盤上のイレギュラー~獲得SP2倍の冒険者は、世界の計算を狂わせる~ 作:上山マヤ
ドワーフの行商頭は、氷雪鋼の壁を前に腕組みをして唸った。
「やっぱりダメだ。今の手持ちの道具じゃ、表面を削るのが精一杯だ。本格的な採掘には専用ピッケルと、運搬用のトロッコが要る」
「じゃあ、今回は……」
「ああ。サンプルとして持てるだけ持って一旦下山する。すぐに仲間を集めて、機材を揃えて戻ってくるわい!」
ドワーフたちは商魂たくましい。
鼻息を荒くして山を降りていった。
開発が進めば、この集落は大きく様変わりすることになるだろう。
その背中を見送りながら、俺は隣にいるユラに話しかけた。
「……そろそろ、俺たちの役目は終わりかな」
「そうね。これからの交渉は、彼ら自身の問題だもの」
ユラは穴の開いた氷壁を見つめる。
どこか晴れやかな、それでいて少し寂しげな笑みを浮かべた。
氷壁は砕けた。
交易の道は開かれた。
ゴブリンとオークの争いの種は解消されつつある。
これ以上、部外者である俺たちが口を挟むのは野暮というものだ。
「名残惜しいけど、王都へ向かう準備をしようか」
「……そうね。長居しすぎちゃったかも」
ここに来れてよかった。
ゴブリン族とオーク族に会えてよかった。
俺たちの会話を聞いていたラクンが、ビクリと肩を揺らす。
寂しそうに少し目を伏せた。
その小さな手が、俺のマントの裾を掴もうとして、迷うように空を切る。
(……ラクン)
彼女の歌を聞けたのが一番の収穫だった気がする。
何か声をかけようとした、その時だった。
洞窟の奥。
プムスワンの方角から、血相を変えたゴブリンが飛び込んできた。
「た、大変だ! ボーンイーターの群れだ!」
場の空気が一瞬で凍りついた。
ラクンは顔を上げて息を呑んだ。
◇ ◇ ◇
急遽、族長の部屋に再び全員が集められた。
中央には、息も絶え絶えのゴブリンの偵察兵が座り込んでいる。
「数は……?」
ゴブリンの族長が静かに問う。
偵察兵は息を切らせながら答えた。
「数千……いや、もっと。向こうの、山が、黒く染まって……」
(数千!?)
その言葉に、室内にどよめきが走る。
ユラの顔から血の気が引いていくのが分かった。
数百でも脅威なのに、桁が違う。
「ボーンイーターは、本隊が動く前に行軍先へ偵察を飛ばす習性があると聞く。先日タケルたちが遭遇したのは、その
ゴブリンの族長が厳しい顔で顎をさする。
このままだと、プムスワンもレーイマニも、あの蟲の群れに飲み込まれることになる。
「たかが虫どもだ! 数が多いなら、それだけ多く殺せるということだろう!」
シャンデが立ち上がり、大剣の柄を叩いた。
その目には戦意が燃え盛っている。
「……愚か者め」
ゴブリンの族長が冷たく吐き捨てる。
「数千の群れだぞ? 真正面からぶつかれば消耗戦になる。我らの数は少ない。この地を捨て、一時的に避難することも考えるべきだ」
「なんだと!? この地を捨てろと言うのか!」
「全滅するよりはマシだと言っておるのだ」
2人の族長の間で、バチバチと火花が散る。
部屋に充満する殺気。
ラクンが怯えたように小さく震えて、俺の背中に隠れる。
ユラもまた、どうすることもできずに唇を噛み締めていた。
「これはオークの戦争だ! 死を恐れる腰抜けは勝手に逃げろ。手出しは無用だ!」
「これはゴブリンの戦争でもある。我らだけでは守りきれぬ。……ケルの力を借りるべきだ」
ゴブリンの族長が俺の方を見る。
シャンデが牙を剥いた。
「誇りはないのか、くそじじいが! 部外者を頼るなど、戦士の恥だ!」
「死にたがりのデカ女には分からんよ。生き残ってこその種族だ」
平行線の議論。
オークは戦って死ぬことを名誉としている。
ゴブリンは知恵を使って生き残ることを選ぶ。
どちらも、その信念を通したいだけなんだろう。
でも――。
「待ってください!」
俺は声を張り上げた。
全員の視線が集まる。
背後のラクンが、祈るように俺の服を握りしめる。
「シャンデさん。戦って死ぬのがオークの信念だと言うなら、止めません。でも……全滅したら、どうなるんですか?」
「なんだと?」
「あなたが持っているその剣、先代から受け継いだものですよね? 死者の武器は子や仲間へ受け継ぐ。それがオークの魂なんじゃないんですか!」
シャンデが息を呑む。
「もしここで全員が玉砕したら……誰がその剣を受け継ぐんですか? 誰があなたたちの武勇を語り継ぐんですか? 滅ぶことが望みなんですか!」
俺の言葉が、部屋に重く響いた。
受け継ぐ者がいなくなる。
それがオークにとって、どれだけ大きいものなのか、正直俺には分からない。
(でも死んでほしくない。せっかくわかり合えたのに)
「……くっ」
シャンデは苦渋の表情で唇を噛んだ。
そして、ドカリと椅子に腰を下ろした。
オークとしてのプライド。
種族の存続。
その狭間で揺れているのが分かった。
沈黙を破ったのは、遅れて戻ってきたゴブリンの偵察兵だった。
「ほ……報告!」
「どうした?」
「群れ……『女王』を、連れている」
「女王だと!?」
今度はゴブリンの族長が驚愕の声を上げた。
ラクンが「ひっ」と短い悲鳴を上げる。
「ただの襲撃ではない……コロニー移動か」
(コロニー移動?)
「ここに来るまでどのくらいだ?」
俺が尋ねると、ゴブリンの偵察兵は首を振った。
「分からない。ただ、女王を、護衛する行軍。速度は、速くはない……。2ヶ月は、かかるはず」
(2ヶ月……)
猶予はある。
少なくとも逃げることはできるはず。
(納得するかどうかは別だけど)
「この山を狙ってるのか?」
シャンデが低い声で唸る。
「可能性は高い。ボーンイーターは骨と鉱物を好む。この山の豊富な資源を嗅ぎつけたのかもしれん」
ゴブリンの族長が重々しく告げた。
進路を変えるかもしれないという希望的観測は、誰も口にしなかった。
奴らは山を目指している。
そして、その先にはこの集落がある。
ユラがラクンの手をそっと握った。
小刻みに震えているのが見えた。
2ヶ月後に迫る破滅。
俺たちは、あまりにも大きな岐路に立たされていた。
(俺に何ができる)
数千のモンスターなんて。
俺にはどうすることも――。
(――待てよ?)
「俺の、……俺の考えを聞いてもらえますか?」