境界の観測者 ―時計塔の特異点―   作:りー037

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【第ニ十六片】墓守の少女、恐怖する立方体

【日時】2004年 4月某日 10:00

 

【場所】時計塔本部・ロード・エルメロイⅡ世執務室前

 

――Phase 8:素材収集。

 

昨夜、竜胆茜が放出した「設計図の残滓(紙屑)」が引き起こした空間異常は、現代魔術科(ノリッジ)の学生寮に小さくないパニックを巻き起こしていた。

 

「掃除をしても、ゴミが勝手に幾何学的な整列を始める」「窓から差し込む光の粒子が、特定の部屋の周囲でだけ物理的な『歯車』の影を落とす」

 

そんな怪談じみた報告が、早朝から現代魔術科の事務局、ひいては学部長であるロード・エルメロイⅡ世の元へと殺到した。

 

茜は無機質な表情のまま、重厚な装飾が施された執務室のドアの前に立っていた。

 

手元には、学部長直々の「至急、執務室へ出頭せよ」という、インクの滲みから書き手の苛立ちと疲労が透けて見えるような召喚状。

 

(……エラーの隠蔽に失敗したか。L5 <<結果正当化>> のリソース配分を、新礼装の『遊星歯車』の論理構築に割きすぎた。……代償としては、想定の範囲内だが)

 

茜が扉に手をかけようとした、その時だった。

 

(……捕捉。半径50m――至近距離に『死』の概念を濃密に纏った高密度のエーテル体)

 

茜の <<仮想領域(ディテクター・フィールド)>> が、背後の曲がり角から接近する「異質」を検知した。

 

現れたのは、灰色のフードを深く被り、周囲を拒絶するように肩をすぼめた小柄な少女だった。

 

その腕には、精緻な装飾が施された鳥籠のような箱――『アッド』と呼ばれる封印礼装が抱えられている。

 

少女――グレイは、ドアの前に立つ茜の姿を認めると、弾かれたように足を止めた。フードの奥の瞳が、怯えたように揺れる。

 

「あ……あの、失礼……します……」

 

蚊の鳴くような声。

 

だが、茜の関心はその少女個人よりも、彼女が抱える「箱」に向けられていた。

 

「起動。<<構造解析(ストラクチャー・アナライズ)>>」

 

茜の瞳の奥で、無数の論理スキャンが走る。

 

対象の魔術的回路を、因果の糸を、物理的な構造を、強制的に解体(デバッグ)し、情報の最小単位へと還元していく。

 

「――っ!? ヒィィィィッ!! な、なんだ、なんだよ今の視線はッ!!」

 

突如、グレイの腕の中にある『箱』が、耳障りな金属音を立てて絶叫した。

 

「グレイ! 離れろ! 今すぐこいつから離れろ! こいつ、人間じゃねえ! 『中身』が見えてやがる! 俺様の封印プロトコルを、まるで古新聞でも読むみたいにペラペラ捲ってやがったぞ!!」

 

「ア、アッド!? 静かにしてっ……! すみません、この子が急に……」

 

グレイは必死にアッドを抑え込もうとするが、封印礼装の恐怖は収まらない。

 

アッドという疑似人格OSは、本能的に理解していた。

 

目の前の無表情な少年は、魔術師として自分を視ているのではない。

 

自分を構成する「論理」そのものを、不要なバグを書き換えるように「書き換え(デリート)」できる存在なのだと。

 

「……興味深いな。その封印礼装、内部の疑似人格(OS)にかなりの負荷がかかっている。……必要なら、不合理な感情コードの一部を僕が切除(デバッグ)してあげようか?」

 

茜が事務的に、一切の悪意なく提案した瞬間。

 

「嫌だぁぁぁ! グレイ! 助けてくれ師匠ーッ!! 殺される! 分解(アンインストール)されるーッ!!」

 

無機質に封印礼装を解析する。

茜はアッドを視てナニか形容しがたい違和感を覚える。

 

 

(この感じ、つい最近どこかで………)

 

 

■■■■■■■

 

 

 

アッドの悲鳴が廊下に響き渡り、それと同時に執務室のドアが、内側から勢いよく開き放たれた。

 

 

 

「――廊下で騒いでいるのはどこのどいつだ! 胃薬の効き目が切れるような声を出すな!!」

 

現れたのは、髪を掻き乱し、目の下に深い隈を作ったロード・エルメロイⅡ世だった。彼は騒ぎの張本人たちを視認すると、即座に「あ……」という、天を仰ぐような表情を浮かべた。

 

「竜胆、茜……。……そしてグレイか。……入れ。お前たち二人を、待っていたところだ」

 

 

 

 

 

 

【場所】エルメロイⅡ世・執務室内部

 

室内には、相変わらず安物の葉巻の匂いと、積み上げられた古書の湿った匂いが立ち込めていた。

 

Ⅱ世はデスクに崩れ落ちるように座ると、山のような「苦情報告書」の束を茜の前に放り出した。

 

「……竜胆。お前に聞きたいことは山ほどある。……寮の部屋の周りで黄金の歯車を回した件、捨てた紙屑が物理法則を無視して空間を清掃している件、そして……今のグレイの礼装を怯えさせた件だ」

 

「……すべて、研究過程で生じた副次的なログ(ノイズ)です。以後、排熱処理には気をつけます」

 

「気をつけろと言って解決するレベルか馬鹿者が!!」

 

Ⅱ世は頭を抱え、噛み砕いた胃薬を飲み込んだ。

 

「お前の『演算』が、時計塔の地脈や周囲の因果を歪めている。……このままロンドンに居させれば、明日には法政科が総出でこの部屋に乗り込んでくるだろう。……だから、お前には『頭を冷やす』ための任務を与える。今日から数日間、ロンドンを離れろ」

 

Ⅱ世は、古びた羊皮紙の依頼書を茜に差し出した。

 

「ウェールズの辺境にある、古い錬金術師の遺構だ。家主が亡くなって以来、屋敷が自律稼動を始め、周囲の霊脈を勝手に吸い上げているらしい。……グレイを同行させる。彼女は隠密と対霊戦闘のプロだ。……お前は、その屋敷の『バグ』を止めてこい」

 

茜は受け取った依頼書を、 <<構造解析>> を併用しながら精読した。

 

彼の脳内のレイヤーが、瞬時にその屋敷の背景データを弾き出す。

 

(……ウェールズ。錬金術師の遺構。……かつてアトラス院と接触のあった家系。……記録によれば、そこには三百年前から太陽の運行を浴び続け、概念的に固定された『至純の黄金』が心臓部として組み込まれている)

 

茜の瞳の奥で、無機質な計算が完了した。

 

Phase 8に必要な「概念的純金」。それを正規のルートで買うより、この任務を遂行するついでに「回収(密漁)」する方が、コストパフォーマンスが圧倒的に高い。

 

「……了解しました。任務を遂行します」

 

「……グレイ」

 

Ⅱ世は、不安げに茜を盗み見る内弟子に向き直った。

 

「こいつの監視を頼む。こいつは……善悪ではなく『効率』で動く。間違っても、こいつの言うことをすべて真に受けるな。……そして竜胆」

 

Ⅱ世は、茜の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「グレイは私の大切な弟子だ。……お前の『演算』の邪魔になるからといって、彼女や彼女の礼装を勝手に『最適化(デバッグ)』しようとするな。……分かったな?」

 

「……善処します」

 

「その『善処します』は『やる』という意味だろうなぁ?!」

 

絶叫に近いロードの制止を背に、茜は一礼して部屋を出た。

 

彼の背後を、怯えたアッドを抱えたグレイが、おずおずとついてくる。

 

(――Phase 8:素材収集。ターゲット確認。……同行ユニット、グレイ。アッド。……ウェールズへの遠征を開始する)

 

 

茜の脳内では、すでに「太陽の儀式」を行うための最適配置の計算が始まっていた。

 

 

 

 

 

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