The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
ゲヘナ自治区、爆心地付近。
駆けつけた風紀委員会の一隊は、補習授業部の面々を見つけるや否や即座に治療班を呼び寄せた。
「軽度の外傷のみですね、幸いにも」風紀委員(治療班)
「済みません、お手数をお掛けしまして……」ヒフミ
「いえ、条約前とはいえ、こういった事態の対応も私達の務めですので」風紀委員(治療班)
淡々とした口調で処置を進める風紀委員の姿に、ヒフミは頭が上がらない思いだった。
簡易的な処置──消毒と包帯の交換──を受けた一行は、深く頭を下げてその場を後にした。爆風の余韻か、耳の奥にはまだ僅かな耳鳴りが残っていた。夜明け前の薄闇の中、疲れ切った足取りで検問地点まで戻れば、そこには足を挫いたまま待機していたレイナの姿があった。
「あ、皆さ──って、うわぁっ、な、何ですかその状態っ!?」レイナ
「あ、あはは……ちょっと、色々ありまして」ヒフミ
「ちょ、ちょっとって感じじゃないですよ!?全身煤だらけじゃないですか……!」レイナ
レイナの言う通り、皆の制服は煤と土埃にまみれ、あちこちが焦げていた。それでも誰の顔にも、達成感にも似た色が僅かに滲んでいる。
「詳しい話は歩きながら、今はまずトリニティに戻りましょう、ティーパーティーの目がある内は……」ミヅホ
「わ、分かりました……!」レイナ
レイナは慌てて立ち上がり、痛む足を庇いながらも一行の後を追った。誰も、それ以上多くを語ろうとはしなかった。
ミヅホの言葉に、皆は無言で頷く。ナギサの手の者に見つかる訳にはいかない。補習授業部は極力人目を避けながら、足早に合宿場への帰路を辿るのだった。夜明けが近い空の色だけが、彼女達の疲労を静かに映し出していた。
──一方、その頃。
誰にも知られる事のない、閉じられた領域。
精神空間──現実とも、サイバー空間とも異なるその場所は、キヴォトスのいかなる生徒、いかなる機関、いかなる技術を以てしても干渉不可能な聖域である。肉体は現実で睡眠を取りながら、意識と実体は、この異空間の中で時を過ごす事が出来る。誰の目にも触れず、誰の記録にも残らない──全ての謀議は、この場所でのみ交わされていた。
その空間の中に、隆一は佇んでいた。
「──やぁ、久しぶりだな」隆一
「お待ちしておりました、閣下」"老紳士"
輪郭の揺らぐ影から、"老紳士"の姿が現れる。仮面越しの声は、いつも通り落ち着き払っていた。二人の間に流れる空気は、まるで長年の盟友であるかの様に自然だった。
「囚人の割には呆れる程、丁重に扱われているものだな」隆一
自嘲めいた笑みと共に、隆一は自身が座らされている椅子──現実のティーパーティー内、拘束された一室のそれを、ここでも同じ様に再現された空間から見下ろす。皮肉にも、この精神空間の中でだけは、彼は誰よりも自由だった。
「テロ行為幇助の容疑で拘束された割には、随分と快適な椅子だ」隆一
「ナギサ嬢としても、閣下を無下に扱う訳にはいかないのでしょう。表向きは丁重な『保護』という体裁を取っているようですから」"老紳士"
「──皮肉なものだよ、あれだけ文句を口にしながら、肝心の牢獄は執務室より何倍も広いというね」隆一
「それは何より」"老紳士"
精神空間の中、端末を模した投影が二人の間に浮かび上がる。隆一が手を伸ばし、その画面を操作すると──現実世界のトリニティ、ゲヘナ、そしてOMNISの動向を示す地図が展開された。淡い光が、二人の輪郭を静かに照らし出す。無数の光点が、まるで生き物の様に地図上で明滅していた。
「補習授業部の様子は?」隆一
その問いかけには、先程までの謀略めいた口調とは違う、確かな温度があった。
「先程、爆発を無事に生き延びられた様です。軽傷のみで済んだ様子ですので、御心配には及びません」"老紳士"
「……そうか」隆一
隆一の表情に、僅かな安堵の色が滲む。それを見た"老紳士"は、静かに一つ頷いた。
「では、そろそろ──最後の調整に入りましょうか」"老紳士"
「あぁ」隆一
隆一は椅子から立ち上がり、投影された地図の中心──トリニティの心臓部を指差す。その指先には、一切の迷いが見られなかった。
「
その響きには、これから起こる出来事の大きさに見合わない程の、平静さがあった。
「畏まりました」"老紳士"
「あの時と同じ様に全て、今日この時を以て動かす」隆一
告げる隆一の口調は、まるで手慣れた作業工程を確認するかの様に、淡々としたものだった。
「その通りです、閣下」"老紳士"
「学派間の疑心暗鬼は、既に修復不可能な域にまで達しています。この状況下でGLADIUSがティーパーティーの衣装を纏い、同時多発テロを実行すれば──」"老紳士"
あの日蒔かれた不和の種は、今や誰にも制御出来ない程に育ち切っていた。それこそが、この計画全体の下地だった。
「トリニティも正義実現委員会も、揃って沽券を失う」隆一
「その混乱に乗じて、俺達独立連邦捜査部は『混乱を収拾した英雄』として救出される。そしてナギサは──」隆一
「部下のクーデターによって失脚したように見せかけられ、一気に
「あぁ」隆一
その一言には、これから引き起こされる全ての悲劇に対する、何の躊躇いも感じられなかった。
告げる隆一の声には、既に感情の起伏がなかった。先程まで補習授業部を案じていた声とは、まるで別人の様な冷徹さ。同一人物の中に同居する、あまりにも隔たった二つの顔だった。"老紳士"でさえ、二重人格とも言えるその豹変には未だ慣れる事が出来ずにいる。
「カイザーコーポレーションとの違法取引、それに──百合園セイア襲撃事件の首謀者としての
「既に、準備は整っております」"老紳士"
「流石だな」隆一
その称賛に、"老紳士"は僅かに頭を下げた。彼にとって、それは何よりの誉れだった。
「これも全て、閣下がお望みになった事ですので」"老紳士"
そう告げた"老紳士"の声が、一瞬──ほんの僅かに、揺らいだ。仮面の奥、その輪郭が精神空間特有の不安定さの中で薄れ、通常であれば決して覗けぬ素顔の輪郭が、朧気にだが確かに透けて見える。
白磁の様な肌、細く整った顎の線、そして何より──若い、女の声。この場所でだけ、僅かにほころぶ仮面。それもまた、二人だけが知る秘密の一つだった。
「……そう緊張しなくても良い」隆一
「──失礼しました」"老紳士"
"老紳士"は素早く仮面の揺らぎを収め、いつもの落ち着いた佇まいへと戻す。それが誰であるか、隆一は最初から知っている。それでも敢えて、"老紳士"と、この呼び名で呼び続ける事にこそ意味があった。二人だけが理解する、暗黙の約束事の様なものだった。仮に本当の名を呼んでしまえば、この均衡は容易く崩れてしまう──そんな予感が、隆一にはあった。
「セイア嬢とミカ嬢の件については、私共の方でも既に一定の計画を進めております、時期が来れば、
「ああ、そっちも頼む」隆一
その返事はあまりにも軽く、まるで日用品の手配でも頼むかの様な調子だった。"老紳士"はそれ以上、何も言わなかった。
「畏まりました」"老紳士"
「──最後に」隆一
「はい」"老紳士"
「補習授業部の四人には、決して手を出させるな」隆一
その声色だけは、先程までの謀略家としてのそれとは、明らかに一線を画していた。
その一言に、"老紳士"は静かに頭を垂れる。壮大な計画の只中にあってなお、
「勿論です、閣下の御意向、必ずや」"老紳士"
二つの影は、暗い精神空間の中で静かに佇み続けた。現実の時計の針が進む速度とは違う、この場所だけの時間の中で──最後の準備が、静かに整えられていく。夜明けは、まだ遠かった。誰にも知られる事のないこの密談だけが、これから訪れる大きな変動の、確かな起点だった。