The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
「はぁっ、はっ!ま、撒いたんでしょうか……?」ヒフミ
「お、追って来る様子はないけれど……」コハル
息も絶え絶えに、ヒフミとコハルが背後を見る。スラムの雑多な街並みは遥か遠くに、その残光がちらちらと掠めるのみ。走り続けた息苦しさが、ようやく落ち着きを見せ始めていた。
「あ、アズサちゃん、此処は──」ヒフミ
「うん、もうゲヘナ自治区の内部、スラムは抜けられた」アズサ
「そ、そうですか……!」ヒフミ
「何だか、爆発音とか、銃声が背後から沢山聞こえましたけれど……一体?」コハル
「わ、分かんないけれど、流れ弾が偶然別の不良に当たって、仲間割れとか……?」コハル
「可能性としては、あり得るけれど──」アズサ
「……どの勢力も、決して一枚岩ではありませんからね」ハナコ
そう言って、少し遅れて走っていたハナコが合流する。息一つ乱していない様子は、相変わらずだった。
「……皆、作戦行動中は静かに、それと道路の真ん中で止まるのは感心しない、壁際に寄って、狙撃を警戒しよう」アズサ
「え、あ、は、はい……」ヒフミ
言われるがまま、皆はそそくさと壁際へと身を寄せる。アズサの視線は既に、周囲の建物の窓や物陰へと向けられていた。
「……どうも、街の様子が変だ」アズサ
「えっ、そう……ですか?」ヒフミ
「……確かに、幾ら夜中とは言え、人の気配が全くありませんね?」ハナコ
「い、言われてみれば……」コハル
言われて初めて、皆もその異様な静けさに気付いた。ゲヘナの喧騒に満ちているだろう夜の街が、今は不気味な程に静まり返っている。
タァン!
「むっ──」アズサ
「今のは、銃声?」コハル
「ど、どこかで戦闘が?方向的には、スラムじゃないよね?」ヒフミ
「違う」アズサ
「音の方向的には──恐らく、こっちですね」ハナコ
「……はい、目的地の第十五エリア、その最短ルートは此処を真っ直ぐです」ミヅホ
「と、いう事は──」ヒフミ
「うん、銃声のする方に行くことになる」アズサ
「えぇ……」コハル
コハルの顔から、目に見えて血の気が引いていく。
「目的地には早めに到着した方が良い、遠回りするだけの時間もないし──ヒフミ?」アズサ
「うん、そうだね……アズサの言う通り、距離と移動ルートを考えると余り余裕はないかも」ヒフミ
「そ、そうですか……うぅ、気は進みませんが──!」コハル
ヒフミの決断とアズサの言もあり、補習授業部は大橋へと足を向ける。夜の静寂が、これから向かう先の不穏さを、余計に際立たせていた。
「ふぅ、結構長いですね、この橋……」ヒフミ
「外郭地区と中央区を繋ぐ橋ですからね、それも仕方ありません」ハナコ
「って……あれ、何か向こうに人が居ない?」コハル
「えっと……検問、でしょうか?」ヒフミ
「あの恰好──ゲヘナ風紀委員会の制服だ」アズサ
大橋の歩道を駆ける事数分、橋の中程まで進んだ補習授業部は、進行方向に検問が在る事に気付いた。橋の欄干から見下ろす夜景だけが、変わらず美しかった。
「止まれ!此処から先は現在立ち入り禁止だ!」風紀委員
「え、えぇ……た、立ち入り禁止ですか?」ヒフミ
「そうだ、温泉開発部の連中が暴れていてな、現在風紀委員会が対応中だ」風紀委員А
「お、温泉開発部……」ヒフミ
一体それがどの様な部活動なのか、ヒフミには想像すらつかなかった。
「うむ……というか、今日は街全体に外出禁止令が出されているだろう?緊急の要件なら区間別対応窓口に──うん?」風紀委員Б
「待て、お前、その制服……まさか、トリニティか?」風紀委員В
「あ、あぅ」ヒフミ
「どうしてこんな場所にトリニティの生徒が──此処はゲヘナ自治区だぞ、ゲヘナに何の用だ?目的は!?」風紀委員Г
「い、いえ、その、私達は別に何かを企んでいるとか、そんな事はなくて、試験を受けに来ただけでして……」ヒフミ
「試験?何でトリニティの生徒がゲヘナ自治区で試験を受ける必要があるんだ!?意味が分からんぞ!吐くならもっと真面な嘘を吐け!」風紀委員Б
「な、なんて正論……」ヒフミ
反論の余地もない圧倒的ど正論に、ヒフミは思わず口を噤む。確かに、事情を知らない者から見れば、荒唐無稽な話でしかないだろう。
「──ッ!その制服、お前、まさか正義実現委員会かッ!?」風紀委員Г
「えっ……!?」コハル
「条約締結前にゲヘナ自治区に正義実現委員を派遣だと!?血迷ったかトリニティ!?」風紀委員Б
「えぇっ!?い、いや、そのッ、そ、そうなんだけれど、今は違うっていうか、う、うぅ……!」コハル
「むぅ……」アズサ
アズサはそれを一から説明しても理解される事はないという結論に達し、下ろしていた愛銃を構えた。その判断の早さに、周囲が慌てるまで一拍の間もなかった。
「──仕方ない、倒して進もう」アズサ
「えぇッ!?ご、誤解が深まりませんか!?」ヒフミ
「ちょ、ストップ!待って、これには事情が──」コハル
誰もが止めに入ろうとした、その時だった。低く、しかし有無を言わさぬ声が、橋の向こうから響いた。
「通しなさい」???
「い…委員長!?正気ですか!?」風紀委員Б
「先生から話は聞いている。彼女達はトリニティの『補習授業部』よ。決して工作員なんかじゃない。私が保証する。」ヒナ
「し、しかし委員長、彼女らはトリニティの…それに正義実現委員会の外套を纏っている生徒だっているのですよ!?もしスパイだとしたら…」風紀委員Г
「正義実現委員会はこんな雑な方法を使わないわ。それに他を見なさい?正義実現委員会の外套を纏っている生徒なんて一人しかいないでしょう?」ヒナ
「うぅ…それは確かに…」風紀委員А
その一言で、風紀委員は渋々ながらも矛を収めた。
「ありがとうございます、ヒナさん!」ヒフミ
「こちらこそ、無用な争いを止めてくれて感謝するわ…って、そういえば」ヒナ
「どうされましたか?ヒナさん?」ヒフミ
「……先生の姿が見当たらないわね?てっきりついてきてるかと思っていたけれど…」ヒナ
「え…えっと…」ヒフミ
突然の問いかけに、ヒフミの言葉が一瞬詰まる。
「どうかしたのかしら?」ヒナ
「その…連邦生徒会の仕事が終わらなくて、今日ばかりは生徒達だけで行って来てくれって…」ヒフミ
そんな事を口にしながら、ヒフミは自身の背嚢から「委任状」を取り出す。手が僅かに震えていた事に、彼女自身も気付いていなかった。
「捜査部の紋章…先生も相当忙しいのね」ヒナ
「はい…いつも夜中まで電気がついていて…」ヒフミ
嘘の中に、僅かな真実を織り交ぜる。それが、ヒフミに出来る精一杯の演技だった。
「…確認したわ。気をつけてらっしゃい。ゲヘナは危険だから、何かがあったらすぐ風紀委員を頼って」ヒナ
「ご丁寧に……あ、ありがとう…ございます」ヒフミ
ヒナと別れ、一行は意気揚々と試験会場へ向かった。なお、道中の逃走で足を挫きかけたレイナは、無理をさせられないとの判断でヒナの検問地点に留まり、後の合流を待つ事となった。彼女を残していく事に、皆の胸には僅かな後ろめたさが残っていた。それでも、進まなければならない──残された時間は、あまりにも少なかった。