【日時】2004年 3月某日 14:00
【場所】時計塔地下深く・旧アトラス院出向者用実験室跡
竜胆茜は、埃に塗れた地下室の淀んだ空気を肺に吸い込んだ。
彼の演算は、すでに『完成機構・黄金天球』の青写真を組み上げている。だが、それを現実に顕現させるための「三つの魔術理論」というピースが欠けていた。
――Phase 5:必要な知識の洗い出し。
――第一の鍵『錬金術』
茜は、Tier 0《可変存在解像度(モザイク・シフト・マニュアル)》によって時計塔の地下警備網をただの「自然なノイズ」としてすり抜け、この忘れ去られた実験室へと到達していた。
机の上には、干からびた薬液の瓶と、黒ずんだ鉛の塊のようなものが放置されている。かつてアトラス院の錬金術師が残した、『賢者の石』の失敗作だ。
茜は手袋を外し、その黒ずんだ塊に直接指を触れた。
「起動。《構造解析(ストラクチャー・アナライズ)》」
茜の起源が、物質の奥底に眠る「魔術的意図(ソースコード)」を強引にこじ開ける。
彼が読み取りたかったのは、鉛を金に変えるための化学式ではない。錬金術師たちがこの石に込めた『概念の方向性』だ。
(……なるほど。錬金術における変換とは、状態の遷移ではない。『より完全な状態への一方向の強制進化』だ。……金は、その進化の最終到達点。これ以上変わる必要のない絶対的終着点)
茜の脳内で、黄金天球の材質に関する定義が上書きされていく。
単に金を加工するだけでは意味がない。黄金という素材に「お前はすでに完全である」という概念を回路として焼き付ける必要がある。
破壊されれば、即座に別の「完全な形」へと遷移する。それは再生ではなく、常に『完成』へ向かおうとする錬金術のベクトルそのものだ。
(……第一のピース、錬金術の『一方向の完全性』。ダウンロード完了)
茜は鉛の塊から手を離し、静かに地下室を後にした。
【日時】同日 16:30
【場所】時計塔・第3図書室・天体科(アニムスフィア)専門区画
(――第二の鍵『天体魔術』)
午後の図書室。高い窓から差し込む冬の光の中、茜は分厚い天体運行の魔導書をパラパラと捲っていた。
彼の《仮想領域(ディテクター・フィールド)》が、背後から接近する「小さく、しかし異常にプライドの高い足音」を捉える。
「……ちょっと、あなた。どこの科の者かしら?」
振り返ると、そこには銀色の髪を揺らす少女が立っていた。
11歳という幼さでありながら、最高級の仕立てのローブを身に纏い、背伸びをするように顎をツンと上げている。天体科の次期当主、オルガマリー・アニムスフィアだ。
「現代魔術科(ノリッジ)の学生です。……少し、星の動きに興味がありまして」
茜は極めて平凡な、野心のないモブ生徒の顔を作って答えた。
「ノリッジ? フン、新しいだけの浅薄な学部の生徒が、私たちアニムスフィアの深淵を覗こうだなんて百年早いわ!」
オルガマリーは腕を組み、得意げに胸を張った。
「星の運行は、ただの天体観測ではありません。それは世界を規定する絶対の法則。星は物理法則に従い、過去から未来永劫に至るまでの『軌道』が完全に計算可能なの! 数百年後の星の位置すら、私たちの盤上(計算)にある。……あなたのような素人に、その絶対の予測可能性が理解できる?」
(……予測可能性)
茜の瞳の奥で、無数の歯車がカチリと噛み合った。
「……なるほど。星は動くけれど、その動きは『最初から決まっている(既知である)』ということですね」
「え、ええ、その通りよ! これくらいなら理解できるようね!」
茜は恭しく頭を下げながら、彼女の言葉を自身のL4レイヤーへと深くインストールした。
黄金天球の内部で回転する幾重もの環(フレーム)と歯車。アーミラリー天球儀の構造。
敵の攻撃や魔術を一つの『天体(動くもの)』として定義すれば、その軌道は天体魔術の論理によって完全に計算・予測可能となる。
避けるのではない。天体運行の計算式に当てはめ、「ここに到達する」という未来の座標を機構の動きとして事前に処理するのだ。
(……素晴らしい。アニムスフィアの誇りは、僕の演算ロジックに最高の『未来予測のアルゴリズム』を提供してくれた。……ありがとう、小さな星のお嬢さん)
「……な、なによ、急に黙り込んで。私の解説の高度さに圧倒されたのかしら? ま、精々勉強することね!」
満足げに立ち去るオルガマリーの背中を見送りながら、茜は第二のピースを完璧に手中に収めていた。
【日時】同日 18:00
【場所】時計塔・エルメロイⅡ世の執務室
(――第三の鍵『風水術』)
エルメロイⅡ世が職員会議で不在の時間を狙い、茜は執務室の奥にある書庫へ入り込んでいた。
机の上に広げられているのは、東洋の風水術と地脈(レイライン)に関する古文書だ。
(……僕のL4《環境並列演算網》は、都市のノイズや龍脈に演算を寄生させる。……風水は、その『気の流れ』を最適化し、吉凶の配置をコントロールする技術)
茜は《構造解析》の視点で、風水の「場を支配する論理」を読み解いていく。
有利な地形を強制生成し、自分の周囲を常に「吉方(最適配置)」とする空間制御の術式。これと天体魔術の軌道計算を組み合わせれば、黄金天球の周囲は絶対的な『防御と迎撃の最適空間』となる。
だが、一つの疑問が茜の計算を鈍らせていた。
(……不利な環境、相手に支配された場(凶方)に放り込まれた時、どうやってその流れを『反転』させる? 既存の風水の論理では、大規模な儀式で地脈を書き換えるしかない。それでは即応性に欠ける……)
その時だった。
バンッ!!
「あれ?竜胆さん??!! 教授は??というかなんでここの部屋にいるんですか?!」
茜の《仮想領域》が、半径50mの空間の空気が「物理的に爆発した」ような錯覚を捉えた。
ドアを蹴り開けて飛び込んできたのは、フラット・エスカルドス。
彼が部屋に足を踏み入れた瞬間、茜は「空間の変容」を視覚として明確に観測した。
フラットという、あまりにも無軌道で規格外な才能の塊(バグ)。
彼が息をし、動き回り、魔力を無意識に垂れ流すだけで、執務室の中に構築されていた微細な「気の流れ(風水的な調和)」が、ぐちゃぐちゃに掻き回され、完全に裏返ってしまったのだ。
「……あ」
茜は、フラットのその異常な『空間の乱し方』から目を離せなかった。
フラットは風水など使っていない。ただ、自身の存在のノイズを無自覚に周囲の環境に叩きつけ、既存のルールを破壊しただけだ。
(……そうか。流れを『書き換える』必要なんてない。相手の作り上げた完璧な風水陣の『結節点(ノード)』に、強烈な異物(バグ)を一つ放り込んで、流れそのものを『ショート』させればいいんだ)
相手の場を中和し、反転させるための極めて暴力的なデバッグ手法。
フラットの存在自体が、茜にそのアルゴリズムの最終形を提示してくれた。
「竜胆さん? どうしたんですか、そんなにじーっと見て! オレの顔に何か付いてます!?」
「……いや。フラット君は本当に、最高の『乱数発生器』だと思ってね。……おかげで、最後のピースが埋まったよ」
茜は古文書を閉じ、静かに立ち上がった。
錬金術の一方向の完全性。
天体魔術の絶対的予測軌道。
風水術の空間配置とノイズによる反転。
必要な言語(ロジック)はすべて揃った。
あとは、自身の脳内でこれらを一つのOSとして統合(コンパイル)する、統合理論への移行を残すのみ。茜の静かなる闘いは、ついに最も危険な領域へと足を踏み入れようとしていた。