたが、焚き火の温かさに気づき、顔だけ出してじっとしている。

 土の中で長い時を過ごし、やがて殻を脱ぎ捨てて空へ飛び立つポケモン。

 そして、その抜け殻に魂が宿ると言われる特殊な生態。

 

(本体と、抜け殻……)

 

 僕は自分の手を見つめた。

 病に蝕まれたこの身体は、いつか抜け殻になる。

 その時、僕の魂はどこへ行くのだろう。

 

 イサナとの約束の街まで、あと少し。

 手持ちは3体になった。

 戦力は整いつつある。でも、僕の身体は確実に、冬に向かっていた。

 焚き火の爆ぜる音が、時計の秒針のように森に響いていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。