盤上のイレギュラー~獲得SP2倍の冒険者は、世界の計算を狂わせる~   作:上山マヤ

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第59話 迫りくる波

 ドワーフの行商頭は、氷雪鋼の壁を前に腕組みをして唸った。

 

「やっぱりダメだ。今の手持ちの道具じゃ、表面を削るのが精一杯だ。本格的な採掘には専用ピッケルと、運搬用のトロッコが要る」

「じゃあ、今回は……」

「ああ。サンプルとして持てるだけ持って一旦下山する。すぐに仲間を集めて、機材を揃えて戻ってくるわい!」

 

 ドワーフたちは商魂たくましい。

 鼻息を荒くして山を降りていった。

 開発が進めば、この集落は大きく様変わりすることになるだろう。

 

 その背中を見送りながら、俺は隣にいるユラに話しかけた。

 

「……そろそろ、俺たちの役目は終わりかな」

「そうね。これからの交渉は、彼ら自身の問題だもの」

 

 ユラは穴の開いた氷壁を見つめる。

 どこか晴れやかな、それでいて少し寂しげな笑みを浮かべた。

 

 氷壁は砕けた。

 交易の道は開かれた。

 ゴブリンとオークの争いの種は解消されつつある。

 これ以上、部外者である俺たちが口を挟むのは野暮というものだ。

 

「名残惜しいけど、王都へ向かう準備をしようか」

「……そうね。長居しすぎちゃったかも」

 

 ここに来れてよかった。

 ゴブリン族とオーク族に会えてよかった。

 

 俺たちの会話を聞いていたラクンが、ビクリと肩を揺らす。

 寂しそうに少し目を伏せた。

 その小さな手が、俺のマントの裾を掴もうとして、迷うように空を切る。

 

(……ラクン)

 

 彼女の歌を聞けたのが一番の収穫だった気がする。

 何か声をかけようとした、その時だった。

 

 洞窟の奥。

 プムスワンの方角から、血相を変えたゴブリンが飛び込んできた。

 

「た、大変だ! ボーンイーターの群れだ!」

 

 場の空気が一瞬で凍りついた。

 

 ラクンは顔を上げて息を呑んだ。

 

◇ ◇ ◇

 

 急遽、族長の部屋に再び全員が集められた。

 中央には、息も絶え絶えのゴブリンの偵察兵が座り込んでいる。

 

「数は……?」

 

 ゴブリンの族長が静かに問う。

 偵察兵は息を切らせながら答えた。

 

「数千……いや、もっと。向こうの、山が、黒く染まって……」

 

(数千!?)

 

 その言葉に、室内にどよめきが走る。

 ユラの顔から血の気が引いていくのが分かった。

 数百でも脅威なのに、桁が違う。

 

「ボーンイーターは、本隊が動く前に行軍先へ偵察を飛ばす習性があると聞く。先日タケルたちが遭遇したのは、その斥候(せっこう)だったということか」

 

 ゴブリンの族長が厳しい顔で顎をさする。

 

 このままだと、プムスワンもレーイマニも、あの蟲の群れに飲み込まれることになる。

 

「たかが虫どもだ! 数が多いなら、それだけ多く殺せるということだろう!」

 

 シャンデが立ち上がり、大剣の柄を叩いた。

 その目には戦意が燃え盛っている。

 

「……愚か者め」

 

 ゴブリンの族長が冷たく吐き捨てる。

 

「数千の群れだぞ? 真正面からぶつかれば消耗戦になる。我らの数は少ない。この地を捨て、一時的に避難することも考えるべきだ」

「なんだと!? この地を捨てろと言うのか!」

「全滅するよりはマシだと言っておるのだ」

 

 2人の族長の間で、バチバチと火花が散る。

 部屋に充満する殺気。

 

 ラクンが怯えたように小さく震えて、俺の背中に隠れる。

 ユラもまた、どうすることもできずに唇を噛み締めていた。

 

「これはオークの戦争だ! 死を恐れる腰抜けは勝手に逃げろ。手出しは無用だ!」

「これはゴブリンの戦争でもある。我らだけでは守りきれぬ。……ケルの力を借りるべきだ」

 

 ゴブリンの族長が俺の方を見る。

 シャンデが牙を剥いた。

 

「誇りはないのか、くそじじいが! 部外者を頼るなど、戦士の恥だ!」

「死にたがりのデカ女には分からんよ。生き残ってこその種族だ」

 

 平行線の議論。

 オークは戦って死ぬことを名誉としている。

 ゴブリンは知恵を使って生き残ることを選ぶ。

 

 どちらも、その信念を通したいだけなんだろう。

 でも――。

 

「待ってください!」

 

 俺は声を張り上げた。

 

 全員の視線が集まる。

 背後のラクンが、祈るように俺の服を握りしめる。

 

「シャンデさん。戦って死ぬのがオークの信念だと言うなら、止めません。でも……全滅したら、どうなるんですか?」

「なんだと?」

「あなたが持っているその剣、先代から受け継いだものですよね? 死者の武器は子や仲間へ受け継ぐ。それがオークの魂なんじゃないんですか!」

 

 シャンデが息を呑む。

 

「もしここで全員が玉砕したら……誰がその剣を受け継ぐんですか? 誰があなたたちの武勇を語り継ぐんですか? 滅ぶことが望みなんですか!」

 

 俺の言葉が、部屋に重く響いた。

 

 受け継ぐ者がいなくなる。

 それがオークにとって、どれだけ大きいものなのか、正直俺には分からない。

 

(でも死んでほしくない。せっかくわかり合えたのに)

 

「……くっ」

 

 シャンデは苦渋の表情で唇を噛んだ。

 そして、ドカリと椅子に腰を下ろした。

 

 オークとしてのプライド。

 種族の存続。

 その狭間で揺れているのが分かった。

 

 沈黙を破ったのは、遅れて戻ってきたゴブリンの偵察兵だった。

 

「ほ……報告!」

「どうした?」

「群れ……『女王』を、連れている」

「女王だと!?」

 

 今度はゴブリンの族長が驚愕の声を上げた。

 ラクンが「ひっ」と短い悲鳴を上げる。

 

「ただの襲撃ではない……コロニー移動か」

 

(コロニー移動?)

 

「ここに来るまでどのくらいだ?」

 

 俺が尋ねると、ゴブリンの偵察兵は首を振った。

 

「分からない。ただ、女王を、護衛する行軍。速度は、速くはない……。2ヶ月は、かかるはず」

 

(2ヶ月……)

 

 猶予はある。

 少なくとも逃げることはできるはず。

 

(納得するかどうかは別だけど)

 

「この山を狙ってるのか?」

 

 シャンデが低い声で唸る。

 

「可能性は高い。ボーンイーターは骨と鉱物を好む。この山の豊富な資源を嗅ぎつけたのかもしれん」

 

 ゴブリンの族長が重々しく告げた。

 

 進路を変えるかもしれないという希望的観測は、誰も口にしなかった。

 奴らは山を目指している。

 そして、その先にはこの集落がある。

 

 ユラがラクンの手をそっと握った。

 小刻みに震えているのが見えた。

 

 2ヶ月後に迫る破滅。

 俺たちは、あまりにも大きな岐路に立たされていた。

 

(俺に何ができる)

 

 数千のモンスターなんて。

 俺にはどうすることも――。

 

(――待てよ?)

 

「俺の、……俺の考えを聞いてもらえますか?」

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