花は手折られた   作:良哉

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二、男という生き物は。

 

 

一九〇四年、日露戦争。二〇三高地。

 

 

一人の男が、構えていた小銃を下ろす。

淀む視線のその先には、倒れる兵士に駆け寄る屯田兵たちが群がっていく。

尾形百之助は、地に落ちた蝶に群がる蟻のようだと、他人事のように独りごち、今しがた撃ち抜いた蝶を遠巻きに見据える。

 

 

生まれ落ちたその瞬間から祝福されていた人間は、人生の終わりも祝福されて終わるのだろうか。

半分でも、血の繋がりがあるのであれば自分にも祝福が訪れるのではないかと、男は動かぬ異母弟の亡骸に啜り泣く声から祝福を手繰り寄せるように淀んだ濁る目を細めた。

 

半分が消えてなくなるのであれば、片割れである自分に還元され、自分は完全なる個として存在することができるのではないかと、尾形百乃助は自身の手を見つめ、感覚の残る指先を読み取れない感情のまま引き金を引くように動かす。

 

父はこの報せを聞き、果たして母と俺を…過去にあった愛を、俺は掘り起こすことができるだろうか。

 

 

俺には殺す道理があった。あぁ、やはり片割れを殺しても罪悪感なんぞというものは微塵も湧かない。やはり道理があれば、命を摘み取るのは正しき行いなのだと、尾形は心底喜ばしいように口元に笑みを浮かべる。

ふとそこで、道理を用意したにも関わらず身綺麗なまま死んだ異母弟へ視線を移す。距離があれど、尾形の脳内には脳天をぶち抜いた瞬間が焼き付いていた。

 

 

俺が用意した道理では、殺すに値しないということですかな、勇作殿。

 

 

 

先日、捕虜として隠していたロシア兵を勇作に引き合わせたことを思い出す。

勇作はこちらの労力に対して、少しも対価も真偽も示さぬ男だったと尾形は思い返す。

ふと、異母弟の…花沢勇作の打ち抜いた頭から落ちたのだろう軍帽が、自身の足元まで転がっていること気が付く。同じ軍帽でも、重みが違うのだろうか。そんなことありはしないはずだと、尾形は手に取り変わらぬ重さに鼻で笑った。

 

しかし、自分の軍帽と違う束の部分の膨らみに気づき、なんとなしに切り込みを入れてみる。

 

中から出て来たのは一枚の写真だった。なんてことはない、見合いで出されるような写真だ。

 

 

 

遠くから、「一度退却だ!!!尾形、花沢少尉が撃たれてしまった…!即死だ!士気が下がってしまっている…!」という声を皮切りに、一斉に後方へ兵たちが退却し始める。

 

 

 

日が沈み始めた空に、真っ赤な夕焼けが空を燃やす。

 

先程見据えていた地では、何人かが勇作の亡骸を抱え、流れ弾が当たらぬようにとでも言うように、覆い被さる形で走る者たちがいた。

 

偶像として持ち上げられ、死んで初めて価値が証明されるなど馬鹿馬鹿しい。

 

母は、死んでなお価値を示しては貰えなかったというのに。お前たちのような人間が、何故死んで惜しみ愛を確かめられるのか、と尾形の中にまた不完全燃焼の証明できない事象が目前で広がる。

 

 

 

他人の血で汚れることを拒み、自身の血で溺れるその男に、尾形は能面のような表情から舌打ちをこぼす。

 

 

真っ赤な燃えるような夕暮れに、火へ焚べるように勇作の軍帽を投げた。

 

 

 

 

 

左手に乱雑に握りしめた写真には、冷ややかで強かそうな、勇作には全く合わなそうな少女が映っていた。

 

 

 

戦争で生きる兵士にとって美しさなどは無縁だ。この少女は、勇作には毒になっただろうなと、美しさだけを焼き付けたような先程の写真を思い出す。女に触れなかった勇作が、一体どんな醜態を晒していたのか、それも面白そうではあったと、ありもしないもしもを考える。

 

 

 

「ははぁ、この女の陰毛でも縫い付けていれば、弾などあたりはしなかったでしょうに。」

 

 

 

外すつもりなど毛頭ないこの男は、この戦場でこの瞬間、きっと唯一いちばんの笑顔を天に向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が勇作殿にその女の話を聞いたのは日露戦争出兵前、勇作殿の結婚話が噂され始めた頃だった。

なんでも、手紙でのやり取りだけだが結婚を親同士が決めてしまった相手がいるのだそうだ。

以前あれだけ優作殿の貞操を巡り、見合いを取り合っていたことが馬鹿馬鹿しくなるほどの呆気ない身を固める話だった。

 

「兄様は、将来を約束する仲の方はいらっしゃいますか?」

「勇作さん、呼び方に続きそのような内容は規律が緩むどころではありませんよ」

「あ、兄様、どうか私の悩みを聞いてくれませんか…!他に相談できる相手がいないのです…」

 

どう考えても俺じゃねぇだろ、とは言える訳もなく、俺は仕方なしに全く興味のそそられない苦痛の時間を承諾せざるを得なかった。

 

 

「母が見合いを通り越して、書面だけでの婚姻を結んでしまったのです…。相手方の女性どころか両親にさえ私は面識がありません。」

「上流階級にはよくある話なのでは?」

「だとしても、私は…旗手を目指している身ですので…その…結婚となると話が変わってくるのです。」

 

 

相変わらず実直で糞真面目な性格だと、俺は不憫にすら感じる。

要は、清廉潔白…童貞が暗黙の了解である聯隊旗手に、自分が結婚などということになったら初夜を迎えなければならず女を知ってしまうと、この馬鹿正直な軍神殿は心配しておられるのだ。

 

女に、そんな価値などないというのに。

 

抱く行為を、不純なものだと思っているのだろうか。

 

芸者との不純物が、俺であることを、この人は理解して俺に相談しているのだろうか。

 

 

心底本当に頭を悩ませているのか、手紙でのやり取り、という言葉と共に胸元から一通の手紙を俺に手渡してきた。

 

正気か、恋文など読めたもんじゃねぇ…。

 

 

 

ふと、その手紙の書き手の名前に目が止まる。

 

 

 

春日井…誉…?( カスガイホマレ)

 

 

 

春日井、とは志願兵並びに士官学校、軍事機関に所属する人間ならば聞かぬ者はいない名だ。

軍事医療の先駆者。最先端の医療技術を軍に提供する名家の名だ。

とは言え、俺のような一兵卒は下働きで雇われる看護の婦人や、同じく衛生兵などの世話になることが多く、実際「春日井」の名を持つ医師には出会ったことがなかった。ましてやその家の女など、縁がない。

 

 

軍においての女の立ち位置は、よもや穢れと同等に扱われる。聯隊旗手の童貞が慮られるのが良い例だ。

 

 

そして今の春日井家当主には、子供が娘ただ一人というのも耳にしたことがあった。なるほど、軍支持者である春日井家ご当主殿は、自分の娘の使い道は嫁ぎ子を成すことだとお考えのようだ。

よりにもよって、一番死に近いこの花沢勇作を選ぶとは。

 

 

手紙の名を読み上げた俺に、優作殿は眉尻を下げ封を切って既に読んだのだろう中身を取り出す。

 

 

何故読ませようとするのです。

 

 

「勇作殿、密な会話を共有してしまうのは相手方に失礼にあたるのでは?」

「う、しかし、兄様…彼女はどうもその、私の知る女性とはかなり印象がかけ離れており…。言うなれば、その……まるで戦友と言葉を交わしているような気分になるのです。」

 

 

 

かなり失礼な物言いをしていると自覚があるのか、言葉が尻すぼみになりいつもの馬鹿でかい通る声が小さくなる。

 

 

陸軍少尉に、戦友のよう、と言わしめる女とは一体どんな傑物だと考えるが、遠巻きに結婚を拒否られ代筆でもされてんじゃねぇか、と笑える状況に口を噤む。

 

未だに頭を抱える勇作殿の手元から、微かに白梅香の香りが鼻をかすめる。

今は3月、春先に梅の香りを身につける傑物の女に、やはり高貴な生まれであることが垣間見える。

 

 

 

なんとなく、興味が湧いた。

梅の花は清廉潔白であるにも関わらず、それでいて春の桜により存在が薄くなる春の花。

 

その女は穢れを知らずに何をしたためるのだろう。戦場など想像出来やしないその身で、勇作に戦友のようだと言われる口ぶりとは、果たして

どれだけ滑稽だろうかと鼻で笑いたくなった。

 

勇作殿に、拝見しても?と声をかけると何故か嬉しそうに笑顔になり手紙を渡してくる。俺が仲を取り持とうとしてるとでも勘違いしているのだろう。

 

 

 

 

_____拝啓、どこぞの旦那様。

 

早いもので、手紙は何通目になったでしょうか。律儀に返信を送られる貴方に、未だにお会いしたことがないのがおかしな話だと最近よく思います。

さて、前振りの言葉も出し尽くしてしまい、些かつまらぬ文になりつつある今日この頃、自分は先日東京の春日井本邸を出立し、今現在貴殿と同じ地に足を着けています。なるほど、貴殿が仰っていた「寒さが一番こたえる」という言葉が我が身に染みます。結婚云々は元より、家を出たいとは思っていた次第ですので、私の現在の家は伏せておきます。これは春日井家の意向での出立でしたので。

 

 

戦争が終わり、貴殿が帰還できたら招待するのも悪くはないかもしれませんね。ご武運を。」

 

 

 

 

 

ただの近況報告のような文だ、というのが簡潔な感想だった。確かに年頃よ女の文と言うよりは、同じ軍人が寄越す手紙に近い。

 

「元々、彼女のことは知っていたんです。知人が見合いをするのだと、器量良しの才女なのだとふれまわっていたので…それが彼女でした。けれど、なんでも男に頼らぬ自立心の強さが可愛くないのだと破談になる話が多かったらしく…」

 

 

 

なるほど、賢い女は嫌われる。軍人は特に女を下に見るものが多い。賢いとあれば口が達者なのだろう、女に言い返せずに震える男を想像しなんとも笑える。

 

それはいずれこの人、勇作さんになるかもしれぬのだ。はは、笑えるな。

 

 

 

 

 

 

何を渋っているのやら。女を知ったところで、知る前の自分と一体何が変わる?せいぜい自分の子種の質が分かるくらいだろ。

 

 

 

「勇作さんは、女を穢れだとお思いなのですか?」

「まさか…!ただ、勇作は…何故こんなにも私を突き放すのか気になるのです。一人この北海道の地に来ているのかもしれないと思うと…私が彼女の(ヨスガ)になりたい」

 

 

 

 

 

女にどんな意図があるかは定かではないが、果たしてこの同情は愛なのだろうか。愛とは一つなのか、それとも同情も執着も懸念も全てが愛と呼べるのか…いや、執着が愛と呼べるなら、おっ母のあれは愛だったはずだ。懸念が、愛と呼べるなら、父の行動も愛であったはずだ。

 

おかしい、それとも愛だったとしても同じ感情でなければ駄目なのか?お互いに執着していたら?なるほど、検証が必要なのか。

 

だったら、勇作殿の彼女を心配する気持ちが愛であるなら、彼女も勇作殿に心配する気持ちを向ければ愛が成立するということなのでは?会わずとも身体を結ばずとも、これは愛になるのでは?

 

 

いや、それよりももし高貴な生まれであるはずの2人に、愛のない義務的な子が宿ったら…?純潔の子でも俺と同じく欠けた人間が生まれるのか?

 

 

 

 

自分の撒いた種で苦しむ勇作殿を見るのは、面白いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

愛が無くとも、男は女を抱くのだ。

 

 

 

 

 

 

 

道理より、愛はずっと軽い。愛を至高のものとして考えるのは、やはり間違っている。

母に、「会える可能性」を与えるために殺鼠剤を飲ませたのだ。あの時会えていたら、それは愛だったと証明されていた。

やはり、愛より先に道理が必要なのだ。

 

 

 

 

愛が無くとも、子は成せるのだ。男という生き物は。

 

 

 

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