The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
「そ、そんな……」コハル
「アズサちゃんのせいじゃない!」レイナ
声は、暗闇の廊下に良く通った。ヒフミとコハルの間を抜け、ハナコの横に立つ。未だ強張った表情で、今にも泣きそうなアズサ、その頭に手を乗せる。びくりと、彼女の肩が跳ねた。足を挫いていた事も忘れたかの様な、迷いのない足取りだった。
「決して、絶ッ対に!アズサちゃんのせいなんかじゃない!」レイナ
「レイナ、でも──」アズサ
「責任は…私が、取るから!」レイナ
その声には、いつもの弱々しさとは違う、確かな芯があった。
「ナギサさんも、ミカさんも、ほんの少しだけ、相手を信じることが出来たら……こんな事にはならなかったかもしれない、誰かがほんの少しだけ優しかったら──これは、そういう話」レイナ
「……そうですね、そうかもしれません」ハナコ
「今のナギサさんの様に、誰も信じられなくなってしまった人を変える事は大変難しい事です、そもそも他者を信じるという行為自体が困難な事でしょう──でも」ハナコ
「アズサちゃんは、私達にこうして本心を語ってくれました、黙り続ける事も、このまま姿を晦ませる事も出来た筈なのに……こうして、直接私達と顔を合わせて謝ってくれた」ハナコ
「それは……」アズサ
ハナコの声色が、先程までの刺々しさから、少しずつ和らいでいく。
「……先程はごめんなさい、アズサちゃん、どうしても意地悪がしたくなって…アズサちゃんの真っ直ぐな顔を見ていると、何だか心が落ち着かなくなってしまって」ハナコ
「誰にも気づかれないように消える、そういう手段やタイミングは今まで幾らでもあったでしょう、けれどアズサちゃんは、最後までそうしなかった──その理由を、私は知っています」ハナコ
「……補習授業部での時間が、余りにも楽しかったから──ですよね」ハナコ
「っ──」アズサ
図星を突かれ、アズサは息を呑んだ。反論の言葉を探そうとしたが、それより先に、ハナコの言葉が真実を言い当てている事に気付いてしまっていた。
「皆で一緒に勉強をしたり、ご飯を食べたり、お洗濯をしたり、お掃除をしたり……何をしても楽しい事ばかりだったから、だから──この楽しい時間を壊したくなかった」ハナコ
「目標に向かって皆で努力すること、そしてヒフミちゃんとコハルちゃんと先生と、皆で知らなかった事を学んでいくことが、楽しかったから……だから、最後まで抜け出せなかった──違いますか?」ハナコ
「──……うん、そうだ、その通りだ」アズサ
堰を切った様に、アズサの言葉が溢れ出す。
「何かを学ぶという事、皆で何かをするという事……その楽しい時間を、私は手放せなかった」アズサ
「そうだ、私は、まだまだ知りたい事が沢山ある、学びたい事がいっぱいある……!海とか、お祭りとか、遊園地とか、水族館とか……っ!知らないところ、行きたいところも、まだまだ沢山あって……だからッ、だから私は、まだ、皆と一緒に──ッ!」アズサ
「アズサちゃん──」ハナコ
「その気持ちは、良く分かりますよ──同じように想っていた人が居ましたから」ハナコ
その一言に、廊下の空気が僅かに変わった。ハナコは静かに目を伏せ、遠い記憶を辿る様に語り始める。普段の飄々とした調子とは異なる、どこか懐かしむ様な声色だった。
「浦和さんは、本当に凄いですね!こんな難しい問題も簡単に解けてしまうなんて……!」トリニティ生徒
「あの、浦和さん、学級委員の推薦の話なのですが、クラス全員一致で浦和さんに頼もうって事になって……」トリニティ生徒
「浦和さん、流石です、今期の試験は全て首席ですわ、必要ならば上級学年への飛び級を手配する事も出来ますが──」トリニティ生徒
「浦和様、この計画にはあなたの協力が必要なのです、ですから是非、私達の派閥に──ふふっ」トリニティ生徒
「凄いですね、まさか秀才クラスの試験まで満点なんて……浦和さん、やはりあなたは……」トリニティ生徒
「浦和さん、私達と共に歩みませんか?あのティーパーティーを牽制する為にも、私達シスターフッドが──」トリニティ生徒
「準備をしておいて下さい、浦和ハナコさん、来年のティーパーティーの席は、あなたでほぼ確定ですから──第一学年の時点でこの様な選抜が行われる事は、大変名誉な事ですよ?」トリニティ生徒
「浦和さん」トリニティ生徒
「浦和様」トリニティ生徒
「浦和ハナコさん」トリニティ生徒
賞賛の声は、絶える事なく降り注いだ。だが、そのどれもが、まるで違う誰かへ向けられている様に、当のハナコの耳には響かなかった。教室のどこにいても、廊下のどこを歩いても、向けられるのは同じ種類の眼差しばかり。それは羨望であり、打算であり、決して彼女自身への関心ではなかった。
──私は、そんな人ではないのに。
誰も、本当の私を見てはいない。皆が見ているのは、優秀な生徒という記号でしかなく、そこに彼女自身の姿はどこにもなかった。
「その人にとって、全ての事は無意味で、無駄で──学校を、辞めようとしていたんです、何せ、そのまま生活を続ける事は監獄にいるのと同じでしたから」ハナコ
私ハナコにとって、このトリニティ総合学園世界は、嘘と偽りで飾り立てられた、欺瞞に満ちた空間だった。誰にも本心を話す事が出来ず、誰にも本当の姿を見せる事が出来ないまま……。
だから、あの時、彼女にそんな言葉を掛けられた時──ハナコは救われた気持ちになったのだ。
寂しい、そう、寂しいのだ。誰にも理解されない事は、誰にも歩み寄って貰えない事は。自分に──居場所がない事は。
とても、寂しい。
「けれど、その人とアズサちゃんは違ったんです──アズサちゃんは、アリウスからナギサさんを守った後、どうするつもりでしたか?」ハナコ
「っ──」アズサ
「アリウスを裏切り、トリニティをも欺き……最後に、帰る場所が無くなってしまう筈なのに……けれどアズサちゃんは、補習授業部でいつも一生懸命でしたよね」ハナコ
「その人は試験を態わざと台無しにして学園から逃げようとしていたのに……アズサちゃんは、ほんの僅かな時間、刹那の様な学園生活でも、常に全力でした」ハナコ
「どうしてそこまでするのでしょう?そこに、何の意味があるのでしょう……?アズサちゃんがいつも口癖のように言っていた通り──全ては虚しい筈なのに」ハナコ
「──
「全ては、虚しい。いつか消えてしまう。何の意味もない。例え此処で頑張ったって、時が来れば失われてしまうと理解していた筈だ。それでも何故、どうして。」ハナコ
「……それでも」アズサ
「例えすべては虚しいものであっても、抗う事を止めるべきじゃないから……っ!」アズサ
「──えぇ」ハナコ
その答えに、ハナコは静かに、しかし確かに頷いた。
「その通りです、漸く、その人も気付いたんです、友人と過ごす、学園生活の楽しさに」ハナコ
「下着姿でプール掃除をしたり、皆で水着で散歩をしたり、裸で色々な事を打ち明けたり……自分をさらけ出せる人達と、そういったよくある事を全力でする事が、こんなにも楽しくて、心躍る事なんだと」ハナコ
「うん──あ、いや、裸ではなかったけれど……」アズサ
「み、水着で散歩をした覚えはありませんよ……!?」ヒフミ
「え、やっぱりあれって下着だったの!?」コハル
「ふふっ♡」ハナコ
張り詰めていた空気が、その一言で僅かに緩む。深刻な告白の後にもかかわらず、いつも通りの掛け合いが戻ってきた事に、誰もが胸を撫で下ろす様な、そんな夜だった。