【日時】2004年 4月某日 11:30
【場所】ロンドン発・ウェールズ行きの蒸気機関車 コンパートメント内
――Phase 8:素材収集。ウェールズへの道
ロンドンのどんよりとした灰色の空を抜け、列車はウェールズの深い緑と霧の中をひた走っていた。
貸し切り状態のコンパートメント。竜胆茜は窓際の席で、ただ流れる景色を無機質な目で見つめていた。
彼の精神世界は、すでに自身の頭の中で完成している『黄金天球』の最終設計図を、何度も何度もバックグラウンドでテスト(空回し)している。
だが、その静かな演算(デバッグ)の領域を、向かいの席から絶え間なく飛んでくる「ノイズ」が叩いていた。
「おい! 聞いてんのかバグ男! さっきから何スカしてやがる! こっちは『監視しろ』って言われてんだぞ、妙な術式組んだらすぐ俺様が脳天カチ割ってやるからな! おい!」
グレイの膝の上に置かれた鳥籠。その中で、右眼だけをギョロつかせた封印礼装・アッドが、ピーチクパーチクとがなり立てている。
彼は執務室前で茜に「構造を解析された」恐怖を、虚勢と暴言で誤魔化そうと必死だった。
「ちょっとアッド、静かにしてっ……! 竜胆さん、本当にすみません、この子が急に騒ぎ出して……」
グレイが慌ててアッドの鳥籠を布で覆い隠そうとするが、アッドの口は止まらない。
「離せグレイ! こいつはヤバい! 生き物じゃねえ、歩く『解体用のノコギリ』だ! 俺様の封印プロトコルが――」
「……」
茜は、ゆっくりと視線をアッドに向けた。
そして、小さくため息をつくと、ポケットの中でキャンディの包み紙を指先で弾いた。
「起動。《関係性抽象式》。……対象:アッドの音声周波数。位相を反転させ、半径1メートル以内の環境音と相殺(ミュート)」
「――だから俺様が、……(パクパク)……!? ……(ガクガクガクッ)!?」
瞬間、アッドの声が「無音」になった。
鳥籠の中でアッドが猛烈な勢いで叫び、暴れているのが視覚的には分かるが、音波という物理現象のみが完全にキャンセリングされているのだ。
「えっ……? アッド?」
グレイが目を丸くする。
「……気にしてないよ、グレイさん。少しだけ、彼の出力帯域(周波数)の位相を逆転させて、空気の振動を相殺しただけだ。……喋らせたままでいいよ、もう聞こえないから」
茜は平坦な声で言い、再び窓の外へ視線を戻した。
グレイは、音を奪われて涙目でカクカクと震えるアッドの箱を見つめ、それから茜の完璧に感情の抜け落ちた横顔を見て、小さく息を呑んだ。
(……師匠が警戒するのも、無理はない。……この人は、息をするように『当たり前の法則』を消してしまう……)
【日時】同日 13:00
【場所】同列車内
数時間が経過し、列車はウェールズの山間部へと差し掛かっていた。
グレイがおずおずと、荷物から包みを取り出した。
「あの、竜胆さん。……お昼、ですよね。サンドイッチ、作ってきたんですけど……食べます、か?」
「……ありがとう。でも、僕は自分のがあるから」
茜は鞄から、銀紙に包まれた灰色のブロック状の携帯食を取り出した。それは時計塔の購買で売られている、魔術師用の高圧縮栄養食(お世辞にも美味しいとは言えない、ただカロリーと魔力成分を固めただけの代物)だった。
茜はそれを一口かじり、脳内で無意識に計算を始める。
(……カロリー変換効率92%。消化吸収にかかる内臓のリソース消費も最小限だ。……グレイさんのサンドイッチは、手作りで栄養価も高いだろうが、パンの発酵工程における温度管理に論理的なムラがあるせいで、消化効率が15%ほど落ちている。それに、食事にかける咀嚼の時間とエネルギーが……)
「……あの。私がどうかしましたか……?」
茜のじっと見つめる無機質な視線に耐えきれなくなったのか、グレイがサンドイッチを持ったまま身を縮こまらせた。
「……いや。とても美味しそうだな、と……」
茜はすぐに視線を外した。
パンの発酵効率を指摘して彼女の機嫌を損ねたり、変にコミュニケーションを発生させるのは、茜にとって「エネルギーの無駄(面倒)」でしかなかった。彼はただ、ブロック食を水で流し込み、必要最低限の動作で食事(補給)を終えた。
積極的な関与を嫌う茜の態度に、グレイは少しホッとしたような、逆に得体の知れない壁を感じたような、複雑な表情でサンドイッチを飲み込んだ。
【日時】同日 14:30
【場所】ウェールズ山間部・洋館への道程
列車を降り、二人は霧の立ち込める鬱蒼とした森の山道を歩いていた。
目的の洋館――錬金術師の遺構は、この森の奥にある。
ウェールズの辺境は、ただでさえ古い神秘が残る土地だ。加えて、遺構の主が死んだことで地脈が乱れ、森のあちこちには、名もなき低級の死霊や、澱んだ魔力の残滓が漂っていた。
グレイが前を歩き、茜が後ろを歩く。
(……シュー……ッ)
霧の奥から、冷たい悪意を持った霊体が、生者の熱を求めてゆっくりと接近してくる。
茜が 『死霊のデバッグ(消去)手段』を演算し始めた、その時だった。
グレイの足取りは、全く変わらなかった。
ただ、彼女がフードの奥で小さく息を吐いた瞬間。彼女の足元から、円状の「静寂」が波紋のように広がった。
死霊を破壊するのではない。霊体が本能的に嫌悪し、道を譲らざるを得ないような、極めて特殊な『墓守の魔力波形』の放射。
近づいてきた死霊たちは、グレイの姿を見た途端に霧の中へ散るように逃げていった。
(……へえ)
茜の瞳の奥で、<<構造解析>> が静かに起動する。
(……対霊・対死に特化した、特殊な波長の防壁。あれが『墓守』の技術か。……非常に洗練されているが、魔力の拡散ベクトルに少しムラがある。あの出力なら、波長を2度ずらして指向性を持たせれば、効果範囲を40%は拡張できる。……僕の演算を外部接続(リンク)させれば、今すぐ最適化できるが……)
茜はグレイの背中を見つめた。
少し怯えたように、しかし任務を全うしようと必死に前を歩く、不器用な少女の背中。
もしフラットなら、ここで「すごいですね!」と声をかけるだろう。ルヴィアなら、強引に技術を買い取ろうとするかもしれない。
(……まあ、いいか。今の出力でも十分目的は達している。……僕から話しかけて、またあのアッドという箱に騒がれる(ノイズを生む)のも面倒だ)
茜はポケットに手を入れたまま、何も言わずにグレイの後を歩き続けた。
最適化の提案を飲み込み、ただ己の『黄金の素材』を手に入れる計算だけを静かに回しながら。
やがて、霧の奥から、異様な気配を放つ巨大な影が姿を現した。
錬金術師の遺構。周囲の地脈を勝手に吸い上げ、まるで一つの巨大な『機械(臓器)』のように低い稼働音を立てている、自律する洋館。
「……着きました。竜胆さん。ここが……」
「ああ。……ずいぶんと、大きくバグっているね」
二人の『異端』による、静かなる遺構のデバッグ作業が、今まさに始まろうとしていた。