一日■錠。睡眠薬、ベンゾアントリアチル。用法用量は正しく。過度な服用による健康上の問題はありません。通常の睡眠薬と同様の副作用が挙げられます。せん妄、記憶障害、眠気、ふらつき、依存など。主作用として、脳の興奮を抑え、緊張や不安を和らげ睡眠導入を促します。本製品は、本来睡眠薬としてあるべき主作用と比較して、副作用の効果が強く出る傾向にあります。
具体的にはせん妄症状による現実との混同です。本来ありもしないものを夢想するなどが挙げられます。中でも特に、一貫性バイアスによる、ルーチンを保とうとするようなせん妄が起こる例が多く見られます。関連事例。ペットロスに陥り不眠を伴った成人女性への投薬。一貫性バイアスを伴うせん妄により、亡くなったペットを幻覚し、精神状態が回復。のちに社会復帰しました。
その他の副作用。記憶障害による一部記憶の欠落。日中の強い眠気。酩酊に近いふらつき。強い依存性など。
特筆して挙げられるのは、これら複合症状によって起こる異常行動です。主作用である睡眠導入の効果が弱いため、半覚醒状態が多々見られ、同時にせん妄が併発することで特異な異常行動が発生する事例が多発しました。関連事例。先のペットロスを抱える成人女性への投薬では、近隣の敷地へ無断で侵入し、適当なペットを自宅へ運搬しようとする動きが見られました。投薬を中止したところ、反復性不眠が見られましたが、回復しました。
対照的な事例。ペットロス陥り不眠を伴った成人男性への投薬。こちらは異常行動が見られた後でも、投薬を続行しました。結果として、当該男性は現実性境界を消失。俗的に言うところの、”夢の世界”へ入り込みました。現実での当該男性の肉体はせん妄によりルーチンを保とうと行動を続けました。当該男性の意識は”夢の世界”への不可逆的な進入により、追跡が困難となりました。以降の記録は残っていません。
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行方不明者である、今井■■、田村■■、佐川■■■、浜野■に関する事情聴取記録。重要参考人、浅井陽斗(14)。
早朝、外出しようとした浅井陽斗を連行。理由は定かでないが、浅井陽斗は警察官を『先生』と呼称。言い間違えではなく、彼は確かに彼らを先生と認識しているようでした。該当する生徒に関する質問をいくつか繰り出しましたが、どれも僅かに人名が異なっていました。浅井陽斗は彼ら四名を今田、日村、佐野、浜川と呼称しています。一部、記憶障害が見られます。
警察官(教師役):『この四人について、知っていることはあるかな』
浅井陽斗:『僕をいじめていた人たちです。僕は、トンボ、と呼ばれていました』
警察官:『……彼らが行方不明になっているんだ。それについて何か、知っていることはあるかな』
浅井陽斗:『分かりません。行方不明? つい先日、彼らと会いましたけど、その後のことは知りません』
虚偽を述べているか、記憶に齟齬が生じている可能性が挙げられます。先日、浅井陽斗が外出した様子はありません。浅井陽斗は直近で無断欠席をしています。これに関しての理由は定かではありませんが、自宅と彼の状態を確認したところ、丸一日睡眠していた可能性が有力です。それにより、彼の指す”先日”は二日以上前のことを指していると考えられます。
同時に、事件最初期に行方不明となった今井■■との時系列が噛み合いません。浅井陽斗の証言では、今井■■が行方不明となった以降も接触しているようでした。しかし、これも信用に足る情報にはなりません。幻覚症状などが疑われます。
以降の田村■■、浜野■における供述でも同様の矛盾が見られます。彼らの行方が不明になった以降で、浅井陽斗は接触した旨の内容を述べています。
追記:先述の二名は近隣の川辺で水死体として発見されました。浜野■に関しては、身体の損傷が激しく、関節が大きく歪んで発見されました。特に左腕の損傷が激しく、肘から先は未だ見つかっていません。最寄りの橋である■■橋から落下したことが原因だと考えられます。最終的な死因は、窒息だった模様。即死ではありませんでした。
警察官:『日常的に……いじめを受けていたようだけど。彼らを恨んでいたりは?』
浅井陽斗:『他人事ですね。先生だって、見て見ぬふりをしていたでしょう』
警察官:『……それは、すまなかった』
聴取係が話を合わせる。彼の中の先生の振る舞いに、想像だけのみの即興で合わせる。
浅井陽斗:『まぁ……恨んではいませんよ。いじめられたその日には、必ずいい夢を見ましたから』
警察官:『夢?』
浅井陽斗:『僕の、ほら、一眼レフです。あれで、色んな景色を撮る夢を見るんです』
警察官:『……一眼レフ?』
浅井陽斗:『カメラですよ』
警察官:『それは知っている』
浅井陽斗:『なら聞き返す必要はなかったでしょ』
調べによると、浅井陽斗が一眼レフを持っていたという形跡はありません。やはり、幻覚症状が考えられます。
追記:保護された今井■■の証言から、該当者四名が行っていた写真大会の意趣返しをするように、浅井陽斗が今井■■に暴行を加えた後にスマートフォンで写真を撮っていたことが判明しました。
上記のことも考慮すると、浅井陽斗はスマートフォンのカメラ機能を一眼レフと考えていたようです。
添付資料:捜査報告書『押収されたスマートフォンについて』
浅井陽斗の自宅より、液晶が激しく損壊したスマートフォンが見つかりました。内部ストレージを精査したところ、被写体が特定できない不明瞭な写真が大量に残されていました。内、数枚のみ鮮明に撮影されたものが確認されたので、以下に記します。
・写真データ1(日付:◯月◯日)
薄暗い寝室。ブルーシート上で憔悴している今井■■。顔面が大きく腫れ、流血していることから暴行を加えられた直後の写真だと思われます。泣きながら、顔を隠すように手を覆いフラッシュを避けています。
・写真データ2(日付:◯月◯日)
田村■■、浜野■両名の写真。全身が濡れています。浜野■の状態から、溺死直後に引き上げられてから撮影されたものだと思われます。引き上げ方法は不明。
警察官:『ちなみに、それで何を撮っていたのかな。その(言い淀む)夢、の中で』
浅井陽斗:『色々です。桜、クジラ、秋の山……』
警察官:『人を撮ったことは? 主に、佐川……いや、佐野くんたち四人、とか』
浅井陽斗:『(二十秒ほどの沈黙)。一眼レフでは、ありませんね』
警察官:『一眼レフ”では”? 他のなら、あるのか?』
浅井陽斗:『まぁ、スマホなら』
警察官: 『……別のことを聞こう。彼らが行方不明、と言ったけれど、佐野くんだけ見つかっているんだ』
浅井陽斗:『そうですか』
警察官:『落ち着いて聞いて欲しいんだけど、水死体、となって見つかっている』
浅井陽斗:『はぁ、なるほど』
警察官:『ずいぶん、落ち着いているね』
浅井陽斗:『嫌なやつが死んだんですよ。何を思う必要があるのか。というより、それを言うのなら先生も非情ではありませんか。生徒の一人が死んだんですよ』
警察官:『……最後、彼に会ったのはきみだね?』
浅井陽斗:『知りません。彼は僕のスマホを壊してから、どこかへ行きました。それが彼が出会った最後の人なのかどうか、僕は知らない』
警察官:『昨晩、水路付近の道できみが監視カメラに写っているのだが』
浅井陽斗:『昨晩……? 寝ていましたが。それに、最後彼に会ったのは学校です。夕方、いや、ちょうどあたりが暗くなったくらいの頃です』
佐川■■の状態から、死ぬ直前に取っ組み合いをしていたことが分かります。一部始終が佐川■■のスマートフォンに残されていました。内容は佐川■■が恐慌状態となり、呻き、苦しむように暴れる浅井陽斗を殴り殺そうと試みるものです。以下は映像内容を文字に起こしたものになります。
佐川:『ほら……やっぱりてめぇじゃねぇか! 今井も、田村も浜野も! 全部お前がやったんだ! なんとか言えよ、トンボ!』
画面が激しく揺れていますが、場所は監視カメラで最後に補足した場所に近い水路沿いということが分かります。佐川■■は声を荒らげ、恐慌状態で後ずさっています。浅井陽斗はそれをゆっくりと追うように動いていますが、酩酊でもしているかのようなふらつきで、体勢を崩しながら近づいています。
佐川:『なんとか言えよ……! おい! クソ野郎!』
佐川が叫んだところで、浅井陽斗が苦しみ始めました。頭を抱え、その後、暴れるようにして佐川に近づきます。
佐川:『やめ(スマートフォンが落下。音声が荒れています)(直後に水音)』
以降の映像は残されていません。カメラが地面側に向いているのか、映像がブラックアウトしています。
佐川■■はこの時水路に落下し、頭部を強打しました。後に気絶し、溺死しました。
警察:『知らない、は通らないよ』
浅井陽斗:『知りません。なんなんですか』
以降、二人の問答と言い合いが続きます。途中、浅井陽斗が離席しました。あまりにも長い休憩だったため、様子を確認しましたが、トイレの個室にて昏睡していました。寝言を言うかのように何か言葉を発していましたが、聞き取りは困難でした。一言、ソメニヨルノ、と現存するメジャーな桜であるソメイヨシノに似た言葉を聞き取った職員がいます。
その後浅井陽斗を目覚めさせることはできましたが、以降の聴取は要領を得ない回答が圧倒的に増加しました。はい、いいえ、などの簡単な質疑には応答できましたが、複雑な質問を投げかけると曖昧な答えが常に返答されます。まるで、意識だけがどこか、別のところに入って出てこれなくなってしまったように。浅井陽斗、という個人ではなく、何か浅井陽斗という人間を再現しようとする別人になったようでした。
以上が、本件の事情聴取記録となります。
オーバードーズしても、大丈夫!
それがこの薬、ベンゾアントリアチル!