境界の観測者 ―時計塔の特異点―   作:りー037

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【第十九片】崩壊する日常(バックグラウンド)、極東??からのPing

【日時】2004年 2月某日 08:50

 

【場所】時計塔・第12部門:現代魔術科(ノリッジ) エルメロイ教室

 

竜胆茜は、口の中でソーダ味のキャンディを転がしながら、己の演算能力の限界を呪っていた。

 

(……Tier 0 <<可変存在解像度(モザイク・シフト・マニュアル)>>、出力最大。……駄目だ。認識阻害のノイズが、隣から発せられる『圧倒的な自己主張(エーデルフェルト)』によって完全に上書き(オーバーライド)されている)

 

 

エルメロイ教室の一番後ろ、窓際の席。

 

かつて茜にとっての「安全圏(セーフティ・ゾーン)」であったその場所は、今や時計塔で最も目立つ特異点と化していた。

 

「――ごきげんよう、竜胆茜。今日の貴方は、少し魔力の波形が乱れていますわね。昨夜はよく眠れなかったのかしら?」

 

 

隣の席。本来そこにあったはずの木製のオンボロ椅子は撤去され、どこから持ち込んだのか、ビロード張りの豪奢なアンティークチェアが置かれている。

 

そこに優雅に脚を組んで座っているのは、金色のドリルロールを揺らすルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトだった。

 

彼女から漂う薔薇の香水と、隠しきれない極上の魔力が、周囲の生徒たちの視線を釘付けにしている。

 

「……おはようございます、ルヴィアさん。なぜ貴方がここにいるんですか。貴方の席はもっと前の方、優秀な生徒たちが座る『表舞台』にあるはずですが」

 

「あら、淑女がどこに座ろうと自由でしょう? それに……」

 

ルヴィアは扇を閉じ、茜の顔を真っ直ぐに見つめた。そのサファイアの瞳には、昨日の決闘で自身の「深淵」を整流された歓喜と、強烈な執着が爛々と輝いている。

 

「私の星の輝きを、あのように美しく『調律』してみせたのです。貴方には、私の魔術の完成を見届ける義務がありますわ。さあ、今日も私の魔力パスの最適化(デバッグ)を手伝いなさい。これは共同研究ですわよ」

 

(……共同研究という名の、専属チューナー扱いか。冗談じゃない、これ以上目立てば僕の平穏な学生生活が完全にバグってしまう)

 

茜が冷たい断りの言葉(エラーメッセージ)を演算しようとした、その時だった。

 

「り、竜胆さぁぁぁん!! オレにも! オレにもその『調律』教えてください!!」

 

教室の前のドアを蹴り開け、顔に絆創膏を貼ったフラット・エスカルドスが弾丸のように飛び込んできた。

 

彼は茜とルヴィアの間に無理やり割り込み、目を星のように輝かせている。

 

「昨日、中庭の端っこからこっそり見てたんです! 竜胆さんがルヴィアさんに触った瞬間、ルヴィアさんの魔術の数式が『グワァッ』てなって『ピシーッ!』って綺麗に整列したのを! あの書き換えのコード、オレの脳みそじゃ処理しきれなくて……! お願いします、オレを弟子にしてください!」

 

「ちょっと、そこの!! 私の専属チューナーに気安く触らないでくださる!?」

 

「えーっ! 竜胆さんはみんなの竜胆さんですよ! ねえ、スヴィンもそう思うでしょ!?」

 

「俺を巻き込むな馬鹿フラット! ……おい新顔、お前、エーデルフェルトの雌狐にまで変な匂いをつけやがって。一体何者なんだ……」

 

ルヴィアが激怒して宝石を握り、フラットが無邪気にそれを避け、スヴィンが獣の唸り声を上げる。

 

教室中の視線が、驚愕と畏怖をもって茜に集中していた。

 

(……うるさい。情報のエントロピーが高すぎる。これでは背景どころか、舞台の中心(センターステージ)じゃないか)

 

茜は机に突っ伏し、腕の中に顔を埋めた。

 

彼の L1 <<自動修復機構(セーフティ・リセット)>> が、絶え間なく発生する対人ストレスをショートさせては初期化を繰り返している。彼のささやかな「モブでありたい」という願いは、圧倒的な才能(バケモノ)たちの前で、物理的に粉砕されていた。

 

 

 

 

 

 

【日時】同日 12:30

 

【場所】時計塔・エルメロイⅡ世の執務室

 

「――お前は。……お前というやつは……っ!」

 

昼休み。呼び出しを受けて執務室に入った茜を出迎えたのは、デスクに突っ伏して胃のあたりを激しく押さえているロード・エルメロイⅡ世の姿だった。

 

「……お呼びでしょうか、先生。胃薬なら、成分を分析してより効果的な分子構造に再結晶化(コンパイル)したものを……」

 

「黙れ! 今すぐその気味の悪いキャンディをしまえ!」

 

エルメロイⅡ世は血走った目で茜を睨みつけた。

 

「法政科のデータベースを物理的にハッキングした翌日に、今度はエーデルフェルトの次期当主を中庭で組み伏せ、魔術的シンクロを果たしただと……? 今日、私が会議でどれほどの視線に晒されたか分かるか!? 『エルメロイ教室には、星を操る魔人がいるらしい』と、他学部のものたちから嫌味の集中砲火を浴びたんだぞ!」

 

「……誤解です。僕はただ、ルヴィアさんの出力過剰による自壊(オーバーヒート)を防ぐために、 L2 <<関係性抽象式>> を介して外部から魔力のベクトルを整流(デバッグ)しただけです。……手放しで自爆されては、僕の逃走ルートの計算に支障が出たので」

 

 

茜は極めて事務的なトーンで事実を述べた。

 

しかし、その言葉はエルメロイⅡ世の頭痛をさらに悪化させるだけだった。

 

「他者の……それもエーデルフェルト級の魔術回路に外部から干渉し、無断で最適化(チューニング)を行うだと? それを『ただの整流』などと呼ぶ魔術師が、この世のどこにいる……! それは神の御業か、悪魔の所業のどちらかだ!」

 

 

エルメロイⅡ世は深くため息をつき、安物の葉巻に火をつけた。

 

「……いいか、竜胆。ルヴィアゼリッタは、時計塔のみならず魔術世界全体に強い影響力を持つ名門だ。彼女が君に執着しているという事実は、もはや君が『ただの生徒』ではいられないことを意味する。……君という強大なバグの存在は、すでに時計塔のシステム全体に認識されつつあるんだ」

 

「……迷惑な話です。僕はただ、静かに計算していたいだけなのに」

 

 

茜が心底嫌そうに呟いた、その時だった。

 

 

 

――ドクン。

 

 

 

茜の胸の奥。より正確に言えば、彼の脳内演算空間の最深部に隔離してある、あの150年前の『遺言』のデータが、突如として不気味な「脈動」を打った。

 

(……ッ!? なんだ? <<因果ログ解析>> が、未知の外部接続(アクセス)を検知した……?)

 

 

茜は目を僅かに見開いた。

 

彼の起源『解析』が、その脈動の正体を瞬時に視覚化する。

 

それは時計塔の中からの干渉ではない。物理的な距離を完全に無視した、世界の裏側――『極東』からの、巨大で、悍ましいほどの魔力通信(Ping)。

 

「……どうした、竜胆。顔色が悪いぞ」

 

 

エルメロイⅡ世が、葉巻を止めて鋭く問いかける。

 

「先生。……僕の内側にあるシステムが、外部と勝手に同期(シンクロ)しようとしています。……発信源は、極東。日本の……『冬木』という極小の霊脈からです。おそらく、何らかの魔術儀式のシステムと混線しました。」

 

 

その地名を聞いた瞬間。

 

エルメロイⅡ世の顔から、スッと血の気が引いた。彼の手から葉巻が滑り落ち、デスクの上で焦げ跡を作る。

 

「冬木……だと……? 馬鹿な、なぜ、この時計塔のから、『極東』のシステムと繋がる……!」

 

 

茜の 演算レイヤー が、超高速で因果を逆算していく。

 

昨日のルヴィアとの決闘。茜が彼女の膨大な魔力を精密制御した際の「規格外の魔力行使」と、茜の内側に記録した「霊脈の不自然記録」

 

これらが共鳴し、極東の儀式と思われるナニかを管理するシステムが、茜の持つ異常な演算基盤を『極めて強力な管理者権限(マスター候補)』として誤認してしまったのだ。

 

 

「……チッ」

 

 

茜は右手の甲に目を落とした。

 

そこに、赤黒い痣のようなものが、まるでノイズのようにチカチカと浮かび上がりかけていた。

 

令呪の事前登録。儀式という名の「死の抽選」への強制エントリー。

 

 

「ふざけるな。勝手に僕のシステム(日常)にインストールしようとするな」

 

 

茜の瞳に、冷徹な光が宿る。

 

「起動。――第5層 <<干渉痕消去(インターフェアレンス・クリア)>>、および <<因果接続補完(カウザル・ブリッジ)>>。外部からの接続要求(リクエスト)をすべて『拒否(エラー)』として弾き返し、僕の座標を『取得不能(Null)』に上書きする」

 

 

茜の 回路が唸りを上げる。

 

彼は極東から伸びてきた「パス」を、魔術ではなく、純粋な論理演算による『ファイアウォール』で強引に切断した。

 

右手の甲に浮かびかけていた赤い痣が、ノイズと共に霧散し、消滅する。

 

「……処理、完了しました。勝手な通信要求(スパム)が来たので、ブロックしておきました」

 

 

茜は息一つ乱さずにそう言い放ち、ポケットのキャンディを取り出した。

 

「な……これは、令呪の予兆?……自力でキャンセルしたというのか……?」

 

 

エルメロイⅡ世は、もはや驚愕を通り越して、宇宙人でも見るような目で茜を見つめていた。

 

選定は、いわば世界そのものの意志に近い。それを「迷惑メールを弾く」ような手軽さで拒否するなど、魔術の常識では絶対にあり得ない。

 

 

(……だが、不快だ。完全に切断はした。僕は極東の儀式に参加するつもりは1ミリもない。……だけど、あの『システム』は確かに僕というバグの存在を検知した。視線(ログ)は、残っている)

 

 

茜は半眼のまま、見えない極東の空を睨みつけた。

 

彼の平穏な日常は、ルヴィアという「星」に照らされ、法政科という「猟犬」に嗅ぎ回られ、そして今、極東の「泥」にまで目をつけられようとしていた。

 

「……先生。やはり、僕はこの『バグ』を抱えすぎました。……早急に、根本的なデバッグが必要です」

 

 

茜の静かな、しかし確かな「演算の意志」に、エルメロイⅡ世はただ黙って、胃薬の瓶を開けることしかできなかった。

 

 

 

 

 

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