境界の観測者 ―時計塔の特異点―   作:りー037

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【第ニ十片】女王たちのティータイム、水銀のバッファ

22  女王たちのティータイム、水銀のバッファ

 

【日時】2004年 2月某日 13:15

 

【場所】時計塔・第12部門:現代魔術科(ノリッジ) 廊下

 

 

ロード・エルメロイⅡ世の執務室を出た茜は、廊下の冷たい空気を吸い込み、即座に <<仮想領域(ディテクター・フィールド)>> を展開した。

 

(……スキャン開始。半径50m、空気振動、視線、熱源を捕捉。……北側30mの曲がり角に、不自然な高密度質量。……ライネスお嬢様と、トリムマウか)

 

茜の脳内には、周囲の空間がワイヤーフレームの3Dモデルとして詳細にマッピングされている。柱の影に潜む学生の重心移動から、窓の外を舞う埃の軌道に至るまで、物理的な「世界の様子」が数値として流れ込んでくる。

 

彼は気怠げにキャンディを噛み砕き、その熱源へとあえて足を向けた。

 

案の定、角を曲がった先には、ドヤ顔で扇を広げるライネスと、無機質に佇む水銀のメイドが待ち構えていた。

 

「お疲れ様、バグさん。兄上との密談は楽しかったかい? 法政科や極東の泥をまとめて相手にするなんて、君も随分と『主役級』の忙しさだね」

 

「……買い被りですよ。僕はただのデバッガーです。溜まったエラーを消したいだけなのに、ノイズが向こうから寄ってくる」

 

「くくっ、その可愛くない態度も契約(ギアス)の内だと思えば愛嬌だね。さあ、契約に基づき、放課後は私の別邸へ来てもらおうか。君のその異常な演算能力、私の新しい術式開発のテストベンチとして使い倒させてもらうよ」

 

 

ライネスが不敵に微笑み、トリムマウが静かに一歩踏み出す。

 

茜はトリムマウの銀色の体躯を、改めて <<構造解析>> の視点で見つめた。

 

(……月霊髄液の流体アルゴリズム。……改めて見ても、外部演算の中継地点としてこれほど理想的な『ハードウェア』はない)

 

 

茜は、自身の内部に封じ込めている「遺言(バグ)」の熱を、脳の端で感じていた。

 

150年前の機密を解体するには、未知の論理回路を数億通り試行する必要がある。それを自分の脳だけで回せば、予期せぬ因果のフィードバックによって脳そのものが焼き切れるか、精神を汚染される危険がある。

 

 

(……安全第一(セーフティ・ファースト)だ。……トリムマウの術式をベースに、僕の演算を一時的に蓄積・変換する『演算中継礼装(バッファー・デバイス)』を作る。……月霊髄液のように変幻自在で、かつ僕のL3・L4の負荷を肩代わりできる流体金属の防波堤。……それさえあれば、あのシステム干渉すらも物理的に遮断しながらデバッグできるはずだ)

 

 

茜の脳内では、ライネスの話を聞き流しながら、すでに新しい礼装の設計図(ソースコード)が猛烈な勢いで書き換えられていた。

 

だが、その設計に没頭しようとした瞬間。

 

<<仮想領域>> が、背後から接近する「凄まじい熱量(プレッシャー)」を感知した。

 

 

「――お待ちなさい! ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ!」

 

響き渡る高笑いと、宝石が擦れ合う微かな音。

 

廊下の向こうから、取り巻きの生徒たちを引き連れたルヴィアゼリッタが、まるで女王の進軍のような勢いで現れた。

 

「あら、エーデルフェルトの。君のような『星』が、こんな湿気た廊下で何のご用かな?」

 

 

ライネスが嫌そうに眉をひそめる。ルヴィアは茜の前に立ち塞がると、その豊満な胸を張り、一通の招待状を突きつけた。

 

「竜胆茜。貴方には本日、時計塔の特別サロンで開催される私のお茶会へ出席してもらいますわ。共同研究の第一歩として、まずは貴方のその無機質な感性を、最高級のダージリンで洗練させてあげますわよ!」

 

「……お断りします。僕は今から、ライネスお嬢様の所有物(ベンチマーク)として拘束される予定なので」

 

 

茜が淡々と答えると、ルヴィアはライネスを鋭く睨みつけた。

 

「……ライネス。貴方、この稀代の調律師(チューナー)を、そんな低俗な実験の道具に使うつもりですの? 彼は、私の星を輝かせるための唯一無二のパートナー。エルメロイ派が独占するなど、エーデルフェルトが許しませんわ!」

 

「おやおや、独占とは人聞きが悪い。これは契約だよ、ルヴィア。……それに、君のお茶会なんて、彼にとってはただの『高カロリーなノイズ』でしかないだろう?」

 

「なんですって……!?」

 

 

火花が散る二人の女王候補。その中心で、茜は周囲の空間情報の変動を観察していた。

 

(……ルヴィアの周囲の魔力密度、上昇中。……ライネスのトリムマウ、戦闘形態への遷移準備完了。……このままここで魔術戦が始まれば、廊下の構造強度が耐えられない。……最適解は……)

 

「……分かりました。お茶会、出席します。……ただし、ルヴィアさんのサロンに、ライネスお嬢様も同席するという条件で」

 

 

 

茜の提案に、二人は一瞬だけ動きを止めた。

 

「……は? 私にエーデルフェルトの悪趣味な茶を飲めと言うのかい?」

 

「……私の神聖なお茶会に、この小悪魔を招くというのですの!?」

 

「場所の確保と、サミュエルさんの安全保障、そして僕の拘束時間の配分。……これを一度に解決(コンパイル)するには、三者会談が最も効率的です。……それとも、ここで廊下ごと爆破して、先生(ロード)にまた胃薬を飲ませますか?」

 

 

茜の冷徹な正論に、二人は顔を見合わせ、やがて不承不承ながらも同意の沈黙を返した。

 

(……よし。これで、日常(お茶会)をこなしながら、ライネスの目の前でトリムマウの挙動をさらに詳細に観察(盗み見)できる。……礼装作成の『素材』を収集するための、絶好のデバッグ環境だ)

 

茜は心の中で舌を出し、二人を促して歩き出した。

 

周囲の生徒たちは、時計塔の女王二人が一人の無名な学生に引き連れられていく光景に、開いた口が塞がらないようだった。

 

 

 

 

 

 

【日時】同日 16:00

 

【場所】時計塔・特別サロン『アストラル・ラウンジ』

 

最高級のシャンデリアが輝き、重厚な絨毯が敷かれたサロン。

 

ルヴィアが用意した完璧なお茶会の席で、茜はカップに手を触れることもなく、自身の <<仮想領域>> を一点に集中させていた。

 

標的は、ライネスの傍らに控える水銀のメイド。

 

(……解析継続。 レイヤーを通じて、トリムマウの自律神経網のパケットを傍受(スニッフィング)。……なるほど、水銀の形状記憶を司る『核』の魔力波形は、土属性の基盤をベースにしている。……そこに僕の《疑似・流体神経》の論理を組み込めば、物理的な防御力を維持したまま、僕の演算の『一時避難所(キャッシュ)』として機能するはずだ)

 

「……竜胆茜。先ほどから、私のケーキに一度も目を向けていないようですけれど。……もしや、水銀のメイドの方が気になりますの?」

 

ルヴィアが不機嫌そうにフォークを置く。彼女の鋭い勘は、茜の視線が自分ではなく、背後の礼装に向けられていることを正確に察知していた。

 

「……いえ、物理的な構造の美しさを鑑賞していただけです。……ルヴィアさん、そのケーキも、非常に『数学的な対称性』が保たれていて、素晴らしいと思いますよ」

 

「……数学的? 貴方という人は、本当に……」

 

ルヴィアは顔を赤らめ、誤魔化すように紅茶を口にした。

 

一方、ライネスは意地悪な笑みを浮かべ、トリムマウに茜へお代わりのスコーンを運ばせる。

 

「いいよ、バグさん。もっとじっくり見るといい。……ただし、あまり中身(コード)を覗きすぎると、このメイド、君を『侵入者』と見なして排除しちゃうかもしれないけれどね?」

 

(……分かっている。だからこそ、僕は今、新しい礼装の設計図に『法政科の偽装コード』を紛れ込ませているんだ。……自分の魔術を自分のものではないように見せかける、究極のステルス礼装。……それをこの水銀の理論で作る)

 

茜の脳内では、現実のお茶会の会話をバックグラウンド処理でこなしながら、次世代礼装――**『水銀演算中継:プロトタイプ(仮称)』**のコンパイルが、静かに、そして確実に進行していた。

 

未知の機密(遺言)という劇薬を飲み込むための、鉄の胃袋。

 

茜の「静かなデバッグ」は、この華やかなお茶会の裏側で、加速していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

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