呪術廻戦IF:呪術悲劇ハムレット 作:役を解かれぬ者
広間を満たす、圧倒的な
それは新王の即位を祝う、百本もの燭台が放つ暴力的な輝きだった。
天井から吊るされた錦の幕が揺れ、杯のワインは炎を反射して血の色に淀んでいる。
笑い声と弦楽が混ざり合い、エルシノアの大広間は、死した王など初めから存在しなかったかのような祝祭の熱を帯びていた。
壇上には、羂索と九十九由基が並び立つ。
羂索の長身と、九十九の揺るぎない立ち姿。
その並びが、歪な「秩序」を象っている。
九十九の瞳は、理想のために現実を呑み下した者だけが持つ、深く、底の知れない凪を湛えていた。
その広間の隅に、黒がある。
金色の祝祭を切り取ったような、乙骨憂太の喪服。
熱を奪うその黒い織りは、周囲の光を反射することを忘れたかのように重く、沈んでいる。
それどころか、乙骨の周囲に灯る炎は、吸い寄せられるように彼の方へわずかに傾いでいた。
今夜、城壁へ。
その
羂索が、壇を下りた。
人波を割り、柔和な微笑みを湛えて乙骨へ歩み寄る。
その歩みに応じるように、乙骨を囲む影は密度を増し、炎の傾きは激しさを加えた。
羂索の手が、乙骨の肩に置かれる。
夏油傑の手。指の長さ、節の形、掌の肉厚。
かつて五条悟が唯一背中を預けたはずのそれが、今、乙骨の服を掴んでいる。
だが、眼差しには慈愛の欠片すらなかった。
近親感の形をした何かが、絶望的な距離を保ってこちらを見下ろしている。
足元の石畳に、音もなく亀裂が走った。
「悲しみは理解できるよ、乙骨君。これからは私を師と思いなさい」
夏油傑の声。夏油傑の
乙骨は、羂索を見た。
喪服の放つ死の温度で肉体の表層を透かし、その深淵に潜む千年の異物へと、視線を突き立てた。
「立場だけは師に近づいたようですが……」
乙骨の静かな声が、広間の喧騒を一枚ずつ剥ぎ取っていく。
「その心根は、彼の慈愛からは程遠い」
羂索の指が一本、強張った。
乙骨はその微細な反応を、獲物を狙う獣の精度で捉える。
「随分と距離を詰められたものだ。……おかげで、あなたの化けの皮がよく見えるようになりましたよ」
言葉を受けても、羂索は動じなかった。
強張った指先を緩め、どこまでも慈愛に満ちた微笑みを乙骨に返す。
反論もせず、否定もせず。
ただ悲しみに沈む子供を宥めるような、底の見えない包容の模倣。
彼にとって、乙骨の殺意すら子犬の甘噛みに過ぎなかった。
周囲の者たちは、この刺すような殺意に気づかぬまま祝祭に興じている。
その喧騒を押し分けるように、九十九が二人の間に割って入った。
羂索の手を乙骨の肩から引き剥がすように、自らの掌で少年の肩を強く
「乙骨君。今は耐えるんだ。……世界は一人で回っているわけじゃない」
九十九の声は、微かに震えていた。
その奥歯が鳴る音に、彼女が飲み込み続けてきた屈辱の質量が詰まっている。
乙骨は、自分の腕を掴む九十九の指を見つめた。
彼女が自分を守ろうとしていることを理解し――その上で、従わないと決めた。
九十九の手が、乙骨の腕から静かに離れる。
今の彼には、いかなる正論も、ただの言い訳としてしか響かない。
彼女は、それを少年の氷のような瞳から悟った。
金色の熱狂を背に、乙骨は歩き出す。
弦楽が再び鳴り、広間は何事もなかったかのように祝祭の体裁を取り戻していく。
壇へ戻った羂索は、微笑みの奥で「子供の愛で方」を静かに組み直し始めた。
バルコニーの影から、楽巌寺嘉伸がその背中を見送っていた。
回廊の闇に吸い込まれていく、揺るぎない黒。
あれは怒りではない。敬愛という名の祈りが、呪詛へと濁り始める前の、最も危うい変化の「目」だ。
楽巌寺は欄干を握りしめる。
その指先からは血の気が失われ、ただ白くなっていった。