【日時】2004年 3月某日 10:30
【場所】時計塔・第12部門:現代魔術科(ノリッジ) エルメロイ教室
――Phase 6:統合理論の構築
三つの巨大な魔術理論――錬金術、天体魔術、風水術。
これらを《構造解析》によって丸呑みにした竜胆茜の脳内は、言うなれば「規格の違う三種類のOS」が同時に起動しているような、極めて非効率で混沌とした状態にあった。
黒板の前ではロード・エルメロイⅡ世が魔力流の基礎について講義を行っているが、茜の意識はそこにない。彼の演算機能は、フル稼働で三つの言語の「共通項」を探し続けていた。
(……ダメだ。錬金術の象徴体系と、風水の空間座標がどうしても噛み合わない。天体の軌道計算を間に挟んでも、処理速度に0.04秒のラグが生じる。これでは実戦での『事前の完成』に間に合わない。……何か、何か根本的な『統合の接着剤(プロトコル)』が要る)
茜が机に視線を落とし、カリカリと無意味な数式をノートに書き殴っていた時だった。
「……竜胆茜。今日の貴方は、ずいぶんと歯切れが悪いようですわね。私の隣に座るチューナーとして、その鈍い魔力の乱れは少し見過ごせませんわ」
隣の席。豪奢なアンティークチェアに座るルヴィアゼリッタが、扇を口元に当てながら不満げに囁いてきた。
彼女の放つ魔力は、今日も圧倒的だ。彼女がただそこに「存在する」だけで、教室内の空気圧は微細に変化し、彼女を中心とした優雅で暴力的な『場』が形成されている。
「……ああっ! ルヴィアさんがまた魔力漏らしてるから、オレのノートのインクが変な方向に滲んじゃいましたよー!」
後ろの席から、フラット・エスカルドスが抗議の声を上げる。
フラットという無軌道なノイズがバタバタと動くたび、今度は教室の底辺を流れる微弱な気の流れ(風水的な地脈)が掻き回され、ルヴィアの魔力に反発して小さなつむじ風を起こした。
上位の存在(ルヴィアの魔力)が空間を支配し。
下位の事象(フラットや空気の流れ)がそれに乱され、あるいは適応しようと形を変える。
「…………ッ」
その、日常の何気ない「ノイズ」の応酬を眺めていた茜の脳内に、雷のような直感が走った。
(……『上にある如く、下にもある』)
錬金術の祖、ヘルメス・トリスメギストスが残したとされるエメラルド・タブレットの一節。
錬金術における、天体と地上の事象が対応するという根本思想。
天体魔術における、星の運行(上位)が人間の運命(下位)を決定するというロジック。
風水における、地形という大局(上位)が、そこに住む者の吉凶(下位)を定めるという法則。
(……そうか。三つの魔術理論は、元から『同じこと』を別の言語で語っていただけだ。……すべて、『上位の構造が、下位の事象に対応・影響する』という階層的対応の思想!)
茜の瞳孔が、驚愕と歓喜に僅かに開く。
統合の鍵は「対応(コレスポンダンス)」だ。
黄金天球という『上位構造(天体)』が、内部の歯車で演算を行い、最適な結果を構築する。
すると、周囲の空間という『下位事象(地上の風水)』は、その上位の演算結果に「対応」し、強制的にその結果を物理空間に現出させる。
黄金の機構が「完全」であるならば、周囲の空間もまた「完全」にならざるを得ないのだ。
(……見えた。統合OSの論理構造(アーキテクチャ)が完全に組み上がった。……だが、これをこの教室でコンパイルするのは危険すぎる。演算負荷が僕のキャパシティを超える)
茜はノートを閉じ、深く息を吐いた。
早く帰りたい。早く、自室という無菌室で、この美しい世界(コード)を組み上げたい。
茜は午後の講義をすべて「体調不良」という名目でキャンセルし、誰よりも早く学生寮へと向かった。
【日時】同日 22:00
【場所】時計塔・学生寮 竜胆茜の自室
夜の静寂。
茜は自室のドアを施錠し、窓のカーテンを隙間なく閉めた。
外部の物理的ノイズを完全に遮断した上で、ベッドの上に静かに座る。
「……起動。L4《環境並列演算網》、外部接続を一時切断(スタンドアローン)。全リソースを内部演算へ回す」
茜の体温が、僅かに下がる。
感情を、肉体の感覚を、すべて極限まで切り捨てる。
「全システム、リミッター解除。……《全覚醒(フルダイブ・ゾーン)》」
ドクン、と。
茜の脳が、200%の致死的なクロックアップ状態へと突入した。
意識の海、その最も深い暗闇の中へ、茜は単独でダイブ(潜行)する。
彼の目の前に、三つの巨大な光の塊が現れた。
錬金術の象徴体系。天体魔術の軌道データ。風水の方位座標。
茜は《思考加速》によって1秒を数百秒に引き伸ばした精神世界の中で、これらを手足のように操り、編み上げていく。
(……錬金術の象徴を、演算の論理記号(ロジックゲート)として定義する。……天体魔術の惑星対応を、演算レイヤーの定義として重ねる。……風水の方位体系を、三次元の空間座標系(グリッド)として敷き詰める)
凄まじい情報量が、茜の脳神経を焼き切らんばかりの勢いで駆け巡る。
三つの言語が衝突し、反発し、やがて「対応」という接着剤によって、一つの巨大で美しい『新しい術式言語』へと変貌していく。
(……上位と下位の接続完了。……歯車の噛み合わせ、100%一致。……空間制御ロジック、天体運行ロジック、完全性再構成ロジック、すべて正常(グリーン)。……コンパイル、実行(ラン))
茜の脳内で。
掌サイズの、しかし宇宙の真理をすべて内包したような『黄金の天文時計』が、カチリ、と最初の時を刻んだ。
完成だ。
ついに彼だけの魔術OS、『完成機構・黄金天球』の論理が誕生したのだ。
だが――。
「……ッ、ぐ、あ……!?」
茜の肉体が、ベッドの上で激しく痙攣した。
発熱。脳の演算処理に肉体の冷却機能が全く追いついていない。鼻筋から、ツーッと赤い血が流れ落ちる。
『新しい世界の理』を人間の脳というちっぽけなハードウェアでシミュレートすること自体が、圧倒的なオーバーフローを引き起こしていた。
(……マズい、排熱が間に合わない。処理の余剰エネルギーが、魔力となって外部へ漏れ出している……!)
茜はL1《自動修復機構(セーフティ・リセット)》を連打し、ショートしそうになる脳を必死に繋ぎ止める。
だが、その余剰エネルギーは、茜が常時展開している《仮想領域(ディテクター・フィールド)》――本来は見えないはずの半径50mの空間把握網――を、予期せぬ「ホログラムの投影機」として誤作動させてしまった。
【日時】同日 23:15
【場所】時計塔・学生寮の廊下および中庭
「……ん? なんだ、今の」
寮の廊下を歩いていたスヴィン・グラシュエートが、ふと足を止めた。
彼の『獣の嗅覚』が、空間の異常を感知したのだ。
魔力の匂いではない。空間そのものの「ルール」が、無理やり捻じ曲げられているような、極めて機械的で冷たい匂い。
「ル・シアンくん!どうしたのー?」
自動販売機でジュースを買っていたフラットが、小走りで駆け寄ってくる。
だが、フラットもまた、窓の外を見て息を呑んだ。
「……わぁ。……なに、あれ……」
茜の部屋を中心の空間。
中庭の夜空に、寮の壁を透過して。
淡く光り輝く、巨大な『黄金の歯車』の幻影(ホログラム)**が、音もなく回転していた。
黄道十二宮のシンボルが刻まれた巨大な光の環が空中で交差し、数式を模した無数の幾何学模様が、まるで世界そのものを計測するように夜空に浮かび上がっている。
「……星の、時計……?」
フラットの呟きに、スヴィンは全身の毛を逆立て、本能的な恐怖に喉を鳴らした。
「……おい、フラット。近づくな。あれは幻術なんかじゃない。あの『歯車の幻影』の中の空間は……現実の物理法則が、完全に上書きされてるぞ……!」
スヴィンの野生の勘は正しかった。
黄金のホログラムが展開されている空間内では、落ちていく木の葉の速度も、風の向きも、すべてが茜の脳内の『黄金の機構』の演算によって「最適化」され、不自然なほど完璧な軌道を描いていた。
世界のルールを局所的に書き換える、歩くバグ。
その脳内で誕生した理論が、一瞬だけ現実世界に漏れ出した瞬間だった。
(……強制、シャット、ダウン……ッ!)
自室の中。
茜がL5《出力制御制限(セーフティ・スロットル)》を強引に引き抜き、演算を休眠状態(スリープ)へと叩き落とす。
瞬間、夜空を覆っていた黄金の機構は、ガラスが割れるようにフッと虚空へ霧散し、消滅した。
「……はぁっ、はぁっ……」
ベッドに倒れ込んだ茜は、荒い息を吐きながら、血だらけの顔で天井を睨みつけた。
(……OSの論理は完璧だ。だが、僕の脳(ハードウェア)では、これを数秒回すだけで焼き切れる。……早く、早く『黄金』と『外部デバイス』を用意して、このOSを外に移さなきゃいけない)
茜は、己の作ろうとしている礼装が、もはやただの道具ではなく、『疑似固有結界の外部装置』と呼ぶべき恐るべき領域に達していることを、全身の痛みをもって確信していた。