呪術廻戦IF:呪術悲劇ハムレット 作:役を解かれぬ者
鋼鉄同士が、正面から互いの逃げ道を断つように噛み合った。
火花を散らすほどの鋭い衝撃が、剣を握る拳を伝って肩までを痺れさせ、石造りの広間に重く、硬質な震えを響かせる。
最初の交錯は、瞬きよりも速かった。
鋼と鋼が幾度も噛み合い、散った火花が闇を白く焼く。
乙骨は伏黒の剣筋を読みながら、指先に伝わる違和感を測っていた。
最短距離で命を刈り取るはずの伏黒の切っ先が、濁り、淀みに震えている。
乙骨は一歩退き、あえて剣を下げた。
「……迷いがあるね」
伏黒の瞳が、激しく揺れた。
「君にも何か……後ろ暗いことがあるのかな?」
正面から向き合うべき現実から、意識が卑怯に背を向けた。
その瞬間の逃げが、防御を担う
乙骨はその隙を見逃さなかった。
踏み込みとともに、鋭い一閃が空気を裂く。
伏黒は咄嗟に短剣を戻そうとしたが、動揺が鉄を滑らせた。
受け損ねた刃が伏黒の脇腹を浅く、だが鋭く切り裂く。
焼けるような熱さが脇腹を走り、鮮血が石畳に点々と飛び散った。
伏黒の身体が大きくよろめく。
「
直哉の鋭い声が広間に響き渡った。
彼は踊るような足取りで二人の間に割り込み、掲げた手を水平に振り下ろす。
「
直哉はそう告げると、唇の端に微かな笑みを湛え、伏黒の装束に滲む赤黒い染みをじっと見つめた。
「両者、位置へ。……構え直せ」
乙骨は無言で剣を引き、元の位置へと戻った。
伏黒は溢れる血を片手で押さえ、荒い呼吸とともに膝を突きかける。
――浅い。だが、身体が、妙に重い。
不快な動悸と、指先の痺れ。
それを、不意の負傷による昂ぶりと失血のせいだと、自分に言い聞かせた。
その光景を観覧席から見下ろしていた羂索は、微かに、退屈そうに目を細めた。
乙骨に持たせた獲物も、伏黒に与えた毒も、すべては伏黒が乙骨を仕留めるための舞台装置だった。
だが、一撃を受けたのは伏黒の方だ。
――やはり、この子に彼を殺させるのは無理か。
羂索は優雅に立ち上がり、
その手に握られた銀の杯は、もたつく子供たちの遊びを終わらせるための、新たな
「白熱した勝負だ。ここで一息、乙骨君に祝杯を」
羂索の声は、どこまでも慈悲深く響いた。
彼は懐から、一粒の大きな真珠を取り出す。
「これは、かつてこの国の守護を担った先代たちが冠に戴いた宝――『ユニオン』だ。この国の和解と、君の未来を祝し、この杯に捧げよう」
コロリ、と乾いた音が響いた。
真珠が赤酒の底へ沈む。
一見、至高の恩賞に見えるその動作こそが、死を溶かし込む合図であることを、乙骨の目は見逃さなかった。
真珠が触れた箇所から、銀の杯の内壁がわずかに、だが確実にどす黒く変色していく。
「今は必要ありません。……勝利の後にいただきます」
乙骨は杯に手を触れることすら拒絶した。
鋼のような響きが、羂索の差し出した手を空中で凍りつかせる。
その杯を挟んだ沈黙の間隙を、九十九由基が突いた。
「私が乾杯しよう」
彼女は影のように音もなく割り込み、羂索の手から銀の杯を奪い取る。
驚きに目を見開く乙骨の傍らで、九十九は羂索を視界にすら入れず、杯の底でゆっくりと溶けゆく「真珠」の澱みを見つめた。
「君たちの無事を祈って。……背負わせてしまって、すまないね」
慈しむような視線を乙骨と伏黒へ向けた後、彼女は迷いなく杯を口元へ運び、一息に飲み干した。
喉が、鳴る。
静まり返った広間に、彼女が死を飲み干す音だけが無慈悲に響いた。
空になった杯が九十九の手から離れ、虚しく床を転がる。
彼女は何事もなかったかのように、乙骨の背を叩いた。
「……さあ、続けなよ。君の『勝利』を見せてくれ」
その声は穏やかだったが、彼女の唇の端には、既に一筋の影が差し始めていた。
羂索は満足げに頷き、観覧席へと戻った。
「失礼した。御前試合を再開したまえ。……裁きは、まだ下されていない」