境界の観測者 ―時計塔の特異点―   作:りー037

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【第ニ十一片】バグの胎動、■■の機構を夢見る夜

【日時】2004年 3月某日 23:45

 

【場所】時計塔・学生寮 竜胆茜の自室

 

 

――解析データの消化

 

 

深夜の自室。明かりもつけず、茜はベッドの上に胡座をかいていた。

 

彼の脳内では、《完全記録(パーフェクト・アムネジア)》に刻み込まれた膨大なデータ群が、静かに、しかし暴力的とも言える速度で展開(アンパック)され続けていた。

 

昼間、ライネスの背後に控えていた至上礼装『月霊髄液(トリムマウ)』。

 

茜の起源『解析』と、《構造解析》および《因果ログ解析》は、あの数十分のお茶会の間に、あのメイドのすべてを丸裸にしていた。

 

基幹を成す流体力学のアルゴリズム、人工知性を仮託するための擬似神経網、黄金比に基づいて計算された変形パターン。そのソースコードのすべてが、茜の精神世界の上でエラー一つなく再現されている。

 

(……見事だ。先代のエルメロイ(ケイネス)が組み上げたこの礼装は、魔術的な芸術品と言っていい)

 

だが、茜の心に「感嘆」はあっても「満足」はなかった。

 

起源『解析』が、彼に囁く。「これは完成ではない。前提を疑え」と。

 

 

――Phase 1:最初の問い「なぜ水銀なのか」

 

 

茜は思考の深海へと潜る。

 

なぜ、ケイネスは水銀を選んだのか? 答えは明白だ。常温で液体という唯一の金属。水の13倍という圧倒的な密度。そして彼自身の「水」と「風」の属性に完璧に適合する流体操作の極致。

 

これ以上なく合理的だ。他の素材でこの思想は実現できない。

 

(……だが、思想が違えば素材も変わる。では、この礼装の『真の思想(性能)』とはなんだ?)

 

 

――Phase 2:月霊髄液の本質への到達

 

 

茜は、水銀が戦闘時に見せる「防御」や「斬撃」という物理的な事象を、思考のテーブルから一度すべて弾き落とした。

 

副産物に過ぎない。本質はそこではない。

 

彼の脳裏に、水銀が蒸発し、空中に天秤や魚、山羊といった『シンボル(数字盤)』を浮かび上がらせる機能のログが再生される。

 

(……演算機。それがこの礼装の真価だ)

 

水銀という素材は、流体演算を可能にする。「形を変えながら計算する」のだ。変化そのものが演算プロセスであり、だからこそライネスはそこに人工知性を付与できた。変化し、学習するシステム。

 

(……月霊髄液が示した答えは『変化し続けることで最適を維持する』こと)

 

その結論が脳内で結像した瞬間。

 

茜の起源『解析』が、本性(牙)を剥いた。

 

 

――Phase 3:概念の転換

 

 

(……なぜ、最適解は『変化の末に得るもの』でなければならない?)

 

茜の《思考加速》が稼働する。

 

変化とは、状況に対する「即応」だ。だが「即応する」ということは、常に「状況(エラー)が先に発生している」という前提に立っている。

 

どれほど速く水銀が形を変えようと、それは飛んでくる弾丸(原因)を後から追いかけているに過ぎない。

 

(……無駄だ。後追いなんて美しくない。僕が求めるのは、状況より先にあるもの。変化するのではなく、最初から『完成された形』としてそこに在ること)

 

だが、流体は変化の象徴だ。「変化できる」ということは「まだ完成していない」ことの証明でもある。

 

ならば、僕の礼装は流体であってはならない。素材は固定されなければならない。

 

しかし、固定されながら、あらゆる状況に対応する「複数の完成形」を持たなければならない。

 

そんな矛盾を孕んだ素材が、この世に――。

 

 

 

「りーんどーうさぁぁん!! 夜食買いに行きませんかー!!」

 

ガシャァァン!!

 

突然、茜の部屋の窓ガラスが物理的に粉砕され、冬の冷たい夜風と共に、フラット・エスカルドスが転がり込んできた。

 

「……フラット君。君にはドアから入るという概念(アルゴリズム)が実装されていないのかい」

 

茜は平坦な声で言いながら、L2《関係性抽象式》による《気圧操作》で、散らばるガラス片を空中で制止させた。

 

「だってドアには寮長の結界があるじゃないですか! それよりオレ、今すっごいケバブが食べたい気分なんです! 行きましょう!」

 

フラットは屈託なく笑う。

 

茜は彼を見つめた。フラットという存在は、純粋な「流体」だ。

 

彼は常に状況に合わせて即興で魔術を編み上げ、予測不能な変化を続ける。圧倒的な才能による、究極の「即応」。

 

それを見つめながら、茜の思考は逆に冷え切っていく。

 

(……彼のやり方は、僕にはできない。僕は天才じゃない。だからこそ、僕は『即応(変化)』を捨てる。僕の礼装は、彼のような天才(ノイズ)が予測不能な動きをしても、それが『最初から計算に含まれている(既知である)』状態を作るための機構でなければならない)

 

「……フラット君。夜食は奢るから、ガラス代は君の口座から引き落とすように手配しておくよ」

 

「ええーっ!? スヴィンくんにお金借りなきゃ!」

 

騒がしい深夜のノイズの中で、茜の脳内では「流体の否定」という強烈なコンセプトが完全に固定(ロック)されていた。

 

 

 

【日時】翌日 10:00

 

【場所】時計塔・現代魔術科(ノリッジ) 教室

 

 

――Phase 4:黄金という答えへ

 

 

翌朝の講義。

 

ロード・エルメロイⅡ世が黒板の前に立ち、チョークの音を響かせながら気怠げに語っていた。

 

「……いいか、君たち。錬金術の基礎理論において、物質の位階は常に魂の位階とリンクしている。鉛から始まり、錫、鉄、銅、銀……そして、その頂点に至るのが『金(アウルム)』だ」

 

茜は一番後ろの席で頬杖をつきながら、黒板の文字を網膜に焼き付けていた。

 

彼の演算レイヤーでは、昨夜から続く『新礼装の素材選定』のシミュレーションが数百万回のトライアンドエラーを繰り返している。

 

「錬金術師たちが金を追い求めたのは、それが高価だからではない。金が、化学的な不変性……すなわち腐食せず、変質しないという『完全な状態』を象徴しているからだ。金は物質が到達しうる、変化の終着点である」

 

(……変化の、終着点)

 

茜の脳内で、《確率演算(アリスマティック・プロセッサ)》が一つの解を弾き出した。

 

彼は《完全記録》のデータベースから、錬金術の深奥にある概念を引っ張り出す。

 

(そうか。黄金とは、魔術理論における『完全』という概念を物理空間に固定したものだ。……金は、それ以上変換される必要がない。だから『完成』している)

 

だが、固定された素材でどうやって多様な状況に対応するのか?

 

その答えも、黄金の概念の中にあった。

 

(終着点であるということは、形が変わっても本質が変わらないということだ。球体の金も、粉末の金も、薄片の金も、すべて等しく『金(完全)』だ。……つまり黄金は、変形するのではなく『同じ完全性を持つ別の完全形へと再構成される』。……これだ!)

 

月霊髄液が「変化して最適になる」のに対し、茜の求める素材は「どの形であっても完全である」。破壊されれば、即座に別の完全形としてそこに現れる。

 

素材は決まった。『純金(アウルム)』。

 

では、形態はどうする? 固体の塊では演算ができない。月霊髄液は水銀が動くことで計算を行った。固体でありながら動き、演算を生み出す構造とは……。

 

 

 

【日時】同日 16:30

 

【場所】時計塔・第3図書室

 

「……竜胆茜。貴方、さっきから私の話を聞いていますの?」

 

放課後の図書室。

 

「共同研究」という名目で茜を連行したルヴィアゼリッタは、机の上に広げた数冊の魔導書と、自身の指先で煌めく数個の宝石を不満げに見つめていた。

 

「聞いていますよ、ルヴィアさん。エーデルフェルトの宝石魔術における、魔力貯蔵の効率化についてでしょう」

 

茜は視線を本に落としたまま、事務的に答える。

 

だが、彼の意識の半分は、ルヴィアの指先にある「宝石」に釘付けになっていた。

 

「そう。宝石は流体と違い、構造が固定されています。だからこそ、その結晶構造の美しさが、魔力を保存するための完璧な『檻』になるのですわ」

 

ルヴィアは誇り高く微笑む。

 

「変質しない固定された美。それが私たちエーデルフェルトの魔術の根幹。流体のようにフラフラと形を変える下品な術式とは、格が違いますのよ」

 

(……固定された構造の美。……そうだ、その通りだ。固定されていなければならない)

 

茜の脳内で、バラバラだったピースが急速に組み上がり始める。

 

黄金という素材。固定された構造。そして、演算を行うための「動き」。

 

固体を動かし、計算を生み出すもの。

 

(……機械(メカニズム)だ。歯車だ)

 

茜の意識が、図書室の天井に描かれた星座図へと向かう。

 

時計塔の魔術師たちが古くから用いてきた、天体の運行を模した機械構造。アーミラリー天球儀(渾天儀)。

 

無数の環状フレームが重なり、歯車が噛み合い、星の軌道を地上で再現する「模型」。

 

(……あれはただの模型じゃない。星の動きは絶対的な物理法則の計算式だ。黄金の歯車と環の回転が論理回路となり、空間の配置そのものを計算式とする『演算機』)

 

茜の仮想領域の中に、一つの幻影が浮かび上がる。

 

それは、掌に収まるほどのサイズでありながら、表面と内部に無数の黄金の歯車、環状フレーム、黄道十二宮の刻印を持つ、精緻を極めた天体儀。

 

動くのではない。既に「最適な位置と角度」で回っている。

 

敵の攻撃という未来すらも、歯車の噛み合わせの「計算済み(既知)」として処理し、受けるでも避けるでもなく、「そうなる前の状態」を機構として維持する絶対の防波堤。

 

(――定義完了。『完成機構・黄金天球(アウルム・テレイオス)』)

 

「……竜胆茜? 一体どうしましたの、急に虚空を睨みつけて。……まさか、私の宝石の美しさにようやく気付きましたの?」

 

「……ええ。貴方のおかげで、最高の『機構』の設計図(青写真)が引けました。感謝しますよ、ルヴィアさん」

 

茜が初めて見せた、極めて微かな、しかし純粋な「解析者」としての笑みに。

 

ルヴィアは一瞬だけ言葉を失い、自身の顔が急速に熱を持つのを感じて、慌てて本で顔を隠した。

 

バグの脳内で、世界を書き換えるための『黄金の時計』が、静かにその針を動かし始めた。

 

 

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