境界の観測者 ―時計塔の特異点―   作:りー037

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【第ニ十三片】対応の定理、夜空に回る黄金のバグ

【日時】2004年 3月某日 10:30

 

【場所】時計塔・第12部門:現代魔術科(ノリッジ) エルメロイ教室

 

――Phase 6:統合理論の構築

 

三つの巨大な魔術理論――錬金術、天体魔術、風水術。

 

これらを《構造解析》によって丸呑みにした竜胆茜の脳内は、言うなれば「規格の違う三種類のOS」が同時に起動しているような、極めて非効率で混沌とした状態にあった。

 

黒板の前ではロード・エルメロイⅡ世が魔力流の基礎について講義を行っているが、茜の意識はそこにない。彼の演算機能は、フル稼働で三つの言語の「共通項」を探し続けていた。

 

(……ダメだ。錬金術の象徴体系と、風水の空間座標がどうしても噛み合わない。天体の軌道計算を間に挟んでも、処理速度に0.04秒のラグが生じる。これでは実戦での『事前の完成』に間に合わない。……何か、何か根本的な『統合の接着剤(プロトコル)』が要る)

 

茜が机に視線を落とし、カリカリと無意味な数式をノートに書き殴っていた時だった。

 

「……竜胆茜。今日の貴方は、ずいぶんと歯切れが悪いようですわね。私の隣に座るチューナーとして、その鈍い魔力の乱れは少し見過ごせませんわ」

 

隣の席。豪奢なアンティークチェアに座るルヴィアゼリッタが、扇を口元に当てながら不満げに囁いてきた。

 

彼女の放つ魔力は、今日も圧倒的だ。彼女がただそこに「存在する」だけで、教室内の空気圧は微細に変化し、彼女を中心とした優雅で暴力的な『場』が形成されている。

 

「……ああっ! ルヴィアさんがまた魔力漏らしてるから、オレのノートのインクが変な方向に滲んじゃいましたよー!」

 

後ろの席から、フラット・エスカルドスが抗議の声を上げる。

 

フラットという無軌道なノイズがバタバタと動くたび、今度は教室の底辺を流れる微弱な気の流れ(風水的な地脈)が掻き回され、ルヴィアの魔力に反発して小さなつむじ風を起こした。

 

上位の存在(ルヴィアの魔力)が空間を支配し。

 

下位の事象(フラットや空気の流れ)がそれに乱され、あるいは適応しようと形を変える。

 

「…………ッ」

 

その、日常の何気ない「ノイズ」の応酬を眺めていた茜の脳内に、雷のような直感が走った。

 

 

(……『上にある如く、下にもある』)

 

 

錬金術の祖、ヘルメス・トリスメギストスが残したとされるエメラルド・タブレットの一節。

 

錬金術における、天体と地上の事象が対応するという根本思想。

 

天体魔術における、星の運行(上位)が人間の運命(下位)を決定するというロジック。

 

風水における、地形という大局(上位)が、そこに住む者の吉凶(下位)を定めるという法則。

 

(……そうか。三つの魔術理論は、元から『同じこと』を別の言語で語っていただけだ。……すべて、『上位の構造が、下位の事象に対応・影響する』という階層的対応の思想!)

 

茜の瞳孔が、驚愕と歓喜に僅かに開く。

 

統合の鍵は「対応(コレスポンダンス)」だ。

 

黄金天球という『上位構造(天体)』が、内部の歯車で演算を行い、最適な結果を構築する。

 

すると、周囲の空間という『下位事象(地上の風水)』は、その上位の演算結果に「対応」し、強制的にその結果を物理空間に現出させる。

 

黄金の機構が「完全」であるならば、周囲の空間もまた「完全」にならざるを得ないのだ。

 

(……見えた。統合OSの論理構造(アーキテクチャ)が完全に組み上がった。……だが、これをこの教室でコンパイルするのは危険すぎる。演算負荷が僕のキャパシティを超える)

 

茜はノートを閉じ、深く息を吐いた。

 

早く帰りたい。早く、自室という無菌室で、この美しい世界(コード)を組み上げたい。

 

茜は午後の講義をすべて「体調不良」という名目でキャンセルし、誰よりも早く学生寮へと向かった。

 

 

 

 

【日時】同日 22:00

 

【場所】時計塔・学生寮 竜胆茜の自室

 

夜の静寂。

 

茜は自室のドアを施錠し、窓のカーテンを隙間なく閉めた。

 

外部の物理的ノイズを完全に遮断した上で、ベッドの上に静かに座る。

 

「……起動。L4《環境並列演算網》、外部接続を一時切断(スタンドアローン)。全リソースを内部演算へ回す」

 

茜の体温が、僅かに下がる。

 

感情を、肉体の感覚を、すべて極限まで切り捨てる。

 

「全システム、リミッター解除。……《全覚醒(フルダイブ・ゾーン)》」

 

ドクン、と。

 

茜の脳が、200%の致死的なクロックアップ状態へと突入した。

 

意識の海、その最も深い暗闇の中へ、茜は単独でダイブ(潜行)する。

 

彼の目の前に、三つの巨大な光の塊が現れた。

 

錬金術の象徴体系。天体魔術の軌道データ。風水の方位座標。

 

茜は《思考加速》によって1秒を数百秒に引き伸ばした精神世界の中で、これらを手足のように操り、編み上げていく。

 

(……錬金術の象徴を、演算の論理記号(ロジックゲート)として定義する。……天体魔術の惑星対応を、演算レイヤーの定義として重ねる。……風水の方位体系を、三次元の空間座標系(グリッド)として敷き詰める)

 

凄まじい情報量が、茜の脳神経を焼き切らんばかりの勢いで駆け巡る。

 

三つの言語が衝突し、反発し、やがて「対応」という接着剤によって、一つの巨大で美しい『新しい術式言語』へと変貌していく。

 

(……上位と下位の接続完了。……歯車の噛み合わせ、100%一致。……空間制御ロジック、天体運行ロジック、完全性再構成ロジック、すべて正常(グリーン)。……コンパイル、実行(ラン))

 

茜の脳内で。

 

掌サイズの、しかし宇宙の真理をすべて内包したような『黄金の天文時計』が、カチリ、と最初の時を刻んだ。

 

完成だ。

 

ついに彼だけの魔術OS、『完成機構・黄金天球』の論理が誕生したのだ。

 

だが――。

 

「……ッ、ぐ、あ……!?」

 

茜の肉体が、ベッドの上で激しく痙攣した。

 

発熱。脳の演算処理に肉体の冷却機能が全く追いついていない。鼻筋から、ツーッと赤い血が流れ落ちる。

 

『新しい世界の理』を人間の脳というちっぽけなハードウェアでシミュレートすること自体が、圧倒的なオーバーフローを引き起こしていた。

 

 

(……マズい、排熱が間に合わない。処理の余剰エネルギーが、魔力となって外部へ漏れ出している……!)

 

 

茜はL1《自動修復機構(セーフティ・リセット)》を連打し、ショートしそうになる脳を必死に繋ぎ止める。

 

だが、その余剰エネルギーは、茜が常時展開している《仮想領域(ディテクター・フィールド)》――本来は見えないはずの半径50mの空間把握網――を、予期せぬ「ホログラムの投影機」として誤作動させてしまった。

 

 

 

【日時】同日 23:15

 

【場所】時計塔・学生寮の廊下および中庭

 

「……ん? なんだ、今の」

 

寮の廊下を歩いていたスヴィン・グラシュエートが、ふと足を止めた。

 

彼の『獣の嗅覚』が、空間の異常を感知したのだ。

 

魔力の匂いではない。空間そのものの「ルール」が、無理やり捻じ曲げられているような、極めて機械的で冷たい匂い。

 

「ル・シアンくん!どうしたのー?」

 

自動販売機でジュースを買っていたフラットが、小走りで駆け寄ってくる。

 

だが、フラットもまた、窓の外を見て息を呑んだ。

 

「……わぁ。……なに、あれ……」

 

茜の部屋を中心の空間。

 

中庭の夜空に、寮の壁を透過して。

 

淡く光り輝く、巨大な『黄金の歯車』の幻影(ホログラム)**が、音もなく回転していた。

 

黄道十二宮のシンボルが刻まれた巨大な光の環が空中で交差し、数式を模した無数の幾何学模様が、まるで世界そのものを計測するように夜空に浮かび上がっている。

 

「……星の、時計……?」

 

フラットの呟きに、スヴィンは全身の毛を逆立て、本能的な恐怖に喉を鳴らした。

 

「……おい、フラット。近づくな。あれは幻術なんかじゃない。あの『歯車の幻影』の中の空間は……現実の物理法則が、完全に上書きされてるぞ……!」

 

スヴィンの野生の勘は正しかった。

 

黄金のホログラムが展開されている空間内では、落ちていく木の葉の速度も、風の向きも、すべてが茜の脳内の『黄金の機構』の演算によって「最適化」され、不自然なほど完璧な軌道を描いていた。

 

世界のルールを局所的に書き換える、歩くバグ。

 

その脳内で誕生した理論が、一瞬だけ現実世界に漏れ出した瞬間だった。

 

 

 

(……強制、シャット、ダウン……ッ!)

 

自室の中。

 

茜がL5《出力制御制限(セーフティ・スロットル)》を強引に引き抜き、演算を休眠状態(スリープ)へと叩き落とす。

 

瞬間、夜空を覆っていた黄金の機構は、ガラスが割れるようにフッと虚空へ霧散し、消滅した。

 

「……はぁっ、はぁっ……」

 

ベッドに倒れ込んだ茜は、荒い息を吐きながら、血だらけの顔で天井を睨みつけた。

 

 

(……OSの論理は完璧だ。だが、僕の脳(ハードウェア)では、これを数秒回すだけで焼き切れる。……早く、早く『黄金』と『外部デバイス』を用意して、このOSを外に移さなきゃいけない)

 

茜は、己の作ろうとしている礼装が、もはやただの道具ではなく、『疑似固有結界の外部装置』と呼ぶべき恐るべき領域に達していることを、全身の痛みをもって確信していた。

 

 

 

 

 

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