境界の観測者 ―時計塔の特異点―   作:りー037

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【第ニ十八片】解体される妄執、太陽の刻印

【日時】2004年 4月某日 15:00

 

【場所】ウェールズ辺境・錬金術師の遺構(洋館)内部

 

――Phase 8:素材収集。ウェールズの防衛戦

季節は移り変わり、ロンドンにも遅い春の気配が漂い始めた4月。

 

しかし、ウェールズの深い森に閉ざされた洋館の中は、三百年前から時間が凍りついたような冷たく無機質な空気に支配されていた。

石造りの廊下。

 

松明の代わりに魔術的な光源が壁面に埋め込まれ、青白い光が二人の影を長く伸ばしている。足音が反響するたびに、建物全体がわずかに震えるような錯覚がある。生きているのだ、この館は。三百年間、主人の意志を受け継いで動き続けた防衛システムが、侵入者を認識して静かに目を覚ましている。

 

 

「――グレイさん。右前方、壁面偽装の魔力炉から熱源反応。三秒後に物理的排除機構(オートマタ)が射出される。……ミュート、解除」

 

「は、はい!」

 

竜胆茜が平坦な声で指示を出し、指先を軽く鳴らす。

瞬間、アッドの鳥籠を覆っていた《関係性抽象式》による位相ミュートが解除され、封印礼装のやかましい絶叫が館の廊下に響き渡った。

 

「プハァァァッ!! 息が詰まるかと思ったぜえええ! グレイ! 来るぞ、ぶちのめせェ!!」

 

「……アッド!」

 

ギミックの作動音と共に、壁を突き破って現れたのは、真鍮と青銅で構成された三体の自動人形(オートマタ)。鋭いブレードを両腕に備えた殺戮機械だ。

 

だが、その動きはどこかギクシャクしていた。

 

茜のレイヤーが、すでに洋館の防衛システムの論理構造に侵入し、彼らの駆動プロトコルに微細なエラー(演算遅延)をばら撒いていたからだ。

 

「……ハァッ!!」

 

グレイが鳥籠から引き抜いたのは、死神の象徴たる巨大な大鎌(グリム・リーパー)。

鎌が解放された瞬間、廊下の空気が変わった。

 

さっきまで館に漂っていた「三百年の死」の気配が、グリム・リーパーという存在に引き寄せられるように収束する。神秘が神秘を呼ぶ。小柄な少女が握る大鎌は、その刃渡りだけで彼女の身長を超えていた。

 

「……っ」

 

グレイは息を吸う。茜が言っていた。「三秒後」。

 

一秒。オートマタが壁を突き破り、ブレードを展開する。

 

二秒。演算遅延を仕込まれた三体が、最適な攻撃軌道を計算できずに一瞬だけ迷う。

 

三秒。

 

「――ハァッ!!」

爆発的な魔力放出と共に、グレイの身体が宙を舞った。

小柄な身体から想像できない跳躍。その軌道は直線ではなく、重力を無視したような弧を描く。大鎌が振り上げられる。刃が月光のような光を纏う。

 

一体目。首の部分の接合部を正確に断ち切る。演算遅延で反応が遅れた機械は、自分が「止まった」理由を理解できないまま崩れ落ちた。

 

着地。

 

グレイは地面に足をつけた瞬間には、すでに次の一体に向かって駆けていた。ためらいがない。大鎌の軌跡が廊下に淡い光の弧を描く。

 

二体目が右腕のブレードを振り下ろす。ギクシャクした動き。それでも当たれば致命的な質量だ。

 

 

グレイは避けない。

 

大鎌の柄でブレードを受け流し、その反動を利用して身体を回転させながら横薙ぎに鎌を叩き込んだ。胴体が両断される。金属の悲鳴が廊下に響く。

 

三体目が距離を取ろうとした。茜のハッキングによって最適解を奪われていなければ、おそらく有効な判断だった。しかし演算が一瞬遅れた。

 

その一瞬で、グレイはすでに三体目の懐に入っていた。

 

「……っ!」

 

グリム・リーパーを垂直に振り下ろす。床を砕く勢いで叩き込まれた一撃が、三体目をスクラップに変えた。

 

ガシャン、と鉄屑が床に転がる。

 

 

静寂。

 

「……終了。見事な制圧力だ。僕のデバッグの手間が省けた」

 

茜はキャンディの包み紙をポケットに突っ込み、倒れたオートマタの残骸を一瞥もせずに跨いで進む。

 

「ぜぇ、ぜぇ……。り、竜胆さんが、あの子たちの動きを遅くしてくれたおかげです……」

 

グレイが鎌を杖代わりにしながら息を整える。

 

その頬に、オートマタの破片が掠めた傷が一本走っていた。それだけだ。あれだけの戦闘で、それだけしか傷がない。

 

(……グレイさんは、正確だ)

 

茜は前を歩きながら内側でだけそう思った。自分がハッキングで「最適解を奪う」ことで生まれた一瞬の隙を、過不足なく使い切る。

 

無駄がない。言葉も要らない。

 

道中、二人の連携は恐ろしいほどに完璧だった。

 

茜が館のシステムを次々とハッキングし、魔術的な罠や論理的な防衛機構を「無力化(デバッグ)」していく。そして、システムから物理的に漏れ出した残骸や、独立駆動するゴーレムたちを、グレイが大鎌で凪ぎ払う。

茜の「論理的解体」とグレイの「物理的破壊」。

 

言葉すらほとんど交わさない無機質な分業は、三百年の歴史を持つ錬金術の防衛網を、まるで薄紙を破るように突き進んでいた。

 

 

 

 

 

【日時】同日 15:45

 

【場所】洋館の中枢・大星象儀の部屋

 

やがて、二人は館の最深部へと到達した。

重厚な扉を蹴り開けると、そこはドーム状の巨大な広間だった。

 

天井には無数の星座が描かれ、中央には床から天井まで届くほどの巨大な天球儀(アーミラリー・スフィア)が、ゴウン、ゴウンと低い稼働音を立てて回っている。

 

部屋に入った瞬間、グレイは足を止めた。

空気が違う。廊下の「死んだ神秘」ではなく、ここには「生きた神秘」が充満している。三百年間、誰にも触れられずにただ回り続けた天球儀の放つ魔力が、部屋全体を薄い光の膜で包んでいた。アッドでさえ、一瞬だけ黙った。

 

「……なんだこれ。この館全体が、この天球儀を回すための動力炉ってわけか」

 

アッドが驚愕の声を上げる。

茜の視線は、巨大な天球儀の中心――最も濃密な魔力が集束する一点に釘付けになっていた。

 

そこには、ソフトボールほどの大きさの、淀みなく輝く『純金』が浮遊していた。

三百年間。ただひたすらに星の運行と地脈の魔力を吸収し続け、概念的に固定された、至純の物質。

 

 

(……見つけた。あれこそが、僕の『黄金天球』の器に相応しい素材だ)

 

 

茜が迷いなく祭壇に近づき、その純金に手を伸ばした、瞬間。

 

 

――ドクンッ!!

 

 

 

純金から、おぞましいほどの熱量と、どす黒い『執念』が爆発的に放射された。

茜の指先が触れる直前で、見えない壁に弾かれる。

 

「……チッ。なんだ、これは」 

 

「り、竜胆さん! 床が……!」

 

グレイの悲鳴。

純金が放った波動に呼応するように、部屋の周囲に配置されていた数十体の石像が崩れ、中から異形の錬金生命体(ホムンクルス)が次々と這い出してきた。

 

館の防衛機構が「自爆/殲滅モード」へと強制移行したのだ。

 

(……《因果ログ解析》。……なるほど、そういうことか)

 

茜は弾かれた指先を見つめ、即座に現状を理解した。

 

この純金には、これを作り出した錬金術師の『賢者の石に至れなかった妄執』が、怨念のようなコードとしてこびりついている。これをこのまま抜き取ろうとしても、ダミー・コードを仕込む前に執念がシステムを暴走させ、館ごと自爆してしまう。

 

「……グレイさん。少し時間をくれ。この金の『過去』を、物理的に粉砕(フォーマット)する」

 

「え……っ? フォーマット、って……!?」

 

「アッド、グリム・リーパーの出力を最大にしろ! 防衛戦だ! 僕がこの金の執念を解体するまで、一体もこちらに近づけるな!」

 

茜のその言葉は、いつもの省エネな彼からは想像もつかないほど、冷徹で、命令的な響きを持っていた。

 

「上等だバグ男! グレイ、やるぞ!!」

 

「は、はいっ!」

 

グレイは茜に背を向けた。

大鎌を構える。ホムンクルスたちが這い出し続けている。数を数える余裕はない。十体、二十体、まだ増えている。

 

(……守る。竜胆さんが終わるまで)

 

それだけだ。それだけでいい。

一体目が飛びかかってくる。廊下のオートマタとは違う。生命体だ。動きに予測不能な揺らぎがある。茜のハッキングが効かない相手。

 

グレイは受ける。

大鎌の柄でホムンクルスの爪を受け止め、その重さを全身で感じる。重い。筋肉と骨でできた塊の質量が、グレイの小柄な身体を押し込もうとする。

 

「……っ」

魔力を足元に集める。地面を踏みしめる。押し返す。

 

そのまま鎌の刃を横に薙ぐ。一体が沈む。

すぐに次が来る。

 

三体が同時に飛びかかる。グレイは大鎌を縦に一回転させ、その回転の遠心力で二体を弾き飛ばす。残る一体が懐に入ってくる。

近い。鎌が使えない距離。

 

グレイは鳥籠ごとアッドを盾にした。

 

「おいっ、俺を盾にするなァ!!」

 

「……ごめん、アッド」

 

ホムンクルスの爪がアッドの鳥籠に激突し、弾かれる。その隙にグレイは後退し、間合いを作り直す。

 

大鎌を構え直す。

 

(……まだ来る)

 

後ろで茜が何かをしている気配がある。振り返らない。振り返る余裕はない。それに、振り返る必要もない。茜は自分のやるべきことをやっている。自分もやるべきことをやる。

ただそれだけだ。

 

ホムンクルスの群れが、波のように押し寄せてくる。

 

グレイは動き続けた。

大鎌が閃くたびに一体が沈む。魔力が切れかけるたびにアッドが怒鳴る。床が破片と液体で滑る。それでも後退しない。

 

茜が守ってほしいと言った。

この一点から動かない。

その背後で、茜は純金に向かって両手をかざした。

 

彼の回路が、規格外の唸りを上げる。

 

「起動(コンパイル)。――対象:純金。属性:三百年の妄執。……《五大元素魔術》、逆相展開。概念的解体(アンインストール)を開始する」

 

茜の魔力が、黄金を覆う黒い怨念と激突する。

 

 

錬金術師が三百年かけて積み上げた歴史と執着。それを、たった一人の17歳の少年が、純粋な『演算の暴力』によって剥がしにかかった。

 

 

それは魔術戦というより、システム内部での苛烈な権限争い(サイバー・アタック)だった。

 

(……三百年分のノイズか。……重い)

 

怨念が抵抗する。賢者の石に至れなかった絶望。完成しなかった夢。それらが黒いコードとなって茜の侵入を弾こうとする。

 

 

だが茜は止まらない。

 

 

(……僕には関係ない。これは僕の器だ。余計なものは必要ない)

 

感情ではなく、純粋な演算だ。怨念の構造を読み、ほつれを見つけ、そこから解体していく。まるで複雑に絡まった数式を、一本の論理で解きほぐすように。

 

「……消えろ。僕の『器』に、無駄な感情(ノイズ)は必要ない」

 

茜の瞳からハイライトが消え、絶対的な『解析』の光が宿る。

 

バキィッ! という物理的な音を立てて、黄金にまとわりついていた呪詛がガラスのように砕け散った。

 

「……初期化、完了。ダミー・プログラム、流し込み(インサート)」

 

茜が初期化された純金を掴み取ると同時に、館のシステムに対し「純金はまだここにある」という偽の座標情報を叩き込んだ。

その瞬間。

 

グレイに襲いかかろうとしていたホムンクルスたちが、まるで電源を切られたようにピタリと停止し、床に崩れ落ちた。館の自爆シークエンスが完全に沈黙したのだ。

 

「……終わったよ、グレイさん」

 

茜は、ただの美しい金属の塊となった純金をポケットにしまいながら、何事もなかったかのように振り返った。

 

グレイは荒い息を吐きながら、大鎌を床に突き立てて身体を支えていた。

床には、数えるのも面倒なほどのホムンクルスの残骸が積み重なっていた。

 

「……グレイさん、怪我は」

 

「……だ、大丈夫、です」

 

グレイが顔を上げる。額に汗が光っている。肩で息をしている。それでも目は真っ直ぐだった。

 

茜はその顔を一秒だけ見て、視線を逸らした。

 

(……少し予想外だったな……一体も通さなかった。この数を、一人で)

 

内部演算が、冷静に事実を記録する。

感想は持たない。持つ必要がない。ただ、事実として記録する。グレイという魔術師の性能を、茜の《完全記録》が永久に固定した。

 

「……無傷で回収完了だ。帰ろう、ロンドンへ」

 

 

 

 

【日時】数日後。2004年 4月某日 12:00

 

【場所】ロンドン・時計塔学生寮 屋上

 

ウェールズの遠征から帰還し、エルメロイⅡ世への報告(ダミーコードにより館のシステムは正常化し、ただの空き家になったという体裁)を終えた茜は、誰の目も届かない学生寮の屋上にいた。

 

 

――Phase 8:素材収集。最終工程『太陽の儀式』

 

春の柔らかな日差しが降り注ぐ屋上。

 

茜は、床に幾何学的な魔法陣を引き、その中央にウェールズで手に入れた純金を置いた。

 

 

時計の針が、正午(12:00)を指す。

 

 

太陽が天頂に達し、天体魔術において「完全」「権威」の属性が最も高まる時刻。

 

「……展開。L4《環境並列演算網》、太陽光の波長と同期」

 

茜は純金の前に座り、静かに目を閉じた。

 

彼の回路から、青白い魔力が立ち上り、純金を優しく包み込む。

 

《魔力圧縮(マナ・コンプレッション)》と《五大元素魔術(エレメンタル・マニューバ)》の複合。

 

黄金の結晶構造のミクロの隙間に、茜自身の魔力と、太陽の持つ「完全なる権威」の概念を、一行のコードとして刻み込んでいく。

 

 

(……お前は、すでに完全である)

 

 

(……いかなる破壊を受けようとも、それは別の完全形への移行に過ぎない)

 

 

(……『完全(Perfect)』。その概念を、物理法則としてここに上書きする)

 

 

莫大な魔力リソースが消費され、茜の体温が上昇する。

 

だが、彼の精神は極めて澄み切っていた。

 

ウェールズの館で見せた暴力的なハッキングとは違う。これは、自らの伴侶(OS)を入れるための器を鍛え上げる、緻密で神聖な「コンパイル」の作業だ。

 

 

 

 

一日目。黄金の表面が、僅かに魔力を帯びる。

 

 

 

二日目。黄金の内部構造が、茜の魔力波形と完全に同期する。

 

 

 

そして、三日目の正午。

 

 

 

カァン……ッ。

 

 

 

 

という、澄んだ共鳴音が屋上に響いた。

 

見た目の色は変わらない。しかし、茜の <<構造解析>> が視るその黄金は、内部の概念層に『完全(Perfect)』という術式属性が、絶対に消えないルート権限として定着しているのを示していた。

 

「……よし。最高のハードウェアが仕上がった」

 

茜は、まだ熱を帯びている純金を手に取り、満足げにキャンディを口に放り込んだ。

 

論理設計(OS)は完成し。

 

概念素材(ハードウェア)は揃った。

 

竜胆茜というバグが、ついに世界に「黄金の時計」を現出させるための、最終段階――【Phase 9:製造・組み上げ】への扉が、今開かれたのだ。

 

 

 

 

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