【日時】2004年 3月某日 11:00
【場所】時計塔・現代魔術科(ノリッジ) エルメロイ教室
――Phase 7:設計。概念設計から構造設計
茜の机の上には、一見すると無意味な幾何学模様が重なり合う羊皮紙が広げられていた。
彼のペンが描くのは、単なる図面ではない。
「構造(物理)」、「術式(論理)」、そして「因果(結果)」の三層が、極めて高い情報密度で編み込まれた複合設計図。
起源『解析』を逆相(アウトプット)へと転化させ、実在しない「黄金の天球」をこの世に繋ぎ止めるための、冷徹な錨だ。
(……外形は球体。掌に収まるサイズ。……内部は三層の環状フレームによる多重演算。……第一環、第二環、第三環の噛み合わせ比率……)
だが、茜の筆先が僅かに止まった。
脳内の 演算 が、致命的なエラーを弾き出したからだ。
(……矛盾だ。《ステラ・バリア》による『固定』と、《オービット・ディフレクト》による『動的干渉』。……同じ機構(歯車)に対し、同時に静止と運動を強いることはできない。……どちらかを削れば、それは『完全』ではなくなる)
茜が眉根を寄せ、黒ずんだインクの海を睨みつけていた、その時。
「……あの、竜胆くん。さっきからその図面、すごいことになってるけど……大丈夫?」
控えめな、しかしどこか安心感のある声。
茜が視線を上げると、そこには最近教室に加わった少年、カウレス・フォルヴェッジが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
彼はフォルヴェッジの名を継ぎながらも、その佇まいは時計塔の魔術師特有の傲慢さとは無縁で、むしろ技術者(エンジニア)のような実直さを漂わせている。
「……カウレスくんか。少し、論理のパズルに行き詰まっていてね」
茜は平坦な声で言いながら、目の前の羊皮紙をカウレスに向けた。
魔術的な記述を <<視覚的隠蔽>> で覆い、純粋な『機械工学の図面』として見せた。
「この二つの歯車。……一方は『絶対に止まって柱にならなきゃいけない』けれど、もう一方は『止まっている最中も回り続けて情報を処理しなきゃいけない』。……この矛盾を解決する機構(コード)を考えているんだ」
「え……? 止まりながら動く……?」
カウレスは眼鏡を押し上げ、茜の引いた「異常に精緻な」図面をまじまじと見つめた。
「……魔術的なアプローチは僕には難しいけど、もしこれが純粋な機械の話なら……『クラッチ』とか『遊星歯車(プラネタリー・ギア)』を使うのはどうかな? 中心は固定されていても、その周囲の惑星(プラネット)に当たる歯車だけを自由に自転・公転させる仕組み。……それなら、全体の軸を保ったまま、局所的な運動を切り離せると思うけど」
(……遊星、歯車)
茜の脳内で、バラバラだったピースがカチリと音を立てて噛み合った。
カウレスという、現代的な技術体系(電気魔術)に親しんだ者の「外部視点」が、茜の凝り固まった魔術論理に冷たい酸素を流し込んだ。
「……なるほど。独立した副機構(サブ・アセンブリ)としての切り離し、か。……ありがとう、カウレスくん。素晴らしいデバッグのヒントだ」
「あ、いや、そんな……。ただの思いつきだから……」
茜は赤らむカウレスをよそに、即座に L3 <<確定未来の選別(ルート・セレクション)>> を再起動した。
第一環と第二環の接続部に、魔力的な「クラッチ」を介在させる。結界展開時には第一環の『空間座標』を固定しつつ、内部の遊星歯車群だけを独立させて《オービット・ディフレクト》の演算を継続させる――。
(……修正完了。半日の遅れを取り戻せる)
【日時】同日 14:00
【場所】ロンドン・時計塔本部・大時計台(ビッグ・ベン)内部
カウレスの助言を「魔術言語」へと翻訳するため、茜は午後の自習時間を利用して、時計塔の象徴たる巨大な時計台の内部へと足を運んだ。
一般の魔術師はここに「神秘の象徴」を見るが、茜の瞳が視ているのは、世界で最も正確に『時間』という因果を刻み続ける、圧倒的な質量の歯車群だ。
ズン……ズン……。
巨大な振り子の鼓動が、茜の全身を揺らす。
彼は冷たい真鍮の機構に手を触れ、 <<構造解析>> を発動させた。
(……読み取れる。……重力、摩擦、張力、そしてそれらすべてを調和させる『機構の意志』。……月霊髄液の流体制御を、この重厚な『固定された必然』へと置換する……)
茜は巨大な歯車が噛み合い、動力を受け流しながらも静止を保つ「物理的な真理」を自身の脳内へとダウンロードしていった。
『黄金天球』の Meridian(子午線)環の設計が、この巨大な機構の鼓動と同期していく。
(……これで、設計の全レイヤーが埋まった)
茜は、書き上げたばかりの最終設計図を眺めた。
掌に収まるほどのサイズでありながら、内部には時計塔の大時計台に匹敵する「因果の重み」を内包した、黄金の小宇宙。
【日時】同日 19:00
【場所】時計塔・学生寮の廊下
(――Phase 7:設計完了。……破棄された紙屑の怪談)
自室に戻った茜は、ようやくペンを置いた。
机の上には完成した最終図面。そしてその足元には、設計の過程で生じた「矛盾した計算式」や「不要な因果ルート」を書き殴り、丸めて捨てた数枚の羊皮紙の屑が転がっていた。
「……ふぅ。……素材の収集、Phase 8 へ移行する」
茜はキャンディを口に含み、疲労をデバッグするためにベッドへ横たわった。
だが、彼がゴミ箱へ投げ捨てた、その「紙屑」が問題だった。
茜というバグが、起源『解析』を全開にして描き出した図面。
それは、失敗作であっても、あまりに純度の高い「論理(ロゴス)」を宿しすぎていた。
カサッ。カサリ。
ゴミ箱の中で、丸められた紙屑が勝手に動き始める。
魔力など宿っていないはずのただの紙。しかしそこに書かれた「三層の設計」が、周囲の空気の流れや重力を勝手に読み取り、『最も効率的な物理配置』を求めて自己組織化を始めたのだ。
「……おい、フラット。……何か変な匂いがしないか?」
廊下を通りかかったスヴィンが、ふと足を止めた。
彼の『獣の嗅覚』が、茜の部屋のドアの隙間から漏れ出す、不気味なほど「整いすぎた」空気の匂いを捉えた。
「えー? ケバブの匂いじゃなーい? ……って、うわ。何これ」
疲労で <<術式隠蔽>> を僅かに緩めていた、茜の部屋のドアにフラットが顔を寄せると、そこには奇妙な光景があった。
床にこぼれ落ちた一枚の紙屑。
それは、重力に従って落ちたのではない。
風水の最適配置を紙自体が演算し、廊下のタイルの模様の「黄金比の交差点」へと、一ミリの狂いもなく着地していた。
さらに、窓から入り込んだ埃の群れが、その紙屑の周囲で円環を描き、あたかも小さな惑星軌道のように規則正しく回転している。
「……何、これ……。ただの紙なのに、周りの物理法則を勝手に『掃除』してる……?」
フラットが指先でその紙屑に触れようとした瞬間。
紙屑はカサリと音を立て、彼の指が触れる「未来の座標」を事前に予見したかのように、最小限の動きでそれを回避し、再び完璧な位置へと静止した。
「…………っ、フラット。触るな」
スヴィンが、喉を鳴らしてフラットを後ろに下げた。
彼の金色の瞳には、その紙屑がただのゴミではなく、「世界の設定を書き換えるコードが物理的な残滓として漏れ出したもの」であると映っていた。
「……あの新顔。……あいつ、昨日の『黄金の時計』なんてレベルじゃない。……自分の思考のゴミだけで、世界を調律し始めてやがる……!」
スヴィンが戦慄に震える中、茜は部屋の奥で、自身の生み出した紙屑が引き起こしている「物理的バグ」に気づくことなく、泥のような眠りに落ちていた。