花は手折られた   作:良哉

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五、さよなら、私。

 

 

 

 

 

 

 

「春日井さん、少し見るだけだと」

「月島軍曹、この御仁は何か規律を破ったのか?こんなに腫れるまで殴られるなんて。」

「それは山で滑落した際に打ちどころが悪かっただけです。ではなくて、うろちょろしないで早く帰りますよ。」

「この縫合…顎が割れたのか君?!可哀想に…粥しか食えんだろうこれでは…」

「顎関係なく病人怪我人は粥です。はい離れて!」

 

 

 

 

 

 

 

なんでこの女がここにいる。

 

 

 

 

 

 

幾分か大人びているが、いつか写真で見た女が寝たきりの俺の寝台の周りを覗き込んでいるようだった。

雪とは正反対の漆黒の髪に、形の整った目玉と鼻、口が俺に意識を向けていた。器量が良いとは聞いていたがなるほど、見目だけで見合い話がいくつも上がるはずだ。

 

とにかくこの女を早くどかしてください月島軍曹、髪が当たって不愉快だ。

 

目で訴えるように月島軍曹を見やるが、手のかかる軍人たち相手ではないので、安易に触れることもできず手を出しては引いてを繰り返している。何しに来たんだこいつら。

 

ふと女の腕の中に見覚えのある布切れが抱えられていることに気づく。

 

 

存外大事そうに抱くのだな、と鼻で笑いそうになり走る痛みに眉根を寄せる。

 

 

おい、なぜ座る。

 

 

 

寝台の横に使われることのない見舞い用の椅子に、女は許可も取らずに腰掛けた。月島軍曹がとうとう無表情になる。

 

おい諦めるな。

 

「少しくらい許せ。こんなに人と話したのは本当に数年ぶりなんだ。家の者以外だと十年ぶりだ。」

 

月島軍曹は、10分だけですよ、と座る女の後ろに控える。こんな状態の俺が何か口を滑らせるとでも思っているのか?是非顎が割れた状態で俺に何ができるのかお聞かせ願いたい。

 

 

 

「すまない、顎の割れた御仁。私のわがままに付き合わせてしまって。」

 

 

 

女が人に不名誉な呼び名をつけて話しかけてくる。

許された時間に、ここで一体何ができるのかと、目線だけで女の様子を伺うと、あちらも俺を見ていたのか視線が交わった。

 

 

「腫れが引いたら、きっと凛々しい軍人殿なんだろう。眉と目元がはっきりしている。」

 

 

両の人差し指を使い、空中で俺の眉と目元をなぞるように動かす。

 

この女がここにいるのは、鶴見中尉の策略か…または単なる偶然か…

どちらにせよ、月島軍曹が着いているということは何かしら鶴見中尉の動きがあったと見て間違いないだろう。

 

時間を確認したかったのだろう、襟の重ね部分から懐中時計を取り出しため息を着いていた。どうやら10分経ったようだ。

その時襟の重ねの下の部分…帯の隙間から、ほんの少しだけ見えたそれにわずかばかり目を見開いた。

 

 

 

短刀だ。

 

 

 

女は俺の視線には気づかず、なんでもないようにそっと短刀を押し込む。もちろん後ろに立っている月島軍曹には見えていないようで、時間です、と声をかけて先を促す。

女はゆっくりと腰を上げ、ほんの少しため息を漏らした。

 

立ち上がったのを見て、月島軍曹は早々に病室を後にしたが、律儀に直立不動で待っているのだろう。

 

なんとなく、このまま帰すのは惜しい気がした。ただ、なんとなく。

 

病室特有の贅沢な真っさらな掛け布団に、自分の指先でトンとたたく。

女の視線がこちらに向いたのを確認してから、次に俺は自分の腹、女の帯の位置に当たる部分を叩いて見せた。

 

 

俺の行動で、何が言いたいのか理解したらしく、人差し指を口元へ持っていく。

 

内緒にしろということだ。

 

 

帰るはずの女は、さっきよりずっと俺に近づくとこっそり耳打ちするように話しかけてくる。

 

 

「このあと家出する予定なのだ」

 

 

 

白梅香の香りがした。

いつだったか、嗅いだことのある匂いだ。

 

女はそう言うと、今度こそ離れて扉へと歩き出し部屋を後にした。

 

 

 

 

 

随分手軽で物騒な家出だな。

 

 

 

 

 

廊下から次第に遠ざかる足音を確認する。

 

 

 

女であることも勿論だが、あの身なりで一人家出なんてもんをしたら、あっという間に金に変えられてしまう。なんなら本人でさえ結構な値がつくだろう。

 

 

蝶よ花よと育てられた人間が、頭の出来だけで世の中生きていけるほど甘くは無い。現に俺や、俺をこの姿にした不死身の名を持つ男は学がないのにしぶとく戦場で生き残った。学などあってもなくても命の上では大して差はない。

男でこれなら、女なら野垂れ死だ。

 

 

 

ふと、育ちのいいはずの女の持つ短刀は、何に使うつもりなのかと考える。護身用、なのは当たり前だろうが、殺されるくらいなら殺す、の意味はあるのだろうか。

 

ふと興味が湧いた。紛れもない高貴で純潔なあの女に果たして殺しはできるのか。

殺されそうだったから殺した、という道理を前に罪悪感など感じないはずだ。

 

 

まだ動かぬ自分の身体に思わず舌打ちをしそうになる。痛みで出来はしないが。

 

 

 

俺も家出さながらこの兵舎を抜け出す算段だ、道すがら女の行方を尋ねてみるのも面白いかもしれない。

 

 

世間知らずがよく生き残れたものですな、と鼻で笑うのが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誉様、随分遅かったですね。」

「わがままを言って軍の病院を見せてもらったんだ。月島軍曹、ありがとう。」

「いえ、鶴見中尉も是非にとの事でしたので。」

 

初めて目にするものにいちいち反応する私に、月島軍曹は丁寧に相槌や返答をしてくれて、結局予定の時刻より一時間は押してしまっていた。私の興味本位のわがままに付き合わせてしまって申し訳なく思い、27聯隊正門まで送り届けてくれた彼へ感謝を述べる。

けれど、どうやら鶴見中尉からも希望に沿うように、と言われていたようで月島軍曹は嫌な顔ひとつせず送り出してくれた。

おそらく鶴見中尉のは完全なる善意ではないだろうが、文字や絵でしか見た事なかった物を肉眼で捉えるのはやはり私には新鮮で心地よかった。

 

今日付き人として正門前で待っていた女中が、私に訝しげな目線を投げたあと一変して月島軍曹へ朗らかな笑顔を向け挨拶をした。

 

 

私は女中がいくらか言葉を交わしている間、見える建物、行き交う人全てを見回す。

 

 

随分長話だな。

 

 

いつもなら私を外に出すことを良しとしない女中が、珍しく長話をしていることに視線を戻すと、どうやら私の軍曹、と呼んだことに出世頭と目を輝かせたのか月島軍曹を、うん、口説いているようだった。

 

すごく目が死んでいるように見える。

 

 

たった数時間の知り合いだが、今日一番に無表情かもしれない彼に思わず笑いそうになる。

よく女中たちも街で将校様を見かけたと浮き足立つ時がある。若いな。

 

家で一番若いのは私だが。

 

 

「私は先に馬車に乗っているぞ。月島軍曹、縁があったらまたどこかで。」

 

 

私の挨拶と共に、彼はほんの少し眉根を寄せたようだった。

女中も連れてお帰りください、というものなのか、鶴見中尉のこれから頼ってくれていい、という申し出をなかったことにしようとしている私の態度へなのか、おそらく半々だろう。

 

 

端の路肩へ停めている馬車へと歩を進める。

 

 

 

端でタバコ休憩をしている業者が慌てたように近寄ろうとするが、私が構わないと言うように手を上げると、腰を低くしながらお辞儀をしてくる。

なにより、今この瞬間が好機なような気がした。

 

私は扉を開け中へ滑り込むと、扉を閉める際にちらりと女中の様子を伺う。まだなにか話しているようだった。

 

さっさと事を進めようと、私は中に入り深呼吸を一つする。

 

 

 

 

次からはここに隠すのはやめようと、そう反省しながら帯から短刀を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女中の悲鳴が響いたのは、そこから十五分ほどだった。

 

何事だと、何名かの近くにいた兵士が駆け寄る。

もちろん、つい先程まで女中に捕まっていた月島も、僅かに頬を染めて自分に話しかけてきていた女が、今はすっかり青ざめて尻もちを着いている姿に駆け寄った。

女中は、震える指で車内を指さす。

 

「失礼します。」

 

月島は一言声をかけると、開け放たれている中を確認するように手をかける。

 

 

 

中の光景に、思わず月島も言葉を失う。

 

 

 

着物と、髪と、血だった。

 

 

 

着物は先程まで誉殿が着用していたものだと、月島は確認し、次にその艶のある黒地が所々濡れているのを視界にいれる。おそらく血だ。それだけならまだ戦場帰りの月島にはさして驚くものではなかったが、何より異様な存在なのは髪だった。

 

 

恐らくこれも着物の人物と同じく誉殿のものだろうと月島は予想はする。この長さ、おそらく切ってしまった今、彼女は童のような長さだろう。

 

今の時代、髪を伸ばすのが当たり前。名家のご令嬢であれば尚更。

結えぬほどの短い髪の女は、未亡人か年寄り、手入れのできない貧乏人くらいだ。

 

 

 

 

 

艶やかな長い漆黒の髪。彼女しか持ち合わせない特徴が消えるのは、鶴見には痛手であった。

 

 

 

探し出すにも、彼女の写真など一枚もないのだ。

 

 

 

 

 

 

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