境界の観測者 ―時計塔の特異点―   作:りー037

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【第六片】死せる文字の解体、地下室の幽霊

【日時】2004年 2月某日 18:00

 

【場所】英国・ロンドン ソーホー地区の片隅、古書店『霧と書(フォグ・アンド・スクリプト)』

 

地下街『引き潮(ロウトレイド)』の煤けた空気から逃れ、地上へ出ると、ロンドンの夜はすでに冷たい霧に包まれていた。街灯の光が霧に滲み、まるで古い油絵のように視界をぼやけさせている。アスファルトを濡らす雨の匂いと、行き交う二階建てバスが吐き出す排気ガスの匂い。

 

 

竜胆茜は、黒いカーディガンのフードを深く被り、ポケットに両手を突っ込んだまま、霧の中を音もなく歩いていた。口の中では、地下街で買った安物のチェリー味のキャンディを転がし、カチリ、カチリと一定のテンポで音を鳴らす。

 

(……退屈で、膨大で、安価な作業。最高だ。これこそが、僕のような『背景』にふさわしい。エルメロイ教室という安全地帯(ブラインドスポット)を確保し、日銭を稼ぐ。僕の平穏なモブ人生は、これから始まるんだ)

 

 

茜の脳内――L3レイヤー《確率分布の整形(ルート・ウェイト・エディット)》が、このアルバイトがもたらす「目立たない確率」の勝利を、静かに祝福していた。

 

彼にとって、自分という存在は、世界という巨大なシステムの中に生じた、取るに足らないエラー(バグ)だ。本物の魔術師たちのように、歴史を背負い、深淵を目指す矜持など微塵もない。ただ隅っこで、世界が回るのを眺めていたいだけ。

 

彼が向かっている『霧と書』は、ソーホーの賑やかな通りから外れた、人一人がやっと通れるほどの狭い路地の奥に、ひっそりと佇んでいた。

 

看板の文字はかすれ、窓ガラスは埃で曇り、店全体が「忘れ去られること」を望んでいるかのような、沈黙を纏っている。

 

 

 

 

カラン、と。

 

錆びついたドアベルが、悲鳴のような音を立てた。

 

店内に入った瞬間、茜の五感を満たしたのは、圧倒的な量の古紙の匂いだった。劣化した羊皮紙、カビ、インク、そして、長い年月をかけて蓄積された、かすかな魔力の残滓の匂い。

 

天井まで届く本棚が迷路のように入り組み、通路は大人一人が横を向いてやっと通れるほどに狭い。光は、カウンターに置かれた古いガス灯一つだけ。

 

 

「……誰かね。こんな夜に」

 

 

本棚の奥、死んだ文字の山の中から、枯れ木のような声が響いた。

 

声の主は、カウンターの奥に座る老人だった。白髪は乱れ、皺だらけの顔はガス灯の光に照らされ、まるで古いゴーレムのように生気が欠落している。

 

サミュエル。かつては時計塔の天体科(アニムスフィア)に籍を置き、魔術の非情さに疲れて引退した、孤独な老人。

 

 

「……地下掲示板で、依頼を受けた者です。暗号解読と、インデックスの整理の」

 

 

茜はフードを被ったまま、感情の動かない、平坦な声で言った。ポケットから、剥ぎ取ってきた依頼書を無造作に差し出す。

 

サミュエルは眼鏡を押し上げ、茜を値踏みするような、諦念の混じった瞳で見つめた。

 

「……君か。数ヶ月、誰も見向きもしなかった呪われた作業を引き受けた、物好きな新世代(ニューエイジ)は。……ふん。まあいい。座りなさい。……そこにある椅子は、まだ座れるはずだ」

 

 

老人はカウンターの下から、埃を被った、今にも崩れそうな木の椅子を足で押し出した。

 

 

茜は無言で座り、口の中のキャンディを転がした。

 

この老人も、ハリス講師と同じだ。茜を一目見て、魔力も才能も欠落した、ただの「凡庸な若者」と断じている。茜にとって、その評価こそが最大の賛辞であり、安心材料だった。

 

「……作業量は1万ページ。想定処理時間は通常魔術師で3年。君がこれを終える頃には、私はこの世にいないかもな。……だが、契約だ。これがその、魔導書(呪い)の写しだ」

 

 

サミュエルは、カウンターの上に、ずっしりと重い、鎖で縛られた魔導書の写しを置いた。

 

表紙は黒い革で覆われ、不気味な魔術文様が刻まれている。数世紀の間、無数の魔術師たちの執着と、解読できなかった絶望を吸い込んできた、死せる文字の塊。

 

 

茜は、その魔導書に右手を置いた。

 

彼の起源『解析』が、魔導書の表紙の構造を、瞬時に読み解く。

 

それは、ただの紙とインクの束ではない。数世紀分の魔術的な呪い、防御術式、そして、解読を阻むための複雑怪奇な暗号が、幾重にも重なり合った、迷宮のような「構造物」だった。

 

 

(……なるほど。初期代数式による暗号か。……いや、これは違う。代数式を模した、概念的なパズルだ。……美しいな。これほどの複雑さを維持しながら、数世紀も沈黙を守り続けてきたなんて)

 

 

茜の半眼の奥で、微かな赤い光が明滅する。

 

彼にとって、この魔導書は「解読すべき神秘」ではない。ただの「整理すべきデータ」であり、己の脳内にあるEX回路という、圧倒的なハードウェアの性能を試すための、格好の「演算負荷(ベンチマーク)」に過ぎない。

 

 

「……じゃあ、始めます」

 

 

茜は平坦な声で言い、魔導書の鎖を解いた。

 

彼は、魔導書の最初のページを開くこともせず、ただ表紙に右手を置いたまま、目を閉じた。

 

「……何? 開かないのか? 暗号は1ページ目から始まっているぞ?」

 

 

サミュエルが訝しげに声を上げたが、茜はそれに答えない。

 

「起動せよ。第1階層・《思考加速》、《完全記録》、および《構造解析》。複合運用」

 

 

現実世界への接続を、1%まで断ち切る。

 

茜の体感時間は、瞬時に数百倍、数千倍へと圧縮された。

 

ガス灯の光の明滅が泥のように粘り気を持ち、老人の呼吸が、数分に一度の、重々しい地鳴りのように感じられる。

 

 

 

茜の脳内機構――《構造解析(ストラクチャー・アナライズ)》が、魔導書全体を概念的な「ソースコード」として展開する。

 

1万ページの死せる文字が、茜の起源『解析』によって、無数の魔力の糸、因果の数式、そして、暗号の障壁となって、茜の演算領域へと、爆発的な勢いで流入し始めた。

 

 

(第1層防御暗号。……置換暗号の応用。……処理時間0.0001秒。解体完了。……第2層。……因果の逆転を用いた概念パズル。……処理時間0.0003秒。論理爆弾を回避。解体完了。……第3層。……土属性の結晶化術式を用いた情報ロック。……処理時間0.0005秒。《物質結晶化》の逆変換で、情報の解凍を開始。解体完了。……)

 

 

茜の演算領域において、数世紀分の沈黙は、ただの「数式の羅列」へと成り下がっていた。

 

彼がやっていることは、魔術ではない。ただの物理的な演算だ。膨大な魔力出力と、世界をハッキングする起源『解析』という、卑怯なバグ技を燃料に、数世紀分の神秘の歴史を、一秒の何千分の一という速度で、無機質に、冷徹に、解体し、再構築し、整理していく。

 

 

(……膨大なデータだ。……まるで、情報のブラックホール。……だが、僕の回路の出力上限には、まだ遠く及ばない。……もっと、もっと処理速度を上げられる)

 

 

茜はキャンディを噛み砕く。甘い味が、酷使した脳の疲労を和らげてくれた。

 

彼にとって、この作業は「苦行」ではない。ただの、己の能力にふさわしい、退屈な事務処理だ。

 

 

だからこそ、その演算には、一切の迷いがない。

 

(インデックスの整理を開始。……魔導書の内容。……現代魔術科の設立における、ある隠蔽された歴史の一部。……その奥に『ナニか』。……いや、興味ない。僕がやるのは暗号解読と整理だけだ。内容の「意味」なんて、僕には関係ない)

 

 

内容の深淵を読み解くことなく、ただ情報の「形」だけを整理していく。

 

世界が彼の異常性に気づく前に、彼はさらなる深い背景へと沈んでいく。

 

 

 

その時だった。

 

「……あら。サミュエル卿。……こんな夜に、お客様かしら?」

 

古書店の奥、さらに深い沈黙の中から、鈴を転がすような、それでいて極上の上品さと毒を孕んだ声が響いた。

 

 

石造りの床を軋ませる、優雅な革靴の足音。

 

茜の《仮想領域(ディテクター・フィールド)》が、その人物の「重心移動」と「魔力波形」を感知し、脳内に警報を鳴らす。

 

 

(……参ったな。また厄介なのが来た。……この匂い、この魔力。……エーデルフェルトの……)

 

 

茜の体感時間が、ゆっくりと現実へと回帰していく。

 

ガス灯の光が正常な明滅を取り戻し、老人の呼吸が元のテンポに戻る。

 

古書店の奥から姿を現したのは、豪奢なドレスに身を包んだ、金髪のドリルロールを微かに揺らした少女だった。

 

年の頃は16、7歳といったところか。しかし、その華奢な体躯から放たれる支配者のような威圧感は、ライネスとはまた異なる、誇り高き貴族のそれだった。

 

 

エーデルフェルト家。次期当主。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 

「……ルヴィア嬢。……君こそ、こんな時間に。……魔術触媒として使う宝石をお探しかな?」

 

 

サミュエルが、少しだけ声を弾ませて、ルヴィアを迎えた。

 

「ええ。サミュエル卿。……私の魔術にふさわしい、完璧なカットの宝石は、そう簡単には見つかりませんわ。……それより、そちらの方は?」

 

 

ルヴィアは、茜を扇でビシッと指し示した。

 

そのサファイアのような瞳が、茜の存在を射抜く。

 

茜はフードを被ったまま、ポケットに両手を突っ込み、半眼でルヴィアを見返した。

 

(……エーデルフェルトの次期当主か。……時計塔でも隠然たる勢力を持つ派閥。……なんでこんなところに。……早く終わらせて、逃げよう)

 

「……地下街で、私の依頼を受けた若者だ。……ルヴィア嬢」

 

 

サミュエルが茜を紹介した。

 

「ふん。……地下街の。……まあ、そうでしょうね。……これほどまでに中身のない完璧な凡人は、そうそう時計塔の表舞台にはいませんわね」

 

 

ルヴィアは、ライネスと同じように、茜を一目見て「凡人」と断じた。

 

茜にとって、その評価こそが最大の安心材料であり、最大の誤認だった。

 

 

「……じゃあ、終わりました」

 

 

茜は平坦な声で言い、魔導書の写しをサミュエルに差し出した。

 

「え……?」

 

「何……?」

 

 

サミュエルとルヴィアの言葉が、同時に重なった。

 

茜が魔導書を受け取り、目を閉じてから、まだ1分も経過していない。通常魔術師で3年かかる作業だ。

 

「……君、何を言っている。……終わった? ……まだページも開いていないじゃないか」

 

 

サミュエルが、震える手で魔導書を受け取った。

 

「ええ。表紙に右手を置いたまま、《構造解析》で内容全体を読み解き、脳内演算で暗号を解体し、インデックスを再構成しました。……整理されたログは、その魔導書の最後の白紙のページに、極小出力の《物質結晶化》で、直接(物理的に)インクとして書き込んであります。……ご確認ください」

 

 

茜は淡々と事実を告げた。

 

ただ、彼にとってこの作業は「非効率な計算の修正」に過ぎなかった。

 

 

サミュエルは、震える手で魔導書の最後のページを開いた。

 

そこには、通常の人間の眼では視認できないほどの、極小の、しかし完璧な文字で、1万ページ分の魔導書の、詳細なインデックス、暗号の解読キー、そして、内容の要約が、整然と書き込まれていた。

 

それは、数世紀の間、無数の魔術師たちの執着と絶望を吸い込んで決死の沈黙を守ってきた魔導書が、ただの「整理されたデータ」へと成り下がった、その証明だった。

 

 

「…………ッ。……な、ななな……」

 

 

サミュエルは、眼鏡を落としそうになりながら、そのページを凝視した。

 

老人の顔が、屈辱と、驚愕と、そして、底なしの恐怖で朱に染まっていく。

 

「……あり得ない。……数世紀の歴史が、神秘が。……わずか、1分で……?」

 

「…………」

 

 

茜は、老人の反応を見て、小さく息を吐いた。

 

キャンディを噛み砕く。甘い味が、酷使した脳の疲労を和らげてくれた。

 

(……やっぱり、また失敗か。完璧な背景を演じたつもりが、また演算速度でドン引きされた。……馬鹿だな、僕。もっと、人間らしいブレや、失敗を組み込むべきだったのに)

 

 

茜は内心で自己嫌悪に陥りながらも、表情には「突然高位の貴族と老人に注目されて居心地が悪い一般生徒」としての、静かな気怠さを貼り付けた。

 

彼にとって、自分のやり方は「間違っている」のだ。血のにじむような研鑽と歴史を誇る「本物の魔術師」たちの前で、バグ技(計算)で神秘を解体するなど、烏滸がましいにも程がある。

 

「……これで、気が済みましたか。……契約完了です。……報酬は、後で地下掲示板経由で振り込んでおいてください」

 

 

茜は、へたり込んでいた椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

背後に注がれる、毒のような恨みの視線。だが、茜はそれを気にも留めない。

 

「……ちょっと、待ちなさい」

 

 

 

その時だった。

 

鈴を転がすような、しかし極上の毒を孕んだ声が、茜の足を止めた。

 

古書店の奥、カビと埃の匂いが充満する空気を優雅に切り裂くようにして歩み出てきたのは、豪奢な青いドレスに身を包んだ少女だった。

 

金色の縦ロールが、薄暗いガス灯の光を受けて気高く揺れる。彼女が歩みを進めるたび、上質な香水の匂いが、古書店の死んだ空気を上書きしていく。

 

名門、エーデルフェルト家次期当主――ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 

 

彼女のサファイアのように青く澄んだ瞳が、茜の背中を、そして彼がカウンターに置いた魔導書を射抜いていた。

 

「……貴方。今、その魔導書に何をしたの?」

 

 

ルヴィアの声は静かだったが、そこには絶対的な上位者としての詰問が含まれていた。

 

茜はフードを深く被ったまま、ポケットから手を出さずに半眼で振り返る。

 

「……ただの整理です。依頼された通り、暗号を解読してインデックスを作成しただけですが」

 

「嘘をおっしゃい」

 

 

ルヴィアはピシャリと言い放ち、カウンターの魔導書へと歩み寄った。

 

彼女の指には、極上の魔力が込められたブルーサファイアのリングが嵌められている。彼女はその指先を、茜が書き込んだばかりの真新しいインデックスのページへと翳した。

 

宝石魔術の神髄は、魔力の流動と蓄積、そしてその波長を「色」と「輝き」で読み取る圧倒的な審美眼にある。ルヴィアは自身の魔術回路を微かに駆動させ、茜が残したはずの「術式の痕跡」を読み取ろうとした。

 

(……なんですの、これは……)

 

 

ルヴィアの秀麗な眉が、微かに歪んだ。

 

通常の魔術師がこれほどの歴史ある魔導書の暗号を解いたのであれば、そこには必ず「神秘を紐解いた美しい魔力の残滓」が残るはずだ。術者の苦悩、詠唱の響き、魔力による因果の干渉痕。

 

 

 

だが、ルヴィアのサファイアが感知したものは、完全な『虚無』だった。

 

魔力の残滓が「ない」のではない。あまりにも冷徹に、無機質に、そして暴力的なまでの効率で、数世紀分の神秘が『ただのデータ』として分解され、処理された「削りカス」のような冷たい波形。

 

 

それは魔術師の業ではない。世界というシステムを強引に演算で書き換える、得体の知れない機械の仕業だった。

 

「……詠唱もなく、魔力の高まりすら一切感じさせずに、この規模の呪言暗号を解体したというの? 貴方、どこの家系の者ですの?」

 

 

ルヴィアの声音に、微かな警戒が混じる。

 

茜は、口の中のチェリー味のキャンディを転がし、カチリと音を立てた。

 

(……まずいな。誰の目にも留まらないように処理するはずだったのに。異常な速度でタスクを終わらせたせいで、こんな本物の魔術師の癇に障ることになった)

 

 

茜は内心で激しく自己嫌悪に陥っていた。

 

彼にとって、自分の『解析』と『思考加速』を用いた解読は、魔術という神聖なものを冒涜する「チート」や「バグ技」でしかない。ルヴィアのような、歴史と誇りを持った本物の魔術師から見れば、自分の無機質なやり方は泥を塗るような行為だろうと、素でそう思っていた。

 

「……竜胆、茜。時計塔の全体基礎科(ミスティール)から、現代魔術科へ移るだけの、ただの学生です。家系なんて呼べるものはありません。……僕がやったのは魔術じゃありません。ただの計算合わせです。本物の魔術師の方から見れば、酷く不格好な小細工でしょうから……お気になさらず」

 

 

茜は極めて平坦に、そして本心からの自己評価の低さを込めてそう言った。

 

謙遜でも何でもない。ただの事実としての告白。

 

だが、その言葉はルヴィアにとって、致命的なまでの『不愉快』を引き起こした。

 

 

「……不格好な小細工、ですって?」

 

 

ルヴィアのサファイアの瞳に、明確な怒りの火が灯る。

 

数世紀の歴史を持つ神秘を、たった1分で解体しておきながら、それを「小細工」と吐き捨てる。それは、魔術の深淵を目指して血の滲むような研鑽を積むすべての魔術師への、傲慢極まりない侮辱に他ならない。本人は素で卑下しているつもりでも、ルヴィアの目には「底知れぬ実力を隠し持ちながら、他者を嘲笑う虚無」にしか映らなかった。

 

 

「……ええ、そうですわね。本当に不愉快だわ。貴方の足元には、魔術師としての誇りも、神秘への敬意も、美しさの欠片もない。ただ結果だけを掠め取る、空っぽの盗人のようですわね」

 

 

ルヴィアは扇を広げ、茜を冷たく見下ろした。

 

だが、彼女の背筋には、怒りとは別の「ぞくり」とした冷たいものが走っていた。

 

直感が告げている。この男の「空っぽ」の深淵を覗き込めば、エーデルフェルトの魔術すらも、あの無機質な計算式の中でただの数字として解体されてしまうのではないか、と。

 

「……ええ、その通りです。お目汚し、失礼しました」

 

 

茜は反論することなく、静かに頭を下げた。

 

ルヴィアの言葉は、茜にとって「その通りすぎる事実」だったため、何のダメージもない。むしろ、正しく自分を「空っぽの偽物」と評価してくれたことに、微かな安堵すら覚えていた。

 

 

「それじゃあ。……サミュエルさん、報酬は、よろしくお願いします」

 

 

茜は背を向け、古書店の錆びたドアを押し開けた。

 

ロンドンの冷たい霧が店内に流れ込み、彼の黒いフードを白く沈ませていく。

 

ルヴィアは、霧の向こうに消えていく茜の背中を、扇を持つ手が白くなるほど強く握り締めながら、いつまでも睨みつけていた。

 

「……竜胆、茜。……現代魔術科の生徒。……なんて不気味で、不愉快な男」

 

 

時計塔の深淵に、また一つ、茜という「バグ」の存在が、強烈なノイズとして本物の天才たちの記憶に刻み込まれた夜だった。

 

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