The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
トリニティ、地下深く。誰にも知られぬ隠し部屋。
隆一は席を立ち、廊下を歩く。足音だけが、コンクリートの壁に反響していた。ここに至るまでの全ての工程──ノイズフラッド、テル・メギド、そして今この瞬間──その一つ一つを、彼は静かに反芻していた。目的の扉の前に立ち、鍵を差し込むと、重い音を立てて開いた。冷えた空気が、廊下へと流れ出す。かび臭さと、微かな鉄の匂いが鼻を突いた。
「──久しぶりだね、ナギサ」隆一
その声には、以前対峙した時と変わらぬ穏やかさがあった。だが、その穏やかさこそが、今は何よりも不気味に響いた。
薄暗い部屋の中、両手足を拘束され、椅子に縛り付けられたナギサの姿があった。彼女の瞳には、既に力なく濁った光しか残っていない。かつての鋭さは、もうどこにも見当たらなかった。乱れた髪、皺の寄った制服。かつて誰よりも隙のなかった彼女の面影は、もはや見る影もない。
「……あなたは」ナギサ
「ずっと『ティーパーティーの生徒』に導かれて、此処に来たと思っているんだろう?」隆一
「……何を、言っているのです?」ナギサ
混乱を隠しきれない声で、ナギサは問い返した。目の前の状況が、まだ現実感を持って彼女の中に落ちて来ていない。
ナギサの声は、掠れていた。
彼女は確かに、セーフハウスを自らの意思で離れた。「ティーパーティーの信頼出来る生徒が迎えに来た」と、そう信じて。日頃から周到に築き上げてきた、彼女なりの信頼のネットワーク。その一角が、まさかこれ程あっさりと崩される事になろうとは、想像すらしていなかった。
しかし──その正体は、OMNISの工作員だった。飽和した思考の中で、ナギサはその可能性を弾く事すら出来なかった。誰が敵で、誰が味方か。信じるべきか、疑うべきか。全てを疑い続けた末に、彼女の判断力は、最も肝心な場面で摩耗し切っていた。皮肉にも、疑い深さこそが、彼女自身の首を絞めたのだ。誰よりも用心深かった筈の自分が、最も肝心な瞬間に足を掬われる──その皮肉に、今のナギサはまだ気付いてすらいなかった。
「囚人生活はどうだ?」隆一
からかう様な、それでいてどこか冷たい響きを持った問い掛け。その一言に、ナギサの瞳が、僅かに揺れた。皮肉にも、それはかつて自分が隆一に向けていた言葉と、ほとんど同じ響きだった。
「──ッ!」ナギサ
彼女は両手を縛っていたロープを仕込んだカッターで切り、近くのテーブルに置かれたティーカップを掴み、隆一に向かって力任せに投げつける。それは、彼女に残された最後の抵抗だった。しかし、その軌道を予測していたかの様に。
パァン。
乾いた発砲音が、部屋に響いた。
「──ッ、ぐッ……!」ナギサ
こめかみを撃ち抜かれ、ナギサの体が僅かにのけぞる。キヴォトス人の身体は、その一撃を致命傷とはしない。だが、脳を揺さぶられる衝撃と痛みは、確かに彼女を蝕んでいく。視界が一瞬白く染まり、意識が朦朧とする。
「……また、貴女ですか」ナギサ
銃を構えたまま、部屋の隅に佇む影がひとつ。彼女はコードネームA-41。かつてはナギサの側近として仕えていた、OMNISの一員だった。表向きは忠実な部下として、ナギサの傍らに長く控えていた人物である。会議の折には常に一歩後ろに控え、指示に黙って従う──そんな姿しか、ナギサは知らなかった。
「……」A-41
彼女は無言のまま、銃口を下げる。その瞳に、憐れみの色は一切なかった。かつての上司に向ける視線としては、あまりにも冷たいものだった。長年の忠誠が、いつの間にか静かな軽蔑へと変わっていた事実を、当のナギサはまだ知らない。
「補習授業部を利用し、正規の手続きも踏まず生徒を退学へと追い込もうとし──公私混同の人事で、自らの都合の良い様に学園を動かし──あまつさえ、独立連邦捜査部の顧問である閣下を、監禁するという暴挙にまで及ぶ」A-41
一つ一つの罪状を、A-41は指を折る様に数え上げていく。その声に熱はなく、ただ事実を積み重ねるだけの、冷徹な列挙だった。
「あなたが今、この様な目に遭う事を──私は当然の帰結だとしか思っていません」A-41
「っ……」ナギサ
その言葉に、ナギサは何も返せなかった。反論する材料も、気力も、既に彼女の中には残されていない。
「わ、私は、トリニティの為に……」ナギサ
その声は、もはや誰かを説得する為のものではなく、自分自身へ向けた、最後の言い訳にも似ていた。震える唇から漏れるその言葉に、力強さは既になかった。
「その上辺だけの大義が、善意の名の下で何人の人間を踏み躙ったか、あなたは分かっていますか!?」A-41
補習授業部の四人、そして先生──その顔ぶれが、ナギサの脳裏を過った。己の掲げた大義の陰で、確かに傷つけられた者達がいる。反論の言葉は、既に彼女の中に残っていなかった。
「……
A-41が、部屋の奥、暗がりに向けて呟く。輪郭が揺らぎ、"老紳士"の姿が現れた。まるで最初からそこにいたかの様な、自然な現れ方だった。仮面越しの視線が、拘束されたナギサへと向けられる。その佇まいには、これから起こる事への感傷など、欠片も見受けられなかった。
「──閣下、そろそろ」"老紳士"
「あぁ」隆一
隆一が頷く。"老紳士"は懐から小さな端末を取り出し、その表面に指を這わせた。その所作には、一切の迷いも躊躇いも見られなかった。画面には、複雑な記号の羅列が浮かび上がっている。
「桐藤ナギサ」"老紳士"
「……」ナギサ
名を呼ばれ、ナギサは僅かに顔を上げる。もはやそこに、かつての鋭い眼光はなかった。
「あなたが築こうとした一強体制、その全てを──此処で、終わらせて頂きます」"老紳士"
その声には、感情の欠片も感じられなかった。ただ淡々と、決定事項を告げるだけの響き。ナギサがどれだけの野心を、どれだけの覚悟を持ってその地位に立っていたか──そんな事情など、この場では何の意味も持たなかった。積み上げてきた地位も、権力も、信念も、今この瞬間、まるで紙切れの様に軽く扱われていく。
「……最後に、一つだけ」ナギサ
「うん?」隆一
力なく顔を上げたナギサは、最後の力を振り絞る様に問いを紡いだ。
「あなたは……一体、何者なのですか」ナギサ
それは、彼女がこの学園に来てからずっと、胸の奥に抱え続けていた疑問だった。独立連邦捜査部の顧問、生徒達の理解者、そして──今、目の前にいるこの人物。その全ての顔が、彼女の中でどうしても一つに繋がらない。
その問いに、隆一は──ただ、静かに笑った。
「──さぁ、ね」隆一
その答えにならない答えを、ナギサはただ、黙って受け止めるしかなかった。それが、彼女が聞く事の出来た、最後の言葉だった。"老紳士"の指先が、端末のスイッチへと降りる。
「では、失礼致します」"老紳士"
その一言は、まるで日常の別れの挨拶の様に、あまりにも軽く響き、そして──スイッチが、押された。
時間が空いてしまい申し訳ございません