呪術廻戦IF:呪術悲劇ハムレット   作:役を解かれぬ者

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第30話 断罪

 

 

 

広間に、人間という中身の詰まった器が崩れ落ちる生々しい音が響く。

 伏黒恵の意識は、己の指先が犯した過ちを、数秒遅れて認識していた。

 

視線の先で、乙骨憂太が崩れ落ちている。

 胸に毒剣を突き立てたまま、九十九由基の亡骸を抱えるようにして。

 喪服の黒が、溢れ出す鮮血を吸って、じっとりと重く変色していた。

 

観覧席から、羂索が降りてきた。歩調は緩やかで、優雅ですらある。

 彼は動かなくなった二人と、絶望に縫い止められた伏黒を、慈悲深い神のような微笑で見下ろした。

 

伏黒はその微笑を網膜に焼き付け、口を開く。

 

「九十九さんは――」

 

伏黒の掠れた声が、静寂を裂いた。

 

「毒殺された!」

 

羂索は驚かなかった。鬱陶しい羽虫でも追い払うように、緩やかに首を巡らせるだけだ。

 掌握したこの国の理は、揺るがない。

 彼にとって伏黒恵の叫びは、もはや舞台の幕間に流れる雑音に過ぎなかった。

 

「王が……その男こそが、真の謀反人!」

 

保守派の術師たちは、忌避と嘲笑の混じった視線で伏黒を射抜く。

 

しかし、その叫びは、広間に満ちる停滞した空気を動かした。

 

真希が、一歩を踏み出す。

 境界線を踏み越える、微かな足音。それに続いたのは、祈りのような抜刀音だった。

 

真希が鞘を払う銀色の響き。

 それに呼応するように、パンダが、狗巻が、幾人かの術師たちが死地へ踏み込む覚悟とともに、それぞれの得物を構えた。

 

逃げ場のない夜が、広場を塗り潰していく。

 正義の蜂起ではない。共倒れを覚悟した者たちによる、戻れぬ断罪の意思だった。

 

「逆賊を捕らえろ!」

 

直哉が顔を歪めて叫び、広間は一瞬にして怒号と剣鳴の渦に沈む。

 だが、その混乱を鼻で笑うよりも早く、背後の空気が重く爆ぜた。

 

膝をつく乙骨から、どろりと溢れ出す圧倒的な殺気。

 羂索の全神経が、防衛本能によって一点へ釘付けにされる。

 

死の淵から這い上がらんとする「怪物」の気配。

 

 

その巨大な影に隠れて、伏黒の手が血の海を這う。

 指先が触れたのは、冷たい鉄の感触。

 乙骨が「温情」として投げ与えられ、舞台に遺したあの安物の鋼だ。

 

伏黒はそれを掴み、立ち上がった。

 毒が思考を泥に変え、折れた骨が肉を突き破るような激痛を訴える。

 それでも、泥の中に縫い付けられたはずの魂が、死に体を引き摺り上げる。

 

伏黒は地を蹴った。

 もつれる足で、自らの生を切り刻んで撒き散らすような、無惨な足跡を石畳に刻みながら。

 

 

羂索の眼には、眼前の乙骨が放つ気迫の渦しか映っていない。

 雑音を切り捨て、真の脅威を見据えた一瞬。

 

背後に、意志を宿した刃が迫っていることに気づいた時には、もう遅かった。

 伏黒が振るった、不格好な一撃。

 安物の鋼が、執念を乗せて羂索の肩を深く断ち割った。

 

羂索の顔から、微笑が剥がれ落ちた。

 千年の策謀を費やした支配が、背景と断じた少年の僅か一寸の鉄に裂かれる。

 計算外の意志に突き立てられた、純粋な困惑がそこにあった。

 

 

伏黒の膝が、再び折れる。

 毒が神経を焼き切り、指先から剣の感触が消えていく。

 

入れ替わるように、乙骨が動いた。

 九十九を丁寧に床へ横たえる所作には、死を目前にした者とは思えぬ静謐さが宿っていた。

 

立ち上がった乙骨は、己の胸から突き出た毒刃を、強く掴んだ。

 一拍の沈黙。一気に刃を抜く。

 肉と手が裂ける音が重なり、鮮血が噴き出した。

 乙骨は呻きさえ漏らさず、命が漏れ出す激痛を、すべて一歩を刻むための熱量に変えた。

 

 

羂索は、玉座の影に退いていた。

 伏黒に裂かれた肩。そして窒息せんばかりの乙骨の殺気。

 次の一手を巡らせようとしても、眼前の少年が放つ「死」そのものの気配に、思考が塗り潰されていく。

 

歩みを進める乙骨に、石畳を踏む感覚は、もうない。

 脳髄に焼き付いた殺意だけが、機能不全に陥った四肢を強引に動かしていた。

 

玉座に背が当たった羂索に逃げ場はなく、微笑を作ろうとする唇が、醜く歪んだ。

 

乙骨は、床に転がっていた毒杯を拾い上げた。

 九十九が飲み干した、呪いの器。

 その重みを指先に感じながら、引き抜いたばかりの毒剣を、迷いなく羂索の腹へと深く突き立てた。

 

「これが……」

 

言葉が、石壁に重く反響した。

 

「先生の……踏みにじられた皆の分の、毒だ」

 

澱の溜まった杯が、羂索の口へ押し当てられる。

 

「飲み干せ」

 

夏油傑の肉体が、拒絶に激しく痙攣する。

 喉へと流れ込む、死の滴。指が肘掛けを虚しく掻いたが、乙骨は退かない。

 崩れ落ちていく男の瞳を、至近距離で見据え続けた。

 

 

やがて力が抜け、杯が手から滑り落ちた。

 

「……見事だ、乙骨憂太」

 

その声は、かつて五条悟が親友と呼んだ男のものだった。

 

「人間の……情念というものを思い知ったよ」

 

 

 

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