呪術廻戦IF:呪術悲劇ハムレット 作:役を解かれぬ者
裏門の
夜半を過ぎた頃、乙骨の手によって王宮の裏門が内側から開かれた。
門外に現れたのは、闇を凝り固めたような三つの影。
王権の法を焼き捨て、聖職者の説く倫理を泥に沈めてなお、暴かねばならない真実がある。
その劇薬を生むための舞台には、人ならざる毒を宿した「役者」が必要だった。
最初に入ってきたのは、両面宿儺だ。
乙骨を遥かに凌ぐ巨躯。四本の腕が夜気に溶け、二対の瞳が王宮の石壁を冷酷に舐め回す。
彼が踏みしめた石畳は、凍りつくのではなく「老いた」。
呪力が周囲の息吹を奪い、数十年分の時間を一瞬に凝縮したかのように、目地が細かく
裏梅が音もなく続き、最後に入ってきた真人は、軽やかにステップを踏んで石を蹴った。
「案内しろ」
宿儺の命令が、裏門の狭い通路に重く響き渡る。
一行が向かった
戴冠の儀を終えてなお、自らの正当性を国内外に誇示せんとする王の虚飾。
乙骨は、その祝宴の余興として、一つの劇をねじ込むことに成功していた。
その
祝祭を待つ金銀の装飾も、異形の影が放つ腐敗の気配に蹂躙されていく。
見張りの衛兵たちは、呼吸の仕方を忘れたかのように立ち尽くしていた。
本能的な忌避感から誰もが後退り、広間の中心には、光さえ届かない底なしの闇が口を開けた。
宿儺は、ホールの最奥に鎮座する「玉座」へと、迷いなく歩みを進める。
代々の王が座り、国権の象徴として崇められてきたその高座に、足がかけられた。
「呪いの王」にとって、人間の権威などは塵に等しい。
彼が平然と玉座を占拠し、肘をついた瞬間、城全体が耐えかねたように低い軋みを上げた。
それは羂索が必死に守り抜こうとする秩序が、いかに無力かを突きつけているようだった。
葬儀から今夜までの全てを、乙骨は感情を排した声で語った。
五条の死、王の正体。そして、自らの誓い。
里香にさえも決して語れぬ「毒」を、彼は今、目の前の怪物たちに吐き出していた。
道徳も情愛も持たぬ異形を相手にしている時だけ、彼は唯一、人間に戻る必要から解放されたのだ。
「確証がほしい」
乙骨の声は、石壁に染み込む夜気よりも冷徹に響いた。
「先生の見せた記憶が、本物だという確証が」
成すべきか、成さぬべきか。
まだ迷う素振りを見せる乙骨の話を聞き終えると、宿儺は腹の底から笑い声を上げる。
「殺すなら無様に殺せ。愛だの呪いだの――下らぬ肉付けは不要だ」
呪いの王の眼差しを、乙骨は正面から受け止めた。
「これは劇じゃない。……あいつの喉元に突きつける、僕の刃だ」
宿儺の笑いが、止まった。
「……己の墓標を、自ら刻むか」
低く、腹に響く声だった。
嘲りよりも深い、純粋な愉悦。
自ら死地へ歩む羽虫を眺めるような瞳が、乙骨の絶望を値踏みしていた。
稽古が始まれば、舞台の上の真人が、指の角度に至るまで正確に「死」を模倣していく。
毒薬の瓶を手に取る、軽薄な仕草。
殺害の場面を繰り返すたびに、異なる「愉しみ」を見つけては
乙骨は脚本を広げ、羽ペンを走らせていた。
その内側では、
この役者は、ただの幻影。
絵空事のために全身全霊をかけ、心に描く人物をまざまざと映し出す。
しかし、罪ある者の気を狂わせ、何も知らない者たちの目と耳を疑わせるだろう。
それなのに、真の大義を持つ自分はなぜ、こうも静かにペンを動かしているのか。
内に澱んだ嫌悪を、インクの滴に託して叩きつける。
紙を侵す黒は、出口を失った呪詛のように滲み広がり、逃げ場のない淵を形成していく。
軋む羽ペンの先が、己の
「ブランケットの掛け方を変えてください。右肩から丁寧に、左は後だ。その後、指先を首元に一度触れさせてから、離す」
「随分と細かいね」
真人が愉しげに目を細める。
「細かくなければ、刃にならない」
真人はそれを、完璧に演じ切った。
吐き気がするほど正確な「裏切り」の模写。
乙骨は感情の蓋を押し付け、ただ羽ペンを軋ませ続けた。
宿儺は玉座から、その光景を眺めていた。
ペンが走るたびに響く不穏な音。真人のステップ。乙骨の止まらない指。
必死に軋むその音を聞き、宿儺は喉を鳴らして薄く笑った。
舞台の上で毒薬の瓶が燭台の炎を反射し、冷たい光を放つ。
乙骨の羽ペンの音は、なおも止まらなかった。